印刷前ですが……「発達障害と自立を考える研究会」2010年度版報告まとめの要旨

昨年度は入院したため僕自身は初回しか参加できなかったが、淡路プラッツ主催で「発達障害と自立を考える研究会」というのを全6回にわたって開催した。ご協力いただいたゲストと、運営してもらったスタッフには本当に感謝している。
同研究会は2009年度から開始しており(初年度は「発達障害者の就労プログラム研究会」という名称だった)、2011年度で3年目になる。幸い僕もこの世に無事生還できたことだし、今年度はフル参加しようと思っている。
この研究会は、大学でもなく行政でも学会でもない淡路プラッツという一NPOが主催し、会員は行政・NPO職員を中心とした多彩な顔ぶれなだけに、発足の中心である僕にとっても、その意味付けがなかなか難しかった。研究会の必要性はわかる。だがなぜNPOが主催するのか。そしてそれがなぜ淡路プラッツなのか。

そのへんのことを意識して、昨日、2010年度の報告書に掲載するための文章を書いてみた。報告書(といっても会員限定の少部数だが)の完成は7月2日(2011年度同研究会第1回開催予定日)なので少し先だが、そのエッセンスというか結論部をここで少し引用したい。出版ルール的には反則なのだけれども、昨日の今日で僕としては熱い話題だからブログ向きだし、もちろん全文引用ではないし、僕のツイッターのフォロワー数は少ないし遠隔地の人が多いので多少のルール違反もいいかなと思った次第。

発達障害の研究会をNPOが主催する理由として僕は以下の4点をあげた。

1.成人の発達障害の「発見」は、現在遅れがちである。告知・受容のプロセスは、NPOや保健所等のアウトリーチ機関を中心に、医療機関の診断を決定打としながらも、重層的かつ時間を要するものである。

2.つまり、発達障害として一次的に発見されることは、成人層では少ない。まずは、「ひきこもり・ニート」と彼らは名付けられる(あるいは「精神障害」として)。ということは、ひきこもり・ニートを支援している行政・民間機関の役割は大きい。民間機関の中心はNPOである。

3.発達障害は、他の3障害と比較しても、「社会との関連性」のなかで障害とされる、ある意味特殊な障害である。社会との関係性の中で、その「生きづらさ」が個人の許容範囲を超えて大きいとき、それは障害と「なる」。

4.そのため、障害受容の作業は一時的なものでは終わらない。当事者と当事者をとりまく社会の、そのつどの関係性の変化のたびにそれは問われ続けていく。つまり、発達障害の告知受容作業は継続することで本人・保護者は安定する。その継続する告知受容作業を成り立たせるためには、告知・受容が持続可能な支援システムに当事者・家族が配置される必要がある。

ちょっとマニアックな議論かもしれないが、現在本当に必要とされている議論だと僕は思っている。
NPOが発達障害研究会を主催する理由として、成人発達障害は現在別の名前で(ひきこもり等で)NPOにまず現れ、その障害受容にはNPOに代表される息の長い支援システムが必要となる、つまり結果として青少年支援NPOが成人発達障害支援の中心となっているため、青少年支援NPOは発達障害に主体的に取り組む権利を持つ。
とまあ、身体(と脳)が回復してきたらしてきたらで難しい言葉を使い始めた僕ではあるが、これも回復途上ということでお許しを。
今週か来週には、「発達障害と自立を考える研究会2011」のお知らせをプラッツホームページで始めます。第1回は、7月2日(土)10:00〜12:00淡路プラッツ1階で、テーマは「ひとり歩きする“発達障害”」、参加費は会員1000円(年会費5000円)、一般2500円です(参加は支援者限定)。田中ほかが発表します。★