ニートインターンシップ理念から「ニートによる老人介護事業」へという落し込み

昨日、大阪市のサポートステーション/コネクションズ大阪(NPO育て上げネット)のスタッフ研修講師に呼ばれ、昨年の7月以来1年以上ぶりにひとりで2時間ほど講師してきた。
久しぶりの一人講師は、1時間ほど経過すると頭がぼんやりしたりして、やはりまだ回復途中なのだなあと思うと同時に、少人数相手とはいえ2時間近く話せたことは若干の自信にもなった。

久しぶりだったのであえてレジュメを用意せず、話も行ったり来たりしたが、何となく途中で終わってしまった話題として、ニートインターンシップと老人介護について、プラッツがどう取り組んでいくかという点がある。

少し前に当ブログでも何回か言及したが(9/12 この“ウィンn乗”によって、「ニートが日本を救う」ことになるのか)、00年代中頃まではまったく現実的でなかった「ニートが老人介護を行なう」ということが、当事者の中心層が30代に移行しつつある現在、徐々に現実味を帯びてきたと僕はみる。
以前であれば「きつい・きたない」で若者には相手にされなかった老人介護の分野が、それほど想定外ではなくなってきたということだ。
何よりもこれは、当事者の加齢からくる抵抗感の軽減が大きい。

また、介護者を雇用する側からすれば、介護できるマンパワーを常時募集している。しかし外国人労働者による労働力補充は、おそらくこの国では現実的ではない。
日本語習得という難関を突破しても、長らく同質社会の中にいた我が国においては、最もプライベートな空間・単位である介護の現場を外国人に委ねることは相当の時間がかかるだろう。
重大な問題を自己変革できず、他国文化には寛容ではあるのだが他国を決してそのままのかたちで「内」に入り込ませないという日本人論に言及しないままの外国人労働者受け入れは、非現実的であると言わざるをえない。
だから僕は、外国人による老人介護はなかなか主流にはならないと思う。

かといって、サービス業の現場はなかなか賃金の上昇が見込めないジャンルだ。最新の経済学理論を僕はよく理解していないが、そうした議論は最近の経済学では当たり前だという。
賃金の上昇が将来的にあまり期待できないジャンルでは、日本人の労働者も容易には集まらないし、確かにいまの介護現場の労働力はかなり流動的だと聞く。

つまりは介護労働者は「外」にも「内」にも安定的には存在しない。外は文化的に排除され、「内」は賃金的に入らない。この状況は当分変化しないと思う。

介護といえば専門的知識・技量が必要だと思われがちだが、実際の現場ではあながちそうとも言えない。食事介助・排泄介助等の専門的介護は当然有資格者が行なうものの、介護の現場はそうした専門的介護ばかりを行なっているわけでもない。
実際は、認知症老人といっしょにテレビを見ながら、「話題は噛み合わないが何となくあたたかい」会話を交わしたりすることも非常に重要な仕事なのだ。介護福祉士のような専門家になる人は、実はこのようなほのぼのとした会話や現場に憧れて資格を得ることも多い。
だが現実は、必要不可欠な食事や排泄の介護はするものの、例によってさまざまな「書類」に追われることが多いという。
本当は、おじいちゃんおばあちゃんとテレビを見ながらいっしょに笑いたい。NHKの歌番組を見ながらいっしょに歌ってあげたい。しかし、目の前の書類を書かなければいけない。
結局書類を優先し、老人は放ったらかしにされるかボランティアに任されることになる。

当然のことながら、老人も現実の人間とコミュニケーションするほうが認知症の進行もストップされる。
資格はなくていいから、気が優しくゆったりとしたペースで老人とつきあってくれる労働者を、現場は求めている。ただし、あまりお金は払えないけれども……。

ヘルパー2級の資格はこの先変化していくだろうが(すみません、このあたりをまだ調べていない)、資格を提供する業者/学校にしても、学生募集は常時課題であり続ける。

このように、①若者、②介護が必要な老人、③老人介護業者(株式会社も含む)、④専門学校のいずれもが、互いを補うことができるし、現在各々にニーズが生じて生きている。何回も繰り返して悪いが、これぞ「ウィン、ウィン、ウィン……」の関係(ウィンのn乗の関係)というやつで、NPOによる研修(対若者・対業者・対学校などいくつもの層がある)や心理援助(これは対若者)も噛みあわせて大きなシステムをつくれる土壌がついに現れたと思う。

そしてこれは、実は「理念の現実への落し込み」というやつで、その背景には「ニートインターンシップ」という大きな理念がある。
ニートインターンシップとは、従来の学生対象のインターンシップではなく、現在潜在的には数百万単位で存在すると思われるニート(これを僕は〜「動的ニート」と名付けた)対象のインターンシップのことだ。
さまざまな若者支援の試みが行なわれている現在、このような取り組みはおそらくあちこちで行なわれている。ただ、的確な名付けと概念/理念づくりをされないまま、それらは執り行なわれている。
概念・理念・名付けが確定されないまま行なわれる動きは、一発花火で終わってしまう(だから行政予算がストップすると支援も終わる)。システムは、理念と名付けがセットにされて完成して初めて、それはシステムとなる。今のままでは、「おもしろそうな若者支援の取り組み」で終わるものが、あちこちの現場で展開されている。

これらをプラッツは、「ニートインターンシップ」という理念と名付けのもとにとりまとめ、その現実的落し込みとして、「ニートが担う老人介護事業」として具体化させていきたい。
9/29の日記にも書いたが、それは以下のような図になる。

理念/戦略 ニートインターンシップ
     ↓現実的落し込み
事業 ニートがになう老人介護

これまで、「富山式」の取材を始めとして、徐々に材料が揃ってきた。これからは、これらを組み合わせたシステムづくりにとりかかっていこうと思う。来週以降、単なる取材を超えた「仕組み」構築の報告を随時していきます。★