ふたつの問題はリンクした

おっと、今日はもう木曜日ではないか。先週はきちんと隔日更新できたが、四国から大阪に戻り、仕事が再開したとたん、また前の3日更新ペースに戻ってしまった。いま僕は、大阪市内にある某公的施設の会議室におり、その部屋を少しの間お借りしてこうしてブログを書いている。

前回のブログは最近考えてきたことをまとめたものだった。しばらくは前回のテーマに沿ってプラッツは動こうと思っている。つまりは、「老人介護とニート就労の接続」という、誰もが安直に考えがちのテーマに向けて動こうというわけだ。
いや、安直ではなく、前回も書いたとおり、いまこそその時が来たと僕は思っている。マルクスではないが、「そこがロードスだ、飛べ!」だったかな、『資本論』のあの有名な一節のごとく、わかりきってはいるけれども誰もがそれに向けて動かないそこに向けて動く時がやってきたように感じられて仕方がない。ウィンのn乗になるように。

そんなわけで、懸念のNPOはぐれ雲K代表に電話してみた。噂の「富山式」(民家のような生活の中で、老人だけでなく子ども・若者・障害者がかかわっていくというスタイルらしい)を調べるために。
Kさんは相変わらずの明るい調子で、「いいよ、来いよ」と富山に誘ってくれたので、I統括リーダーを、派遣することにした。
僕は食事のペースやその内容がいまの健康を維持するための最大の課題なので、なかなか宿泊系の仕事には出かけられない。本来ならば僕が富山に行って細かく取材したいのだけれども、そこはすべてI統括リーダーに任せることにした。はぐれ雲の超ナイスガイスタッフE君が、明るくI統括リーダーを迎えてくれることだろう。

同時に、大阪でも地元の東淀川や豊中などの実態を探っていくつもりだ。思い起こせば20年前、友人の松本君とつくった出版社「さいろ社」の雑誌の取材で、僕は毎日のように老人介護の現場を取材して歩いていた。
その頃は、老人問題は老人問題、不登校問題は不登校問題とばっさり線が引かれていた。医療・看護と教育は別世界のジャンルであり、教育問題に関心があった僕は、医療問題を中心とするさいろ社から徐々に離れていったのだ。さいろ社で不登校問題の取材をやらせてもらい、単行本も一冊編集した後、やがて僕は、今の「実践」のほうに移り始めた。

それから20年、不登校問題は拡大して「若者問題」に吸収された。老人問題は単に介護現場の劣悪さの改善だけではなく年金問題等の社会システムの問題とより直結している。
そして、若者問題が解決の方向に向かうと年金問題にも明るさが見え、超高齢化社会にも光が指すというように、その両者は20年の時をへて見事にリンクした。こう考えるとさいろ社をやめずに編集者として地道に仕事しておくべきだったかなあとも思うが、運命が今のように僕を導いたのだから仕方がない。
老人介護の問題の緩和は若者問題の解決につながる。これは確実なのだ。だからその道を僕は突き進もう。

ああ、そろそろこの会議室を出る時間が近づいてきた。やばい、働きすぎには注意しなくちゃ。みなさんも暑さには気をつけて〜。★