ニーチェと子ども

台風は関西からは去ってゆき、徐々に青空が見え始めてきた、いまは朝の8時半。来月からはいよいよ週5日の通常勤務に戻るので、この木曜休日も今日を含めてあと2日となった。
それにしても昨夜のニュースでは、またもや「帰宅難民」のたいへんな映像。僕が子ども(いや、20代の頃までかな)の頃は、多少の台風でも電車は動いていたから、帰宅難民みたいなものはなかった。これは、我国得意の安全への過剰反応か(そのわりには原発への津波は想定していないのだから変わっている)、交通機関を複雑に巻き込んだ東京一極集中の現れか。
いずれにしろ、やはり不思議な国だ、この国は。

まあそれはさておき、火曜日はI統括リーダーと、某T中市にある老人介護施設に見学に行き、そこで働く20才前後の青年たちに簡単なインタビューもした。心優しき彼らの発言に触れていると、やはり、老人介護の仕事をニート君/さんたちがになっていく時代になったという僕の予感はそれほど的外れでもないと感じた。

これから地元東淀川区の施設を見学したり、例の「富山式」を見学するI統括リーダーの報告を聞いたりしながら、来年度の事業構築に向けて徐々に構想を練っていこう。
また、このブログに何らかのヒントを感じた方は、みなさんの地元で、「ニートが担う老人介護」事業をみなさんなりの方法でどんどん構築していってくださいね。
そうやって地元で若者たちが働ける職場をつくっていくことで、東京一極集中を防ぐことにもつながっていく。

老人介護事業者のみなさんも、もっと若者向けの職業としてアピールする必要もあるだろう。僕がみたところ、基本的にさいろ社の編集者として取材していた頃と老人介護の現場は変わらなかった。
たぶん、「若者/ニートが担う老人介護の仕事」というテーゼがまだまったく一般化していないので(そんなことはありえないと思われているので)、老人介護の現場も、旧態依然とした職場のままなのだ。若者が老人介護の現場で有望な労働力になるということを知ると、老人介護の業者もその有望な「労働商品」を獲得すべく何らかの競争原理が働くはずだ。
いずれにしろ長い道のりが始まった気がする。

そんなわけで、僕はたぶんすっかり元気になったと思う。前のようにお酒も飲めないし夕食はきっちり18時半にとらなければフラフラになるしと、いろいろ制約はあるものの、昼間はそれほど脳もぼんやりしない。ほとんど以前と同じような感じで脳が動く。それは平行していろいろなことができるということなんだけど、あまりやりすぎると恐いからしばらく自制するつもりではいる。
また、今回の病気をきっかけに、せっかく僕への一極集中ではなく、組織としてプラッツ全体が機能しているのだから、この調子で機能させていこう。大きな代償を支払いはしたが、結構僕は結果オーライ型。ポジティブな性格の人ってこうなんじゃないだろうか。

健康になってきたと同時に、暗いことも考えなくなってきた。以前、「猫は自分の死を知らない」(2011.8.11当ブログ)というタイトルで、動物は自分の死を知らず人間はそれを知っているものの健康になると忘れがちになるということを書いたが、確かに健康になってくると自分の死が客観的なものになる。

まるでミステリーに出てくる死のように、自分の死を客観的に想像することはできるが、数カ月前までさかんに言及していたごとく、まさに「この自分」が死ぬことになるいう「自分にやってくる死」というものを、リアルに想像しにくくなる。
自分は死ぬ。だけれども、それは何となく他人事なのだ。そしてたぶん、他人事だとそう考えることができるというそのことが、「健康」だということを表している。人は健康になって初めて死を忘れる。

先に僕は18時半に夕食をとらないとフラフラになると書いたが、朝の10時頃や午後3時頃にもちょっとおやつを胃に入れないとなんだか元気が出ない。おやつを胃に入れると、そのあと復活し、元気にしゃべったりアイデアを浮かべたりできる。そしてそのあと少したつと(特に15時過ぎは)ちょっと眠くなってくる。

それはまるで10才の子どものようなのだ。ニーチェが『ツァラトゥストラ』のなかで、「忘れること」に肯定性を見出し、子どものあり方こそが肯定の極みだと言ったことがこの頃は何となくわかってきたような。
人は健康になることで死を忘れ、それは子どもに至って究極になる。今の僕は、47才の変な子どもになったのかもしれない、なーんて。★

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