2011年2月23日水曜日

「叱ること」は本当に難しい 〈支援の現場〉4

僕は実生活ではほとんど怒らないが、実際に怒るときは結構恐いらしい(と、これまで僕に怒られた人たちは言っていた)。僕にとって「怒る」とは、年に一度あるかないかの珍しい出来事だと自覚しているのだが、それでもプライベートではもう少しの頻度(年に4回くらいかな)で怒っているそうだ。
「そうだ」というのは、自分では怒っているという自覚がないから。自分ではなんというか、冷静にかつ淡々と指摘しているつもりなのだけど、端から見ているとそれが「怒っている」ということになるみたいだ。
でもこれはプライベートのこと。もちろん手を出したりするのは論外にしろ、私的領域では時には感情を爆発させてもよい。というか、暴力や超大声はダメだが、時に少し感情が荒ぶる程度の怒りがなければ、私的領域では相手に失礼だとも思う。それは非常に疲れることでもあるので、日常的には僕はできないが。

これらはプライベートでの話。こうしたプライベートでの「怒り」と、対人支援(対子ども・若者)仕事の「怒り」はまったく違う(今回はカウンセリングとコンサルティングとの違いなど基本的なことは飛び越えて、日々子ども若者支援の「現場」で起こっていることから始めている)。仕事では、「怒り」を単純に表面化すべきではないという点でまったく違うと僕は思う。
仕事では「怒り」は単純に声や動作に出してはいけない、と僕は考える。その怒りは支援者の自分というフィルターを一度通して、「叱り」に変えるべきだと思うのだ。
怒ることと叱ることはどう違うか。それは単純で、叱ることには教育的配慮が含まれている。教育的配慮とは大げさで、その子ども/若者のことを考えてきちんと怒ってあげるということがここでいう「叱る」ということだ。
反対に「怒る」ことは単に感情の爆発に近い。感情に計画性がなく、他人のためというよりは自分のため(ひとことで言うとストレス発散のため)に「怒る」。プライベートではこんな怒りも(手と大声さえあげなければ)別に悪くはない。だが仕事では、こうした怒りはほとんど意味がない。なぜかといえば、そうした自己満足の怒りはまったく相手に響かないからだ。

たとえば、何かの作業をともにしていて、子ども/若者がびっくりするようなことをしたとする(いたずらのようなものを想像してください)。そのことが、いかに他人に迷惑をかけているかをその子/若者が気づいてなかったとする。
怒る場合、こうした分析の前にすでに怒っているだろう。叱る場合、こうした「他者への迷惑」ということを把握しているだろう。怒りとは往々にして自分のストレスがその怒りのガソリンとなっており、目の前のその子ども/若者の動作が発火点となっている。だから、自分が何で怒っているか、現在進行形で把握していない。
叱ることは「教育(大きく言えば支援に含まれる)」に含まれているから、それほど直情的にはできない。僕であれば、「よし、これから叱るぞ」と自分に気合いを入れてから叱る。そして、その叱っている意味も相手にできるだけ伝わるよう言葉を尽くす。叱りながら、はっきり意識的に相手を教育している。

こんな単純なこと、そして支援者であれば当たり前のこと、当たり前すぎて教科書にすら載っていないことをわざわざ書くのは、たぶんこんな単純なことを現場で忘れてしまっている人が大勢いると思うからだ。
また、たとえばNPO法人NOLA代表の佐藤透さんのような「叱りの達人」の表面だけを盗んで、自分が叱りの達人になった気になるのもよくない。実は僕は未だにうまく叱れないので、仕事ではできるだけそうしたリスクは犯さないようにしている。佐藤さんがあれだけ叱れるのも、24時間子どもたちと生活を共にしており、「叱ることは叱る、フォローすることはフォローする、そしてほめることはほめる」ということが徹底できるからこその、あの叱りなのだ。
表面的な叱りの模倣は、それは単なる「怒り」として他人には見えてしまう。上手に叱れるようになるためには、日々の精進が欠かせない。★

※田中の近況
この2月19日で、倒れて以来半年となりました。数時間で脳がぼぉーっとしてくる(血圧が上がっている)というのは変わりませんが、内的「力」というのでしょうか、生命エネルギーのようなものは明らかに満ちてきたと思います。日にち薬というのは本当でした。
その自分へのご褒美として、この前久しぶりにヨドバシカメラに行って買い物をしました。何を買ったかというとレコードプレーヤー。1万円もしない、シンプルなものです。でも、ずっと欲しかったもの。
帰って、プレーヤーをセッティングし、実家の香川県から持ってきていたレコードをかけてみました。こうしてきちんとレコードを聞くのは、高校生以来ほぼ30年ぶりです(僕が大学に入ってすぐにCDが普及した)。針でレコードを傷つけないように、慎重にターンテーブルの上にのせました。
デビッド・ボウイの『ロウ』やスクリッティ・ポリッティの『ソングス・トゥ・リメンバー』が流れてきたときは、何となくジーンとしましたね。今、それらはitunesで購入しパソコンに入れて時々聞いているものです。でも、レコードから聞こえてくるそれらの音は、別の音のように思えました。ジャケットからゆっくりと出し、ターンテーブルに慎重にのせ、スイッチを入れる、このような動作を、レコードを聞くたびに高校生の僕は繰り返ししていたわけです。そして出てくる音。その音の中にはたとえば、ジョンレノンの「マザー」という叫びも含まれていました(音量調節に失敗して実家で飛び跳ねてびっくりしたことは今も覚えています)。
大切に扱い、やっと出てきた音(そしてその音は、思春期の僕にとっては本当に大切なモノでした)。僕が音楽ファンになったのも、ああした一連の動作があったからなんだなあ、と実感したわけです。今の若い人達が音楽から離れてしまったのは、商業主義に走ったコンテンツもありますが、レコードが消滅してしまったことも大きいのでは?

2011年2月18日金曜日

Facebookは仕事ツール SNS①

マーク・ザッカーバーグ
ソーシャルっぽくない笑顔 Wikipediaより



■社会的“顔”があってこそ

この前ツイッターでつぶやいたのだけど、チュニジアやエジプト革命で大活躍だったFacebookは、実にSNSらしいSNSで、原則実名顔写真公開というルールのために、日本ではたぶんミクシィのような流行り方はしないだろうとした。

おもしろいことに、実名顔写真オープンだからこそ、少なくとも我が国では、自分の「秘密」はそこでは扱えない。
ある程度「社会的“顔”」を元に、そこでは関係性が成り立つだろう(日本では)。よほどガードを固くするとプライバシーが守られるだろうが、そんなプライバシーは、わざわざFacebookを使わなくても数人単位のメールで十分だ。

となると、公的な個人情報が中心となるメディアになるだろう。公的な個人情報とはつまり、「仕事の自分」あるいは「(サークル等個人的活動を除いた)学生としての自分」ということだ。
だからFacebookは学歴欄があるのか、と思う。創設者のハーバードの天才はたぶんハーバードしか自分の「社会」がなかったのだろうが、彼がひきこもりの天才だったらFacebookのような媒体は生まれなかったのかもしれない。
創設者が大学生だった(つまり大学人という社会的属性を持つ)からこそ、生まれたのがFacebookだったのだと思う。

■社会訓練としてのFacebook

僕はツイッターでは、ひきこもりの人はあまりFacebookを使わず、今まで通り2ちゃんねるを愛用するのでは、と書いた。
「社会の中の自分」がなければ、Facebookは有効活用できない。

僕はこれを逆手にとって、たとえば若者就労支援のプログラムの中にFacebook登録を含めてもいいのではないかと思う。
Facebookに登録することは、社会に属するということだ。当然、そこではある程度のコミュニケーションスキルを求められる。
2ちゃんねるのような荒れ放題のコミュニケーションは通常の「社会」とは言えない。社会人が属する「社会」とは、たとえば、挨拶、メモ、スケジュール管理、ホウレンソウなどが当たり前のようにある社会のことを指す。

それらが当たり前のようにある「社会」の中で、たとえば中小企業への就職活動の情報交換などをしてはどうだろうか。ブラック企業を恐れるあまり、普通の中小企業までも若者たちが敬遠し、その結果何十社も大企業を落ち続けるという現象が全国的に蔓延しており、これが現代の就職難の一因だとも聞く。
中小企業も、こうした若者に対して、積極的に情報を流していく。まあ現実にそうしたことが機能するためには、両者のあいだに立つNPOのような存在が必要なんだろうが。

パブリックな自分を出す場なので、そこは愚痴や悪口を言う場ではない。それは2ちゃんねるを十分使えばよい。
まあこのような試みはすでにあちこちであるのかも。僕が言いたいのは、顔写真・実名というFacebookのしばりを逆にとって、顔写真・実名を社会はどうすれば受け入れてくれるか、ということを学ぶ場所にできないか、ということだ。脱ひきこもりの実践的訓練かな。

■ソーシャルスキルが必要なSNS

僕としては、支援者のソーシャルネットワークを構築する上で、このFacebookはかなり使えると思っている。ここでも、実名・顔写真というしばりは有効に作用すると思う(発言に責任が伴う)。

まあどう使うとしても、Facebookの中の議論自体はそれほど刺激的ではないだろう(刺激的なことを書く人は日本では敬遠されると思う。実名・顔写真だと)。
ひとことで言うと無難なメディア。でも、無難というのはかなりのスキルが必要なのだ。ツイッターでもその土壌は形成されていたが、Facebookの登場によって、いよいよネットは「裏」のものではなくなってきた。

いや、裏が好きな人は今まで通り2ちゃんねるに住めばいいが、ネット上でも「本当の社会」デビューできる時期が来たといったほうがいいか。ただし、そのためにはそれなりのスキルが必要だ。それを教えるというのも仕事になるかもしれない。★

2011年2月11日金曜日

たとえば「発達障害→がんこ→ダメ」という思考の罠に陥らないために 〈支援の最前線〉2

支援というものは車の運転と同じで、3ヶ月、半年、3年あたりが過ぎた頃、慢心してしまうジャンルだ。慢心でなければ、忙しさと仕事の重さのために何かが麻痺してしまうジャンルだ。
僕には病気をする少し前あたりから、支援者向け講演や研修の依頼が増え始めていた。僕も46才、青少年支援の仕事を始めてからもう15年になる。20代は編集やライターの仕事をしていた(というか友人と小さな出版社を立ち上げそこそこ軌道に乗せた)ため、いつまでも編集者気分が抜けないでいたが、そうしたことを知らない人から見ると、僕はすでにベテラン支援者のひとりになっている。
そうしたことから、支援者研修の講師として依頼をされたり自分で企画したりするようになっている。あのまま病気をしなければ、今年はもう少し規模を拡大した企画へと展開していただろうが、病気のために、運命は僕に少しの休息とこれまでの方針の点検と見直しをする時間を与えた。身体はだいぶ回復しているので、春を過ぎ夏になれば、そうした研修や頓挫している「青少年支援者学会」も再び動き出すだろう。あわただしくなる(といってもワーカホリックは卒業しました)その前に、支援をし始めた人や何年もしているけれども忙しくて立ち止まれない人向けに、いくつか思いつくことを書いていきたい。
〈支援の現場〉シリーズもそうだが、この原稿を研修用の資料に使っていただいても結構です。

今回僕が言いたいことはすごくシンプルだ。だからいつものようにだらだらと文学的に表現しないが、このシンプルさには常に罠がはりめぐらされているということに注意しよう。そしてその罠に一番はまりすいのが、支援者なのだ。

「発達障害」というのは一般的な概念である。
また、「がんこ」というのも一般的な概念である。
一般的な概念とは、誰にでも応用可能なものという意味だ。その反対側には単独性という概念がある。それは、世界で一つしかないものという意味だ。たとえば、田中俊英は人間という一般概念に属しながら、田中俊英という世界でひとりだけの単独性を有する、ということだ。
今回は単独性は考えない。一般性をどう区別するかということから始める。
発達障害というのは、ある種のマイノリティ(多数派から見て「多数派ではない」という意味)を指す。あえていうと、マイノリティ的一般性だ。「がんこ」はどちらかというと、性格に属するものだろう。あえていうと、性格的一般性だ。マイノリティ的一般性と性格的一般性、これは基本的には別のものである。
繰り返すと、マイノリティと性格は別のものである。だが、専門家によっては、この二つをつなげて語る。僕はそれには反対しない。たとえば、アスペルガー症候群だからがんこだ、とある専門家は言うだろう。逆に、あまりにがんこだからもしかするとアスペルガーかもしれないという専門家もいるかもしれない。
なぜ両者をつなげて語るかといえば、発達障害を早めに察知し丁寧に告知し支援につなげていくためだ。この「丁寧に告知」というのが極めて難しいが、発達障害が早めにわかったほうが、本人も家族も、発達障害を知らないでいるよりも相対的に幸福になれるのだから悪いことではないと僕は思う。
だから、発達障害とがんこという2つの別ジャンルの一般性をつなげて検討することで、本人と家族が相対的に幸福になれるのであれば、それはそうすべきだ(現実には「がんこ」以外にもさまざまな性格的一般性が関与する)。

問題は、この2つの一般性をつないだ先にさらに「ダメなやつ」という価値判断がくっついてしまう場合だ。ダメというものにもいろいろな捉え方があって、愛すべきダメなやつみないな感じで肯定的な意味合いが入っている場合を僕は言っていない。多くの意味が入らない、単に「劣っている者」として遠ざけてしまう概念操作のことをここでは指している。
「劣っている者」はぐるっとめぐって「障害」という概念にくっつくこともある。そうすると不思議なことに、「がんこ」という一般概念にまでその影響がとどいてしまう。
冷静に考えると、発達障害は単に障害(日本語として一般化しているという意味でこの漢字を使う。あえて別の漢字に書き換えない)というマイノリティ的一般概念であり、がんこは性格的一般概念だ。両者は別に劣ってはいない。
支援のために、発達障害とがんこは比較検討されるかもしれないが、ここに「劣っている」が入り込む余地はない。
言葉には、たくさんの創造的魅力があると同時に、たくさんの概念的くっつきという罠が待っている。そして、そうした罠に捕まるほうが、自分の疲れきった仕事の一日を整理整頓できることがある。そして怖いことに、このような概念的くっつきを、同僚たちとの雑談で楽しんでしまう。これには本当に注意しよう。当事者たちはきちんとわかっているから。★


※田中の近況
この前、午前中は挨拶回り、午後はスタッフとの来年度運営ミーティングと、久しぶりに夕方近くまで仕事してみた(昼休みをたっぷりとったが)。なかなか懐かしく、かつ楽しかったので、久しぶりの仕事らしい仕事の日だったのだが、さすがに夜は少し疲れてしまった。でも、翌朝になれば気分もすっきり、体調も回復していた。これは、もしかしてまた新しい段階になった? 僕の身体もスモールステップの積み重ねです。

2011年2月4日金曜日

「当事者」という言葉 〈病気のあとで〉1

自分が脳出血という重い病気になっても、まわりが心配する重みに比べて意外と当人はその重みがなかったりする。
でも実際は、昨年(2010年)の8月19日に倒れて即手術を受けた後、10日間はまったく記憶がない。あとで聞くと、その間も僕は、看護師や医師相手に滔滔と仕事の展望について意味不明のことを語りつくしていたらしい。そうしたことも含めたたくさんの迷惑をまわりにかけてしてしまった。
そしてその間、僕の記憶は完全にない。46年間生きてきて、10日間も記憶がない体験は初めてだ。9月になってから、医師に、「死か、重い麻痺か、今の状態かの3つのいずれかだった」と言われた。
その言葉あたりから以降の記憶はある。そしてそのときに自分に言い聞かせたのが、「これからは人の言うことをきちんと聞こう」ということと、変な話だが「親孝行を自分なりにしよう」だった。なぜそんなことを突然自分に言い聞かせたのかは今もわからない。
そしてそれから早くも5ヶ月が過ぎた。この頃は、段階的に「あ、また復活してきた」みたいなノリで自分の回復を感じている。具体的にどこがというのではなく、たとえば歩いているときに、「あ」みたいな感じで発見がある。自分の内のほうから何かがせり上がってきて、どすん、と体の中のどこかに座りこむというか、内なるデッサンの上にまたひとつ新しい色が増えたというか、まあそのような感じで「またオレ、ちょっと戻った」みたいに感じている。
記憶が清明になってきた9月初め頃、医師の言葉を記憶する前からすでに、「こちら側にいる」実感のようなものにすでに包まれていた。これからいろいろな人の闘病記を読んでみて僕の実感と比較してみようと思っているが、僕の場合、「あちらかこちらか」の分かれ道をたどって今はその「こちら側」にいるという、感覚は確かにあった。それは、生きているからよかったという意味作用を伴ったものではなく、強いて言うと「このようになったのならこのように生きよう」というような「受け入れ」の感覚だった。
だから、まわりの人からみると、やけに淡々としていたかもしれない。

そのような思いで昨年の秋頃は過ごしていて(まあ今も深い部分では変りないが)、ある日突然に思ったことがあった。
それは、「ああ、オレはオレという人生の当事者なのだなあ」ということだ。
僕は思春期の頃から世の中を斜めから見る癖がついていて、それは自分に対しても同じだった。常に世の出来事や人々を斜め(上)あたりから見、観察し、批評し、余裕があれば書く。同時に、自分に対しても客観的に見つめ、自分を分析し、語り、そして余裕があれば書いていた(まあ厳密に言えば今もそうなんだが)。言葉としてはメタレベルでもなんでもいいが、もう性格や人格という言葉に入れ込んでいいくらい、このような傾向が僕にはあった。
でも、昨年の秋頃、あれは何をしていた時だったか忘れてしまったけど、それこそ唐突に、「あ、このオレの人生の当事者はオレしかいないんだ」と稲妻に打たれたように思い当たったのだった。何を当たり前の事を、あなたの人生はあなたのものではないか、と多くの人は笑うだろう。でも僕にはこれは大発見だった。デリダもドゥルーズの本も、カントやハイデガーの本も、村上春樹や夏目漱石の小説も、そして阪大臨床哲学の鷲田先生の講義や本をいくら読んでも聞いても得られなかった「当たり前」の実感だった。
そしてそのとき、「そうか、オレも“当事者”なんだ」とつくづく思い至ったのだった。病気の当事者という意味だけではなく、僕固有の人生の当事者という意味も含めて。

もう5年以上前、ひきこもりを体験した人が語り始めることができるようになった瞬間からそれは当事者ではなくなる、と書いて一部の人の顰蹙をかったことがある。あれは、哲学者のスピヴァク(デリダ派)の『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)から都合よく拝借したものだった。
本当の当事者は問題の最中に放りこまれているから自分が何者であるかを表現することが難しい。自分が何者であったかをきちんと表現できるのは、その問題の当事者ではなくなってから(僕は「体験者」と表現した)である、とたぶんスピヴァクはその本の中で言いたかったのだと思う。スピヴァクはインドの被差別階級を対象にしていたけれども、僕はそれをそのままひきこもりに応用して語り、書いた。そして何人かの方を傷つけた。
その理屈でいうと、当事者と名乗り始めた僕も、脳出血“体験者”になったからこそ、そうした発言が「事後的に」できるということになる。
けれども、手術後「こちら側」にいてしまっている僕からすると、スピヴァクの使う当事者とは別の意味で、このサイドを死ぬまでこの自分の視線から見続け歩き続けるという、哲学的に言うとたぶん実存主義的な当事者もあっていいのでは、と思うようになっている。ああ、実存主義なんてどうでもいい。オレはオレの人生の当事者である、というこのポジティブな実感、ここからすべてが始まることは本当に気持がよく、清々しい。
こうした「当事者」があるとするなら、それがたとえひきこもりやニートという「当事者」意識であっても、かまわない。一生ひきこもり当事者意識を持ち続けたとしても(まあ現実には就労していることが多く、自認レベルだろうが)、その自分の地平の視線で歩き続ければいい。僕も同じ「当事者」として歩き続ける。★

◆田中の近況
僕の病気については右欄をご参照ください。
上に書いたとおり、かなり回復してきたと思います。この調子でいくと、春からの本格復帰も計画通りにいけそう。ただ、1日の耐用時間はまだ3〜4時間くらいか。間、1時間とか2時間休息すれば、もうちょっといけますね。でも、この病気は過信が禁物。過信するのが僕の特技なのに〜。

◆この連載は、〈支援の現場〉〈支援の環境〉〈支援の対象〉、そして〈病気のあとで〉等を行ったり来たりしながら進めていきます。

※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。