おたくとひきこもり予備軍が楽しむ女性ジェンダーの自立 〈社会〉1

実家の四国で3日間のショート休養をしてきた。僕の脳もいよいよあちこちの回路がつながり始め、あとの課題は持久力のみとなってはきたが、今回病気になっていろいろいいこともあった。その第一は、盆正月は帰省していたが長らくご無沙汰気味だった母親との関係が、病気後、自然体でやわらかなよい関係になれたということだ。
母は70才、僕は47才、互いに同じ大きな病気をしている。父は残念ながら10年少し前に亡くなったものの、これまでも盆正月は帰省しており決して関係は悪かったわけではない。だが、やはり僕の精神は「仕事という“竜宮城”」へ浦島太郎のように出かけっぱなしになっており、特にこの5年ばかりは従来の人間関係とはとんとご無沙汰だった。そしてそのまま死ぬまでご無沙汰なのだろうと思っていた。でも、不思議なもので、病気というメッセンジャーが僕を竜宮城から引き出した。

そして僕は、自分で買って帰ったお土産を食べながら実家のテレビをぼんやり見ていた。実家にはいつの間にか光ケーブルがやってきており、ケーブルテレビというものを普通に見ることができた。10年前と変わらず音楽ビデオチャンネルは存在し、最近の音楽研究でもしてみるかと思いしばらくそのチャンネルにとどまると、AKB48が出てきた。たぶんあれは、前田敦子だろう、その人が顔をしわくちゃにしながら走り続けるというビデオだった。
前田敦子と前田敦子ファンには悪いが、前田敦子のしわくちゃ顔はある意味「芸能人」「アイドル」「イコン」を捨てている。そこにいる前田敦子は、アイドルではなく、人間だ。泣き、笑い、怒り、悲しむ、普通の人間としての前田敦子がそこにいた。それはあまり作りこまれた表情ではなく、体育の授業中の高校生のように、単にしんどそうに汗をかきながら顔を歪めて走っている。
それはだから、「女の子」でもない。女の子ジェンダーの前に、体育授業中の高校生であり、そこには女の子やアイドルという属性がほとんど見られない。
汗かき高校生、ついでに女子。そこにいる前田敦子はそんな人物を演じていた。

AKB48はたぶん、今一番売れている女性ジェンダーアイドル+タレントのはずだ。ということは、このような、「女の子」の前に「体育授業中の高校生」というイメージが十分商品価値を持つということだ。

少し前にこのブログでも書いた、京都アニメーションの代表的な作品は「けいおん!」という女子高生バンドもののアニメだ。僕は、AKBの元ネタは京都アニメーションにあると書いたのだが、それを読んだ友人が「なるほど〜」とツイートしてくれた。僕は、そんなことみんな気づいた上で楽しんでいると勘違いしていた。
「けいおん!」もAKBも、主な客層は「おたく」であり数百万人単位で存在する「ひきこもり予備軍」だ。「けいおん!」声優ライブもAKBライブも、そんなファンたちで埋め尽くされている。よく知られているが、「けいおん!」の監督は女性であり、そのインタビューを読むと真面目に女子高生を研究していることがよくわかる。
その研究の方向性は、従来のおたくアニメがもつエロティックさに向かうのではなく、女子高生の日常性に向かう。女子高生は学校や家でどのような行動をとるのか、友人同士ではどのような会話・メールをするのかなどを真面目に研究している。そして作られたのが「けいおん!」であり、研究した割にはかなり脱日常(親が出てこない等)しているが、人物たちの振る舞いは「男性を意識した女性ジェンダー」ではない。
現代女性としてオシャレをしそれなりに言葉遣いを意識してと、社会から求められる女性ジェンダーから決してずれることはないものの、登場人物たちは、あきらかに「女の子」の前に「現代高校生」なのだ。

AKBにしろ「けいおん!」にしろ意図されたエロスは当然挟み込まれている。水着、パンチラ等、あからさまに出てくるものの、だがそれは我々の日常の中でもそうであるように、ジェンダー性以外のその他の中にあえなく吸収されている。友人同士の葛藤・笑い、水着も含んだファッション性、将来予測される職業等、高校生には、ジェンダーも濃密に背負いながらもいくつもの関心・悩み・葛藤・希望がある。

それがつまりは「生きる」ということではあるが、以前であれば、このような「生きる」が描かれる舞台は、主として男性ジェンダーの世界だった。女性は、その男性がどう生きて行くかを考えるための一つの「装置」として機能してきた(夏目漱石からエヴァンゲリオンまで100年間)。
今、やっと、女性ジェンダーの世界の中で「生きる」ということが描かれるようになったと僕は思う。男性ジェンダー世界の装置でもなく、「女の子」でもなく。
それを支持しているのがおたく&ひきこもり予備軍というのもおもしろい。女性ジェンダーの日常性から離れるためにアニメ・アイドルに向かっていた男たちが、巨大で有効な市場と判断され、市場(おたく&ひきこもり)自らそれを消費することを楽しんでいるように僕には見える。

エロスはついででいいのかな。
前田あっちゃんを見ながらそんなことを考えたのであった。★