2010年12月29日水曜日

暗い話題に隠れた話題 〈支援システム〉1

入院以来、普通の本が「重くて」読めなくなってしまった代わりに、新聞ばかり読んでいる。記事量の多さからやはり朝日新聞を買ってしまうのだが、月曜の付録版の日経っぽい朝日らしくない記事がある一方で、相変わらずの朝日節みたいな記事もある。
まあそれも許してしまうのが最近の僕で、今週の朝日は「孤族の国」と題して、中年男性の悲劇的な人生をとりあげている。今日は、非正規雇用39才男性が、借金に苦しんだ末餓死したエピソード。
この、餓死と非正規雇用という話題は、ひきこもりやニート支援をしている者にとってかなり親和的だ。餓死の危機を主張するひきこもり当事者も時々いらっしゃるからだ。
だから、このような記事や話題、または同種の本を、これまで僕はわりと積極的に読んできた。そして、記者と一緒になって、餓死を生まない社会システムを構築しなければいけないと心のなかで考えてきた。
でも、考えはいつもそのあたりで止まってしまう。餓死を生んでしまう社会はダメだし、そうでないようにするために、我々は社会を変えていく必要がある。そのために政治が必要であれば、徹底的に利用すべきだし、政治家になれと言われれば、政治家になってやろうと、病気の前の僕は真剣に考えていた。

まあその熱さが淡路プラッツというムーブメントを押している部分もあるだろうし、そうした熱さこそが関西の団体っぽくって好きなことは好きだ。
好きなんだけれども、あんまり熱くなってしまうと、また血圧が上昇してしまって、病気が再発してしまっては元も子もない。
このような煩悶を抱えながら僕は病気後も過ごしてきたわけだが、この頃、自分の血圧上昇の心配とは別の部分で、このような「餓死を生んでしまう社会」という切り取り方自体に、少し疑問を感じ始めてきた。
高齢化や中高年男性の孤独死が急進行するとメディアが毎日伝えているこの日本では、もしかすると、同時に、意外と素敵な社会変革も急進行しているかもしれない、とこの頃僕は直感的に思うようになった。
それは、なんのことはない、世界でも珍しい超ホスピタリティ国家というか、超おもてなし国家というか、超くつろぎ国家という側面も日本にはあるのではないか、ということだ。
国内をあちこち旅行している人はもしかして気づいているのではないだろうか。「ここまでやるか」と思わず微笑んでしまうようなサービスや商品が日本中にごろごろしている。
たとえば、僕は最近毎朝ヨーグルトを食べているのだが、それにかけるハチミツひとつとっても、意外とたくさんの味の商品が出ている。ブルーベリー、ラズベリー、マンゴー等、これでもかというほどたくさんの商品が発売されているのだ。ハチミツというと僕は、健康にいいけれども冬は固まるし味はなんかイマイチだしっていう印象があったのだが、最近のハチミツ研究でまったくそうした印象が変わってしまった。

ハチミツ以外にもたくさんそうした商品はあるだろうし、そんなひとつの商品だけに限らず、たとえばコンビニの接客サービスひとつとっても海外の高級ホテル並みの水準だ。これからこのコーナーでも取り上げたいと思っているが、たとえばトイレの「ウォシュレット」ひとつとっても、ここはどれだけの星がついたホテルなんだというトイレが、普通の公民館にあったりする。
僕はこれまでこのようなサービスたちを過剰だと思っていた。だがしかし、考えようによっては、こうした日本人ならではの細かい配慮がきいたサービスや商品は、十分商品となる。ただ今は、暗い話題に押されてか、識者が新しい価値観を提供できていないのかわからないが、とにかく国民が気づいていないだけだ。
そして、商品に気づき、それが産業となってしまえば、たとえば僕が支援する若者たちにとって、こうした産業を支えることはそれほど苦ではないと思う。彼らが苦手なサービス業につくということではなく、こうした超おもてなし商品に気がまわる細やかな気遣いができる若者たちこそがひきこもりやニートには多いと僕は思うのだ。商品作りしていく過程の中で彼らの配慮はきっとどこかに生かされるだろう。そして、そのような商品をたくさん作ることはそれほど彼らには苦ではないはずだ。
今はまだ、そのような産業が体系化されていないだけで、少し識者や企業、役所が努力すれば体系化は可能だと思う。暗い話の流れと同時に、ポジティブな流れはいつの時代もどんな状況でもある。


※当連載は、「支援の現場」や「支援システムのシステム」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。

2010年12月22日水曜日

世界でただひとりだけのその子と出会う

 今はもう、時間的にすっかり訪問支援はできなくなってしまったが、90年代末は1日に2件、1週間で多いときに12件訪問していた。相手は、ほとんど中学生の男子。当時はまだひきこもりという言葉は一般化しておらず、全員が不登校/登校拒否というレッテルを貼られていた。
現在、ひきこもりは、「性格的な背景をもつ人」「発達障害的な背景をもつ人」「精神障害的な背景をもつ人」の3パターンに大別されている。いずれも典型事例は極めて少なく、ほとんどが「それっぽい」あるいは「3つの要素が微妙に混じっている」人がほとんどだ。
今から振り返ると、それは当時も同じだった。
だが当時は残念ながら発達障害という概念はなかった。ほかの不登校の子であればこの体験を通過できれば元気になるのになぜかなれない、という子どもが一定の割合当時から存在し、それらが今から思うと発達障害にカテゴライズされるのだと思う。当時は、学習障害という概念がわずかながら浸透し始めた頃で、既存の支援組織(これでさえほとんどなかったが)では持て余す子が、学習障害支援団体(塾のようなもの)に通っていた。
また、精神障害をほとんどの不登校支援者は対象としていなかった。それどころか、「登校拒否/不登校は病気ではない」として、精神障害的要素を含む子どもたちを排除することで不登校支援は始まっていた。これによるマイナス効果ははかりしれない。少し薬を飲めばちょっとだけ安心できて登校できる子は現実にいる。不登校は病気ではないとして精神科的支援を排除してしまうと、子どもの登校可能性をはじめから排除してしまう(まあこれにも理由はあって、当時は、精神医療による子どもへの過剰対応によって体調を崩した事例が少なくなかった)。
このように、発達障害の概念はなく、子どもへの精神医療的支援について賛否両論がある、という状況の中、僕は不登校の子どもへ訪問支援をしていた。ずいぶん怖いもの知らずな姿勢だが、当時の支援状況はそれでも許された。とにかく、不登校になってしまうと、行政のかたちばかりの支援(親面談と学生の訪問支援)以外は何も支援メニューがなかった。民間のあんちゃんが、独自の考えで数例訪問したって誰も文句は言わなかった。また、親御さんにすれば、そんなあんちゃんでもいいから、家に来てくれる、自分の子どもの遊び相手を求めていた。
僕としては、その子と同じ子は世界に他にいない、その子は世界でただひとりだけのその子なのだという、ある種の直感的確信をもとに会っていた。それは、さまざまな知識を得た今も変わらない。たくさんの専門用語でその子をくくることは可能だし、それはあるレベルでは絶対必要だ。だがちがうレベルでは、そんなものなくっても子どもとは出会える。
事前に親御さんから聞いている知識を越えて、現実に目の前にいる子どもはさまざまな躍動感をもって迫ってくる(静かな生命力というようなものもある)。欝、強迫、不安、そのような言葉たちがむしろ邪魔になってしまうほど、目の前の子どもはいきいきと現れている。
僕はそのような感じが好きだった。(つづく)

※当連載は、「支援の現場」や「支援システム」といったいくつかの項目をサブタイトルに、毎週、各項目を行ったり来たりします。

2010年12月16日木曜日

転回点

タイトルも少し変更したように、当ブログをもう少し有効に使用することにした。
週刊で更新することとし、プラッツホームページとももう少し親和的にリンクできるようにしたい(あと、ツィッターも)。

手術後療養しているとき(現在も療養中なのだが)、最も接したメディアはインターネットだった。本やDVDは病人にはつらい。それらはエネルギーに満ちており、「死」に片足突っ込んだ人間からすると、遠いところで響く船の汽笛のようだった。
それに比べると、ネットの文字はハードルが低かった。あとは新聞記事。いずれも普段は流し読みだが、この秋はこれらしか読めなかった。この習慣は今も続いている。

ネットや新聞は、テンションが低い人間にもやさしく開いてくれている(中身はハードだが)。
あと、まだきちんとマスターしていないのだが、ツィッターを(主に読者として)始めたことも大きい。いろいろな人をフォローしているだけで、いろいろな動きが伝わってくる。これは、病人である僕の大きなリハビリとなった。

今回は病気をきっかけとして、ネットのさらなる世界を知ることができたのだが、せっかくなので僕のリハビリも兼ねて、もう少しネットを活用していこうと思い始めた。
紙媒体であるプラッツ機関紙「ゆうほどう」連載(私たちのスモールステップトーク)や「月刊少年育成」の連載(僕達のドーナツトーク)、ネットでの当週刊連載、そしてツィッターでの不定期つぶやき(文字数が限られているので主張に限界がある)、これらを重層的に活用していき、僕の(あるいはプラッツの)トータルな主張としていきたい。

ネットの日記で、匿名で愚痴を言ったり趣味を述べたりする時期はとっくに終わっている。
ブログは、実名で意見を述べていく場と化した。それだけ利用者が成熟したのかもしれない。

とはいっても、病気療養中ですので、あくまでもリハビリとして始めたいと思う。一回目は、淡路プラッツの機関紙「ゆうほどう」の200号記念に書いた原稿を以下に流す。



“転回点”
田中俊英

 みなさま、ご心配をおかけしています、田中です。ゆうほどうがちょうど200号を迎えるということで僕も原稿を依頼されました。
 以前の本紙で編集担当がお伝えしたとおり、僕は8/19に脳出血で倒れまして、近所の淀川キリスト教病院に緊急入院、そして手術を受けました。死か、たいへんな片麻痺か、現在のような身体的に問題のない状態かの3つの選択肢のうち、幸いなことに三番目の結果になりました。この間、多方面の方々にご心配をおかけしたこと、またご支援いただいたことに御礼申し上げます。ありがとうございました。
 現在僕は、年明けからの復帰を目指して、実家の香川県と大阪を行ったり来たりして療養に努めています(完全復帰は春頃かもしれません)。この間、非常にたくさんのことを考え、また、自分自身の“生”ということについて、哲学的思弁的なものではなく、まさに“すぐそこにある死/問題”として考えてきました。これらについては、今後追々文章にしていくつもりです。
 ただ、こんなシンプルなことをよく考えることは事実です。僕は、10年とちょっと前に父を亡くしたとき(そしてそこから短期間に続く離婚やプラッツへの就職という出来事をひっくるめて)、「これは一つの転回点なのだなあ」としみじみ考え込んだことをよく記憶しています。ただ、あれら一連の出来事はなんて言ったらいいのか、まあ一言で表すと、「大人/自立」への本格的帰結点だったんだなあと思います。いろいろな僕をめぐる出来事が僕を大人へと完全に導いてくれた、そんな気がするのです。
 今回の出来事はそれに対して、「死あるいは人生の終着点」に向かう本格的出発点になったと明確に意識しました。僕は自分で言うのもなんですが、この10年間、プラッツのためだけを思って必死に生きてきました。すべてのことのなかでプラッツが最優先だったのです。その動機の第一は、2000年の5月に急死した元塾長・蓮井学さんへの恩返しということがありますが、僕自身の自己実現(きちんとしたNPOをつくりあげる)も大きな要因だったことも事実です。
 そんな、塾長や代表が自己犠牲的に団体に奉仕するという習慣をこの機会に改めたいと思います。だって、いつのまにかプラッツは「きちんとしたNPO」になっているのですから。正直いうと僕は、父が死んだ60才で人生を閉じてもいいやと思っていましたが、今回の出来事で、80才まで(いや85才まで)生きたくなりました。きちんとしたNPOとは、職員が自己犠牲的にならないことでもあると思います。その転回点として、今回の200号はあるような気がしています。★

2010年11月24日水曜日

8月後半に緊急入院・手術し、その後、実家や自宅で療養を続けています。
やっと少しは体力も復活してきたので、ネット活動だけでもと思って、日記やツイッターをぼちぼち再開することにしました。

この秋から冬にかけていろいろ計画していたこともすべてキャンセルになってしまいました。
企画を依頼していた方々や関係者のみなさんには多大なるご迷惑をおかけしました。
この場においても重ね重ねお詫び申し上げます。
また、今回キャンセルになった企画等については、来年以降、必ず実現しますので、またよろしくお願いします。

けれどもあまりがんばると病気の再発も考えられるため、自分の生活のバランスをよく考えて仕事に取り組んでいくことにします。
重ねて、この度はご迷惑をおかけしました、申し訳ありません。
これからもよろしくお願いします。

今回の体験でいろいろ考えたことは、ゆっくりといろいろな場で書いていきたいと思っています。

2010年8月18日水曜日

最近ツイッターを始めたのだが、ブログとは性格が全然違うことに気づいた。
よく、ブログのほうが長くなり分析的になる、みたいな言い方がされているけれども、この、長さや分析的では両者の違いはわからない。

どちらかというとこの両者は、「本音とタテマエ」的使い分けで捉えるとわかりやすいと思う。

ブログは、どちらかというと本音の部分。長かろうが短かろうが、ある意味書き飛ばす。僕も、有料原稿仕事とは違って、余裕で書き飛ばしている。
ツィッターは、どちらかというとタテマエの部分。ツィッターは文字数が限られているからより本音的な部分が出てもいいと思うのだが、おもしろいことに、ツィッターのほうが「営業」というか仕事っぽいコメントで溢れている。

なぜこうなるかというと、原因ははっきりしている。ツィッターは読み手が明確だからだ。読み手は実際にはきちんと読んでいないと予想されるにしろ、書き手はちょっと襟をただしてしまう。だからツィッターはユーザー名が本名のほうがわかりやすかったりする。

ブログは読み手が誰だかわからない。読み物としてはこちらがおもしろい。ツィッターはいわば責任原稿だから、お金ももらえない責任原稿には人はタテマエ的になってしまう。でも営業ツールとしては少しは使えるかもしれない。
この区別ができないと、ツィッターでもトラブルが増えるのでは?

と言いながらも僕はまだよくわかっていないので、とりあえず1日1ツィートすることにした。この手探り感、まるで、ネットの日記黎明期みたいだ(90年代末期。当時はブログという言葉はなかった)。
tanakatosihideで検索すると、発見できると思います。