社会へのスモールステップを実感した 〈支援の最前線〉5

4月になり、そしてもう5月を迎える今になっても、当初の予定より僕の復帰計画は遅れている。日常生活はもう何の不便もない。問題は仕事なのだが、3月に比べれば頭の回転のシャープさは格段に復活してきているように思う。
しかし、以前に比べるとまだまだだ。いや、昨年の倒れるまでは、不規則な日常生活が、逆に、「行くところまで行ってやる」的な、悪く言うと破れかぶれのチキンレースのような、よく言うと「真っ白な灰になるまで」の矢吹ジョー的美学のような、まあとにかく不規則な日常生活がそれらをよりパワーアップさせ、24時間全力疾走状態を形成していた。今から思い出しても、あれだったらそりゃ倒れるわなあと思う。
あんなふうには二度と仕事したくはない。けれども、もう少しきちんと仕事はしたい。その矛盾の間で揺れている。

僕は、自分の人生が今回の病気をきっかけに第3のステージに突入したと思っている。第3であり、最後のステージといっていいのかもしれない。
第1のステージは生まれてから小学生まで(正確に言うと、これも、言語と意識を獲得する3才頃までとそれ以降に分かれる)。一言で表すと、自我の独立期だ。
第2のステージは中学生から昨年倒れた倒れた46才まで(これもいくつかに分かれるかもしれないが今回は省く)。ここを一言で表すと、社会での活動期だ。
で、第3のステージとなるのだが、まだうまい表現は見つからないものの、あえて一言で表すと、死への準備期になると思う。第2のステージと同じように社会で活動するが(そしてもっと大きな規模の人とカネを動かすかもしれないが)、基本的に「自分なりのピークは終えた」と思っている。プラッツで仕事をし、フリー時代よりは格段にいろいろな体験をし、阪大で哲学を学び、岩波からブックレットを出せた、それが僕の「社会での活動期」のピークだったんだなあと思う。
でもまあ、僕という器はここまでだ。これから先は、文章・研修・講演で若い同業者を育成し、出来る範囲で若者や保護者の支援をする。淡路プラッツ代表職も、徐々に譲っていくことになるだろう(と言いながら新しいことをいろいろするかもしれないけれども、仕事=社会に熱中する峠を下りはじめており、人生のひとつのピークを越えたということだ)。
仕事はそのペースで続けながら、自分の第3の人生を密かに楽しむ。
第3の人生のメインテーマは、いつかは必ず訪れる死に向けての準備ということになる(自殺という意味ではないですよ! 超念の為に書いておく)。また別の機会にきちんと書こう。

そうした第3の人生を静かで深く豊かなものにするためにも、自分なりの仕事の仕方(というか仕事のリズムかな)を見つけることが大テーマとなっている。そうした新しいスタイルの仕事ができるようにするための準備期間が今の時期だと思って、週3日ほど(1日5時間くらいまで延びた)淡路プラッツに出勤しているのだが、いやあ、社会参加というのは難しいですね!
病気になるまで気づきもしなかったけれども、仕事というのは、本当に「健康の塊」にならなければできないものだ。僕は倒れる前、プラッツで受託して行なっている大阪府の雇用支援事業の研修の中で、16人の若者相手に「仕事を始めるための6つの基本」というのを研修していたけれども、今はそれらをこなすだけでいっぱいいっぱいなのだ。
6つの基本とは、挨拶・メモ・スケジュール管理・ホウレンソウ・コピー等の機器の使用・所属団体のコンセプトの理解をさす(ああこれもいつか書籍化できたらと思い、デジタル文書化の途中で倒れたのだった)。ホウレンソウどころか、挨拶でさえ血圧の都合でサボってしまうことがあるのだ、今の僕は!
いやいやこうした見えやすい業務はまだ「できる/できない」が言語化しやすい。今の僕が苦しんでいるのは、「あと一歩(一言)が出ない」というか「あと一歩(一言)を出したいけど、何となく怖い」というような状況とタイミングだ。で、その「あと一歩」の中身について、何となくぼんやりと想像できはするものの、具体的には忘れてしまっている。あと一歩はやはり、これからの実地で学び直さなければいけないのだろう。

で、これって何かに似てないか、と気づいた。そう、社会化の手前で立ちすくんでしまう若者たちに、原因は違うけれども現象としては似ているのかもしれないと思ったのであった。支援者と被支援者は原理的に権力者(支援者)と非権力者(被支援者)であると最近の哲学は指摘するが、僕はまあこれは原理だから仕方ないなあと思っていた。そうした構造に目を伏せるほうが偽善的であると、なかば諦めていたのだ。
でも、僕の第3のステージにおいては、少なくともしばらくは、社会化の過程で格闘するというレベルにおいては同じ状況を僕は若者たちと共有するかもしれない。普通に仕事している人には実感できないかもしれないが(僕も実感レベルではわからなかった)、社会で仕事をするというのは本当に難しい。というか、いくつものスモールステップを積み重ねなければ到達できないレベルなのだ。到達している人はそのラッキーさに感謝し、到達を目指している人は僕とともにまあなんとかやってみよう。そして、若者がその段階まで到達できなくとも、今の僕は、いいと思っている。それなりの段階にいる若者たちとも僕は寄り添いたい。★