2011年1月28日金曜日

アニメの話をしながら、魂と魂が触れ合っている〜〈支援の現場〉3

前回の〈支援の現場2〉では、共感とアドバイス(指示)のさらに下のほうに、「魂と魂の混じりあい」としか表現できない領域があるとした。話がここまで降りてきてしまうと、どうもミステリアスでマジックな感じになってしまうのだが、まあ仕方がないと僕は思う。
臨床心理の先人たちも、このへんまで来ると、それぞれ独特の言い回しになってくる。僕が知っているだけても、その不思議な感じは河合隼雄やユングに代表されるが、フロイトもなんとなく怪しいし、ラカンも科学きどりではあるが限りなく怪しい。この領域は他の分野もひきつけるらしく、河合隼雄には文学の村上春樹がつながり、フロイトには哲学のドゥルーズやデリダがつながっていく。
村上春樹やデリダやドゥルーズは、その「魂と魂が交じる場所」に惹かれながらも、臨床の現場にやってこないところに彼らなりの倫理を感じる。文学や哲学の領域の中で、人間の無意識と無意識の交流(こんな書き方をするとドゥルーズに叱られるが)を淡々と綴る。僕はそんな彼らに憧れるが、彼らが決して破らなかったその倫理を簡単に踏み越えてしまった。魂と魂が交流する場所にこそ、支援の本質があり、僕はどうしても避けて通ることはできなかった。僕には文学や哲学の才能がまったくないというのも事実なのだが、それと同じくらい、人が人を救うことができる可能性があるその場所を無視して生きることができなかったのだ。

では僕なりにその場所について書いてみよう。見た目は何も起こっていない。ただ、僕とひきこもり青年の二人の人物が会話しているだけだ。会話内容も、悩みの告白でもなんでもなく、ただの雑談であることが多い。そして、その雑談自体は、アニメの内容を二人で振り返っていくというたわいもないもの。
ただ、最近のアニメには、「人の心を底のほうから揺さぶる」ものが時々ある。我々の雑談は、主としてそうした作品を取り上げることが多い。話し合う場面も、はじめはオープニングの絵や声優の話など、あちらにいったりこちらにいったりするものの、徐々にいくつかの重要なシーンに向かっていく。
それはたとえば、『エヴァンゲリオン』24話で、渚カヲルという人物が殺される場面において登場人物たちに何が起こっていたのか、ということについて、ああでもないこうでもないと色々話す。話すのは、圧倒的に僕のほうが多いだろう。この時点でカウンセリング大失格なのだが、これが話し合われている「場所」は、魂と魂が触れ合う場所だから、カウンセリングが行われなかったとしても仕方がない。青年が悩みを語る前に、その「悩みを話してもいい(関係づくりの)場所」を構築するのがここでの目的なのだから。
悩みを話してもいい場所は、目に見えない場所にある。その場所には、普通は他人を近づけない。深くもなく暗くもなく、淡々とした場所だろうが、基本的にその人がその人だけで住む場所だ。ただ、傷ついたとき、人はその場所に帰る。
その場所でひきこもりながら、実は人を待っていたりする。ひきこもり青年は、行動でひきこもっているが、心の領域においてもひきこもっている。そして、両方の場所で「他者」を待っている。

よくカウンセリングの教科書なんかに、黙って傷ついた人の隣に座って待つ、なんて書かれているが、これをされると、かえってきつくなる青年がたくさんいる。心理学の専門家が横に来て、自分が話し始めるまで待たれるなんて、ひきこもり青年でなくてもびびってしまう人もいるだろう。
だが、傷ついた人は他者を待っている。特別な場所でずいぶん警戒しながら。
アニメの話は、その場所に入れてもらえるための鍵のようなもの。会話自体に結論はない。僕の中で何が起こっているかといえば、青年に入れてもらえたという喜びよりも、そうかやっぱ渚カヲルはそんな事を考えていたんだ! という感じで、身も蓋もなく自分の世界で喜んでいる。だが同時に、その場所に入るための鍵を青年からそっと渡してもらっているのかもしれない。
渡してもらえたとしても、いつのまにか鍵を取り戻されることもある。そこは押したり引いたりしていると、いつのまにかいつも鍵がいつも空いている状態になることがある。
カウンセリングもコンサルティングも、そのあとから始まることになる。★




※田中の近況
僕の病気については、右欄をご参照ください。
今月30日に引っ越しする。といっても、今住んでするところから徒歩5分ほどしか離れていない。今日もブログを書いた後引越し作業を続けているのだが、完璧な引越しは半分諦めた。ちょっとへこみぎみ。
でも、1ヶ月前に比べたら、ずいぶん元気が出てきたものだ。何しろ少し前まで「へこむ」という段階に行くこともできなかった。食べて歩いて寝て、とひたすら同じことを繰り返していた。で、ときには暗いこと(たとえば自分の将来の「死」のことなど)を考えたり。今も「死」のことは考えるが、変な言い方だけどずいぶんポジティブに考えるようになった。日本には本当に「死」の教育がない。まあこれは別のところで。
だいぶ元気になってきています。

※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援の環境」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。


※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。

2011年1月21日金曜日

これは「社会的エコロジー」か? 〜「予防」ではなく 〈支援システム〉2

もうこれ(淡路プラッツのグランドデザイン)を書いてから一年半たったみたいだ。ここでは、淡路プラッツ(というか全国にたくさんある青少年自立支援施設すべてに共有できるだろう)のこれまで/これからの取り組みとして、「早期対応」「自立支援」「予防」の3つがあり、「予防」が課題であると簡単にまとめている。
詳しくは同原稿を参照していただきたいが、早期対応は不登校支援に代表される「問題が起きてからいかに迅速に対応するか」ということを示す。プラッツの支援内容で示すと、大阪市の委託事業である「大阪市不登校児童通所事業」の一部がこれに対応する。不登校支援は子どもの学校からの「卒業」という時間との競争でもあるので、早期対応次第で深刻なひきこもりになることを避けることができる。
自立支援は「生活」と「就労」の2つの自立に分けることができる。プラッツのメニューであれば、フリースペースに定期的に通えたり、そこで料理したり、メンバーたちと出かけたりすることが、「生活」に該当する。その段階を終え、「社会」が射程に入ってきたとき、「トライアルジョブ」といった独自メニューや、大阪府の委託事業である「ニートによるひきこもり雇用支援事業」へと誘う。また、大阪府内に5つもある地域若者サポートステーションに接続していくこともある。この段階が「就労」に該当する。
「早期対応」と「就労」はまだまだ課題はあるものの、なんとか形になっている。だから、その形を微調整していけば、これからもこの2つはなんとかなるだろう。

問題は「予防」だ。この原稿を書いた当時、この予防という言葉というか概念が非常に伝わりにくかったことを鮮明に記憶している。いろいろ誤解も与えたみたいで、その点はすごく反省している。だが当時は、この言葉しか僕には思いつかなかった。
予防という言葉を聞いて、主にふたつの反応があった。ひとつは、同調というか賞賛の言葉だった。それは主として支援者からいただいた。長くひきこもり支援をしている人からは、おそらく長期化するひきこもり支援に疲れたという意味も込めながら「これからは予防だよ!」と言っていただいたし、直接ひきこもりの支援をしていない支援者からも、幼児期・小児期・初期思春期の各段階でいろいろな予防法を考える必要があるということには概ね賛同いただいた。
しかし、予想していたことではあるが、保護者からの反応はよくなかった。長期化したひきこもりの子を持つ親が「自分には関係ない」と言って悲しげな表情を浮かべることもあれば、支援団体が取り組むことではないと厳しく指摘される方もいらっしゃった。いずれもおっしゃるとおりであり、僕としては反省するしかなかったが、たぶん僕は、この「予防」という言葉にもう少し幅広い意味を付け加えたかったのではないか、そんなことをこの頃よく考える。

予防というよりは「教育」といったほうが正しかったのだろうか。ひきこもりにならないよう予防する、というよりは、ひきこもりという自分だけの殻に閉じこもらず、いろいろな年代において広くいろいろな人々と接していく育ち方を僕は提示したかったのだと思う。
たとえば僕の個人的な話で恐縮だが、この年になってついに自分の子どもをもっていもいいかなと思うようになっている。普通の人からすると、46才で子どもをつくってもその子が20才になる頃には父親はすでに老人であり下手すると死んでいるとなるだろう。大病後の僕は66才で死にたくはないが、人生何が起こるかはわからない。それでも、父親になってもいい(なりたい、とならないところが僕の弱いところ)。子どもが15才の時にその父は61才であっても、その子のまわりにさまざまな人がいれば、その子は強くなれる、と僕は考える。
父母だけで子どもを育てるのではなく、さまざまな人々をその子の生活に絡ませていく。さまざまな人にいろいろ迷惑をかけながら(ときには感動も与えるだろうが)、子どもは成長していく。これがここでいう「教育」の意味だ。
祖父祖母や叔父叔母や両親の友人といった古典的「大人」だけではなく、たとえばそこに元ひきこもり青年がからむのもありかな、とこの頃は思う。ひきこもりの大ピークがロストジェネレーションだけで終わるのか、今年の大就職難が第二次ロストジェネレーションを生むのかはわからないが、この日本には、生涯正規雇用できずいろいろ不器用な点は持っているものの、暖かくやさしい青年たちが数百万人規模で数十年は存在し続けるかもしれない。それらの「静かでやさしいパワー」を、子どもの「教育」に役立たせることはできないだろうか。
少子化おおいに結構。そこで培われている人々の成熟した社会観、そして「弱いものが弱いものを育む」という意味での社会的エコロジー。以前使った「予防」という言葉に僕は、このような意味も大いに含ませていたということを最近気づいた。★


※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援の環境」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。

※田中の近況
僕の病気については、右欄をご参照ください。
今月末の引越しまでもう10日もない。10年住んだ借家ともお別れだが、そんな甘いことも言ってられない。10年分の荷物(というか本の山)はものすごい! 古本屋に持って行ってもほとんど売れないものばかりなので、この機会に思い切って処分することにした。した、のだが……、ダンボール箱に入れても入れても本がなくならない〜。あまり作業すると血圧にも悪いし、終りのない作業に明け暮れている。



※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。

2011年1月14日金曜日

受容とアドバイスのさらに“下”にあるもの 〈支援の現場〉2

支援の仕事をしていて、古くて新しい問題がある。それは、「どこまで受容・共感し、どこから助言・アドバイスするのか」という問題だ。
古典的なカウンセリングの場合、助言・アドバイスはタブーなのだけれども、思春期(現代の思春期は前回も書いたとおり10代から40才頃までと対象年齢が異常に幅広い)相手の場合、単に受容・共感だけしていると、すぐに「飽きられて」しまう。
たとえば河合隼雄さんの本にあるようにはうまくはいかない。こちらがこれはうまく受容できていると思っても、相手は「田中さんと話していてもつまんねー」と言う。この「つまんねー」の裏には、力動もクソもなく、単につまんないのだ。言い換えると、「せっかく会ってやってるんだから、もうちょっと楽しいことしようよ」というメッセージを相手は送っている。
かと思って、こちらが友だちに話すようにして(あるいは仕事仲間に話すようにして)接すると、たくさんの“地雷”がそこには仕掛けられている。不用意に、あるいは友だちに話すように何気なく話していては、一言でいってしまうと、相手を傷つけてしまう。その地雷ポイントは相手によって違う。
けれども、その地雷ポイントをいつまでも恐れていては、思春期(繰り返すが10代〜40代前半と幅広い)の人たちには決して近づけない。

単に「聞く」だけでは、相手は突き放されているように感じることが多いようだ。しかしこれがまた難しく、徹底的に聞かなければいけない時もある。それは、多くの場合、当事者が何かによって激しく傷ついている状態のときだ。けれどもここでもまたややこしいが、その傷ついた人の横でカウンセリングの教科書が教えるようにじっと黙って座っていても、単に時が流れていくだけだ。
時には、教科書が教えるように、放っておいても当事者が流れるように話し始める時もある。そういう時はでも、僕の経験では圧倒的に少ない。往々にして、肝心な話題に触れないままあっという間に時は流れ、最後の最後になって少しだけ話し始めるということになる。偶然にもそのあと時間があれば、人によってはカウンセリングは続いていく。しかし、その時点から1時間はさらに続くものだし、1時間続かせたとしても、満足するのはカウンセラー側になってしまう。よくあるパターンは、お互いに疲れるということだ。
僕の場合は、あきらかに相手が落ち込んでいたとしても、相手が話し始めるまでひたすら待つことはしないようにしている。こちらに時間がない(もうこれからはそんなに多くはしないだろうが、多いときで1日6〜7件面談をこなしていた)のも理由だが、話のもっていき方で、案外当事者はすっと話し始めることがあるからだ。

僕は、見た目で相手がすごく落ち込んでいるように見えても、できるだけ明るく相手に話しかけるようにする。かといって軽い話題でもなく、かなり深い話しかけをする。それは、その対象者が抱える悩みにまっすぐ問いかけるものであることが多い。
たとえば、ある特徴的なコミュニケーション(具体例は書かない)で他者との関係がとりにくい場合、その特徴的なコミュニケーションについて問いかけてみる。その特徴的なコミュニケーションのつらさについては、その当事者と僕はそれまでに十分話し込んでいる。僕は、基本的に、他者とコミュニケーションしたいという欲望をもつ人間を尊敬している。そのことを十分伝える。だが、その方法によっては、また時代・文化・慣習によっては、そのコミュニケーション欲望は空回りしてしまう。それは非常に残念だけれども、人間世界にとっては基本的なありようだ。それを世間では「誤解」という。
コミュニケーションの欲望は尊重する。そして、コミュニケーションにはいつも誤解が生じる。このような基本スタンスを僕はもっている。そしてそのことを当事者にできるだけ平易な言葉で時間をかけて伝えるようにする。
そのようなやりとりをふだんから僕はその当事者と日常会話の中で交わしている。そして、相手が落ち込んでいる日、そのようなやりとりのなかの一つの話題を持ち出して聞き始めてみる。たとえその話題が空振りだったとしても、ひたすら沈黙を続け当事者に拷問を強いるようにして会話を待つよりは、振った話題を呼び水として、その日当事者が抱えている悩みが現れ、30分ほど話して徐々に笑顔が現れてきたりする。

たぶん、地雷ポイントのすぐ近くに、その人が話したいこと、あるいはその人がずっと悩んでいることが潜んでいる。それはひたすら待っていてもなかなか出てこない領域だし、かといって乱暴に話しかけても蓋がしめられてしまうエリアだ。そこに達するのはすごく難しい。
僕は、上のコミュニケーション論のように、現代の日常会話ではなかなか出てこない話題・考え方をふだんから平易な言葉で伝えるようにしている。また、そんな小難しい議論ばかりではなく、たとえば自分の職業観・友人観等について、自分に隠された偏見っぽいものにもふれながら話すようにしている。そして、当事者たちにアドバイスしてもらったりする。そんなアドバイスが案外役に立ったりするのだ。
受容かアドバイスか、という二者択一ではなく、ふだんからフランクに接する。まあフランクというよりは、お互いの魂と魂で接するといったほうが近いかもしれないと僕は思う。それを前提にした上での、受容でありアドバイスだ。

※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援システムのシステム」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。

※田中の近況
僕の病気については、右欄をご参照ください。
先日、リハビリがわりに雑誌の取材を受けてみた。スタッフに手伝ってもらいながらも、何とか1時間の取材をこなすことができた(僕の場合、身体的後遺症はないのだが、疲れやすい・血圧がすぐに上がってぼぉーっとする等の症状がある)。なんとかやっていけるかもしれないと、少し自信になった。



※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。

2011年1月7日金曜日

「思春期」を整理整頓してみると 〈支援の最前線〉1

もはやすっかり文化人となってしまった精神科医の斎藤環さんが、たしか「思春期は終わらない」と題して『月刊少年育成』に寄稿したのは何年前だったか。僕が同誌に連載する前だから、10年以上前になるだろう。
斎藤さんは、当時社会問題化しつつあったひきこもり現象を例にとりつつ、思春期は10代で終わりという時代は過ぎましたよ、これからは20代あるいは30代前半も思春期に含まれますよと警鐘を鳴らしたのであるが、時代は10年経って見事にそのとおりになってしまった。それどころか、40才前後でも気分はまだ思春期という人は珍しくない(ひきこもりに限らない)。
これは日本人全体が高齢化していることと関係していると思うが、ここではそこまで話は広げない。ここでは、年初ということもあって、現代の「思春期」の支援状況をさらっと整理する。
僕は、思春期をL(Low)・M(Middle)・H(high)の3段階に分ける。Lは10代前半、Mは10代後半から20才頃まで、Hは20才頃以上を指す(この区分が常識化しているのであれば、ごめんなさい)。
思春期とは、自我と社会的位置の不安定さのど真ん中にいること、とここではシンプルに定義しよう。従来は、「思春期」と「若者」をイコールでつなぐのはやや無理があったが(「若者」は、自我と社会的不安定さの出口にいることも多いから)、現在は、思春期と若者はかなりリンクする。そして、支援の必要な若い人達は、すべて何らかの意味で「思春期」に属すると言っても過言ではない。
だから、思春期の視点で若者を捉えると、支援する際にも大いに役立つ。

L思春期が直面する現象的課題は、なんといっても不登校だ。不登校は単なる現象にしかすぎないから、その裏には、いじめ・虐待・非行等がある。当事者の状態によって、支援内容は細かく決定される。
H思春期が直面する課題は、社会的自立の問題、言い換えると「就労」の問題がある(大学生の不登校も問題だが、この場合の不登校の課題は、L思春期の不登校と違って、直近に控える就労を見据えて、ということになる)。ここから、ニートやひきこもりの問題が派生する。
M思春期の課題も不登校ということになるが、実は、この層が現在支援システムから最も縁遠い。きつい言葉を用いると、「放置」されている。支援の現場や行政からすると、LとHで手一杯だから、そこまで手がまわらないというのが本音だろう。
また、M思春期で問題を起こしたとしても、何年かたつとすぐにH段階となることから、「20才になってから本気で考えよう」と本人も親も考えがちになる。だが僕の実感では、こうした問題は、「支援システム」として早めに支援していくと(つまりは家庭教師等の個人システムに頼らずに)、数年で何とかなる。何とかなるとは、問題が深刻化する前に方向性が見えるということだ。これがたとえば発達障害であったとしても、早めにわかったほうが、30才でわかるよりは解決(というか、対処)が早い。対処方法が早めにわかれば、腰をすえて物事に対応することができる。

淡路プラッツでは、たくさんの支援の仕事をしている。ひきこもりの青年たちを支援する本体事業とはほかに、行政の委託事業として、ニート支援(大阪府・ニートによるひきこもり雇用支援事業)や不登校支援(大阪市・不登校児童通所事業)も重点的に執り行っている。財政的な規模で言っても、これらはたとえば若者サポートステーションとあまり変りないことから、そこそこ大きい事業ではあるだろう。
しかしこれらについて、運営している者であったとしても、時に位置づけに戸惑うことがある。ニートはニート、不登校は不登校としてあまりに問題が深いものだから、各事業がバラバラに見えてくるのだ。
しかし、問題を「思春期支援」として大きく括ると、クリアになる。プラッツでは、LとHの思春期に対しては、そこそこの支援システムができあがっている。しかし、M思春期にはまだまだ手探りの状態だ。ここをなんらかの支援のかたちにしていくことが今年から来年にかけてのミッションとなる。
すると、LMHがスムーズに繋がり、我々支援者・スタッフの意識がより統一される。プラッツの事業全体も、被支援者の全体的位置づけも、両方整理整頓することができる。

※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援システムのシステム」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。



※田中の近況
僕の病気については、昨年12/16の日記をご参照ください。
年明けても週1〜2回のペースで主にスタッフとのミーティングに顔を出している。退院直後は記憶の健忘が気になっていたのだが、この頃は、意識の集中時におそらく血圧の上昇から来るであろう「脳の疲労」のようなものが気になっている。まだ手術を受けてから半年もたっていない。自分で言うのも何だが、生来の「働き者気質」に悩まされている。ここはやはり、気合を入れて(いや、気合いを入れてはいけない、いけない)、割りきって、ゆっくりのんびりを心がけることだ。



※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。