これこそが日本の「現場力」〜68才年金支給〜

ああ、やっと一週間が終わった。

10月から「週5勤務」で完全復帰したとはいうものの、先週までは、実は祝日ほかで週4日勤務が継続していた。
17日から始まったこの一週間が、一年以上ぶりの「完全復帰」の一週間だった。やっぱり、週4と週5では何となく長さが違いますね。間に1日休みがあるかないかで、疲労感がまるで違うもの。こりゃ、今年からプラッツにやっとのことで導入した有給休暇なんかも上手に使いながら、しばらく乗り切るしかないなあと思った一週間なのでした。

そんなわけで、夕方帰って晩御飯を食べて10時半には就寝という日々が続いていたので、まったく本も読んでいない。スタッフの誰よりも労働時間は短い(そのかわりに朝だけは早い!)のだけれども、スタッフの誰よりも疲れているという僕。
これからの数年は無理するのが一番ダメとまわりから言われているし自分でもわかっているけれども、なぜか、職場でもスタッフやプラッツ利用者さんにたくさん声かけしてしまう僕。
こんな性格だから疲労してしまうのだけれども、やはりやりがいを感じるのだから仕方がない。つまりは、早く起きて仕事して、早く帰って早くご飯を食べて、早く風呂に入って早く寝る、そして時々プールに行って運動するのと、月に一回四国に帰ってリフレッシュする、まあ今の僕は、元気でありたければこれを地道に続けるしかない。

これを続けることが、僕の現在の唯一無二の目標である、「世界でも初めての超少子高齢化社会において、若者や子どもの新たな自立支援支援システムづくりをすることで、社会のプチ繁栄(プチで十分ですよね)につなげていくことの、ささやかな一助になる」ことができると信じている(ちょっと長いか)。

んなわけで、この一週間も読んだものは相変わらずの週刊誌くらい。
おもしろかったのは、「文春」も「新潮」も、ヒステリックなくらい「年金支給年齢が70才になるかもしれない!」と書きたてていたことだった。
御存知のとおり、少し前、厚労省の年金部会が、年金の支払年齢に関する改革案を提示した。それは3パターンに分かれるのだが、年金改革話は相変わらずややこしいのでざっくり一言でまとめてしまうと、「年金の支給年齢を一番早いパターンで15年後に68才にまで引き上げますよ」という提案だ。
これで、文春や新潮は怒りまくっているわけだが、読者のほうはたぶん、「やっぱりなあ」程度にしか思っていないのではないか。僕も当然、「こんな感じで変えていくんだなあ」とフツーに受け止めた。

これは事実上、「現役世代が引退世代を負担するシステム」を残したまま、「同同世代負担」を変則的に導入することで補完するシステムだと僕は思っている。年金素人の僕が直感的に思う程度だから、かなり間違っているかもしれないが、僕の直感は結構当たることが多いので、それほど的外れでもないと思う。
引退世代はいったん引退するか継続雇用されるかはわからないものの、現役世代として年金支払は終えたあともまだ8年は働くことになる。支給年齢はおそらく70才まで延長されるだろうから、60才から70才までは働いて当たり前、という時代が15年先(あっという間だ)にはやってくる(ちなみに、そのころ僕は生きていれば62才になる)。

僕は20代は基本的にフリーだったから「死ぬまで労働」は当たり前の価値として染み込んでいるが、バブル景気→就職→いまサラリーマンのまま50才なんて人は、60才で引退したあと10年は働ける職場を探さなければいけない。
でも、死ぬ気で60才まで働いた人(少し前の僕もそんな感じだったが)は、ストレスと酒と煙草で身体はガタガタだろうから、再就職できても70才まで生きることができるかどうかもわからない。つまりは年金の支払損だ。
そんな人達をメイン読者に持つ「文春」や「新潮」はだから大騒ぎしているのだろうが、そんな二誌には一言、「我が国はそんな国なのだから仕方がない」と言ってあげるしかない。

そんな国とはつまり、「根本改革ができずに役人の『現場力』で難関を突破していく(近代)国家」という意味だ。政治家はみなさん御存知の通りあんな風なので変わりようがないし、もしかして力のある政治家が出てきたとしても国民風土がそれを押しつぶす。
僕の記憶の範囲では、高度成長以降、根本改革を行なったのは「消費税」導入程度だと思うのだが、あれも改革というよりは、「まあまあまあまあ、そこのところよろしく」みたいな感じで、思わず自分のグラスにビールを注がれた的にぐいっと押し切られたという印象だった。あと、「小選挙区」もあったかな。あれも「まあまあまあまあ」の雰囲気だったなあ。

だから、年金制度の破綻を目の前にして根本改革を先送りにする国民風土と政治は、役人の「現場力」に頼るしかなく、それが現実化する一例が今回の「68才(すぐ70才になるだろう)支給」だ。おそらく国民も、こうした「現場力」を期待している。「顔の見えない」役人のせいにすればいいし。
現場力はいつもプロジェクトXのような美しいものではなく、日本の場合、システム変更が必要な改革はいつもこのような役人のノリで推し進める。皮肉にも、これこそが日本の典型的「現場力」なのだ。

どうせ死ぬまで働いて税金払うんだったら、いっそのこと、「同・同世代負担」にズバッと変えればいいのに(すみません、年金制度のこと、きちんとわかっていません……)。そうすると、現役世代のプレッシャーも減り、若者支援のありようも変わるたろう。
でもなあ、日本だしなあ、無理だな。★