ソーシャルなゴースト 『NPOで働く』 工藤啓著/東洋経済新報社

かなりイケメン

■「ゴーストのささやき」

一昨日だったかな、コネクションズ大阪(NPO育て上げネット/大阪市・若者サポートステーション)のT所長が新大阪の事務所から自転車で淡路プラッツに颯爽とやってきて、1冊の本を置いていかれた。

そのT所長も3章に登場する、NPO法人育て上げネット理事長の工藤啓さんが書いた一番新しい本だ。
1章は主として経営の立場からの概論、2章は育て上げネットの草創期からの細かいエピソードが綴られている(3章はスタッフ紹介、4章は協力団体・企業の紹介と続く)。
人によっては苦労エピソード満載の2章に共感するのかもしれないが、やはりメインは1章だろう。経営の具体的中身まで紹介されており、本来事業と行政受託事業のバランスに悩む姿などはとても勉強になる。

おもしろいのは、財務リスクを伴う受託事業について、そうしたリスクと向き合いながらも受託し運営していくことについて、経営的側面からは理論的に説明できないと著者が告白している場面だ。
「それでも官民協働事業である受託事業によって、僕らが本業で実現できていない“困難を抱える無業の若者に無料で支援サービスを提供する”ことが可能になる。これほど支援者にとって魅力的な理由はない」(p40)

2億円以上の売上高をもつNPO経営者でありながら、このように、著者には経営者でありながら時々「支援者」のスピリットが顔を出す。
僕はこのような自分でも理由がつかないスピリットのようなものを、哲学者のデリダやアニメの『攻殻機動隊』に倣って「ゴーストのささやき」と名づけているが、本書の著者も、時々このようなゴーストに縛られている。そこが、本書の魅力でもある。

■NPOが「仕事」のひとつになった

本書は、経済出版社として老舗の東洋経済新報社から出ている。心理学系の出版社でもなく、思想系の出版社でもない、経済問題王道の東洋経済、だ。

出版社としては、NPOも法律が施行されて10年以上がたち、当初のボランティア的側面だけではなく、「経営」の側面から論じる時代になった。その代表として著者に執筆してもらうことにしたのだろう。
そしてたまたま、その著者のNPOの市場/フィールドが「ひきこもり・ニート」だった。

おそらく、出版社からすれば、著者のNPOの顧客/市場/フィールド/社会貢献先(いろいろ表現できるが)は、「ひきこもり・ニート」でなくともよかったはずだ。
タイトルに「NPOで働く」とあるように、NPOを一生の仕事としても不思議ではない状況へと日本が変化した、このことを訴えることのほうが、そのNPOがどのような分野で社会貢献していることよりも重要だったのだと思う。

■「オルタナティブ」芹沢、「ポストモダン」斉藤

また、「ひきこもり・ニート」を取り巻く状況も、ここ数年で完全に変化した。
日本の状況はいつの間にか、「ひきこもりは問題なのか」ではなく、「社会問題であるひきこもり問題は前提であり、その問題をシステムとして支援することで社会をよりよい方向に変化させる」という方向へとシフトチェンジしたと思う。

これを論者にたとえてみるならば、「ひきこもりは問題なのか」を問うてきたのがたとえば芹沢俊介さんだったと思う。
氏は、最近の本においても相変わらず「ひきこもりの問題性」そのものを問う議論を展開している。

おそらく、氏が攻撃する一部支援者だけではなく、社会全体が「ひきこもりが問題かどうかは議論があるかもしれないが、とりあえずそれを問題として位置づけ、解決の方法を探そう」という方向で一致しているにもかかわらず、氏は相変わらずその問題性(問題の前提)を問う議論を展開している。
あくまでも批判的であり、言葉を変えると「オルタナティブ」なのだ。

精神科医の斎藤環さんは「ひきこもりのどこが問題なのか」を問う。
斎藤さんはもはや思想家なのかもしれないが、芹沢さんが問題とする地平は当然の土台としたうえで、ひきこもりの病理性(個人レベルだけでは収まらないものがある)を問い続けてきた。

氏の(ポストモダン的)思想本と比較してみると、氏の「ひきこもり本」はストイックなほど医師の裁量範囲の中で書かれており、それが一層ひきこもりの病理性を浮かび上がらせ、芹沢的視点を後退させる。

「ひきこもり本」に限っては、ポストモダニズム的な相対主義を思いきって切り捨て、徹底的に専門家的絶対主義からばっさばっさと診断・切り取っていく。そのあり方は、逆に、氏が徹底したポストモダニストであることを想像させる。

■「ソーシャル」工藤

そしてこのふたりの議論のレベルをさらに前提としたうえで、ひきこもり数を減少させることで社会全体の底上げを狙う立場なのが、工藤氏の立場だ。
このような立場に立たれると、芹沢さんも斎藤さんもちょっと自分が古くなったと感じるのではないだろうか。少なくとも、64年生まれの僕はそう感じる。

おもしろいことに、芹沢氏は「団塊の世代(の上のほう)」、斎藤氏は「新人類/ポストモダン世代」、そして工藤氏は「団塊ジュニア」という世代的比較もできる。

そのような意味においても、工藤氏の新著は徹底的に新しい。
次回は3章以降を取り上げてみる。★