くるりは年をとらない 〈音楽〉

病気をして一番変わったことというと、音楽をまったく聞かなくなったということだ。病気までは、自分で料理を作って、ワインでも飲みながら週刊文春を読み、バックには音楽(ボサノバとかジャズとか邪魔にならないやつ)が流れるという状況が、僕には至福の時間だった。
だが、料理と週刊文春は今も変わらず続けているものの、音楽が不要になった。これはお酒を飲まなくなったことが原因だと思われ、理由はわからないが、お酒がないと音楽も不要になる。
ではテレビを見るかというと当然見るはずもなく、まったくの無音のなか、だだっ広いリビングの真ん中で一時間も二時間も週刊文春を読む僕がいる。これが無性に落ち着くのだ。

でも先日、こんなのでいいのだろうかと思い、やっぱりたまには音楽も聞かなくっちゃと思ってitunesを開いたが、何となくダウンロードがいやになってきて、久しぶりにモノとしてのCDでも買うか、という気分になった。
近所のHMVは入院中つぶれたみたいなので、気は進まないけれどもツタヤのレンタルでないほうのコーナーに行って物色した。
でもなんだこれは、ツタヤはAKBとエグザイルとKポップしか置いてない。レンタルコーナーに行けば当然たくさん種類はあるが、僕は久しぶりにCDを買いたかった。ダウンロードでもなくレンタルでもなく、値段が高くて時間が経つと単なるモノになってしまうのが(今回の引越しで何百枚も昔買ったCDを捨てた)わかっているものの、あの「CDを買う」という行為がしたかったのだ。
で、やっとのことでこれだったら買ってもいいかと思って購入したのが、くるりの新しいベスト盤。「tower of music lover2」というタイトルで、くるりのホームタウンであり、僕も実は8年住んだ京都のあちこちの風景がジャケットや歌詞カードの写真に使われている。towerというのは京都タワーのことね。

中身は、聞いたことのある曲ばかりだなあと思ったら、CMソングが何曲か入っていた。あとは、何年か前にDVDで見た、オーケストラといっしょに演奏した曲群も入っていた。岸田繁は、相変わらず覚えやすくてどこかで聞いたことがあるような曲と、ほろりと苦い詞を書く人だ。
岸田繁は76年生まれというから、もう35才くらいになるのかな。立派な団塊ジュニア世代だ。しかし、ジャケットを見る限りはまったく年をとっていない。京都の学生のまんま、賀茂川と京都タワーを背景に、学生っぽい格好でのんびり立っているその姿を見ると、僕も自分の学生時代を思い出し、ああここも散歩したなあ、ここで酔っ払ったなあなどと、まるで岸田繁の詞の世界そのものの気分に入り込む。

だが、岸田繁世代はもう35才(あたり)で、僕世代はもう47才(あたり)なのだ。くるりはいつまでも年をとらないから僕自身もふっと自分の年を忘れてしまう。そういえば昨日、及川光博と檀れいが婚約発表していたが、彼らだって40才前後なのだ。ミッチーがロッキング・オン・ジャパンの表紙を飾っていた頃はもう15年も前になるわけだが、彼は41才になりだいぶ老けたものの、それはいわゆる「老け」というよりは、微妙にかっこよくなっており、また同時に親しみやすくなっている。
こんな感じで、このごろ、「あれ?」と思うことが多い。あれ、僕が20才の頃、35才ってこんな人達だったっけとか、45才ってこんなオシャレだったっけとか、70才ってこんな毎日ジョギングしててもよかったっけ、とかとか。

僕が中学の頃、毎月『ロードショー』という洋画専門誌を買っていた。その雑誌に出てくる、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーブやピーター・フォンダらスターは、いくつになってもその年相応にはなっていなかった。60才でもアラン・ドロンはアラン・ドロンだった。
でもあれは、スターだったから、ですよね。スターだったから、常識的な年齢を超えることができたんですよね。

超高齢化社会とは、老人っぽい老人が異常に発生する社会ではなく、一言でいえば、アンチエイジング社会のことだった。ミッチーが41才で結婚しても何ら不思議ではなく、岸田繁がいつまでも京都に佇み続けても何ら抵抗感を抱かない、社会全体で年齢的に超間延びした社会。だから当然、ひきこもりもニートもその年齢的に超間延びした社会に包摂され、彼らも自然と年を重ねていくことだろう。
その、年齢的に超間延びした社会の中での、「中間的自立」をプラッツは実践的に提示していくだろう。★