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「スモールステップ・ワークショップ」を試してみた

今はまだ日曜朝7時前なのだが、相変わらず僕は11時前就寝で5時半には目覚めるため、脳はすっかり普通の活動状態になっている。その早朝時間を利用してウォーキングをしたらと知人たちにすすめられるものの、朝外出は何となく気が進まない。というわけで、試しに早朝ブログにトライしてみることにした。といっても、今までも朝の8時頃書いていたので、それが1時間半早くなっただけなのだが。どうせとっくに目覚めてるんだし、布団の中でゴロゴロするよりはましか。
先日、某所で4時間にわたってワークショップを(A主任補佐とともに)担当させてもらった。その内容が、思いつきのわりには結構汎用性があったので、忘れないうちに書いておこうと思う。 僕にとっては何よりも4時間も人前で話せたということが、病気からの回復という意味で自信になったのだが、今回は病気話はスルーして内容を紹介しておこう。
ブログのタイトルにあるように、淡路プラッツがこの頃あちこちで提唱している「スモールステップ支援」の各スモールステップを参加者が支援者の立場にたって検討していくという、実にシンプルな内容だった。スモールステップは以下の10段階に分かれる。
●アウトリーチ支援段階 1.親子断絶型ひきこもり 2.外出不可型ひきこもり 3.外出可能型ひきこもり
●「生活支援」段階 4.心理面談型ニート(a..コミュニケーション〈会話等〉  b.生活体験〈料理・清掃・買い物等〉  c.レクリェーション〈スポーツ・旅行等〉)
●「就労支援」段階 5.就労面談型ニート 6.短期就労実習型ニート 7.長期就労実習型ニート 8.短期非常勤雇用(アルバイト)型ニート……語義矛盾だが、現実にはバイト/ニートはクリアにステップアップしない。 9.長期非常勤雇用(アルバイト)型ニート 10.正規雇用
これは、「スモールステップ自立支援のフレームワーク」というタイトルで6月18日の当ブログにも書いているので参照されたい。3年前に岩波ブックレット『ひきこもりから家族を考える』を書いた時は、スモールステップはもっと大雑把なものだったが、最近このように細分化され、より可視化されて支援に使いやすくなっている。
参加者は35名程だったので、これを4班に分け、各段階ごとに①各班で話し合い②各班で発表③評価というシンプルな構成で進めた。はじめに発達障がい等の「ひきこもりの3つの背景」を説明したあと(上岩波ブッ…

「ポストトウキョウ」NPO戦略と、大阪ダブル選挙

結局、橋下徹・大阪府知事は大阪市長選にトライすることになり、11/27は市長・知事のダブル選挙になった。僕は早起きだが朝から読書する気にもなれずぼんやり早朝テレビを見続けるのが日課となっているが、早朝の関西ローカル番組では、トップにこの話題が続いている。結局読売テレビの辛抱さんは知事選には出馬せず池田市・市長が出ることになったとか、その池田市・市長は平松さんとタッグを組むことは微妙に拒否しており、平松さんかわいそうとか、まあワイドショー感覚で毎日盛り上がっています。
思い起こせば25年前、友人の松本君とさいろ社という出版社を創設したとき、彼との合言葉は「東京に勝つ!」あるいは「東京には行かない!」だった。いつもながらの関西人の「勝手に東京ライバル視」現象のひとつなのだが、そうしたスピリットは今の僕にも恥ずかしながら残っている。
47才の今にいたるまで、「東京」は僕を誘惑し続けている。何しろそこには、すべてがある。政治・経済・文化だけにとどまらず、公園や緑の豊富さにおいても、意外と東京は充実している。関西にあるのはヨシモトと臨床哲学だけだ、といっても過言ではない(鷲田先生にヨイショ!)。 結局僕は、関西に踏みとどまったまま地味〜に活動するというショボい人生になっているわけだが、人との出会いと一連の流れの中で淡路プラッツの代表を引き受け、いつのまにか10年が過ぎ、僕も脳出血という大病を潜りぬけ、そしてプラッツはいつのまにかは関西でも老舗の青少年支援NPOになってしまっている。
こういう状況の今、25年前に標榜した「脱東京」を再び意識するようになった。 東京一極集中は25年経っても一向に変化していない。それは、「天皇」とともに、「黒船」と「敗戦」の洗礼を浴びたのに変化していない日本の二大特徴と言ってもいいかもしれない。 変化しないどころか、それは洗練されてますます際立っている。その洗練さの具体例を一つひとつ挙げはしないけれども、日本では唯一、東京だけがスマートであり続けている、と言っても誰も反論しないような気がする。
そんななか、大阪では知事と市長のダブル選挙が行なわれる。大阪の地盤沈下は激しく、今回の選挙を「ポスト東京」とは誰も位置づけはしない。東京vs大阪という文脈が語られたのはおそらくバブル経済まで、それ以降は、さいろ社が東京の出版社を意識したように、まるでドン・キホーテ(大阪…

これこそが日本の「現場力」〜68才年金支給〜

ああ、やっと一週間が終わった。
10月から「週5勤務」で完全復帰したとはいうものの、先週までは、実は祝日ほかで週4日勤務が継続していた。 17日から始まったこの一週間が、一年以上ぶりの「完全復帰」の一週間だった。やっぱり、週4と週5では何となく長さが違いますね。間に1日休みがあるかないかで、疲労感がまるで違うもの。こりゃ、今年からプラッツにやっとのことで導入した有給休暇なんかも上手に使いながら、しばらく乗り切るしかないなあと思った一週間なのでした。
そんなわけで、夕方帰って晩御飯を食べて10時半には就寝という日々が続いていたので、まったく本も読んでいない。スタッフの誰よりも労働時間は短い(そのかわりに朝だけは早い!)のだけれども、スタッフの誰よりも疲れているという僕。 これからの数年は無理するのが一番ダメとまわりから言われているし自分でもわかっているけれども、なぜか、職場でもスタッフやプラッツ利用者さんにたくさん声かけしてしまう僕。 こんな性格だから疲労してしまうのだけれども、やはりやりがいを感じるのだから仕方がない。つまりは、早く起きて仕事して、早く帰って早くご飯を食べて、早く風呂に入って早く寝る、そして時々プールに行って運動するのと、月に一回四国に帰ってリフレッシュする、まあ今の僕は、元気でありたければこれを地道に続けるしかない。
これを続けることが、僕の現在の唯一無二の目標である、「世界でも初めての超少子高齢化社会において、若者や子どもの新たな自立支援支援システムづくりをすることで、社会のプチ繁栄(プチで十分ですよね)につなげていくことの、ささやかな一助になる」ことができると信じている(ちょっと長いか)。
んなわけで、この一週間も読んだものは相変わらずの週刊誌くらい。 おもしろかったのは、「文春」も「新潮」も、ヒステリックなくらい「年金支給年齢が70才になるかもしれない!」と書きたてていたことだった。 御存知のとおり、少し前、厚労省の年金部会が、年金の支払年齢に関する改革案を提示した。それは3パターンに分かれるのだが、年金改革話は相変わらずややこしいのでざっくり一言でまとめてしまうと、「年金の支給年齢を一番早いパターンで15年後に68才にまで引き上げますよ」という提案だ。 これで、文春や新潮は怒りまくっているわけだが、読者のほうはたぶん、「やっぱりなあ」程度にしか思っていないの…

ニートインターンシップ理念から「ニートによる老人介護事業」へという落し込み

昨日、大阪市のサポートステーション/コネクションズ大阪(NPO育て上げネット)のスタッフ研修講師に呼ばれ、昨年の7月以来1年以上ぶりにひとりで2時間ほど講師してきた。久しぶりの一人講師は、1時間ほど経過すると頭がぼんやりしたりして、やはりまだ回復途中なのだなあと思うと同時に、少人数相手とはいえ2時間近く話せたことは若干の自信にもなった。
久しぶりだったのであえてレジュメを用意せず、話も行ったり来たりしたが、何となく途中で終わってしまった話題として、ニートインターンシップと老人介護について、プラッツがどう取り組んでいくかという点がある。
少し前に当ブログでも何回か言及したが(9/12 この“ウィンn乗”によって、「ニートが日本を救う」ことになるのか)、00年代中頃まではまったく現実的でなかった「ニートが老人介護を行なう」ということが、当事者の中心層が30代に移行しつつある現在、徐々に現実味を帯びてきたと僕はみる。 以前であれば「きつい・きたない」で若者には相手にされなかった老人介護の分野が、それほど想定外ではなくなってきたということだ。 何よりもこれは、当事者の加齢からくる抵抗感の軽減が大きい。
また、介護者を雇用する側からすれば、介護できるマンパワーを常時募集している。しかし外国人労働者による労働力補充は、おそらくこの国では現実的ではない。 日本語習得という難関を突破しても、長らく同質社会の中にいた我が国においては、最もプライベートな空間・単位である介護の現場を外国人に委ねることは相当の時間がかかるだろう。 重大な問題を自己変革できず、他国文化には寛容ではあるのだが他国を決してそのままのかたちで「内」に入り込ませないという日本人論に言及しないままの外国人労働者受け入れは、非現実的であると言わざるをえない。 だから僕は、外国人による老人介護はなかなか主流にはならないと思う。
かといって、サービス業の現場はなかなか賃金の上昇が見込めないジャンルだ。最新の経済学理論を僕はよく理解していないが、そうした議論は最近の経済学では当たり前だという。 賃金の上昇が将来的にあまり期待できないジャンルでは、日本人の労働者も容易には集まらないし、確かにいまの介護現場の労働力はかなり流動的だと聞く。
つまりは介護労働者は「外」にも「内」にも安定的には存在しない。外は文化的に排除され、「内」は賃金的に入らない。…

イノベーションは「個人伝説」〜アップルとパナソニック

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■発明家ではなく経営革新者

昨日からまた実家の四国に帰ってきてプチ療養しているのだが、昨夜NHKの松下幸之助ドラマを少しだけ見ながら、ちょっと考えてしまった。

それは、スティーブ・ジョブズのことだった。

パナソニックは今もこうして「松下幸之助」を最大の広報ツールとして使用している。パナソニック経営者&広報の意図の有無にかかわらず、松下幸之助は結果としてパナソニックの最大の広報ツールとして機能する。

筒井道隆と常盤貴子(そういえばこの人は岡本敏子〈太郎の恋人〉も演じていた)演じる松下夫妻のエピソード自体は僕にとってはどうでもよく、松下幸之助の会社立ち上げエピソードが、80年経ってもこのように人々の心に熱く伝わるメッセージとして伝わる、このこと自体が、最大のパナソニック広報になっていることに感心した。
スティーブ・ジョブズのイノベーションの功績は実は新製品発明ではなく「経営革新」だった(決定権を自らに集中し、自社工場をなくし、水平分業を最大限に利用し、既存産業の商売の仕組みを入れ替え〈音楽・映画等〉、広報効果を研究し尽くす)としても、世間は彼の功績をiphoneやipadの発明だと思ってしまう。

学者がどれだけ真実を突く論文や本(ジョブズは発明家ではなく組織改革家等の内容)を書いても、ジョブズの個人崇拝は消えることはなく、ジョブズは稀代の発明家だとされる。
ジョブズ伝説のスピーチ「stay foolish 」

■松下幸之助とスティーブ・ジョブズ
イノベーターとは発明家ではなく経営組織刷新家であるというこの提言(池田信夫氏)は、おそらく松下幸之助にも通じると思われる。

だが、松下幸之助がすごいのは、いまだそのイノベーション伝説が継続しおり、それが会社の発展どころか、国家や国民のモチベーションの向上にまで影響しているということだ。 松下幸之助の成功エピソードをNHKがこのタイミングで製作するということは、東日本大震災や原発事故で意気消沈する日本国民に対してどんなエピソードが元気を与えるか、NHK制作陣が議論した末の決定だったと僕はもちろん推察する。的外れではないだろう。
ジョブズの死去1日前に発表された製品が「4s」というのも象徴的だった。思い起こせば「3gs」発表時、ジョブズは確か入院しており経営から短期間離れていた。ジョブズがプレゼンで高らかに誇ったのは「3g」やそ…

ネットワークと競争 大阪府民間支援機関会議に参加して

今月から傷病手当が終わって通常の週5勤務になっているから、先月までは今日の木曜なんかは憩いのウィークデーで、3階自宅マンションから箕面・五月山を眺めながらのんびりブログを書いていた。だが、今月から木曜もおしごと。というわけで、今朝はプラッツにひとり早く来てブログを書いている。早く出勤して残業せず夕方までには帰るということで(僕は早起きなのでこのほうがありがたい)、通常勤務のお許しをスタッフからいただいた。
今週は先週と違ってややのんびりモード。そのなかでも、大阪府の某課において、大阪の民間支援機関(主としてNPO)が約20団体集まり、某会議があった。その成果は来年以降徐々に出てくるような気がするので、ここではそれだけの数のNPOが一同に介した光景を目にしての感想を書いておこう。
長いことこうした仕事をしていると、日常生活ではなかなかお会いできないが、そうした会議でのみお会いし、挨拶を交わし、そこそこ無難なトークを行なうという関係がいくつも生じる。今回も久しぶりにあった人、一年ぶりくらいに顔を合わせた人、そして先週も別の会議で挨拶した人など、さまざまな方がいらっしゃった。 ブログやツイッターやFacebookが当たり前となった現在、日常的にそれらの方の活動を追えている場合もあるし、本当に何年ぶりに顔を見た方もいる。
東京と違って関西の青少年NPOの活動は少し弱いかなあと最近は思っているのだが、それだけの数が一堂に会すると、それぞれの熱気を肌で感じ、僕の「関西の弱さ」への印象は誤りであったことを認識する。 だが、団体の活動規模でいうと、関西はそれぞれが若干小さいことは事実だろう。また、大阪・京都・兵庫の諸団体がわりとネットワークできていないことも事実だ。 問題(ひきこもり・ニート)そのものがマイノリティ支援の枠組みを超えて社会問題の中核となりつつあるわりには、関西は少し前の「ひきこもり支援」というマイナーなジャンルの香りを少し残している。 東京はやはり中央と直結しているため、そのあたり(ひきこもり/ニート問題が、マイノリティ支援から社会全体を支えるための中核問題へと移行した)のことを、民間行政ともよくわかっているのだろう。
いや、関西がわかっていないというのではなく、なんとなくのんびりしているなあという印象をもったということだ。少し前、そう、90年代は、ひきこもり問題をリードしていた…

ドイツ研修壮行会で1年ぶりの東京〜マネージメントと「現場」について

とタイトルに書いたが、東京に行ったのは一昨日の土曜で、宿泊出張すると身体がしんどいため、夕方には大阪に戻ってきていたのだった。で、そのまま疲れて10時には寝てしまい、やはりというか予想通り、僕の出演したFM番組(「FM大阪で収録してきた」)は聞かずじまい。何人かの知り合いから「聞きました」メールをいただいた。ありがとうございます。
東京はほぼ1年振り。1年前は、退院してまだ3ヶ月くらいだったのに、無理して出かけたのだった。それは、厚労省の表彰(若者自立支援功労団体・厚生労働大臣表彰)で、プラッツとしては初めての表彰だったから、国の表彰式ってどんなものだろうと興味がわき、I統括リーダーに付き添ってもらってへろへろになって東京までたどり着いたのであった。 表彰式そのものは、実にフツーの、しかもみんないっしょでの受賞の、まったくあっさりしたもので、その意味ではいい体験になった。国の表彰式って、あんなものなんですねぇ。 でも、その効果(つまりはブランドイメージの上昇)は、じわじわと今も効いているように感じる。その意味でも、表彰というものの活用の仕方をもうちょっと有効に構築しなければいけないんだろうなあ。
今回の東京は、スタッフT主任が内閣府の「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」というものに見事合格し、晴れて10日間のドイツ研修に派遣される、その壮行会があったため。内閣府からのメールに、「上司として」参加されたし云々と書かれていたので、深く考えることなく出かけていったのであった。 場所は代々木オリンピックセンター。2年前、僕はここで青少年支援者30人ほどを相手に講師をした。そして1年前、病気で倒れることがなければ、より大きな規模で講師をする予定だった因縁の会場だ(ちょい大げさか)。 この1年は僕としては、何となく記憶が断片的で時間感覚も変だったので、一昨日代々木オリンピックセンターに入った時、2年前の講師体験が、まるで1年前のように感じられた。
会場は思ったより狭く、来ていた「上司」の方たちも予想以上に少なかった。表彰式も壮行会も、国系の行事ってこんなもんなんだろうなあ、とあらためての学び。 当日は、ドイツ派遣の「青年」組とは別に、デンマーク派遣の「高齢者」組、ニュージーランド派遣の「障害者」組と、三組合同の壮行会だった。将来の指導者/経営者育成のため20〜30代の人達が選ばれており…

FM大阪で収録してきた 10/8(土)24:30放送予定「コミスマ」

昨日は久しぶりにハードな1日だった。午前中は豊中市の就労支援機関で、若者10名ほどとワーク。午後からブログを書いたあと休憩して、夜はナンバにあるFM大阪に行き、「コミスマ〜osaka communication smile」という番組の収録があった。
5年くらい前に僕は、伝説のネットラジオ「オールニートニッポン」(タイトルは〈笑〉だが、中身は超真面目)という番組に出たことがあるものの、あれはマンションの一室でこじんまりと収録されたものだった。 今回は、僕も中学生の頃から聞いているFM大阪という、まあ老舗FMでの収録であり、スタジオ風景も、当たり前だがザッツスタジオな感じで、なんかミョーにいい雰囲気なのであった。
司会というかパーソナリティーは松田陽子さんという方で、僕は今まで知らなかったが、病気等いろいろ経験されてきた関西では話題の人らしい。 その人の進行で、大阪府雇用推進室の山本恭一さんと僕が、ニートやひきこもりの問題を熱く語り関西の人たちに問題の大きさを伝えるという趣旨の番組だった。
はじめにミーティングがあると聞いていたから、よくあるシンポジウムの打ち合わせのように30分ほどみんなでトークのポイントを確認しあうのかなと思っていたら、いきなり松田さんはガラスの向こう側のスタジオに入って一人で収録し始め、僕ら(他に関係者が何人か来られた)はぼんやりそれを見つめつつ、やんわり中身を再確認するという状況になった(この日までに細かい進行の打ち合わせは終えている)。 そして、ではどうぞとスタジオに僕と山本さんが誘われ、大雑把なシナリオを最終確認したあと、もういきなり録音が始まった。
僕はここでもまったく緊張しなかった。故スティーブ・ジョブズが、(癌で)自分の死を常に意識するようになってから製品が次々と生まれてきた、というようなことを以前言っていたが、僕も大病を経て常時自分の生命の限界を意識するようになり、同時に緊張癖も神経症もどこかに消えていった。 次々と製品を生み出したジョブズと比べるだけでもおこがましいが、今の僕は、「若者を支援して日本の大問題を軽減し、日本を『問題解決国の先進国』とする、そこに少しでも貢献できればいい」という一念だけで生きている。こんなこと、自分で言うのも恥ずかしいのだけれども、本当にその一念だけで生きているので、その目標に関係あることをするのであればいつでも平常…

FM大阪に出演します!

土曜日の深夜(12:30)にFM大阪では「コミスマ(大阪コミュニケーション・スマイル)」という番組があるそうで、その10/8(土)分の番組に僕が出演することになった。
僕、というか、青少年自立支援を長年行なってきた淡路プラッツの代表の僕が、と言い換えたほうが正確だろう。その、プラッツ代表の僕と、大阪府の雇用推進室のYさん(どうせ実名で出演するのではあるが、ブログに実名を出すのはYさんにかかわらずなんだかためらってしまう)とで、大阪のニート問題について熱くトークすることになっている。
いつもこのブログにも書いているように、若者(ニート・ひきこもり)支援は単なるマイノリティ支援を越えて、日本社会の「一丁目一番地」の問題であると僕は確信している。このブログでは「動的ニート」(「動的ニートと静的ニート」11.09.01当ブログ) と名づけた多くの若者たちが、社会保険の支払いを含めた「社会参加」をしない限り、20年後(僕は67才になる。今の健康生活を続けるとたぶんまだ生きている!)には本当に困ったことになると僕は危惧している。 これが単なる心配で終わればラッキーなのだけれども、誰に聞いても「それは田中さんの単なる心配性ですよ」と笑って返してくれない。
誰も、どのくらいの若者たちがどれくらいの額の国民年金を親御さんに肩代わりしてもらっているのか、おそらくこの国では把握できていない。現在の、「静的ニート」(ある時点におけるニート数)の把握だけでは、本当に社会参加していない若者の数を把握できないと僕は心配している。 若者たちの裕福な(戦後日本で普通に生きていると、今で言うところの「裕福」に自然となってしまう)多くの親たちが、統計に出ていないところで、子どもの年金を肩代わりしている。
10年ほど前、「実は私の子どもはまだ働いておらず、恥ずかしながら私達が年金を代わりに払っていまして……」とおっしゃる親御さんたちがぽつぽつと現れていた。それが今、どのくらいの数に膨らんでいるのか、おそらく誰も把握していない(誰かが把握しているのであれば、それは誰なのか教えてください)。 この層は、時々アルバイトをしたりするので、統計上はニートではなく「非正規雇用」と扱われるため、この層が年金を支払っているかどうかはおそらく役所も把握していない。 僕は、この層の多くが、親に年金を支払ってもらっていると想像している。繰り返…

ということは、NPOこそがイノベーションを生む? 『イノベーションとは何か』池田信夫/東洋経済新報社

最近の当ブログは、支援事業の提案ばかりで、夏頃までさかんに書いていた書評をずっと休んでいた。この間、当たり前だが本は読んでいる。けれども、書評にとりあげるまで至らない支援や経営の実践本ばかりなので、ブログでは扱わなかった。それにしてもこの頃は、哲学や文学関係の本を読まなくなった。唯一、津村節子さんの『紅梅』という私小説(亡き夫・吉村昭の最後の日々を描いたもの)をゆっくりと読んではいるが、読了までもうちょっとかかりそう。
そんななか日々を過ごしていると、当ブログでもよく言及する池田信夫さんの新刊が出たことを発見したので、さっそく買って少しだけ読んでみた。まだ半分程度だが、たぶんこの本で一番主張したいことは、本のはじめのほうに書かれていると思うので、もう書評してしまおう。
この本のポイントは、以下の一行に尽きると思われる。それは、
イノベーションとは、第一義的には経営革新である。(p18)
という一節だ。イノベーションというと、最近ではiphoneやipadのアップル、アンドロイドOSのグーグル等が思い起こされる。僕は技術のことはよくわからないけれども、著者によるとアップルやグーグルの技術はそれほど革新的なものではないらしい。 確かに、アップルマニアの僕がみても、デザインはそこそこ格好いいものの、アップルの製品は基本的に「水平分業」の寄せ集めではある。
やはり、アップルやグーグルのすごさは、いろんな本でも解説されているとおり、そのビジネスモデルの斬新さなのだそうだ。itunesやグーグルアドセンスなんかがその具体例なんだろうなあ。
池田さんは「経営革新」「ビジネスモデル」等の経営用語で書いているが、哲学好きの僕は、これらビジネス用語を哲学用語というか文化系用語に置き直し(かなり強引だが)、
イノベーションとはコミュニケーションの変革のかたちである
あるいは、
イノベーションとは新しいコミュニケーション・システムである
みたいな感じに格好良く表現したいが、哲学好きでなければ何のことかわからないので、それほど深入りはしないでおこう。 つまり、イノベーションとは新しい製品を開発することではなく、新しい「仕組み」をつくりあげることなのだ。仕組みとは言い換えると、「人と人とのつながり」のことであり、イノベーションを言い換えると、「新しい人と人とのつながり」を指す。
池田さんみたいな博識で説得力のある(多…