たとえば「発達障害→がんこ→ダメ」という思考の罠に陥らないために 〈支援の最前線〉2

支援というものは車の運転と同じで、3ヶ月、半年、3年あたりが過ぎた頃、慢心してしまうジャンルだ。慢心でなければ、忙しさと仕事の重さのために何かが麻痺してしまうジャンルだ。
僕には病気をする少し前あたりから、支援者向け講演や研修の依頼が増え始めていた。僕も46才、青少年支援の仕事を始めてからもう15年になる。20代は編集やライターの仕事をしていた(というか友人と小さな出版社を立ち上げそこそこ軌道に乗せた)ため、いつまでも編集者気分が抜けないでいたが、そうしたことを知らない人から見ると、僕はすでにベテラン支援者のひとりになっている。
そうしたことから、支援者研修の講師として依頼をされたり自分で企画したりするようになっている。あのまま病気をしなければ、今年はもう少し規模を拡大した企画へと展開していただろうが、病気のために、運命は僕に少しの休息とこれまでの方針の点検と見直しをする時間を与えた。身体はだいぶ回復しているので、春を過ぎ夏になれば、そうした研修や頓挫している「青少年支援者学会」も再び動き出すだろう。あわただしくなる(といってもワーカホリックは卒業しました)その前に、支援をし始めた人や何年もしているけれども忙しくて立ち止まれない人向けに、いくつか思いつくことを書いていきたい。
〈支援の現場〉シリーズもそうだが、この原稿を研修用の資料に使っていただいても結構です。

今回僕が言いたいことはすごくシンプルだ。だからいつものようにだらだらと文学的に表現しないが、このシンプルさには常に罠がはりめぐらされているということに注意しよう。そしてその罠に一番はまりすいのが、支援者なのだ。

「発達障害」というのは一般的な概念である。
また、「がんこ」というのも一般的な概念である。
一般的な概念とは、誰にでも応用可能なものという意味だ。その反対側には単独性という概念がある。それは、世界で一つしかないものという意味だ。たとえば、田中俊英は人間という一般概念に属しながら、田中俊英という世界でひとりだけの単独性を有する、ということだ。
今回は単独性は考えない。一般性をどう区別するかということから始める。
発達障害というのは、ある種のマイノリティ(多数派から見て「多数派ではない」という意味)を指す。あえていうと、マイノリティ的一般性だ。「がんこ」はどちらかというと、性格に属するものだろう。あえていうと、性格的一般性だ。マイノリティ的一般性と性格的一般性、これは基本的には別のものである。
繰り返すと、マイノリティと性格は別のものである。だが、専門家によっては、この二つをつなげて語る。僕はそれには反対しない。たとえば、アスペルガー症候群だからがんこだ、とある専門家は言うだろう。逆に、あまりにがんこだからもしかするとアスペルガーかもしれないという専門家もいるかもしれない。
なぜ両者をつなげて語るかといえば、発達障害を早めに察知し丁寧に告知し支援につなげていくためだ。この「丁寧に告知」というのが極めて難しいが、発達障害が早めにわかったほうが、本人も家族も、発達障害を知らないでいるよりも相対的に幸福になれるのだから悪いことではないと僕は思う。
だから、発達障害とがんこという2つの別ジャンルの一般性をつなげて検討することで、本人と家族が相対的に幸福になれるのであれば、それはそうすべきだ(現実には「がんこ」以外にもさまざまな性格的一般性が関与する)。

問題は、この2つの一般性をつないだ先にさらに「ダメなやつ」という価値判断がくっついてしまう場合だ。ダメというものにもいろいろな捉え方があって、愛すべきダメなやつみないな感じで肯定的な意味合いが入っている場合を僕は言っていない。多くの意味が入らない、単に「劣っている者」として遠ざけてしまう概念操作のことをここでは指している。
「劣っている者」はぐるっとめぐって「障害」という概念にくっつくこともある。そうすると不思議なことに、「がんこ」という一般概念にまでその影響がとどいてしまう。
冷静に考えると、発達障害は単に障害(日本語として一般化しているという意味でこの漢字を使う。あえて別の漢字に書き換えない)というマイノリティ的一般概念であり、がんこは性格的一般概念だ。両者は別に劣ってはいない。
支援のために、発達障害とがんこは比較検討されるかもしれないが、ここに「劣っている」が入り込む余地はない。
言葉には、たくさんの創造的魅力があると同時に、たくさんの概念的くっつきという罠が待っている。そして、そうした罠に捕まるほうが、自分の疲れきった仕事の一日を整理整頓できることがある。そして怖いことに、このような概念的くっつきを、同僚たちとの雑談で楽しんでしまう。これには本当に注意しよう。当事者たちはきちんとわかっているから。★


※田中の近況
この前、午前中は挨拶回り、午後はスタッフとの来年度運営ミーティングと、久しぶりに夕方近くまで仕事してみた(昼休みをたっぷりとったが)。なかなか懐かしく、かつ楽しかったので、久しぶりの仕事らしい仕事の日だったのだが、さすがに夜は少し疲れてしまった。でも、翌朝になれば気分もすっきり、体調も回復していた。これは、もしかしてまた新しい段階になった? 僕の身体もスモールステップの積み重ねです。