「ポストトウキョウ」の具体的かたち 『「静岡方式」で行こう!』津富宏編著/クリエイツかもがわ

昨日プラッツにこの本が送り届けられ、今日は比較的時間があるので、昼間事務所でざっと読んでみた。「静岡方式」とは、静岡県で注目されている若者就労支援の新しい試みのことだ。
それを簡単に説明すると、①支援の「場(たとえばサポステのような)」を持たず、②「伴走型」個別支援方式のかたちをとり、③支援者/サポーターはボランティアであり、④地域を「資源のオアシス」と考え、⑤就労というゴールへ「一直線」に向かい、⑥スモールステップで個別支援する、と、まあこのような考え方/システムであるということになるだろうか。

そうしたシステムや考え方を創設者兼NPO代表の文章や取材者の文章で説明し、それに続いて、若者が参加したセミナーへの取材、具体的な就労先やサポーターへのインタビュー、若者当事者の声等で構成された本である。
深く読み込んでいないからもうちょっと深い紹介がされているのかもしれないが、「静岡方式」は上の①〜⑥であると言ってもそれほどズレはないと思う。つまりは、超短期間(半年程度)で個別支援して多くの若者を就労あるいはその道筋に乗せるという、ものすご〜くシンプルだけども、ものすご〜く結果が出ている支援方式だということだ。

優秀なコーディネーターがいて、「職業者」と「若者支援ボランティア」という二重のアイデンティティをもつサポーターがいて、比較的柔軟な就労受け入れ先(ここではコンビニ・老人介護・林業が紹介されている)がネットワークを組めていれば、実はサポステやNPO等の「支援施設」は必要ない、というわりと過激な問いかけを無言のうちにしている過激な本、であるかもしれない。
だが、このシステムの成功は、つまりはそういうことではないかとも捉えることができる。一施設ごとに多額の運営資金を要する既存の支援システム(そのため委託金や利用者負担が必要になる)は、若者支援の最終解ではないということだ。

といいながら、すべての地域で応用可能でもない(本書では秋田の取り組みの成功例が紹介されているが)。NPO(創設者の津富さんには僕も何度かお会いしたことがある、なかなかキュートな方だ)、サポーター、就労協力施設、地域性等、ある程度条件が揃って初めて可能になる仕組みでもある。

僕はこの取り組みは、既存の支援の仕組みを超えた、ひとつの可能性の提供だと思っている。その可能性は現実には、地域性重視やサービスの無料化等、わりと陳腐なものではあるが、「何か」を乗り越えようとしている。
淡路プラッツでは来年度、「ニートインターンシップ」を基本戦略として「ニートが担う老人介護」を現実展開しようと思っている。実は、「静岡方式」はすでにそれを現実化している面もあるのだが、サービス提供側が経済的「ウィン」になれないという点で「静岡方式」はなかなか汎用性がない。
津富さんの「就労支援も社会インフラのひとつ」という考え方も立派な理念であり戦略ではあるが、2010年代にこれを行なう必然性が少し薄い。やはり、サービス提供者も経済的に少しは潤う(ウィン)必要はあると僕は考える。

だが、「静岡方式」は確実に何かを取り崩そうとはしている。津富代表の言葉だけを聞いて(読んで)いると、今のところ単なる地域重視の枠組みから出ていないが、現実の「静岡方式」は代表の言葉からこぼれるくらい、何かの可能性を示している。
それはおそらく、「トウキョウ」に表される既存の仕組みを打ち崩す何か、だ。そのことを創設者の津富さんも本の編集者も気づいていないのかもしれないが、ここには重大なヒントがある。
ポストトウキョウはこのように、地域・場を持たない・スモールステップといったいくつかの言葉に含まれている。

そしてそれは、何もまったく新しいものではなく、既存の仕組み(たとえば老人介護システム)に隠されているものでもある。超少子高齢化社会というまったく新しい世界に我々はすでに突入している。そこでは社会の隅々で新しいことが起こっていると僕は予感している。
若者支援という、超少子高齢化社会のなかでの「一丁目一番地」で、それは象徴的に起こると僕は思っていた。トウキョウという言葉に象徴されるものから脱却する動きのシンボルが「静岡方式」であるかもしれない。ニートインターンシップもそこに続こう。★