2011年12月22日木曜日

生命の世界にしか「うた」はない〜長渕剛・自衛隊激励ライブ「乾杯」〜



前回、法政大の樋口准教授のセミナーの報告をすると書いたが、それは少し専門的すぎる内容だったので、もう少し練ったあと別のかたちで書くとしよう。
今回は、昨日なんとなくグーグルニュースのリンクからたどり着いたユーチューブ長渕剛映像について少し書いてみよう。

うまくリンクできていればいいが、このユーチューブの動画は何か人の心を揺さぶるものがある。伝統的左翼からすると長渕剛は立派な右翼なので、その名前を聞いただけでも吐き気を覚える人もいるかもしれないが、この映像には、長渕剛の画像は実は「背中」だけしか映っていない。
映しだされているのは、激励ライブに召集された全国の自衛隊員の人たちの顔、顔、顔、だ。

当然この自衛隊員の方たちは、今回の東日本大震災の救援のために動員された人たちで、このライブは4月16日に行なわれたそうだから、震災後まだ1ヶ月しかたっていない。
日頃いくら厳しい訓練を受けているとはいえ、2万人におよぶ遺体の収容と、3000人に達する行方不明者の捜索は、彼ら隊員たちを疲労困憊の極地へと追い込んだに違いない。その疲労は、この映像に映し出される人たちの、なかば呆然とした暗い影を見るだけで普通に想像できる。

2万人もの遺体の収容とは、2万の死との直面ということでもある。それがある日突然現れ、仕事とはいえ、その夥しい数の死と実際に直面し、社会が納得する範囲でその死を丁寧に見送っていかなければいけない。それをこの隊員たちは、来る日も来る日も、続けていた、そんな日に長渕は現れた。

長渕は、ギター一本で「乾杯」を熱唱する。当然のことながら、途中からは自衛隊員の人たちといっしょに歌う。「乾杯」の歌詞は結婚式の定番でもあるように、その日の激励ライブには似合わない内容かもしれない。だが聞きようによっては「生きること」そのものを謳歌するような内容であるとも受け取ることができる。

映像の主役の隊員たちは、長渕の声に吸い寄せられるようにして、ともに歌う。その姿は徐々に活気に溢れ出し、自然と両隣の隊員同士で肩を組み、エンディングのリフレインまで突き進む。
長渕は、何百人の隊員を前にして、自分の声と生ギター一本のみで「乾杯」を歌いきってしまう。

ところで僕は、去年の大きな病気のあと、あれほど好きだった音楽がすっかり聞けなくなった。というより、音楽の必要がなくなった。iphone4sがあろうが専用スピーカーがあろうがラジコというアプリをインストールしようがビートルズが超安売りしていようがあまり関係なく、ついに音楽は僕の友達ではなくなっていた。

その理由はわかったようで明確ではなかったのだが、この長渕の映像を見て、確信した。つまり音楽とは、「生命」の世界にあるものなのだ。
自衛隊員たちは、長渕の声を聞き長渕のギターストロークに身を任せ、ともに「乾杯」を熱唱している。その姿は、乾杯のリフレインがひとつ終わるたびに、生気に溢れ始めるように感じる。言い換えると、夥しい数の「死」に直面していた世界から、身体をもった人間が隣に立ちともに「乾杯」を熱唱できる「生命」の世界へ戻ってきているように思える。

「うた」は生命の世界とつながっており、音楽は生命の世界への扉なのだ。

僕は病気と手術とその前後の10日間ほどの意識喪失により、なんとなく生命の世界から遠ざかってしまった。村上春樹風にカッコ付けて言うと、一度「森」の世界に入ってしまった。
いまはこの世界を楽しんでおり、前にも増してポジティブだ。だがまだ、あの圧倒的な世界の転換の実感が僕を縛り続けている。そこはやはりこの世界とは別の世界である。そのため音楽はまだ遠い。

今日は日曜の樋口セミナーに出席した代休だし、何かCDでも買ってこようかな。でも長渕はしんどいなあ。★