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すべての映画はエヴァンゲリオンで終わったかもしれない〜2011「映画」〜

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というタイトルは、一般的なものではなくて、「僕にとってのすべての映画」という意味で、まあふだんの当ブログ読者にはあまり関係ないテーマかもしれないが、いまは恒例の四国・香川県へ帰省中であり、帰省するとどうもマイワールドに還ってしまう癖が僕にはあるのでご容赦を。まさに、「私に還りなさ〜い♫」ですね(なんのこっちゃ)。
で、前々回は音楽について今年を振り返ったような気がしているので、今回は「映画」について振り返ってみようと思う(「本」はまたの機会に!)。
で、考えた結果が「エヴァ」だった。今年はエヴァ新作もなーんにもないのに、である。だって、音楽と同様、病後の僕は映画を観るパワーをすっかり失っており、アニメさえ「廻るピングドラム」も全然観ていないというありさまだ。ましてや、実写の映画なんて、なんていうか、「お腹いっぱい」という感じなのだ。
こう見えても僕は、シネマ哲学カフェの常連であり、中学生のときに「エマニュエル婦人」と「ゴッドファーザー」を見て以来、すっかり洋画にハマって中学時代は毎月『ロードショー』を買ってスクラップしていたというプチ映画マニアだ。 それが、最近はすっかり映画が遠くなった。蓮實重彦ではないが、「映画から遠く離れて」いる。その理由は音楽と違ってまだわからない。音楽は生命への入り口だったが、映画とはなんなのだろうか。
で、巡り巡ってたどり着いた映像は、「エヴァ」だった。
この頃の僕の頭の中は、エヴァンゲリオンの「魂のルフラン」が延々ループしており、エヴァ本編を見なおす体力は残っていないものの、今さらながら、30才ちょっとでこの作品を作り上げた庵野監督に脱帽し続けている。
今回ユーチューブでくっつけた下川みくにバージョンの「魂のルフラン」の映像には、主要人物・アスカのたくさんのカットが繋ぎ合わされており、それらのカットは「思春期のゆらぎ」そのものだ。 これらが入ったTV版のエピソードを見るだけでも、思春期の本質は理解できる。虚勢・偽善への嫌悪・性衝動・親との決別/親以外の他者への渇望等々、無理してサリンジャーを読まなくても、アスカ一人のエピソードを追っているだけでも十分だ。
だがエヴァの本質は思春期ドラマではない。まさに、生命のリフレインと魂のありかを直球でそれは表現した作品だ。 実はそれは現在も続いており、具体的には新映画版の中で表現されている。TV版を受けた上での「赤い…

スモールステップ支援スケール Ver.1.0

今日からプラッツは冬休み。のんびりとした冬休み第一目は、とりあえずブログを更新することにし(ブログは僕の楽しみなんです)、昨日I統括リーダーとプラッツスタッフがまとめてくれた「スモールステップ支援表」を掲載することにした。
なかなかうまくコピーできないが、1時間くらい格闘してこれなので、今日のところはご容赦を〜。
Ver.はヴァージョンの略のつもりで、1.0とあるように、これまで書いてきたものはゼロ桁ヴァージョンとし、これを正式なものとする。

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★ひきこもり/ニート・スモールステップ支援表 Ver.1.0 アウトリーチ支援 生活体験
支援 就労体験支援 ①親子間断絶型ひきこもり ②外出不可能型ひきこもり ③外出可能型ひきこもり ④心理面談型ニート ⑤就労面談型ニート ⑥短期就労実習型ニート ⑦長期就労実習型ニート ⑧短期アルバイト型ニート ⑨長期アルバイト型ニート ⑩正社員

生命の世界にしか「うた」はない〜長渕剛・自衛隊激励ライブ「乾杯」〜

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前回、法政大の樋口准教授のセミナーの報告をすると書いたが、それは少し専門的すぎる内容だったので、もう少し練ったあと別のかたちで書くとしよう。
今回は、昨日なんとなくグーグルニュースのリンクからたどり着いたユーチューブ長渕剛映像について少し書いてみよう。

うまくリンクできていればいいが、このユーチューブの動画は何か人の心を揺さぶるものがある。伝統的左翼からすると長渕剛は立派な右翼なので、その名前を聞いただけでも吐き気を覚える人もいるかもしれないが、この映像には、長渕剛の画像は実は「背中」だけしか映っていない。
映しだされているのは、激励ライブに召集された全国の自衛隊員の人たちの顔、顔、顔、だ。

当然この自衛隊員の方たちは、今回の東日本大震災の救援のために動員された人たちで、このライブは4月16日に行なわれたそうだから、震災後まだ1ヶ月しかたっていない。
日頃いくら厳しい訓練を受けているとはいえ、2万人におよぶ遺体の収容と、3000人に達する行方不明者の捜索は、彼ら隊員たちを疲労困憊の極地へと追い込んだに違いない。その疲労は、この映像に映し出される人たちの、なかば呆然とした暗い影を見るだけで普通に想像できる。

2万人もの遺体の収容とは、2万の死との直面ということでもある。それがある日突然現れ、仕事とはいえ、その夥しい数の死と実際に直面し、社会が納得する範囲でその死を丁寧に見送っていかなければいけない。それをこの隊員たちは、来る日も来る日も、続けていた、そんな日に長渕は現れた。

長渕は、ギター一本で「乾杯」を熱唱する。当然のことながら、途中からは自衛隊員の人たちといっしょに歌う。「乾杯」の歌詞は結婚式の定番でもあるように、その日の激励ライブには似合わない内容かもしれない。だが聞きようによっては「生きること」そのものを謳歌するような内容であるとも受け取ることができる。

映像の主役の隊員たちは、長渕の声に吸い寄せられるようにして、ともに歌う。その姿は徐々に活気に溢れ出し、自然と両隣の隊員同士で肩を組み、エンディングのリフレインまで突き進む。
長渕は、何百人の隊員を前にして、自分の声と生ギター一本のみで「乾杯」を歌いきってしまう。

ところで僕は、去年の大きな病気のあと、あれほど好きだった音楽がすっかり聞けなくなった。というより、音楽の必要がなくなった。iphone4sがあろうが専用スピーカーがあ…

たとえば「ニート専用特例子会社」〜12/15レイブル(後期ニート)就労検討会議@WTC

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昨日12/15、午後すべてを使って、寒風吹きすさぶ大阪WTCビル(前橋下知事が府庁機能を一部移転させた)20階オフィスで、「レイブル」就労検討会議があった。
大阪の主だった若者就労支援機関(6サポステ+府のひきこもり支援事業を行うNPO+長年自立支援を行なう府内外のNPO等)が集まって、13時から18時まで延々討議し、そのあと打ち上げも22時頃まで続いたという(僕は体調上30分で中座したが)、ロングロング検討会議であった。

会議といっても、これは例の「ニート100人会議」を開催した民間NPO(トイボックス、スマイルスタイル)が運営するものだから、かなり今風というか2010年代の香りが漂う楽しいものだった。
主催者(大阪府)あいさつや行政説明などにも、音量は下げてはいるもののBGMが流れ、また席の配置も普通の長方形型ではなく小テーブルに分かれており、世間一般がイメージする「会議」とはかなり異なるものだった。

それら挨拶や事業説明が終わったあと、プラッツを含む関係団体が次々と事前に用意したそれぞれの提案を3分プレゼンし、そのあと「ワールドカフェ」の手法を用いてディスカッションが始まった。
社会人院生ながら阪大「臨床哲学」大学院出身の僕としては、哲学カフェには精通しているが、恥ずかしながら「ワールドカフェ」は初めて聞いた用語だった(ニート100人会議で初めて知った)。
カフェの形式としてはそれほど目新しいものはないものの、20分1セッション×3の時間枠の中、一グループ5〜6人がセッションのたびにテーブルを移動する。その過程で徐々に問いが明確化されていく。
問いとはつまり、「我々は企業に対してニートの雇用をどのように提案できるか」ということだ(僕がまとめるとどうしても哲学カフェ風になってしまうが、現実のワールドカフェはそれほど「概念」と「現実提案」を峻別しない)。


休憩中

















「ニート専用特例子会社」プレゼン中

















最終的に6つ出てきた提案の中で、僕が属したグループは、今回のタイトルに書いた、「ニート専用特例子会社」をつくり、そこと企業がウィンウィンでつながれないかというものだった。
企業からすれば、ニートの若者を雇用することは労働効率性の面でリスクが伴うだろう。かといって最低賃金の壁はすりぬける裏技(阪大社会学・井出先生のお話では、それらは「医師の診断」や「継続した雇用でないこと」等5つあるらしい)…

若者自立業界は「ブルーオーシャン」か〜『ブルーオーシャン戦略』講談社

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キムとモボルニュによる「ブルーオーシャン」という概念は、どうやら「成熟市場における穴場」のようなものらしい。たとえば、成熟市場の極みであるワイン業界を例にとると、1000以上のメーカーが似たような商品(高価格帯にしろ低価格帯にしろ、それらはその価格帯のなかでは区別がつかない)を出すアメリカ市場の中で、思い切って何か(たとえば「苦味」成分)を切り捨て何か(たとえば「フルーティーさ」)を強調し、ラベルをワインらしくないもの(たとえばジュースのような)に切り替えたただけで、ある商品は「新しいフルーティーなワイン市場」(ブルーオーシャン)を切り開いたという。
同じ枠組みの中(いわゆる「ワイン」的なもの)からあっさり飛び出て、何かを切り捨て何かをそこに付け加え新しい市場を生み出す。これがブルーオーシャン(同じ価値の商品同士で血みどろの競争をする「レッドオーシャン」という用語と対比させている)ということらしい。
それをもとに考えると、前回触れた「若者自立産業/市場」はまだ成熟すらしていないので、「プレ・レッドオーシャン」とでもいったほうがいいのだろうか。いや、その市場規模の大きさが近いうちに明らかになったとして、そこに介護業界のように民間業者がなだれこんでこないとしたら、レッドオーシャンにすらならないかもしれない。 となると、そこはまったく一からのブルーオーシャンということになる。
いずれにしろ、若者自立産業ははやく目覚めるべきだと僕は思う。そのことで市場が活性化し、社会が若者の自立の重要性に気づき、若者たちがそれぞれのニーズにあったサービスを利用する。 問題は利用者の支払能力であるので市場化は難しいだろうと僕の友人は指摘したが、普通考えると市場化は難しいとなるのであれば、それこそその市場はレッドオーシャンではなく、ニュー・ブルーオーシャンであるといもいえる。 誰もが市場化は難しいと思いながらも、そうしたサービス受給可能性を持つ人々が数百万人存在するかもしれない業界、それが現在の若者自立産業なのだから。
現在の、若者サポートステーション拡大期(近いうちに縮小期に転じるだろうが)の次は、自立支援法が拡大されて適用される時期が訪れると思う(施設や地域によってはもう訪れている)。 そして同時に、どれくらいの民間業者が参入してくるかということもポイントだろう。老人介護業界ほどでなくとも、NPOサービ…

「若者自立産業」の誕生

今年からプラッツは日月と休みになり、僕も生涯初めてかもしれない連休制度の中で生活している。なにしろ、大学を出てすぐに入った出版社では営業をやらされ、長野から広島まで1年間ほとんど休みなく出張仕事に行かされるという社会人1年目(そこは1年でやめたが)以来、普通の週休二日的人生とは縁のない生活を送ってきたものだから(00年にプラッツに入ってからも連休ではなかった、というか昨年の病気まではあまり休みがなかった)、いまの当たり前の休みが何よりもうれしい。
で、このブログ執筆も今までの「なんとしても3〜4日に1回執筆態勢」をちょっとゆるめて、自分のリフレッシュのほうを優先させている。 そんなわけで、昨日の休みはあえてブログを書かずにだらだら過ごし、今日火曜日の仕事始めにこうして書いている。
今回もサクっとまとめてみよう。 タイトルの「若者自立産業」とは、当然、〈ひきこもり/ニート/非正規雇用〉若者の自立を指し、僕は、若者の自立支援に関するジャンルが、従来の一支援分野から一産業へと拡大してきたのではないかと考えている。 一支援分野とは、たとえば不登校支援のような教育的支援ジャンル、たとえば発達障害支援のような福祉的(まあこれはかなり横断的ではあるが)支援ジャンルを指す。 若者支援は、これらの支援ジャンルという部分的側面を抱えつつ、同時に、大きく「自立産業」という側面を持ち始めたのではないかと、この頃僕は思い始めた。
それはたとえば、受験産業や老人介護産業などと比べてもいいかもしれない。それらの産業は細かく見ると、受験であれば、受験生の勉強・メンタル支援や受験校の選択などのテクニカルなアドバイス、老人介護であれば、認知症介護の新技術開発やケアマネージャーの研修等、それぞれ膨大なジャンルの専門分野に分かれていく。 だが、それら専門的な下位ジャンルをまとめるようにして、大きな上位概念として「◯◯産業」としてまとめることができる。なぜまとめられるかというと、それは簡単、そこには大きな「市場」があるから、だ。
受験にしろ老人介護にしろ、それらは単なる一教育・一福祉分野に留まらず、社会全体を巻き込むようなかたちで「産業」が形成されている。 僕はその産業の一系列のひとつとして、「若者自立産業」が形成されつつあるのでは、と思い始めた。言い換えると、それは「産業」になるほどの大きな市場規模を持っているのではないか…

「レイブル・ニート」に新しい職業訓練校と新しいインターンシップを

と、今回はタイトルのままなのだが、まずは「レイブル」の説明を。レイブルとは、先日あった「ニート100人会議」の提案の一つにあったもので、従来のニート層の中でも、より「働くこと」に近い人達を「レイトブルーマー」と呼ぼうという提案だ。 遅咲きとは何とも微妙な言い回しではあるが、僕はよく知らないのだけど、アメリカではそれほど珍しくない表現だという。「遅咲きの花」は、敗者復活戦が当たり前の価値として根づいているアメリカならではの表現だろう。
この頃はほかにも、ニートとフリーターの中間に位置するものとして何か便利な言葉がほしいという話を、同業者から時々聞くようになった。 僕のスモールステップ理論でいえば、「長期就労実習型ニート」から「長期非正規雇用型ニート」あたりを指すと思う。 最近僕がよく言及する話で言うと、この層は社会保険(年金・健康保険)を親が肩代わりしている人が多いと思われるが、それは統計上どこにも現れてこない。 この層を一刻も早く数字として炙り出すことが、「若者の社会参加支援」というジャンルが一福祉・一労働問題に留まる問題ではないんだ、ということを訴えていく最大の動機になる。
若者が働くことで社会保険を支払い、年金予備金を枯渇させないことが(そして、その裏では高齢者自身が自身の年金の支払い受け取り年齢を遅らせ、消費税等の税金アップに耐えることで、事実上の「同世代=同世代負担」化にしていくことが)、おそらく日本社会が今世紀を乗り切ることができる土台になると思う。 若者問題が超少子高齢化社会の「一丁目一番地」の問題であるとは、こういう面からの提案だ。これが「社会防衛」という批判を受けることは織り込み済みで、社会防衛を一義的に考えざるをえないところまで我が社会は追い込まれているというのが僕の認識だ。 そういう意味では、僕も立派に「保守化」したのかもしれない。
レイブルとは、ニートのなかでも社会参加一歩手前まで来ている若者たちのことを指す。そしてこの若者たちが、僕の直感では数百万人は存在する。 社会学者・経済学者に課せられた使命は、この層の具体的な数を把握することだ。僕のようなものが直感的に語っていてもそこには何の裏付けもないから、何の予算もつかない。その意味で、若者問題に関わる学者の役割は非常に大きい。
そしてその正確な数を把握する作業と同時に、それらレイブルの人たちを社会の一歩手前で滞留さ…

日本では「占拠」ではなく「対話」だった 〜11/23 ニート100人集会〜

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おっと、気づけばもう土曜日だ。春頃から当ブログが週2ペースになって以来、初めての1週間空きとなってしまった。病気以前のように超ハードワークではなくしっかり夕方には帰ってきているものの、なにぶん朝イチ出勤(会議等も増えてきたし)が続くため、夜はブログを書く力が脳に残っておらず(でもしっかり休息しています)、あっという間に1週間たってしまった。
で、今回は前回から続く「キーワード」シリーズをまとめて「2011年以降の淡路プラッツの行動指針」を発表しようと思っていたのだけれど、それは次回以降にすることにした。 というのも、今週は23日祝日に(勤労感謝の日!)、「ニート100人集会」という大イベントが大阪・梅田のブリーゼブリーゼ(たしかここは昔のサンケイホールで、僕も弟とストリートスライダースのライブを見に行ったような記憶もあるが、今はまあいわゆる最先端若者ビルですね)であったから。 淡路プラッツからも15名ほどの若者が参加したこともあって、僕も当日午後に様子を見に行った。今回はその感想を簡単に。 Facebookにも同じ写真を載せたけど、ここにも繰り返し載せておこう(上/参加者の「顔」は大丈夫だと思うけど)。iphone4s→iCloudという組み合わせは最強。
プラッツから15人行ったように内実はいろいろなところから集まってきた人たちだったのだろうけど、いわゆるニートと呼ばれる若者たちが100人集まっている光景は圧巻だった。そして何よりも僕が感心したのは、その100人の若者たちが小グループに分かれて主催者の企画どおりに熱心に話し合っていた姿。 1日話しあった結果の要望は主催者がまとめて、企業等へと提案・提出していくそうだが、その要望が無事届くことをプラッツとしても応援していくとして、僕はこの日、あらためて「日本」という不思議さを感じたのであった。
それは、ニューヨークほかのアメリカの若者のように「ウォール街を占拠」するのでもなく、中東の人々のように古典的なデモを展開するのでもなく、「対話(ダイアローグ)」だった。 ちなみに、ニューヨークもカイロもオオサカも、若者たちを襲う基本的な問題(中東も背景には経済問題があるだろう)は同じだと思う。つまりは、グローバリゼーションの問題だ。
大阪府主催・受託NPO運営という背景はあるにしても、実際に若者が100人が集まって、自分たちの問題を熱心に対話…

サポステに定着しない若者たち〜キーワード②「潜在性」〜

前回から唐突に「キーワードシリーズ」が始まったわけだが(それもシリーズ化を思いついたのが前回ブログをアップしたあと……タイトルをあとで修正しました)、今回は「潜在性」について簡単に書いてみる。哲学好きの人であれば、「あ、元ネタはドゥルーズね」みたいに指摘してしまうかもしれないこのタイトルであるが、まあドゥルーズにもし関心があれば、『差異と反復』や『ミルプラトー』を読んでみてください。 実は、僕は何回も何回も読んだのだけどいまだにピンときていない両書なのではあるが、まあそれはいいか(よくない!!)
そんなわけでドゥルーズはさておき、「潜在性」とは、表出可能性はあるが具体化・顕在化していないものを指す。僕の仕事でいえば、①サポステに定着しない若者たち、②高校中退後20才前後でひきこもっている若者たち(当ブログでは「アラトゥエ」という言葉で取り上げてきた)、そして③非正規雇用ではあるものの社会保険(年金と健康保険)は親が払っている若者たちなどをさす。
③を中心に、いずれも当ブログではおなじみのテーマばかりで、逆に、僕の仕事領域に関しては、これら以外のものは書評とスティーブ・ジョブズくらいしかないというくらい、僕はこれらばかりを取り上げている。
思い起こせば10年前、スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)を読んだ時の衝撃は僕にとっては格別だった。それは、徐々に、ゆっくりと波紋が広がるように僕の内面に広がっていき、満たし、熟成させた。 そこで語られる、「真の“当事者”は語ることができず、つねに潜在的存在として幽霊のようにそこに居続ける」というテーゼは、いまだに僕の中では中心を占めている。
そしてそのスピヴァクのテーゼと、僕のひきこもり支援の仕事は見事にシンクロし、以来、「最も語ることができず最も潜在的に居続けるひきこもり当事者こそが、最も支援を求めている」というかたちで、確信となって僕の中心を占めるようになった。
その衝撃の余波のせいで、当時せっかく名乗りを上げて発言したり文章を書いたりし始めた当事者の方たち(当時の僕ふうにいえばそれは真の当事者ではなく、元当事者であり「経験者」なのではあるが、いまはそうした呼び名にはそれほどこだわってはいない)と激論になったりして、ずいぶんご迷惑をおかけしたりした。 その点に関してはあらためて申し訳なかったという気持ちでいっぱいなの…

「希望」から「幸福」へ〜キーワード①「幸福」

僕のブログ研究によると、無名の筆者によるブログの閲覧率を高める唯一無二の方法は、「タイトルを工夫すること」に尽きるようだ。つまりは、タイトルに有名人や現在世間が気にしているらしいことを毎回持ってくる。確かに、僕自身がブログを読むときにも、ブログ筆者名で読むケースはほとんどなく、だいたいが何かの検索の流れでそのブログに辿り着き、そのブログがおもしろかったとしてもブックマークする前に次のページへとサーフィンしてしまう。 余程のことがないと、ブックマークしたとしてもブログそのものを定期的には僕は読まない。僕であれば、池田信夫さんとかさいろ社松本君とか、定期的に読むブログは数本だ。おそらくみなさんもそうでしょう。
そんなわけで、ブログ閲覧のポイントは旬なタイトルということになり、有名人やその時の話題を強引でもタイトルに入れることがコツ、とマニュアル本には書いている。だから当ブログも、先週までは苦労してタイトルにそれらを入れ込んでいた。 だが、前回のブログを書いたことで何となく「スモールステップブログ第1章」が終わった気がしたので(僕はわりと「ああこれで◯章が終わったのかなあ」と考えるタイプ)、今回からタイトルも好き勝手につけることにした。 今回のような「希望」や「幸福」では誰も読まないのは(というかこのページに立どまりにくいのは)わかっているのだけど、やはり、ささやかでもいいから何かを提言していくのが僕の仕事だと思っているから。
東大経済学者の玄田有史さんが「希望学」を提唱されてからもう何年たつのだろうか。経済学の中に「希望」という抽象概念を持ち込むことは非常に抵抗を受けたんだろうなあと想像するのだが、あの当時、希望学は相当重要な意味があったと思う。 それは、超少子高齢化社会に入り込む寸前にいた我々に、ある種の覚悟を迫った。これから我々は未だ体験したことのない世界に突入しますよ、だから凛とした希望をもって、その社会に臨みましょう、といった覚悟だ。 玄田さんが希望といってくれたおかげで、何人もの当事者やその家族が前を向くことができたと思うし、何よりも重要だったのは、それは、青少年支援者に対してある種の「働く意味」を与えてくれた。
我々支援者が毎日地道に仕事/支援しているのは、単に一人の若者を社会に送り出すことにとどまらず、彼ら彼女らやその家族に「希望」を持ってもらうことなんだ、ということを…

NPO経営が僕の仕事になった〜ボランティア型から事業型へ〜

「若者自立支援今後10年を考える勉強会」〜「育て上げ」ネット井村君主催〜に参加して

10/30〜11/5の一週間は慌ただしく、火・木は文科省経由のドイツの青少年支援関係者を10名ほど受け入れ、特に3日祝日はコネクションズ大阪のT所長とともに、10〜16時の長時間にわたって日本の青少年支援の説明&ディスカッションを行なった。間に通訳さんが入るのでそれほどぎゅうぎゅう詰めの6時間でもないのだが、やはり今の僕の脳には結構負担になる。 でも、ドイツの人たちからフランクにこちらの質問にも答えていただき、なかなか有意義な時間となったのであった。
で、昨日は、「育て上げネット」井村良英君の主催による、「若者自立支援今後10年を考える勉強会」というものが夕方から夜にかけて新大阪で行なわれ、僕はしょぼしょぼの脳を抱えたまま参加した。 参加者は20名ほどではあるものの、NPO〜行政〜大学〜公教育のリーダー級がずらっとそろったメンバーのなか、なかなかディープなワークが展開されたのであった。関西の人が大半ではあるものの、北は山形から南は沖縄まで、全国規模の参加メンバーだった。
井村君とは知りあってもう10年以上になる。最初は、僕が個人で主催したセミナーに、外国旅行から帰ってきたままの格好で彼は参加し、いきなり場に溶け込んでいたのが印象的な、エネルギッシュかつパワーあふれる好青年だった。 その後、妙な因縁で彼は淡路プラッツスタッフになり、00年代初頭の、最も淡路プラッツが経営的にピンチだった時期の塾長を短期間ではあるが努めていただいた。その時期僕は非常勤だったからすべての責任は若き(23〜24才だったと思う)彼に集中しており、たいへんな苦労をかけたと申し訳なく思っている。そして、ものすごく感謝している。
その後彼は大阪の某公的機関で働いたあと、現在の「育て上げ」ネットに就職した。その後の活躍は同ネット理事長・工藤啓さんの著書 『NPOで働く〜社会の課題を解決する仕事』に詳しく書かれているから参照されたい。ほかに玄田有史さんの著書などにもチラチラ名前が出てくるし、僕も含めた淡路プラッツ関係者の中では一番の「出世頭」かもしれない。
ワーク自体は、ボランティアでファシリテートしていただいた某N総研社員の方の進行のもと、出席者が自分や日本の子ども・若者問題の10年後を構想するというもので、19時を過ぎるとしょぼしょぼの脳になってしまう僕としては、たいしたアイデアが浮かばず若干後悔したものの、一晩…

「ポストトウキョウ」の具体的かたち 『「静岡方式」で行こう!』津富宏編著/クリエイツかもがわ

昨日プラッツにこの本が送り届けられ、今日は比較的時間があるので、昼間事務所でざっと読んでみた。「静岡方式」とは、静岡県で注目されている若者就労支援の新しい試みのことだ。それを簡単に説明すると、①支援の「場(たとえばサポステのような)」を持たず、②「伴走型」個別支援方式のかたちをとり、③支援者/サポーターはボランティアであり、④地域を「資源のオアシス」と考え、⑤就労というゴールへ「一直線」に向かい、⑥スモールステップで個別支援する、と、まあこのような考え方/システムであるということになるだろうか。
そうしたシステムや考え方を創設者兼NPO代表の文章や取材者の文章で説明し、それに続いて、若者が参加したセミナーへの取材、具体的な就労先やサポーターへのインタビュー、若者当事者の声等で構成された本である。 深く読み込んでいないからもうちょっと深い紹介がされているのかもしれないが、「静岡方式」は上の①〜⑥であると言ってもそれほどズレはないと思う。つまりは、超短期間(半年程度)で個別支援して多くの若者を就労あるいはその道筋に乗せるという、ものすご〜くシンプルだけども、ものすご〜く結果が出ている支援方式だということだ。
優秀なコーディネーターがいて、「職業者」と「若者支援ボランティア」という二重のアイデンティティをもつサポーターがいて、比較的柔軟な就労受け入れ先(ここではコンビニ・老人介護・林業が紹介されている)がネットワークを組めていれば、実はサポステやNPO等の「支援施設」は必要ない、というわりと過激な問いかけを無言のうちにしている過激な本、であるかもしれない。 だが、このシステムの成功は、つまりはそういうことではないかとも捉えることができる。一施設ごとに多額の運営資金を要する既存の支援システム(そのため委託金や利用者負担が必要になる)は、若者支援の最終解ではないということだ。
といいながら、すべての地域で応用可能でもない(本書では秋田の取り組みの成功例が紹介されているが)。NPO(創設者の津富さんには僕も何度かお会いしたことがある、なかなかキュートな方だ)、サポーター、就労協力施設、地域性等、ある程度条件が揃って初めて可能になる仕組みでもある。
僕はこの取り組みは、既存の支援の仕組みを超えた、ひとつの可能性の提供だと思っている。その可能性は現実には、地域性重視やサービスの無料化等、わり…

「スモールステップ・ワークショップ」を試してみた

今はまだ日曜朝7時前なのだが、相変わらず僕は11時前就寝で5時半には目覚めるため、脳はすっかり普通の活動状態になっている。その早朝時間を利用してウォーキングをしたらと知人たちにすすめられるものの、朝外出は何となく気が進まない。というわけで、試しに早朝ブログにトライしてみることにした。といっても、今までも朝の8時頃書いていたので、それが1時間半早くなっただけなのだが。どうせとっくに目覚めてるんだし、布団の中でゴロゴロするよりはましか。
先日、某所で4時間にわたってワークショップを(A主任補佐とともに)担当させてもらった。その内容が、思いつきのわりには結構汎用性があったので、忘れないうちに書いておこうと思う。 僕にとっては何よりも4時間も人前で話せたということが、病気からの回復という意味で自信になったのだが、今回は病気話はスルーして内容を紹介しておこう。
ブログのタイトルにあるように、淡路プラッツがこの頃あちこちで提唱している「スモールステップ支援」の各スモールステップを参加者が支援者の立場にたって検討していくという、実にシンプルな内容だった。スモールステップは以下の10段階に分かれる。
●アウトリーチ支援段階 1.親子断絶型ひきこもり 2.外出不可型ひきこもり 3.外出可能型ひきこもり
●「生活支援」段階 4.心理面談型ニート(a..コミュニケーション〈会話等〉  b.生活体験〈料理・清掃・買い物等〉  c.レクリェーション〈スポーツ・旅行等〉)
●「就労支援」段階 5.就労面談型ニート 6.短期就労実習型ニート 7.長期就労実習型ニート 8.短期非常勤雇用(アルバイト)型ニート……語義矛盾だが、現実にはバイト/ニートはクリアにステップアップしない。 9.長期非常勤雇用(アルバイト)型ニート 10.正規雇用
これは、「スモールステップ自立支援のフレームワーク」というタイトルで6月18日の当ブログにも書いているので参照されたい。3年前に岩波ブックレット『ひきこもりから家族を考える』を書いた時は、スモールステップはもっと大雑把なものだったが、最近このように細分化され、より可視化されて支援に使いやすくなっている。
参加者は35名程だったので、これを4班に分け、各段階ごとに①各班で話し合い②各班で発表③評価というシンプルな構成で進めた。はじめに発達障がい等の「ひきこもりの3つの背景」を説明したあと(上岩波ブッ…