「世界でその子だけ」を感じとれる人 『ライン』エピソード1〜4 長岡秀貴著/HID BOOKS

今日は午前中、大阪府の新しい事業の説明会がWTCであり、リハビリがわりに出席してみた。その帰り、WTC向かいにあるビルの2階カフェで、ブログを更新すべくドコモのクロッシィ(最近買った)にスイッチを入れ、マックブックエアーを開いてみた。一度やってみたかったのだ、カフェでのブログ更新!
で、今回は、前回の工藤さん書評に気をよくして、またまた書評ってみる。著者は、噂の「NPO法人 侍学園スクオーラ・今人」代表の長岡秀貴さん。工藤さんより3〜4才年上だと思うが、長岡さんもまた団塊ジュニアの上のほうの世代と言ってもいいだろう。

長岡さんはこれまで2冊の本を出版しているという。失礼ながら僕は、今回の『ライン』が初めての長岡本だ。氏のカリスマ性は一部では有名らしく、僕も実は昨年の夏にお会いするはずだった。その計画も具体的にたてていたものの、残念ながら僕の病気がその計画を頓挫させた。
氏の文章は独特で、詩のような散文体を随所に散りばめつつ、ゆっくりとエピソードを紹介していく。本書によると、これまでの2冊は主としてご自分のことが書かれているらしい。そこでもおそらく、この散文体は炸裂していることだろう。本書を読み終えたあと、これまでの2冊にもあたってみたいと思う。

今回は全部で10ある「エピソード」のうち、4までを紹介してみよう。いずれも、侍学園設立前後に出会った若者やその保護者が紹介されている。エピソード1は摂食障害の女性、エピソード2は長らくひきこもってきた男性、エピソード3は迷える母親に翻弄される男性、エピソード4は家庭内暴力を受ける母親が、それぞれ「主人公」になっている。
長岡さんは、僕が気軽に用いたように「摂食障害」や「家庭内暴力」といった言葉を簡単には使わない。ひきこもりに関しては珍しく「ひきこもる」という行為に関して考察しているが(p39)、僕も含めた普通の支援者が気軽に使うようには、それらの言葉を使わない。
あくまでも目の前にいるその当事者(クライエントと氏は表現するが)の描写を細かく書いていくことから始めるので、何ページもたってから、「ああそうか、これは摂食障害の話なのか」と気づかされる。
普通こうした本は、たとえば「ひきこもり」、たとえば「リストカット」、たとえば「発達障害」など、現在固定しつつあるカテゴリーをまず全面に出してから、次に「ひきこもりの特徴は……」「アスペルガーの人のしんどさは……」などと、そのカテゴリーを説明していく。だから読者としては、まずアスペルガーという一般概念を頭に描いてから、それぞれの単独的な例外も含む特徴を頭に入れていく。あくまでも、「(障害概念などの)一般性」が先にあり、「一般性からずれることもあるそれぞれの単独的特徴」はその次にやってくる。
専門家はもちろん、こうした青少年問題に感心のある人、そして、保護者や青少年といった「当事者」まで、現代は、まずこのような「一般性」の洗礼を浴びることになる。

だから、それぞれの、世界でその人しか持っていない単独的個性は、ずっとずっと後回しになってしまう。まず「ひきこもり」があり、「この子はひきこもっているけどこんな特徴があって」というような説明がされたり、まず「発達障害」があり、「この子は発達障害だけれども意外とKYではなくて」というような説明がされる。

このような思考回路に我々は完全に慣れきっている。だから、『ライン』のように、エピソードが始まってずっとずっと後になってから摂食障害的特徴が示されると、少し戸惑う。たとえばこれが摂食障害に関する論文であれば、家族構成と履歴と専門機関の来歴と現在の状態などが、摂食障害という一般性を説明するものとして綴られるだろう。我々はそうした論文(や発表、あるいはそれぞれの機関でのスタッフミーティングでの説明)に接すると、なぜか安心する。それは摂食障害を説明してくれる言葉であり、その言語の文脈に身をゆだね「摂食障害」のA子ちゃんとしてその子を見ていけばいいから、だ。A子ちゃんだけが有する世界で唯一の単独的A子ちゃん的あり方は付随物としてとりあえず横に置き、まずは摂食障害という一般性からA子ちゃんを説明する。
こうしたメカニズムは、支援を支援として科学的に成り立たすためには仕方が無いことだ。支援は、「一般性(たとえば摂食障害という概念を当てはめる)」なしには、支援の計画も現実化もできない。まず、一般性の枠組みがあって初めて、支援は成り立つ。

だがそのことで、とても大切で大きなものを取りこぼしていく。それがつまりは世界で唯一の、目の前にしかいない単独的なそのクライエントそのもの、だ。
『ライン』にどこまでそうした戦略性があるかはわからないけれども、この著者はおそらく、僕のように大学で「頭から」哲学を学んだものとは違って、一般性の枠組みからはみ出してしまう、世界でその子しか持たない“単独性”を直感的に感じ取れるんだと思う。魅力的な支援者とはそういうものだ。★