2011年4月15日金曜日

友だち 〈病気のあとで〉4

僕は友だちはほとんどいない。その数少ない友だちのひとりに、さいろ社の松本康治君がいる。このブログでも、東日本大震災後「東北の被災地で今すぐ入れる入浴施設リスト」作成者として紹介した。
向こうが僕のことを友だちと思っているかはよくわからないが、たぶん僕は彼のことを友だちだと思っている。彼はホームページやブログを見てもらえればわかるとおり、ずいぶん自由に生きている。普通の人から見れば僕も自由に見えるかもしれないが、松本君と比べればたかが知れている。彼の自由の徹底ぶりは半端ではない。この10年ほどは僕も仕事ばかりしていて数年に一回程度しか会ってないからその私生活の中身は詳しくは知らないけれども(それでも友だちだと思ってしまうのが不思議なところ)、お互い若い頃によく標榜していた「自由」を、50才近くになってもより先鋭化させて追求している点で、やはり尊敬する。

今はつぶれてしまった京都の某出版社の入社式で彼とは会った。バブル時代で、新入社員が20人か30人ほどいたことを覚えている。その半分以上は退職したはずだが、退職組には作家や大学の先生になった人もいる。でも、松本君以外とは今はまったく交流がないから、職業の裏にあるはずの苦労話は知らない。
僕のほうが先に退職して、半年くらいして彼も辞めた。そして、ふたりで「高原書館」という弱小出版社をつくった(彼のHPでさいろ社の歴史のところにある創設メンバーの二人のうちの一人が僕)。高原書館は、書店営業をしていても「こうげん」ではなく「たかはら」と呼ばれてしまうので、のちに「さいろ社」と変名した。
さいろ社は、医療問題を社会問題としてとりあげる出版社だった。教育問題も扱った。「メディカルトリートメント」という季刊雑誌を発行し、僕が社員時から単行本を何冊かつくった。当時、僕は弟と京都のボロマンションで部屋をシェアしていて、弟が雑誌の「版下」(本の原画みたいなもの)づくりを手伝ってくれた(その弟はいまや普通の会社で出世し、僕なんか頼りっぱなしだ)。
まあそのへんのことは松本君のHPにあるとおり。興味ある人は(いないか)、同HPをご参照を。

実は、淡路プラッツには最初、さいろ社の記者兼編集者として僕はお邪魔した(92年頃)。当時まだプラッツは最初の建物(喫茶店をまるごと借りていた)で、初代名物塾長の故・蓮井学さんが18時前から酔っ払っていた。そして僕もお酒をすすめられながら、熱い熱いトークを聞かされ、交わし、戦わせた。で、気づけば朝になっていた。
当時、蓮井さんはいろいろな人とそんな出会をしていたと思う。蓮井さんにとっては、そのようなたくさんある出会いのひとつにすぎなかったのだろうが、僕にとってはその出会いが自分の人生を決定する出会いになってしまった。本当に不思議なものだ。

プラッツや蓮井さんに会うことができたのは、とにかくさいろ社があったからだった。でもそのさいろ社では僕は、実は松本君と何故かよく対立していた。その対立の究極の理由はたぶん、僕自身が自分の人生を「決定」することに非常に迷っていたということだったと思う。編集者から支援者へと人生の航路を大きく変えたのはそれから数年後だったが、その大きな流れの中で蓮井さんとの出会いもあり、松本君とのささいな対立もあったのだろう。とにかく僕は、成功しつつある編集者という立場に何故か違和感をいだいていた。
そのことを自覚できなかったことで(そして僕自身のプライドの高さもあって)、松本君をはじめとしてさいろ社の人たちに当たってしまった。
そういえばこのようなことも当時の人達にはきちんと謝っていない。たぶん松本君以外にはなかなか出会えるチャンスはないと思うけれども、謝る機会があれば謝ろう。
あれは僕が25〜6才の頃だった。

いま、松本君は徹底的に自由に、楽に、ストレスを排除して生きている。今日現在、ブログによれば、恒例の一人旅に出ているはずだ。その報告を僕は楽しみにしているが、彼の自由度に加速感がついたのは、僕の観察では、阪神淡路大震災以降だ。当時、彼はもう神戸市民で、ずいぶん苦労して現地から脱出した。そこで何があったかは、詳しくは知らない。
僕の想像では、たぶん彼は、そこでずいぶん「死」に近い日々を送ったのではないかと思っている。彼自身が死ぬという話ではなく、日常が、「死」という自然や地球にとってはそれほど不思議ではない状態に限りなく近づいた状態になっているという意味だ。
前も書いたけれども、普通に仕事ができる健康な状態になるまで人は、幾重もの見えない服を重ね着しなければいけない。僕自身、脳出血のあと、まったく麻痺はなかったものの、毎日毎日見えない服を重ねて重ねて着続けてきた。そのような、究極の重ね着の上で、奇跡的に健康は成り立ち、そして人は「普通に」仕事ができる。でも、いったんその普通な状態になってみれば、その究極の重ね着によって成り立っている健康という仕組みを人は忘れてしまう。人は、死を忘れなければ普通になれない。

松本君は今どこかに旅に出ているけれども、きっとある時期(阪神大震災の頃?)、それまで当たり前だと思っていた日常が、奇跡的に成り立つ「究極の普通」だったんだと意識したと僕は勝手に思っている。だから、もっともっと自由に、もっともっと楽に、いま普通でいられる瞬間を徹底しているんだと僕は勝手に解釈している。

※田中の近況
4月になったら毎日出勤する予定でしたが、今は週3で、1日4時間程度の出勤です。4時間を越えると、どうも、脳が疲れてしまって、すごくすごく眠くなるんですね。これでは仕事にならない。でも、週単位で元気になっていることは実感しています。この調子でいくと、自然と1日の労働時間は延びていくのではと思っています。