NPOは「山犬」になれるのか

箕面の滝の土産物屋さんで。これはオニ猫。

■セカンドプラッツ

まだホームページを変更していないが、11年度のプラッツは、茨木市において、大阪府の補助金事業である「ひきこもり支援事業」を展開する。
その事業は「セカンドプラッツ」という超わかりやすい名前で、「アウトリーチ→生活支援(居場所)→就労支援」という、支援の三段階理論を実践化していく予定だ。


6/28の当ブログ「スモールステップ支援のフレームワーク」の最後に貼り付けてある表のなかに、この三段階は明示されている。
理屈通りにはなかなか物事は進まないものだが、僕としては、10年以上取り組んできたひきこもり支援がこのように簡単な表となることは感慨深い。

こういうのにも著作権があったらいいのにとは時々思うが、それよりもこのような考え方が広がっていくことを望む。スモールステップを焦らずに踏んで支援していくと、必ず結果はついてくるから。

そういえば昨日3ヶ月ぶりに淀川キリスト教病院の脳外科外来に行き、いろいろ医師からアドバイスを受けた。
非常に印象深かったのは、倒れる前のハイパーな感じのほうがむしろ異常で、今のようにすぐに疲れやすく眠くなるほうがむしろ年相応かも、という医師の言葉だった。
そうか、僕も病気を通過して、普通の47才になったのかもしれない。普通の47才とは、疲れやすく、もうあまり無理がきかなくなるお年頃なのだ。

■「中間労働」

そのように日常をやり過ごしながら、この頃気になる言葉がある。それは、「中間」という言葉だ。
主にそれは「中間労働」という言葉で流通し始めており、僕の仕事の分野でもある、若者就労支援の業界でも流通しているようだ。

それは、正規雇用を目指す若者たちが少しの間立ち寄る段階。
既存のアルバイトでもなく当然正規雇用でもなく、そして就労実習のような無報酬のものでもなく、まさに中間的な労働。自宅で行なわれるものもあれば、おそらく淡路プラッツが行なっている「ニートによるひきこもり雇用支援事業」のような期間限定の行政委託事業までをも含むものだろう。

発達障害支援の文脈でも使われることがあるようだ。NPO法人育て上げネットが実質運営し、「シェアするココロ」代表の石井さんが講演するこの講座が近くで開かれれば行ってみたいが、こういうのはいつも東京のイベントだから無理だ。


■社会が未経験のジャンル


気になる言葉は、中間労働というよりは、「中間」のほうにある。
若者の就労支援段階の議論や、発達障害者の就労支援の議論のほかに、たとえば、NPOそのものも中間的存在だ。
それは、会社でもなく役所でもなく社会福祉法人でもなく医療法人でもない。


それは、NPOのNどおり、「〜ではない」ということで示される存在なのだが、その「〜ではない」という言葉で示される存在が、いま、社会の中で大きな役割を求められている。


若者支援も当然そうだが、今回の地震にかかわるさまざまな支援組織の中核を、おそらくはNPOが担っている(これから担っていく)ことだろう。
若者支援にしろM9の地震にしろ長期間に渡る原発事故にしろ、すべてはこの社会がこれまで経験したことのない事態だ。
おそらくここに、超高齢者支援、発達障害者支援、自殺予防支援等、あげだしたらきりがないほど、「これまでこの社会が経験したことのない」ジャンルが横たわっている。


■nonではなく、new


それらは、どうやら、既存の組織ではフォローできない事態のようなのだ。


たしか、言語学者のソシュールが、「犬-野犬-山犬-狼」という語のつながりに関して、「山犬」を抜いたとたん、「野犬」と「狼」がその空白を埋めるという議論をしていた。
今はその逆で、まさに山犬のような何か謎の問題が2010年代のこの社会にはたくさん出現してきている。

これまでは「犬-野犬-狼」という社会システムでなんとか秩序だっていたものが、「犬-野犬-?-狼」という社会に変化しつつあるのに、その「?」に当てはまる語がなかなか見つからないでいる。
その「?」は、既存の機関ではフォローできないジャンルだ。


それは、N(non=〜ではない)がつく、NPOでしかフォローできない問題たちなのかもしれない。


そのNとは、新しい(new)のNである、ともいえる。
そういうニュアンスで、僕は「中間」という言葉が気になっている。たぶん、中間という言葉は早めに廃れ、それが指している意味をより正確に示す言葉が近々現れると僕は読む。★