少女革命ウテナから輪るピングドラムへ 〈アニメ〉

今回のタイトル、わからん人には徹底的にわからんし、わかる人には身体が前のめりになるほどわかってしまうタイトルだろうなあ。サブタイトルに〈アニメ〉とあるとおり、そう、当ブログでは意外ととりあげてこなかったアニメについて、いよいよ、そろそろ、ついに、とりかかってみる。
僕は病気以来アニメを見る体力がずっとなかったが(小説版ガンダムのアニメ化2巻は見た)、体力の復活とともにアニメ欲も蘇ってきつつあるようだ。せっかく硬派なブログで貫きとおしつつあったが、やはりというか何というか、本性が現れ始めた。本性って、健康になればなるほど復活するんですね。

「輪るピングドラム」は、「ウテナ」を作った監督(幾原邦彦さん)が満を持して作った作品だそうで、僕は、仕事中たまたまプラッツで出会った何人かの若者たちから教えてもらった。いまだ10時半就寝の僕が深夜アニメを見れるはずがなくユーチューブで検索してみたが、残念ながらきちんと削除されていた。新作でも削除されないものは削除されないから(特に京都アニメーション系は意図的に残されている)、それなりに人気があるんだろう。
そんなわけで、ユーチューブで部分的なシーンのみ見てみただけなので、本格的批評はDVDが発売される9月末まで控えておこう。
ただ、部分的シーンだけでも、あの「ウテナ」を彷彿とさせるシーンの数々は、かなり期待できる。ウィキペディアでストーリーもチェックしてみたら、予想通りぶっとんでいる。でも、この監督に僕が期待することは、ストーリーもカット割りも色使いも巷評価されている部分はどうでもよくって、つまりはあれから「他者」に関する描き方がどう変わったか、これのみに関心がある。

ここでのあれからとは、「ウテナ」から、という意味だ。
「ウテナ」とは「少女革命ウテナ」というアニメのことで、碓か97年にテレビ東京系で放映された。95年エヴァンゲリオン、96年ナデシコ、そして97年ウテナと、いろんな意味でアニメ史に残る傑作群がテレビ東京において輩出された頃だ。僕はその頃はもう30才になっていたが、そのほとんどをリアルタイムで見た。
その三作のうちでは、すべての点においてエヴァンゲリオンが突出しているが、ウテナも傑作だった。人は奇作という表現で済ませてしまうかもしれないが、最終話近くの数話に関しては、圧倒的傑作と言い切ってもいいと思う。アニメに関心ある人でまだ同作を見ていない人は、ウィキペディアでストーリー(あってないようなもの)を押さえた上で、最後の数話のみを見るだけでもいいと思う。
そこでは、「自己と他者」という深くて底のない問題を、ここまで直球で描くかというほど描ききっていた。

このブログを読んで見る人がいるかもしれないので、具体的には解説できない。我々が「私の世界」として納得・完結させているこの「世界」について、「その『世界』は、あなたがあなたなりに位置づけているあなたの世界にすぎないんですよ」という核心を、あるシーンを通して提示してくれる。
我々がこれがこの世界だと位置づけているこの世界のありようは、我々のあり方によって大きく形を変え始める。その変更の契機は、つまりは「他者」との接触だ。
いろんな哲学者が訴え続けてきた「他者」の概念を、これほどダイナミックに、わかりやすく直線的に、かつ感動的に描いた作品を僕は他に知らない(普通いろいろ凝りすぎてしまう)。
ちょっと大げさかな。でも、初めてこの作品の最終回を見た日は、声を上げて笑ってしまった僕なのであった。それほど痛快かつストレートに、「他者」はここにある。今でも多くのアニメファンをわけわからないまま魅了し続けている「ウテナ」の魅力はここにある。

そういえば今日は大阪大学総長の鷲田清一先生の最終講義がある。その後はパーティーも(最後までいるのは体力的に辛いけど)。僕も一応社会人院生としての「臨床哲学」修了生なので、出席しようと思っている。ウテナと比べられて鷲田先生も迷惑かもしれないが、「他者」の描き方については、ウテナのほうがダイナミックかもしれない(鷲田先生は繊細な感じです……)。★