本の楽しさとは、新概念の提示(ここでは「発達凹凸」)と、具体性/一般性の往復にあり 『発達障害のいま』序〜3章 杉山登志郎/ 講談社現代新書 『経営戦略の教科書』講義1〜8 遠藤巧/光文社新書 

昨日の「夏休み明け初日」問題(昨年夏休み明けに僕は倒れた)をなんとかクリアし、今日はいきなりの休養日。たぶん9月か10 月、あるいは年内いっぱいまでは傷病手当が継続すると思われ、焦らず復帰してこうと思っている。
とは言いながら、仕事さえしなければ血圧が上がらないから、こうして一人のんびりとブログを書いている時間などは、プチ至福な時間だ。

前回、前々々回と非常に疲れる本をとりあげたせいか、一昨日本屋で何となく買ったのは軽い新書2冊。久しぶりの発達障害関係の本と、最近の僕にはおなじみの経営指南書だ。だいたい僕は何冊かを常に併読しているが(本好きってたいていはそうでしょう)、今回の2冊は、最初から書評にする気でもなく、とにかく「リトルピープル疲れ」を癒してもらうために購入したはずだった。
それが2冊とも当たりだった。特に、発達障害の最新の知見をとりあげた杉山本は、久しぶりの「支援」に関する本だったせいか(よほどのリトルピープル疲れ……)、非常にリフレッシュすることができた。
2冊ともまだ途中だが、2冊とも一応前半の山場は終わったと思われるので取り上げてみる。

杉山本は、話題の「発達凸凹(オウトツではなくデコボコと読む)」という概念を提示した本で、前半は同概念の解説、後半はその根っこにある「トラウマ」の説明へと迫っていく。僕はまだ前半を読んだのみだけど、「最近発達障害の捉え方が変わっているらしいけど、詳しく勉強している時間がない」という方にもお勧めだ。
次のDSM5(アメリカ精神医学の診断基準)で、従来の広汎性発達障害がなくなり、自閉症スペクトラム障害に統一されるという。何でもかんでもツギハギにかき集めた広汎性〜が少し整理され、典型的自閉症と一般人の間に、主に「社会性」の障害という視点から自閉症スペクトラム障害が設定された。
本書では、この新たな自閉症スペクトラム障害と一般人との間にさらに、「発達凸凹」という概念が提案されている。
これは、発達障害支援をしている人からすれば(また、保護者や当事者からも)わりと肯定的に受け入れられる概念だと思う。発達凸凹とは認知にアンバランスさがある人たちのことで、障害レベルまでいかないが素因レベルとしては立派に発達障害の水準にある人たちのことだ。同書では、障害レベルの5倍はこの素因レベルは存在するとしている(p41)。
で、この素因レベルが何によって障害レベルにまで移行するかというと、同書では、そこにトラウマの存在を指摘しているらしい。それは後半のお楽しみ。

それにしても、「凸凹」とは、うまく名づけたものだ。同書の文章はそのタイトルとは反比例するように意外と読みづらいが(このあたりが医者の文章の弱点)、同概念提示に関する著者の自信が行間から溢れている。そしてその自信は、医者の文章にもかかわらず、当事者と家族に対して非常に優しい。
僕自身、この日本社会からいつも浮いているように感じられるときが物心ついた時からいつもあり、思春期の頃はそれをロックや文学(の反社会的作品)への憧れと重ねあわせて自己認識していたが、単に「あ、オレ、発達凸凹か」と考えると、不思議なことに少し楽になった。凸凹ってカワイイし、ね。

おっと、1冊目で少し書きすぎたか。2冊目の『経営戦略の〜』では、どんな業界内にも「リーダー(業界の盟主)〜フォロワー(盟主の追随者)〜ニッチャー(業界の狭間)」になる企業/団体が存在し(リーダーはたとえばトヨタ、フォロワーはゴーン以前の日産と、著者)、いずれの立場も常に安全とは言えないが、フォロワーは意外と知らぬ間に経営危機になることもあるという。
リーダーやニッチャーも、業界に永久君臨したり業界内の狭間を見つけて安心できるわけでもなく、どんな社会・経済・業界も常に流動・変化しているなか、企業/団体は常にその時代の変化の潮目を読む必要がある。
著者は、意識的に、上のような一般論と、トヨタ等の具体論を並立して示し、読者に理解を迫る。一般論(理論の提示)だけでは読者は理解に時間がかかるし、具体論(実例)だけでは読者は事の本質をつかめない。一般論と具体論は常に同時進行して示す必要がある、という僕が普段から意識していること(哲学から教えてもらったこと)を同書は見事に例示する。
さて、プラッツはどこを目指す? やっぱニッチャーがプラッツらしいかなあ。

新概念の提示と、一般論/具体論の往復。この2冊は、書物にとって最も重要なことを実践しているという点で感心した。★