NPO経営が僕の仕事になった〜ボランティア型から事業型へ〜

淡路プラッツの機関誌『ゆうほどう』に、僕は毎月「私たちのスモールステップトーク」というエッセイを連載している。わりと毎回丁寧に書いているのだが、プラッツの(というか多くのNPOの)悪い癖で、だいたいは「書きっぱなし、載せっぱなし」になってしまっている。

コンテンツとしては優秀までとはいかないがまあそこそこのレベルはあるのに、それらの提示の方法を知らない。そうした「提示」方法を、僕は残りの人生で研究・実践していこうと思っている。

まあ、広告代理店などはそうした「提示手法」を商品にして食べているのだろうから、お金があればそのような会社に頼めばいいのだが、そこはNPO。とにかくなんでも「手作り」で始めるしかない。

今回は、先々月号の『ゆうほどう』に書いたものを改題・修正して以下に載せてみる。

脳出血から1年が過ぎた。僕の脳は、この夏あたりからやっと落ち着いてきたようだ。ただ、 脳が動き始めたからといって前と同じように働いてはまた倒れてしまうので、僕に一極集中していた組織のありようを変革している。ゆるやかな職制(代表・統括リーダー・主任・主任補佐)や、いくつかの職員の形態(コア社員=常勤職員、専門社員・支援社員=非正規社員等)をつくり、メンバーや保護者のみなさんからは見えにくいかもしれないが、淡路プラッツというNPO団体を確固としたものにするためにぼちぼち働いている。

そんなことをしていると、「経営」というものにきちんと向き合う必要がある。別のところでも書いてきたが、僕は長年心のどこかで経営というものから距離をとってきた。たぶん、支援活動や哲学の探求と「経営」は親和性がなかったためだと思われるが、今のプラッツは、経営への好き嫌いでそれを遠ざけていられるほどの規模ではなくなったようだ。

2011年度の売上額だけでいうと、「ニートによるひきこもり雇用支援」事業の効果がまだ続いているため、おそらく6,000万円強になるだろう。知り合いの税理士事務所が売上3,000万円といっていたから、いくつかの青少年支援大手NPOの売上2億円には当然届かないものの、今のプラッツは小さな会社サイズになってしまっている。

ちなみに、2002年にNPO法人化した時は、売上500万円前後の、まさに経営が風前の灯というか、関係者の魂の力で(亡くなった蓮井さんの魂の力も含めて)続いていたというか、「ボランティア型任意団体」と「ボランティア型NPO」の狭間にいた。

内閣府21年度市民活動団体等基本調査では総収入5,000万円を超えるNPOは9.5%だそうだから、今のプラッツはそこに入り、逆に10年前のプラッツは、典型的日本の(ボランティア型)NPOだったといもいえる。

だが現在のプラッツは「委託・補助金事業」が事業の大半を占める。元々のプラッツ2階で主として展開する事業(本来事業=ひきこもり自立支援事業)は、全体売上の2割にも届かない。ボランティア型だろが事業型だろうが多くのNPOが抱える悩み、つまりは行政の委託・補助金事業だのみという経営実態は、プラッツも変わりはしない。

あれは2003年頃になるだろうか、雇用能力開発機構の委託事業として始めたアメリカ村での青少年相談室運営が、思い起こせば初めての委託・補助金事業であった(その事業ではいくつかのNPOとのよい出会いがあった)。その後、ほっとスペース(現サテライト)事業(大阪市)・トライアルジョブ事業(大阪市)・アウトリーチ事業(大阪府)・市立中央青年センターの事業(大阪市)・ニートによるひきこもり雇用支援事業(大阪府・国)・セカンドプラッツ事業(大阪府)と立て続けに委託・補助金事業を展開してきた。

これらは年度始めから計画・実行してきた事業ではない。これもまた多くのNPOと同じく、「目の前にあるものに飛びついた」結果なのであった。この10年、わけもわからず飛びついて次から次へと事業をこなし、知らない間に「ボランティア型NPO」から「事業型NPO」になっていた。無理がたたって僕は倒れてしまったわけだが、奇跡的に復活できた。この復活をやはりポジティブにとらえ、同じ事業型NPOでも、その場しのぎのNPOではなく、もうちょっと計画的なNPOになろうと思う。そのために、「経営」があり「組織」がある。

今回は一つひとつの言葉を解説せずに書いてしまった。たとえば、「経営」にも、全体(コーポレート)経営と事業経営の二つのレベルがある。コーポレートレベルは経営戦略と人事と財務がメインの仕事であり、広報や社員研修もここに含まれる。

事業レベルは、プラッツであれば、「本来事業(創業より続くひきこもり自立支援や講座)」「委託・補助金事業(ニートによる〜、サテライト、セカンドプラッツ等)」「寄付金(賛助会費)事業」等がある。この、コーポレートと各事業の二つの異なるレベルを混合しないことが経営のスタートだ。

そんなわけで今年は2011年、創業から19年になるのかな。あれからずいぶん遠いところに来たのかもしれないけど、ありがたいことに、プラッツへのニーズは組織形態を変えても変わりはしないどころか、逆に増えている。そして若者の自立支援は超高齢化社会の年金問題も絡めつつ、我が国の「一丁目一番地」の問題になってしまった。

20年前、僕はまださいろ社の編集者だったが、さいろ社社長松本君や亡き蓮井プラッツ塾長も含めて、あの頃誰がこうなると予想しただろうか(すべての人の人生とはそんなものかな)。ニーズがある限り、時代のニーズに応え続ける団体であることをプラッツは目指します。ほどほどに、ね。★