ひとり歩きする“発達障害”


昨日の木曜日は僕は仕事は休みで、以前であれば終日自宅で静養していたのだが、この頃は少しは出かけることができる。昨日は、ずいぶん以前にお世話になった(阪大臨床哲学の情報を教えてもらった)元某新聞論説委員Iさんに会いに江坂まで行った。
Iさんはいま、すごくおもしろいことを始めようとしているのだけど、それはまたもう少し具体化したあとに当ブログにも書いていこう。
僕にとってはこうした動きもリハビリの一つ。でも、このようにいろいろな人に好奇心を持って会いに行けるのは、さいろ社の頃に戻ったような感じで嬉しい。「人は力なり」というのは本当で、ここ5年ばかりの僕は、これまでの出会いの貯金を食いつぶしているような感じだったが、病気→リハビリ期間を通じて、もしかして新しい出会いが生まれつつあるのかもしれない。

江坂まで行ったものの、話し合いの限界時間は1時間まで。そこが自分でももどかしいが、健康のためには仕方ない。ここはぐっとセーブし、昼食後解散。そのあと梅田にて、コムデギャルソンの骸骨Tシャツを衝動買い。
病気でだいぶ痩せたので、思い切ってSサイズにチャレンジしてみたのだが(今季のTシャツは大きめ)、帰って着てみるとやはり小さかった。けど、似合ってない服を着ることのほうがこの頃はおもしろくなってきているので、このピチピチ感もまた楽しい(それを見せられるほうは迷惑だが)。

明日土曜日の、支援者向け">「発達障害と自立を考える研究会2011」第1回「ひとり歩きする“発達障害”」に備えて(今頃備えるか〜という話だが)、『発達障害に気づかない大人たち〈職場編〉』(星野仁彦/祥伝社)を買ってみる。
僕とI統括リーダーで発表する予定で、僕は、現在発達障害がどのように語られているかということに言及する予定。そうした視点で同書をパラパラと読み進める。
非常に明快・簡潔・正直な語り口で、おもしろい。まだ半分くらいしか読んでいないが、この本には何ら問題はないと思う。現在の発達障害の問題がかなりわかりやすく解説されている。

ではなぜ、発達障害はいま“ひとり歩き”し、発達障害の捉え方が拡大している(誰もが発達障害に「されてしまう」)ように見えてしまうのか。
それはもしかすると、誤った諸テキストが誘導したものではなく、諸テキスト(研究論文・発表レジュメ・発表コメント等、発達障害に関するすべてのテキスト的言説)を各職場で解釈していくときに、仕方なく生じてしまう現象なのではないだろうか。
たぶんそれは、専門家的支援者が陥ってしまう必然的罠。
そのあたりの謎を僕なりに発表するつもりなのだが、はたして間に合うのか?