2011年12月31日土曜日

すべての映画はエヴァンゲリオンで終わったかもしれない〜2011「映画」〜




というタイトルは、一般的なものではなくて、「僕にとってのすべての映画」という意味で、まあふだんの当ブログ読者にはあまり関係ないテーマかもしれないが、いまは恒例の四国・香川県へ帰省中であり、帰省するとどうもマイワールドに還ってしまう癖が僕にはあるのでご容赦を。
まさに、「私に還りなさ〜い♫」ですね(なんのこっちゃ)。

で、前々回は音楽について今年を振り返ったような気がしているので、今回は「映画」について振り返ってみようと思う(「本」はまたの機会に!)。

で、考えた結果が「エヴァ」だった。今年はエヴァ新作もなーんにもないのに、である。だって、音楽と同様、病後の僕は映画を観るパワーをすっかり失っており、アニメさえ「廻るピングドラム」も全然観ていないというありさまだ。ましてや、実写の映画なんて、なんていうか、「お腹いっぱい」という感じなのだ。

こう見えても僕は、シネマ哲学カフェの常連であり、中学生のときに「エマニュエル婦人」と「ゴッドファーザー」を見て以来、すっかり洋画にハマって中学時代は毎月『ロードショー』を買ってスクラップしていたというプチ映画マニアだ。
それが、最近はすっかり映画が遠くなった。蓮實重彦ではないが、「映画から遠く離れて」いる。その理由は音楽と違ってまだわからない。音楽は生命への入り口だったが、映画とはなんなのだろうか。

で、巡り巡ってたどり着いた映像は、「エヴァ」だった。

この頃の僕の頭の中は、エヴァンゲリオンの「魂のルフラン」が延々ループしており、エヴァ本編を見なおす体力は残っていないものの、今さらながら、30才ちょっとでこの作品を作り上げた庵野監督に脱帽し続けている。

今回ユーチューブでくっつけた下川みくにバージョンの「魂のルフラン」の映像には、主要人物・アスカのたくさんのカットが繋ぎ合わされており、それらのカットは「思春期のゆらぎ」そのものだ。
これらが入ったTV版のエピソードを見るだけでも、思春期の本質は理解できる。虚勢・偽善への嫌悪・性衝動・親との決別/親以外の他者への渇望等々、無理してサリンジャーを読まなくても、アスカ一人のエピソードを追っているだけでも十分だ。

だがエヴァの本質は思春期ドラマではない。まさに、生命のリフレインと魂のありかを直球でそれは表現した作品だ。
実はそれは現在も続いており、具体的には新映画版の中で表現されている。TV版を受けた上での「赤い海(経営流行言葉のレッドオーシャンではありません)」から新映画版は始まり、登場人物たちの「前のエピソードと似ているようでズレている」それらのあり方は、いま、この物語の中核である「魂のルフラン/リフレイン」そのものを描いていることが想像できる。

すごいのは、こうした物語の中核が、15年前のこの「魂のルフラン」の歌詞や、旧映画版「まごころを君に」の諸エピソードや、もっというと、TV版オープニング「残酷な天使のテーゼ」の0.数秒のカットの中に埋めこまれていたことだ。

この、魂のルフランというテーマに、庵野という一映像作家は生涯を縛られている。エヴァ以降、キューティーハニーやらなんやら変な実写映画ばかり撮っているが、それは、この「魂のルフラン」からいまだ逃れられないという証でもある。おふざけ実写で息抜きして体力を貯めて、15年毎に庵野は「魂のルフラン」に向かう。
まるで、庵野の魂自身がルフランしているように。この頃僕はそんな超オタク作家・庵野のことをすごく尊敬するようになった。

ミッションインポッシブルの新作が公開されようが、良心的邦画が立て続けに製作されようが、ポルトガルのペドロ・コスタ監督の新作が公開されようが、僕はやはり「エヴァ」に還る。その理由はいまだ不明。できれば来年解き明かします。でも、このまま謎でもいいかな。★

2011年12月28日水曜日

スモールステップ支援スケール Ver.1.0

今日からプラッツは冬休み。のんびりとした冬休み第一目は、とりあえずブログを更新することにし(ブログは僕の楽しみなんです)、昨日I統括リーダーとプラッツスタッフがまとめてくれた「スモールステップ支援表」を掲載することにした。
なかなかうまくコピーできないが、1時間くらい格闘してこれなので、今日のところはご容赦を〜。

Ver.はヴァージョンの略のつもりで、1.0とあるように、これまで書いてきたものはゼロ桁ヴァージョンとし、これを正式なものとする。

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★ひきこもり/ニート・スモールステップ支援表 Ver.1.0
アウトリーチ支援
生活体験
支援
就労体験支援
 
①親子間断絶型ひきこもり
②外出不可能型ひきこもり
③外出可能型ひきこもり
④心理面談型ニート
⑤就労面談型ニート
⑥短期就労実習型ニート
⑦長期就労実習型ニート
⑧短期アルバイト型ニート
⑨長期アルバイト型ニート
⑩正社員
家族
外出
支援者
就労

※④生活体験支援/心理面談型ニートは、以下の3段階に分かれる。
a.コミュニケーション(会話)
b.生活訓練(調理・清掃等)
c.レクリェーション(買物・カラオケ・旅行等)
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④の生活体験支援はa〜cの三段階にさらに分かれ、この段階は従来ブラックボックスであり支援者の「腕」の見せどころでもあり(だからプラッツ初代塾長・故蓮井氏のような「職人」伝説も生まれた)、ミステリアスゾーンであった。
ただ、このブラックボックスを円満かつ充実に過ごせたものは確実に次の就労体験支援段階へと移行できる。

このことは、淡路プラッツのような老舗フリースペースの支援がなぜ有効かという理由にもなる。つまり、老舗フリースペースは、自然とこの生活体験支援をメニューの中心に占めており、この段階を「慌てず騒がずぼちぼちのんびりと」若者が体験していくことで、自然と④段階すべてをクリアしている。
また、ニート若者段階に絞り込まずひきこもり段階の若者までレンジを広げるサポステで成功しているところは、必ずこの生活支援段階のa〜cを上手に取り込んでいると思う。
プラッツはサポステに応募していないので詳しくは知らないものの、サポステを実質的にとりまとめる厚労省は、この点を重視しなければいけない。

つまり、サポステにやってくる若者の何割かは、いきなり⑤段階から始めるとサポステを必ず挫折する。ひきこもりを脱したばかりの若者も射程に入れるのであれば、④のテーストを上手に取り込むサポステを評価しなければいけない。
要するに、「就労数」だけを評価対象とするのは、各サポステの意欲を削ぐということだ。

逆に、「就労数」だけにあくまでこだわるのであれば、潜在的ひきこもり層はよりひきこもっていくだろう。そのために、④を中心とした施設を創設していくか(セカンドプラッツのような今年度の大阪府の取り組み)、その層を「なかったもの」として潜在化/サバルタン化させたままにするか。

国のような大きな単位では、「就労数」のような明確な指標に頼らざるをえないというのも実情だろう。ニート層(⑤〜⑨)は国、ひきこもり/ニート初期段階層(①〜④)は自治体と棲み分けするのも手かもしれない。
いずれにしろ、若者問題はひとつの福祉問題ではない。主として人口構成的観点から、これから50年以上は続く「新しい国づくりの中心」にそれは位置する。そろそろ、その視点で2012年は各団体が語っていかなければいけないだろう。★

2011年12月22日木曜日

生命の世界にしか「うた」はない〜長渕剛・自衛隊激励ライブ「乾杯」〜



前回、法政大の樋口准教授のセミナーの報告をすると書いたが、それは少し専門的すぎる内容だったので、もう少し練ったあと別のかたちで書くとしよう。
今回は、昨日なんとなくグーグルニュースのリンクからたどり着いたユーチューブ長渕剛映像について少し書いてみよう。

うまくリンクできていればいいが、このユーチューブの動画は何か人の心を揺さぶるものがある。伝統的左翼からすると長渕剛は立派な右翼なので、その名前を聞いただけでも吐き気を覚える人もいるかもしれないが、この映像には、長渕剛の画像は実は「背中」だけしか映っていない。
映しだされているのは、激励ライブに召集された全国の自衛隊員の人たちの顔、顔、顔、だ。

当然この自衛隊員の方たちは、今回の東日本大震災の救援のために動員された人たちで、このライブは4月16日に行なわれたそうだから、震災後まだ1ヶ月しかたっていない。
日頃いくら厳しい訓練を受けているとはいえ、2万人におよぶ遺体の収容と、3000人に達する行方不明者の捜索は、彼ら隊員たちを疲労困憊の極地へと追い込んだに違いない。その疲労は、この映像に映し出される人たちの、なかば呆然とした暗い影を見るだけで普通に想像できる。

2万人もの遺体の収容とは、2万の死との直面ということでもある。それがある日突然現れ、仕事とはいえ、その夥しい数の死と実際に直面し、社会が納得する範囲でその死を丁寧に見送っていかなければいけない。それをこの隊員たちは、来る日も来る日も、続けていた、そんな日に長渕は現れた。

長渕は、ギター一本で「乾杯」を熱唱する。当然のことながら、途中からは自衛隊員の人たちといっしょに歌う。「乾杯」の歌詞は結婚式の定番でもあるように、その日の激励ライブには似合わない内容かもしれない。だが聞きようによっては「生きること」そのものを謳歌するような内容であるとも受け取ることができる。

映像の主役の隊員たちは、長渕の声に吸い寄せられるようにして、ともに歌う。その姿は徐々に活気に溢れ出し、自然と両隣の隊員同士で肩を組み、エンディングのリフレインまで突き進む。
長渕は、何百人の隊員を前にして、自分の声と生ギター一本のみで「乾杯」を歌いきってしまう。

ところで僕は、去年の大きな病気のあと、あれほど好きだった音楽がすっかり聞けなくなった。というより、音楽の必要がなくなった。iphone4sがあろうが専用スピーカーがあろうがラジコというアプリをインストールしようがビートルズが超安売りしていようがあまり関係なく、ついに音楽は僕の友達ではなくなっていた。

その理由はわかったようで明確ではなかったのだが、この長渕の映像を見て、確信した。つまり音楽とは、「生命」の世界にあるものなのだ。
自衛隊員たちは、長渕の声を聞き長渕のギターストロークに身を任せ、ともに「乾杯」を熱唱している。その姿は、乾杯のリフレインがひとつ終わるたびに、生気に溢れ始めるように感じる。言い換えると、夥しい数の「死」に直面していた世界から、身体をもった人間が隣に立ちともに「乾杯」を熱唱できる「生命」の世界へ戻ってきているように思える。

「うた」は生命の世界とつながっており、音楽は生命の世界への扉なのだ。

僕は病気と手術とその前後の10日間ほどの意識喪失により、なんとなく生命の世界から遠ざかってしまった。村上春樹風にカッコ付けて言うと、一度「森」の世界に入ってしまった。
いまはこの世界を楽しんでおり、前にも増してポジティブだ。だがまだ、あの圧倒的な世界の転換の実感が僕を縛り続けている。そこはやはりこの世界とは別の世界である。そのため音楽はまだ遠い。

今日は日曜の樋口セミナーに出席した代休だし、何かCDでも買ってこようかな。でも長渕はしんどいなあ。★

2011年12月16日金曜日

たとえば「ニート専用特例子会社」〜12/15レイブル(後期ニート)就労検討会議@WTC

昨日12/15、午後すべてを使って、寒風吹きすさぶ大阪WTCビル(前橋下知事が府庁機能を一部移転させた)20階オフィスで、「レイブル」就労検討会議があった。
大阪の主だった若者就労支援機関(6サポステ+府のひきこもり支援事業を行うNPO+長年自立支援を行なう府内外のNPO等)が集まって、13時から18時まで延々討議し、そのあと打ち上げも22時頃まで続いたという(僕は体調上30分で中座したが)、ロングロング検討会議であった。

会議といっても、これは例の「ニート100人会議」を開催した民間NPO(トイボックス、スマイルスタイル)が運営するものだから、かなり今風というか2010年代の香りが漂う楽しいものだった。
主催者(大阪府)あいさつや行政説明などにも、音量は下げてはいるもののBGMが流れ、また席の配置も普通の長方形型ではなく小テーブルに分かれており、世間一般がイメージする「会議」とはかなり異なるものだった。

それら挨拶や事業説明が終わったあと、プラッツを含む関係団体が次々と事前に用意したそれぞれの提案を3分プレゼンし、そのあと「ワールドカフェ」の手法を用いてディスカッションが始まった。
社会人院生ながら阪大「臨床哲学」大学院出身の僕としては、哲学カフェには精通しているが、恥ずかしながら「ワールドカフェ」は初めて聞いた用語だった(ニート100人会議で初めて知った)。
カフェの形式としてはそれほど目新しいものはないものの、20分1セッション×3の時間枠の中、一グループ5〜6人がセッションのたびにテーブルを移動する。その過程で徐々に問いが明確化されていく。
問いとはつまり、「我々は企業に対してニートの雇用をどのように提案できるか」ということだ(僕がまとめるとどうしても哲学カフェ風になってしまうが、現実のワールドカフェはそれほど「概念」と「現実提案」を峻別しない)。


休憩中

















「ニート専用特例子会社」プレゼン中

















最終的に6つ出てきた提案の中で、僕が属したグループは、今回のタイトルに書いた、「ニート専用特例子会社」をつくり、そこと企業がウィンウィンでつながれないかというものだった。
企業からすれば、ニートの若者を雇用することは労働効率性の面でリスクが伴うだろう。かといって最低賃金の壁はすりぬける裏技(阪大社会学・井出先生のお話では、それらは「医師の診断」や「継続した雇用でないこと」等5つあるらしい)はあるというものの、やはり手続きが面倒だ。

そうなると、障害者専用の特例子会社が現在広がっているように、ニート専用の特例子会社があると企業もハードルが一気に下がるだろう。
この場合、企業には、障害者のような法的しばりがニートにはないことが、このシステム構築に躊躇するだろうという議論も出た。
その後、打ち上げの居酒屋では、この点に関して、ニート専用の派遣会社あるいは請負会社ができないだろうかという議論も出た。この場合、ニートの働き方管理と精神的ケアはその派遣会社が行なうから、企業の負担は減る。

念の為に書いておくと、ニート当事者自身が「生涯最低賃金を下回る賃金では困るけれども、就労初期は有給ボランティア程度でも十分OK」と考える方が多いということがこうした提案の背景にはある。つまり、当事者も企業も「プチ・ウィンウィン」というわけです。

いずれも、確か最低賃金の壁はクリアできると誰かが言っていたような……。臨床哲学出身(+基本的に一支援者)の僕としては、根本的な理念とシステム構築には全力で協力できるが、最低賃金等の現実問題にはからっきし弱い。
だが、この社会はすべては役割分担。それぞれが特異なことをパズルのピースをはめ込むようにして協力し合えばいいと思っている。

年明けにまた、この続きの会議があるようだ。今度はFM大阪で開かれるんだったっけ。僕が参加できればまたここで報告するし、参加できなければ別のかたちで報告しよう。
いずれにしろ、大阪がまた熱くなってきた。この感じは、ニートの概念が輸入される前後の2003年以来だ。

そういえばあの頃大阪でともに活動し、現在は法政大学で活躍されている樋口明彦准教授がこの日曜日に来阪されて、僕もセミナーでご一緒する予定だ。次回はそれを報告しよう。★

2011年12月10日土曜日

若者自立業界は「ブルーオーシャン」か〜『ブルーオーシャン戦略』講談社


キムとモボルニュによる「ブルーオーシャン」という概念は、どうやら「成熟市場における穴場」のようなものらしい。
たとえば、成熟市場の極みであるワイン業界を例にとると、1000以上のメーカーが似たような商品(高価格帯にしろ低価格帯にしろ、それらはその価格帯のなかでは区別がつかない)を出すアメリカ市場の中で、思い切って何か(たとえば「苦味」成分)を切り捨て何か(たとえば「フルーティーさ」)を強調し、ラベルをワインらしくないもの(たとえばジュースのような)に切り替えたただけで、ある商品は「新しいフルーティーなワイン市場」(ブルーオーシャン)を切り開いたという。

同じ枠組みの中(いわゆる「ワイン」的なもの)からあっさり飛び出て、何かを切り捨て何かをそこに付け加え新しい市場を生み出す。これがブルーオーシャン(同じ価値の商品同士で血みどろの競争をする「レッドオーシャン」という用語と対比させている)ということらしい。

それをもとに考えると、前回触れた「若者自立産業/市場」はまだ成熟すらしていないので、「プレ・レッドオーシャン」とでもいったほうがいいのだろうか。いや、その市場規模の大きさが近いうちに明らかになったとして、そこに介護業界のように民間業者がなだれこんでこないとしたら、レッドオーシャンにすらならないかもしれない。
となると、そこはまったく一からのブルーオーシャンということになる。

いずれにしろ、若者自立産業ははやく目覚めるべきだと僕は思う。そのことで市場が活性化し、社会が若者の自立の重要性に気づき、若者たちがそれぞれのニーズにあったサービスを利用する。
問題は利用者の支払能力であるので市場化は難しいだろうと僕の友人は指摘したが、普通考えると市場化は難しいとなるのであれば、それこそその市場はレッドオーシャンではなく、ニュー・ブルーオーシャンであるといもいえる。
誰もが市場化は難しいと思いながらも、そうしたサービス受給可能性を持つ人々が数百万人存在するかもしれない業界、それが現在の若者自立産業なのだから。

現在の、若者サポートステーション拡大期(近いうちに縮小期に転じるだろうが)の次は、自立支援法が拡大されて適用される時期が訪れると思う(施設や地域によってはもう訪れている)。
そして同時に、どれくらいの民間業者が参入してくるかということもポイントだろう。老人介護業界ほどでなくとも、NPOサービスだけではない、民間の会社サービスがそこにどのくらいの「うまみ」を見つけるか。

そうした民間サービスの中には悪徳サービスも含まれるだろうが、悪徳サービスが現れるほどの市場規模は若者自立市場にはあると僕は思う。特に、団塊の世代が引退して自分の身体・健康のみに消費行動を絞らないこれから10年は、そうした親御さん世代が市場の中心支払い者になっていくのではないか。
そこに、サポートステーションや自立支援法といった公的サービスが絡み、若者の自立は経済市場の中に大々的に組み込まれていくのではないか。いや、そこに組み込まれなければ、超少子高齢化社会を支える現役世代の拡大は期待できない。

年金の賦課方式(現役世代が引退世代を支える)から積立方式(同世代で支える)への円滑な以降は数十年を要するという。そうなると、社会参加する現役世代を分厚くしていくことが当面の超少子高齢化社会を乗り切っていく方策だと思われ、それはつまり、現役(若者)世代が年金と健康保険と税金を無理のない範囲で払うことがその解決法のひとつになる(当然、全国民対象の消費税アップ等も同時に行なわれるだろう)。

今日午前中、堺サポートセンターで講演をひとつこなしてきたのだが、そこに来ている親御さんの熱い視線を思い出すにつれ、はやくきちんとした市場(とそれに伴うサービス良化のための競争)を形成し、そこに適切な行政サービスが絡む社会にしていくべきだと確信したので、説明不足かもしれないが以上を書いた。★

2011年12月6日火曜日

「若者自立産業」の誕生

今年からプラッツは日月と休みになり、僕も生涯初めてかもしれない連休制度の中で生活している。
なにしろ、大学を出てすぐに入った出版社では営業をやらされ、長野から広島まで1年間ほとんど休みなく出張仕事に行かされるという社会人1年目(そこは1年でやめたが)以来、普通の週休二日的人生とは縁のない生活を送ってきたものだから(00年にプラッツに入ってからも連休ではなかった、というか昨年の病気まではあまり休みがなかった)、いまの当たり前の休みが何よりもうれしい。

で、このブログ執筆も今までの「なんとしても3〜4日に1回執筆態勢」をちょっとゆるめて、自分のリフレッシュのほうを優先させている。
そんなわけで、昨日の休みはあえてブログを書かずにだらだら過ごし、今日火曜日の仕事始めにこうして書いている。

今回もサクっとまとめてみよう。
タイトルの「若者自立産業」とは、当然、〈ひきこもり/ニート/非正規雇用〉若者の自立を指し、僕は、若者の自立支援に関するジャンルが、従来の一支援分野から一産業へと拡大してきたのではないかと考えている。
一支援分野とは、たとえば不登校支援のような教育的支援ジャンル、たとえば発達障害支援のような福祉的(まあこれはかなり横断的ではあるが)支援ジャンルを指す。
若者支援は、これらの支援ジャンルという部分的側面を抱えつつ、同時に、大きく「自立産業」という側面を持ち始めたのではないかと、この頃僕は思い始めた。

それはたとえば、受験産業や老人介護産業などと比べてもいいかもしれない。それらの産業は細かく見ると、受験であれば、受験生の勉強・メンタル支援や受験校の選択などのテクニカルなアドバイス、老人介護であれば、認知症介護の新技術開発やケアマネージャーの研修等、それぞれ膨大なジャンルの専門分野に分かれていく。
だが、それら専門的な下位ジャンルをまとめるようにして、大きな上位概念として「◯◯産業」としてまとめることができる。なぜまとめられるかというと、それは簡単、そこには大きな「市場」があるから、だ。

受験にしろ老人介護にしろ、それらは単なる一教育・一福祉分野に留まらず、社会全体を巻き込むようなかたちで「産業」が形成されている。
僕はその産業の一系列のひとつとして、「若者自立産業」が形成されつつあるのでは、と思い始めた。言い換えると、それは「産業」になるほどの大きな市場規模を持っているのではないかということだ。
その市場/人口規模はどのくらいのものなのかは正確にはわからない。受験産業であれば18才以下の人口は2009年で2200万人弱だが、若者自立産業はそこまで大きくはないだろう。が、ニートやひきこもりの概算数である60万人や70万人では留まらないというのは当ブログでも何度も指摘してきた通りだ(動的ニートと静的ニート)。

現実的に社会参加していない(年金・健康保険・税金を自力で払っていない人たち)若者の数(その多くは非正規雇用あるいはニートと呼ばれている)は、僕は数百万人は存在すると考えている。
この層が自力で年金・健康保険・税金(関節税含む)を払っていくことが、すでに突入してしまった超少子高齢化社会が満たされたものになるか殺伐としたものになるかを左右する大きな鍵を握る。
年金の仕組みそのものは、数十年かけて賦課方式(現役世代が引退世代をカバー)から積立方式(同世代同士でカバー)へと徐々に移行する政策がとられていくと思うが、いずれにしろ、若者による年金・保健・税での社会参加が、社会を下支えする大きな力となることは変わりない。
要するに、若者の社会参加数が拡大すればするほど、その若者自身も含む超少子高齢化社会がポジティブなものになっていき、拡大のテンポが遅れればネガティブ要素が拡大するということだ。

そういう意味で、若者の社会参加支援は一福祉・一教育ジャンルではなくなっている。そして同時に、その規模(おそらく数百万人)からも一支援ジャンルを大きくはみ出して、巨大な社会問題となっている。
だがそれは同時に「大きな市場」がそこにあるということでもある。
大きな市場を言い換えると、それは、「産業」の誕生ということになる。つまりは、「若者自立産業」が誕生する土壌がいつのまにか形成されており、あとはそこに「命名」と「産業を実態化するシステム」が伴えばいいということでもある。

産業化そのものはよくも悪くもなく、ただそれだけの市場が形成されているということだ。
これがこのとおりだとしたら、あとは、市場実態に応じた商品の形成が必要になってくる。それは、「福祉」と「商品」の間を横断する幅広い形態となるだろう。
たとえば、非正規雇用若者を支援するサービスは、消費者である若者自身にその支援サービスに対する購買力があるため、ある程度有料になるだろう。逆に、ひきこもりアウトリーチサービスは、消費者自身に購買力がないため、無料の福祉サービスか有料(価格はどうしても採算ライン優先になる)になる。

本来であれば、アウトリーチという困難な福祉サービスほど無料に近づけ、当事者の支払能力がある自立支援サービスほど有料設定するのがフェアであるのだが、現在の日本はそのあたりが斑状に設定されていてわかりにくい。
若者サポートステーションなども、アウトリーチ/グループカウンセリング/就労支援はそれぞれ分けてサービス設定し、福祉色が強くなればなるほど(つまりはアウトリーチに近づけば近づくほど)無料化していき、顧客の支払い能力が見込まれるものはそれなりに有料化したほうが市場に活気が出て、サービス内容もより細かく豊かになると僕は思う。

今の日本は政策に行き当たりばったりなところが大きいのと、若者の自立というジャンルが有史以来市場化した経験がないため(それはどの国も同じだが)、せっかくの新市場を活かし発展させていない。
これが、受験や老人介護のように市場を発見・展開することができれば、大きな進展が始まると僕は期待する。まあ、市場とは発見せずとも自然と現れるものなので、僕の見通しが正しければ数年以内には行政のサポートを超えたさまざまな民間サービスが展開されるだろう。★

2011年11月30日水曜日

「レイブル・ニート」に新しい職業訓練校と新しいインターンシップを

と、今回はタイトルのままなのだが、まずは「レイブル」の説明を。
レイブルとは、先日あった「ニート100人会議」の提案の一つにあったもので、従来のニート層の中でも、より「働くこと」に近い人達を「レイトブルーマー」と呼ぼうという提案だ。
遅咲きとは何とも微妙な言い回しではあるが、僕はよく知らないのだけど、アメリカではそれほど珍しくない表現だという。「遅咲きの花」は、敗者復活戦が当たり前の価値として根づいているアメリカならではの表現だろう。

この頃はほかにも、ニートとフリーターの中間に位置するものとして何か便利な言葉がほしいという話を、同業者から時々聞くようになった。
僕のスモールステップ理論でいえば、「長期就労実習型ニート」から「長期非正規雇用型ニート」あたりを指すと思う。
最近僕がよく言及する話で言うと、この層は社会保険(年金・健康保険)を親が肩代わりしている人が多いと思われるが、それは統計上どこにも現れてこない。
この層を一刻も早く数字として炙り出すことが、「若者の社会参加支援」というジャンルが一福祉・一労働問題に留まる問題ではないんだ、ということを訴えていく最大の動機になる。

若者が働くことで社会保険を支払い、年金予備金を枯渇させないことが(そして、その裏では高齢者自身が自身の年金の支払い受け取り年齢を遅らせ、消費税等の税金アップに耐えることで、事実上の「同世代=同世代負担」化にしていくことが)、おそらく日本社会が今世紀を乗り切ることができる土台になると思う。
若者問題が超少子高齢化社会の「一丁目一番地」の問題であるとは、こういう面からの提案だ。これが「社会防衛」という批判を受けることは織り込み済みで、社会防衛を一義的に考えざるをえないところまで我が社会は追い込まれているというのが僕の認識だ。
そういう意味では、僕も立派に「保守化」したのかもしれない。

レイブルとは、ニートのなかでも社会参加一歩手前まで来ている若者たちのことを指す。そしてこの若者たちが、僕の直感では数百万人は存在する。
社会学者・経済学者に課せられた使命は、この層の具体的な数を把握することだ。僕のようなものが直感的に語っていてもそこには何の裏付けもないから、何の予算もつかない。その意味で、若者問題に関わる学者の役割は非常に大きい。

そしてその正確な数を把握する作業と同時に、それらレイブルの人たちを社会の一歩手前で滞留させ続けない仕組みをつくっていかなければいけない。
その具体的手法としては、「職業訓練校」と「インターンシップ」を、時代にあった仕組み・制度につくりかえるということだ。
インターンシップについては、ニートインターンシップとして当ブログでも度々提案している。
職業訓練校については、老人介護等の実際にニーズがある現場を中心にプログラムを充実させていく必要がある。

グローバリゼーションの中のサービス業の賃金水準は、新興国の賃金体系に引きずられることになるそうだから、その賃金自体はそれほど上昇を見込めない。
ではそれを逆手にとって、「給料はほしいけれどもそれほど高い給料に見合う労働ができるかどうか自分には自信がない」という層を、そうしたサービス業に当てがっていくという発想は、ベストではないがベターな発想だ。そこに、「介護が必要な高齢者」と「仕事訓練が必要なニート若者」が“ウィンウィン”で結びつくことにより、互いが互いを補完できる。

以上、今起こっている大きなうねりみたいなものをメモした。
当ブログ右欄に新設したグーグル広告についての説明はまた次回〜。あ、プラッツの「行動指針2011」も次回以降ですね〜。★

2011年11月26日土曜日

日本では「占拠」ではなく「対話」だった 〜11/23 ニート100人集会〜


おっと、気づけばもう土曜日だ。春頃から当ブログが週2ペースになって以来、初めての1週間空きとなってしまった。
病気以前のように超ハードワークではなくしっかり夕方には帰ってきているものの、なにぶん朝イチ出勤(会議等も増えてきたし)が続くため、夜はブログを書く力が脳に残っておらず(でもしっかり休息しています)、あっという間に1週間たってしまった。

で、今回は前回から続く「キーワード」シリーズをまとめて「2011年以降の淡路プラッツの行動指針」を発表しようと思っていたのだけれど、それは次回以降にすることにした。
というのも、今週は23日祝日に(勤労感謝の日!)、「ニート100人集会」という大イベントが大阪・梅田のブリーゼブリーゼ(たしかここは昔のサンケイホールで、僕も弟とストリートスライダースのライブを見に行ったような記憶もあるが、今はまあいわゆる最先端若者ビルですね)であったから。
淡路プラッツからも15名ほどの若者が参加したこともあって、僕も当日午後に様子を見に行った。今回はその感想を簡単に。
Facebookにも同じ写真を載せたけど、ここにも繰り返し載せておこう(上/参加者の「顔」は大丈夫だと思うけど)。iphone4s→iCloudという組み合わせは最強。

プラッツから15人行ったように内実はいろいろなところから集まってきた人たちだったのだろうけど、いわゆるニートと呼ばれる若者たちが100人集まっている光景は圧巻だった。そして何よりも僕が感心したのは、その100人の若者たちが小グループに分かれて主催者の企画どおりに熱心に話し合っていた姿。
1日話しあった結果の要望は主催者がまとめて、企業等へと提案・提出していくそうだが、その要望が無事届くことをプラッツとしても応援していくとして、僕はこの日、あらためて「日本」という不思議さを感じたのであった。

それは、ニューヨークほかのアメリカの若者のように「ウォール街を占拠」するのでもなく、中東の人々のように古典的なデモを展開するのでもなく、「対話(ダイアローグ)」だった。
ちなみに、ニューヨークもカイロもオオサカも、若者たちを襲う基本的な問題(中東も背景には経済問題があるだろう)は同じだと思う。つまりは、グローバリゼーションの問題だ。

大阪府主催・受託NPO運営という背景はあるにしても、実際に若者が100人が集まって、自分たちの問題を熱心に対話・討議できる国民というのも、おそらく世界的に珍しいのではないだろうか。
僕は未読だが、いま『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿/講談社)という本が注目されているという。20代の75%が現在の生活に満足していると、アマゾンの同書コピーには書かれているが、そうした背景も、ニート100人会議が静かな対話型で進行できたことと関係するのだろうか。

こうした原因として、僕としては、やはり日本人の死生観に行き着く。今年は特に、東北で大地震が起こって2万人もの方が一斉に亡くなった。日本は有史以来、自然災害で突発的定期的に人が大量に死んでいく特異な国だ。大病を通過した自分自身を振り返っても、常に死にさらされていると、人は静かになり、エキサイトできなくなる。
そこに、同質社会特有のタコツボ現象等、さまざまな要因が重なって「占拠」にはならず「対話」になったのだと思う。いつも僕は当ブログで、この国のタコツボ社会(ちなみに元ネタは丸山真男です)現象を嘆いてはいるが、僕自身、そうした死生観と同質性を根強く有しており、そこから逃げることは難しいと日々感じている。

だが、「占拠」とは別の意味で、「対話」もまた新しいものを生み出す。もしかすると「占拠」よりも「対話」のほうが21世紀型かもしれない。今回のニート100人会議が一発屋企画にならないよう、僕も応援していきたい。★



2011年11月17日木曜日

サポステに定着しない若者たち〜キーワード②「潜在性」〜

前回から唐突に「キーワードシリーズ」が始まったわけだが(それもシリーズ化を思いついたのが前回ブログをアップしたあと……タイトルをあとで修正しました)、今回は「潜在性」について簡単に書いてみる。
哲学好きの人であれば、「あ、元ネタはドゥルーズね」みたいに指摘してしまうかもしれないこのタイトルであるが、まあドゥルーズにもし関心があれば、『差異と反復』や『ミルプラトー』を読んでみてください。
実は、僕は何回も何回も読んだのだけどいまだにピンときていない両書なのではあるが、まあそれはいいか(よくない!!)

そんなわけでドゥルーズはさておき、「潜在性」とは、表出可能性はあるが具体化・顕在化していないものを指す。僕の仕事でいえば、①サポステに定着しない若者たち、②高校中退後20才前後でひきこもっている若者たち(当ブログでは「アラトゥエ」という言葉で取り上げてきた)、そして③非正規雇用ではあるものの社会保険(年金と健康保険)は親が払っている若者たちなどをさす。

③を中心に、いずれも当ブログではおなじみのテーマばかりで、逆に、僕の仕事領域に関しては、これら以外のものは書評とスティーブ・ジョブズくらいしかないというくらい、僕はこれらばかりを取り上げている。

思い起こせば10年前、スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)を読んだ時の衝撃は僕にとっては格別だった。それは、徐々に、ゆっくりと波紋が広がるように僕の内面に広がっていき、満たし、熟成させた。
そこで語られる、「真の“当事者”は語ることができず、つねに潜在的存在として幽霊のようにそこに居続ける」というテーゼは、いまだに僕の中では中心を占めている。

そしてそのスピヴァクのテーゼと、僕のひきこもり支援の仕事は見事にシンクロし、以来、「最も語ることができず最も潜在的に居続けるひきこもり当事者こそが、最も支援を求めている」というかたちで、確信となって僕の中心を占めるようになった。

その衝撃の余波のせいで、当時せっかく名乗りを上げて発言したり文章を書いたりし始めた当事者の方たち(当時の僕ふうにいえばそれは真の当事者ではなく、元当事者であり「経験者」なのではあるが、いまはそうした呼び名にはそれほどこだわってはいない)と激論になったりして、ずいぶんご迷惑をおかけしたりした。
その点に関してはあらためて申し訳なかったという気持ちでいっぱいなのだが、最大の当事者こそが語ることができず潜在的存在として居続けてしまうという確信そのものはいまだに変わってはいない。

そこ(語ることができない真の当事者)を支援するためには誰かが代弁し誰かが手を差し伸べるしかない。その誰かは、前者(代弁する者)は「元当事者/経験者」になり、後者(支援する者)は「支援者という他者」になる(だからこの両者がぶつかりあうことは生産的ではない)。
「他者という僕」は、真の当事者を代弁しつつ、他者として接触する。まあこのような議論の大元はデリダになるわけだが(ということは、デリダがとりあげたたくさんの哲学者にもつながっていくし当然フロイトにもつながる)、まあ個々の哲学者の名前はいまやもうどうでもいい。
こうした確信を得ることができただけでも、僕は「臨床哲学」を学んだ意味があった。

で、純粋ひきこもり的な若者も含めて、いまだにひきこもり/ニートのジャンルでは、真のひきこもり/ニートは、サポステ等の支援施設には定着していない。特にサポステは、就労結果を委託側が求めるあまり、受託側はその「数字」に追われ、一部のスキルのある団体以外は苦労していると聞く。
サポステに関して、それをどう捉えればいいのかずっと迷ってきたのだけれども、この頃やっと少し見えてきた。サポステとは、つまりは「顕在化した若者」を支援する組織であって、ひきこもり/ニート問題の中核である「潜在化している若者」を支援する中心的組織ではないということだ。

おそらく、そうした潜在化した若者は、国や行政はなかなかキャッチしにくい存在である。なぜなら、同語反復に聞こえるかもしれないが、国や行政にキャッチできないからこそ潜在性が潜在性となることができるから。
言い換えると、ひきこもりとは行政とは別のレベルで生きる存在だということだ。それはしっかり堅実に生きており、かつ支援をどこかで求めているのかもしれないが、決して主流の支援組織が掬いとることができない。
それは、おそらくNPO(の本来事業)しか支援できない。
だから、彼ら彼女らはひきこもりであり、そして「当事者」なのだ。

うーん、うまく説明になってないなあ。またスピヴァクを再読しておきます。とにかく、プラッツはこうした層をどこまでもサポートの中心として位置付けていくということを言いたかった。★

2011年11月14日月曜日

「希望」から「幸福」へ〜キーワード①「幸福」

僕のブログ研究によると、無名の筆者によるブログの閲覧率を高める唯一無二の方法は、「タイトルを工夫すること」に尽きるようだ。つまりは、タイトルに有名人や現在世間が気にしているらしいことを毎回持ってくる。
確かに、僕自身がブログを読むときにも、ブログ筆者名で読むケースはほとんどなく、だいたいが何かの検索の流れでそのブログに辿り着き、そのブログがおもしろかったとしてもブックマークする前に次のページへとサーフィンしてしまう。
余程のことがないと、ブックマークしたとしてもブログそのものを定期的には僕は読まない。僕であれば、池田信夫さんとかさいろ社松本君とか、定期的に読むブログは数本だ。おそらくみなさんもそうでしょう。

そんなわけで、ブログ閲覧のポイントは旬なタイトルということになり、有名人やその時の話題を強引でもタイトルに入れることがコツ、とマニュアル本には書いている。だから当ブログも、先週までは苦労してタイトルにそれらを入れ込んでいた。
だが、前回のブログを書いたことで何となく「スモールステップブログ第1章」が終わった気がしたので(僕はわりと「ああこれで◯章が終わったのかなあ」と考えるタイプ)、今回からタイトルも好き勝手につけることにした。
今回のような「希望」や「幸福」では誰も読まないのは(というかこのページに立どまりにくいのは)わかっているのだけど、やはり、ささやかでもいいから何かを提言していくのが僕の仕事だと思っているから。

東大経済学者の玄田有史さんが「希望学」を提唱されてからもう何年たつのだろうか。経済学の中に「希望」という抽象概念を持ち込むことは非常に抵抗を受けたんだろうなあと想像するのだが、あの当時、希望学は相当重要な意味があったと思う。
それは、超少子高齢化社会に入り込む寸前にいた我々に、ある種の覚悟を迫った。これから我々は未だ体験したことのない世界に突入しますよ、だから凛とした希望をもって、その社会に臨みましょう、といった覚悟だ。
玄田さんが希望といってくれたおかげで、何人もの当事者やその家族が前を向くことができたと思うし、何よりも重要だったのは、それは、青少年支援者に対してある種の「働く意味」を与えてくれた。

我々支援者が毎日地道に仕事/支援しているのは、単に一人の若者を社会に送り出すことにとどまらず、彼ら彼女らやその家族に「希望」を持ってもらうことなんだ、ということを教えてくれたのであった。
そして、その希望は彼ら彼女らに連鎖していき、また、次の世代の彼ら彼女らに伝わっていく。非常に抽象的ではあるが、非常に重い問題(超少子高齢化)に社会全体が直面しようとするとき、「希望」は我々に何かを注入してくれる。

だが、政府の統計的発表はさておき、実感としてその超少子高齢化社会に突入したと僕は思っている。10年前と比べても、確実に社会の中での高齢者率は高まっていると日々実感する。テレビは高齢者向け健康番組と健康食品・グッズのCMであふれ、音楽番組が70〜80年代のヒット曲を繰り返し流す。
僕の仕事においても、ひきこもりの中心年齢は30代(団塊ジュニア)に移行し、親御さんが70才でもそれほど驚かなくなった。
非正規雇用は3割を越え、独身者数も男性で3割を越えている。あの、「いつか近いうちに少子高齢化社会になりますよ」と20年も前から警鐘され続けていた社会に、おそらくすでになっている。

おもしろいことに、最近になればなるほど(超少子高齢化社会に突入して以降)、メディアは超少子高齢化社会の問題をヒステリックにとりあげなくなった。高齢者介護や年金問題など、あれほど毎日騒がれていた問題が、たくさんある問題の一つでしかないというような感じで、あっさりさらりと流されていく。
まるで以前から、「超少子高齢化社会に突入したらこの問題を告発するのはやめましょうね」と示し合わされていたかのごとく、うす〜い問題として、メディアは日々スルーする。

これがつまりは、「人々が恐れていた社会」に突入してしまったときに人々が見せる態度なんだろうなあと思う。僕は社会学者ではないからそれを分析する言葉を持たないし、持っていても今はあまり意味がない。
学者は予想する言葉は持つが解決する力は持たない。今ほど、学者が力を持たない時代はない。

希望とは絶望が前提になった言葉なので、その言葉の明るさに反して実は相当ネガティブな言葉だ。絶望を共有しているからこそ希望という言葉に説得力が溢れる。“死”が前提にあるからこそ「今ここ」の“生”を充実させようという論法と同じだ。
その絶望とは、このまま我々は超少子高齢化へ突入してしまうという、諦めのようなものであった。

だが、その超少子高齢化になった今、希望よりも大事なものがある。それは、その超少子高齢化社会の中で、その社会にいる人なりの「幸福」を見つけ、創出し、そこに身を委ねていくということだ。
その幸福は、抽象的なものではない。
それはたとえば、手取り15万円の給料で30代独身生活をいかに幸福に過ごすかとか、手取り15万円の正規雇用者と手取り12万円の非正規雇用カップルが結婚し何人子どもをつくりどのような幸福な家庭を築くかとか、40代独身サラリーマン生活をしながら70代の親といかに幸福にかかわっていくかとか、30代ニート青年が有料福祉ボランティアをしながら恋人や友人とそれなりに出会い時々アルバイトもしながらいかに幸福な実感を獲得するかとか、挙げだしたらきりがないほど、具体的な幸福像が求められている。

そうした具体的幸福像を描くことをプラッツはお手伝いしていこうと思う。希望を抱きながら、具体的幸福像を築く時代に、この日本はなった。★

2011年11月10日木曜日

NPO経営が僕の仕事になった〜ボランティア型から事業型へ〜

淡路プラッツの機関誌『ゆうほどう』に、僕は毎月「私たちのスモールステップトーク」というエッセイを連載している。わりと毎回丁寧に書いているのだが、プラッツの(というか多くのNPOの)悪い癖で、だいたいは「書きっぱなし、載せっぱなし」になってしまっている。

コンテンツとしては優秀までとはいかないがまあそこそこのレベルはあるのに、それらの提示の方法を知らない。そうした「提示」方法を、僕は残りの人生で研究・実践していこうと思っている。

まあ、広告代理店などはそうした「提示手法」を商品にして食べているのだろうから、お金があればそのような会社に頼めばいいのだが、そこはNPO。とにかくなんでも「手作り」で始めるしかない。

今回は、先々月号の『ゆうほどう』に書いたものを改題・修正して以下に載せてみる。

脳出血から1年が過ぎた。僕の脳は、この夏あたりからやっと落ち着いてきたようだ。ただ、 脳が動き始めたからといって前と同じように働いてはまた倒れてしまうので、僕に一極集中していた組織のありようを変革している。ゆるやかな職制(代表・統括リーダー・主任・主任補佐)や、いくつかの職員の形態(コア社員=常勤職員、専門社員・支援社員=非正規社員等)をつくり、メンバーや保護者のみなさんからは見えにくいかもしれないが、淡路プラッツというNPO団体を確固としたものにするためにぼちぼち働いている。

そんなことをしていると、「経営」というものにきちんと向き合う必要がある。別のところでも書いてきたが、僕は長年心のどこかで経営というものから距離をとってきた。たぶん、支援活動や哲学の探求と「経営」は親和性がなかったためだと思われるが、今のプラッツは、経営への好き嫌いでそれを遠ざけていられるほどの規模ではなくなったようだ。

2011年度の売上額だけでいうと、「ニートによるひきこもり雇用支援」事業の効果がまだ続いているため、おそらく6,000万円強になるだろう。知り合いの税理士事務所が売上3,000万円といっていたから、いくつかの青少年支援大手NPOの売上2億円には当然届かないものの、今のプラッツは小さな会社サイズになってしまっている。

ちなみに、2002年にNPO法人化した時は、売上500万円前後の、まさに経営が風前の灯というか、関係者の魂の力で(亡くなった蓮井さんの魂の力も含めて)続いていたというか、「ボランティア型任意団体」と「ボランティア型NPO」の狭間にいた。

内閣府21年度市民活動団体等基本調査では総収入5,000万円を超えるNPOは9.5%だそうだから、今のプラッツはそこに入り、逆に10年前のプラッツは、典型的日本の(ボランティア型)NPOだったといもいえる。

だが現在のプラッツは「委託・補助金事業」が事業の大半を占める。元々のプラッツ2階で主として展開する事業(本来事業=ひきこもり自立支援事業)は、全体売上の2割にも届かない。ボランティア型だろが事業型だろうが多くのNPOが抱える悩み、つまりは行政の委託・補助金事業だのみという経営実態は、プラッツも変わりはしない。

あれは2003年頃になるだろうか、雇用能力開発機構の委託事業として始めたアメリカ村での青少年相談室運営が、思い起こせば初めての委託・補助金事業であった(その事業ではいくつかのNPOとのよい出会いがあった)。その後、ほっとスペース(現サテライト)事業(大阪市)・トライアルジョブ事業(大阪市)・アウトリーチ事業(大阪府)・市立中央青年センターの事業(大阪市)・ニートによるひきこもり雇用支援事業(大阪府・国)・セカンドプラッツ事業(大阪府)と立て続けに委託・補助金事業を展開してきた。

これらは年度始めから計画・実行してきた事業ではない。これもまた多くのNPOと同じく、「目の前にあるものに飛びついた」結果なのであった。この10年、わけもわからず飛びついて次から次へと事業をこなし、知らない間に「ボランティア型NPO」から「事業型NPO」になっていた。無理がたたって僕は倒れてしまったわけだが、奇跡的に復活できた。この復活をやはりポジティブにとらえ、同じ事業型NPOでも、その場しのぎのNPOではなく、もうちょっと計画的なNPOになろうと思う。そのために、「経営」があり「組織」がある。

今回は一つひとつの言葉を解説せずに書いてしまった。たとえば、「経営」にも、全体(コーポレート)経営と事業経営の二つのレベルがある。コーポレートレベルは経営戦略と人事と財務がメインの仕事であり、広報や社員研修もここに含まれる。

事業レベルは、プラッツであれば、「本来事業(創業より続くひきこもり自立支援や講座)」「委託・補助金事業(ニートによる〜、サテライト、セカンドプラッツ等)」「寄付金(賛助会費)事業」等がある。この、コーポレートと各事業の二つの異なるレベルを混合しないことが経営のスタートだ。

そんなわけで今年は2011年、創業から19年になるのかな。あれからずいぶん遠いところに来たのかもしれないけど、ありがたいことに、プラッツへのニーズは組織形態を変えても変わりはしないどころか、逆に増えている。そして若者の自立支援は超高齢化社会の年金問題も絡めつつ、我が国の「一丁目一番地」の問題になってしまった。

20年前、僕はまださいろ社の編集者だったが、さいろ社社長松本君や亡き蓮井プラッツ塾長も含めて、あの頃誰がこうなると予想しただろうか(すべての人の人生とはそんなものかな)。ニーズがある限り、時代のニーズに応え続ける団体であることをプラッツは目指します。ほどほどに、ね。★

2011年11月6日日曜日

「若者自立支援今後10年を考える勉強会」〜「育て上げ」ネット井村君主催〜に参加して

10/30〜11/5の一週間は慌ただしく、火・木は文科省経由のドイツの青少年支援関係者を10名ほど受け入れ、特に3日祝日はコネクションズ大阪のT所長とともに、10〜16時の長時間にわたって日本の青少年支援の説明&ディスカッションを行なった。
間に通訳さんが入るのでそれほどぎゅうぎゅう詰めの6時間でもないのだが、やはり今の僕の脳には結構負担になる。
でも、ドイツの人たちからフランクにこちらの質問にも答えていただき、なかなか有意義な時間となったのであった。

で、昨日は、「育て上げネット」井村良英君の主催による、「若者自立支援今後10年を考える勉強会」というものが夕方から夜にかけて新大阪で行なわれ、僕はしょぼしょぼの脳を抱えたまま参加した。
参加者は20名ほどではあるものの、NPO〜行政〜大学〜公教育のリーダー級がずらっとそろったメンバーのなか、なかなかディープなワークが展開されたのであった。関西の人が大半ではあるものの、北は山形から南は沖縄まで、全国規模の参加メンバーだった。

井村君とは知りあってもう10年以上になる。最初は、僕が個人で主催したセミナーに、外国旅行から帰ってきたままの格好で彼は参加し、いきなり場に溶け込んでいたのが印象的な、エネルギッシュかつパワーあふれる好青年だった。
その後、妙な因縁で彼は淡路プラッツスタッフになり、00年代初頭の、最も淡路プラッツが経営的にピンチだった時期の塾長を短期間ではあるが努めていただいた。その時期僕は非常勤だったからすべての責任は若き(23〜24才だったと思う)彼に集中しており、たいへんな苦労をかけたと申し訳なく思っている。そして、ものすごく感謝している。

その後彼は大阪の某公的機関で働いたあと、現在の「育て上げ」ネットに就職した。その後の活躍は同ネット理事長・工藤啓さんの著書
『NPOで働く〜社会の課題を解決する仕事』に詳しく書かれているから参照されたい。ほかに玄田有史さんの著書などにもチラチラ名前が出てくるし、僕も含めた淡路プラッツ関係者の中では一番の「出世頭」かもしれない。

ワーク自体は、ボランティアでファシリテートしていただいた某N総研社員の方の進行のもと、出席者が自分や日本の子ども・若者問題の10年後を構想するというもので、19時を過ぎるとしょぼしょぼの脳になってしまう僕としては、たいしたアイデアが浮かばず若干後悔したものの、一晩ぐっすり眠るとやはり非常に意味があったと思えた。
僕としてはふだんから、自分や淡路プラッツの10年後や20年後、そしてその先まで常に考えてはいる。ただそれらはクリアにビジョニングされておらず、まるで小説家の構想のようにあっちにいったりこっちにいったりしている。それが、昨夜のような機会があると、よりシャープに明確化することができる。

プラッツの3〜5年後の中期戦略としては、「ニートインターンシップ」と「アラトゥエ支援」の二大戦略のもと、「ニートによる老人介護事業」他の具体的事業へと落とし込んでいくことになるだろう。
また、それらを広報する「大阪式プレスリリース」の方法も開発しなければいけない。超少子高齢化社会への突入とともに、青少年支援は一福祉分野から、超少子高齢化社会の「一丁目一番地」の問題へとなってしまった。だが、その国民性や選挙民の人口構成(若者は数が少なく選挙にも行かない)から、それは一丁目にありながら「裏通り」の問題であるかのように隠されている。
こうした傾向はこれまでの日本経済では問題はなかった。だが、サービス業をより洗練させていく方向でしか将来性のない日本経済において、もはやこの問題を「なかったことにする」ことは許されない。

若者問題を明確化し、解決しながらもそれを経済構成の有力なウィングとして構成し直し、サービス業の中身を作り替えていくくらいのビジョニングをしないと、日本経済はショボイまましぼんでいき、年金制度もヤバい。
そのために子ども・若者問題のポジティブな解決法を探ることは、今の日本にとって重点課題になっている。
そしてそれを担うNPOを育成していくことは重要だ。なにしろ、「新サービス業立国」でしか生き残っていけない我が国としては、株式会社とともに、NPOは重要な経済ウィングの一角だから。
そして、その中でも、子ども・若者支援/関連(支援関係だけではなく、たとえばプレスリリースやイベントなどを手がけるNPOもここに入ってくるだろう)NPOは、超重要になる。

おっと、日曜朝イチから熱く書いてしまった。つまりは、10年後のビジョンを、以上のようなことを当たり前とした上で描いていきたいということです。★

2011年11月2日水曜日

「ポストトウキョウ」の具体的かたち 『「静岡方式」で行こう!』津富宏編著/クリエイツかもがわ

昨日プラッツにこの本が送り届けられ、今日は比較的時間があるので、昼間事務所でざっと読んでみた。「静岡方式」とは、静岡県で注目されている若者就労支援の新しい試みのことだ。
それを簡単に説明すると、①支援の「場(たとえばサポステのような)」を持たず、②「伴走型」個別支援方式のかたちをとり、③支援者/サポーターはボランティアであり、④地域を「資源のオアシス」と考え、⑤就労というゴールへ「一直線」に向かい、⑥スモールステップで個別支援する、と、まあこのような考え方/システムであるということになるだろうか。

そうしたシステムや考え方を創設者兼NPO代表の文章や取材者の文章で説明し、それに続いて、若者が参加したセミナーへの取材、具体的な就労先やサポーターへのインタビュー、若者当事者の声等で構成された本である。
深く読み込んでいないからもうちょっと深い紹介がされているのかもしれないが、「静岡方式」は上の①〜⑥であると言ってもそれほどズレはないと思う。つまりは、超短期間(半年程度)で個別支援して多くの若者を就労あるいはその道筋に乗せるという、ものすご〜くシンプルだけども、ものすご〜く結果が出ている支援方式だということだ。

優秀なコーディネーターがいて、「職業者」と「若者支援ボランティア」という二重のアイデンティティをもつサポーターがいて、比較的柔軟な就労受け入れ先(ここではコンビニ・老人介護・林業が紹介されている)がネットワークを組めていれば、実はサポステやNPO等の「支援施設」は必要ない、というわりと過激な問いかけを無言のうちにしている過激な本、であるかもしれない。
だが、このシステムの成功は、つまりはそういうことではないかとも捉えることができる。一施設ごとに多額の運営資金を要する既存の支援システム(そのため委託金や利用者負担が必要になる)は、若者支援の最終解ではないということだ。

といいながら、すべての地域で応用可能でもない(本書では秋田の取り組みの成功例が紹介されているが)。NPO(創設者の津富さんには僕も何度かお会いしたことがある、なかなかキュートな方だ)、サポーター、就労協力施設、地域性等、ある程度条件が揃って初めて可能になる仕組みでもある。

僕はこの取り組みは、既存の支援の仕組みを超えた、ひとつの可能性の提供だと思っている。その可能性は現実には、地域性重視やサービスの無料化等、わりと陳腐なものではあるが、「何か」を乗り越えようとしている。
淡路プラッツでは来年度、「ニートインターンシップ」を基本戦略として「ニートが担う老人介護」を現実展開しようと思っている。実は、「静岡方式」はすでにそれを現実化している面もあるのだが、サービス提供側が経済的「ウィン」になれないという点で「静岡方式」はなかなか汎用性がない。
津富さんの「就労支援も社会インフラのひとつ」という考え方も立派な理念であり戦略ではあるが、2010年代にこれを行なう必然性が少し薄い。やはり、サービス提供者も経済的に少しは潤う(ウィン)必要はあると僕は考える。

だが、「静岡方式」は確実に何かを取り崩そうとはしている。津富代表の言葉だけを聞いて(読んで)いると、今のところ単なる地域重視の枠組みから出ていないが、現実の「静岡方式」は代表の言葉からこぼれるくらい、何かの可能性を示している。
それはおそらく、「トウキョウ」に表される既存の仕組みを打ち崩す何か、だ。そのことを創設者の津富さんも本の編集者も気づいていないのかもしれないが、ここには重大なヒントがある。
ポストトウキョウはこのように、地域・場を持たない・スモールステップといったいくつかの言葉に含まれている。

そしてそれは、何もまったく新しいものではなく、既存の仕組み(たとえば老人介護システム)に隠されているものでもある。超少子高齢化社会というまったく新しい世界に我々はすでに突入している。そこでは社会の隅々で新しいことが起こっていると僕は予感している。
若者支援という、超少子高齢化社会のなかでの「一丁目一番地」で、それは象徴的に起こると僕は思っていた。トウキョウという言葉に象徴されるものから脱却する動きのシンボルが「静岡方式」であるかもしれない。ニートインターンシップもそこに続こう。★


2011年10月30日日曜日

「スモールステップ・ワークショップ」を試してみた

今はまだ日曜朝7時前なのだが、相変わらず僕は11時前就寝で5時半には目覚めるため、脳はすっかり普通の活動状態になっている。その早朝時間を利用してウォーキングをしたらと知人たちにすすめられるものの、朝外出は何となく気が進まない。
というわけで、試しに早朝ブログにトライしてみることにした。といっても、今までも朝の8時頃書いていたので、それが1時間半早くなっただけなのだが。どうせとっくに目覚めてるんだし、布団の中でゴロゴロするよりはましか。

先日、某所で4時間にわたってワークショップを(A主任補佐とともに)担当させてもらった。その内容が、思いつきのわりには結構汎用性があったので、忘れないうちに書いておこうと思う。
僕にとっては何よりも4時間も人前で話せたということが、病気からの回復という意味で自信になったのだが、今回は病気話はスルーして内容を紹介しておこう。

ブログのタイトルにあるように、淡路プラッツがこの頃あちこちで提唱している「スモールステップ支援」の各スモールステップを参加者が支援者の立場にたって検討していくという、実にシンプルな内容だった。スモールステップは以下の10段階に分かれる。

●アウトリーチ支援段階
1.親子断絶型ひきこもり
2.外出不可型ひきこもり
3.外出可能型ひきこもり

●「生活支援」段階
4.心理面談型ニート(a..コミュニケーション〈会話等〉  b.生活体験〈料理・清掃・買い物等〉  c.レクリェーション〈スポーツ・旅行等〉)

●「就労支援」段階
5.就労面談型ニート
6.短期就労実習型ニート
7.長期就労実習型ニート
8.短期非常勤雇用(アルバイト)型ニート……語義矛盾だが、現実にはバイト/ニートはクリアにステップアップしない。
9.長期非常勤雇用(アルバイト)型ニート
10.正規雇用

これは、「スモールステップ自立支援のフレームワーク」というタイトルで6月18日の当ブログにも書いているので参照されたい。3年前に岩波ブックレット『ひきこもりから家族を考える』を書いた時は、スモールステップはもっと大雑把なものだったが、最近このように細分化され、より可視化されて支援に使いやすくなっている。

参加者は35名程だったので、これを4班に分け、各段階ごとに①各班で話し合い②各班で発表③評価というシンプルな構成で進めた。はじめに発達障がい等の「ひきこもりの3つの背景」を説明したあと(上岩波ブックレット参照)、この構成で、1の「親子断絶型ひきこもり」から順番に進めた。
4の心理面談型ニートの段階は、a.コミュニケーション〜b.生活体験〜c.レクリェーションの三段階に分け、一段階ごとに①〜③を行なってもらった。
①〜③ははやめにすすめても20分はかかるので、1〜3だけで余裕で1時間は超える。さすがに僕の脳は、1時間ごとに休憩しないと疲弊しきってしまうから、15分ごとの休憩を入れていくと、あらまあ、あっというまに4時間たった。それも、5の段階までで4時間が過ぎてしまったのだった。

現実には、7以降は支援の必要性が薄くなってくるため、ワークは6段階まですすむことができれば十分だ。その意味では、5まで進めたことはまあまあうまくいったと言える。
ワークの中身は、上に書いたとおり、話しあって発表して講師が評価してと、いたってシンプル極まるもので、な〜んにも刺激的なことはないし目新しいことはない。
しかし、全体を体験していくと、これがおもしろいことに、架空の「ひきこもり」青年が(しかもあえて細かな設定をしていない)、1、2、3、4……と、あたかもスモールステップを昇って徐々に社会参加していっているような錯覚に陥ってしまうのだから不思議だ。

だんだんワークも進んでいくと、たとえば「b生活体験」の段階での「カレーを青年と作ってみましょう」という提案が、班の中で、あたかもスタッフミーティングがそこで行なわれているかのように盛り上がってさまざまな提案が交わされている。
「c旅行」で、僕が「では青年を沖縄旅行に引率してみましょう」と提案すると、各班の中で自発的に「沖縄は遠くてお金もかかるし」と勝手に行き先を白浜に換えたりする。このあたり、講師は何も指示しないのに、有機的に班の中で変更が行なわれた。
参加者の意識が高かったということが第一の原因だろうが、「スモールステップ」ごとに青年の成長を考えるというこのプロセスそのものが、擬似支援になっており擬似スタッフミーティングになっているのだと、僕は帰りの電車で気づいた。

このコンテンツはわりとスタッフ研修で使えます。北海道から沖縄まで、交通費とちょっとの謝礼をいただければ、僕は出張講師に伺いますよ〜。★