2011年5月30日月曜日

印刷前ですが……「発達障害と自立を考える研究会」2010年度版報告まとめの要旨

昨年度は入院したため僕自身は初回しか参加できなかったが、淡路プラッツ主催で「発達障害と自立を考える研究会」というのを全6回にわたって開催した。ご協力いただいたゲストと、運営してもらったスタッフには本当に感謝している。
同研究会は2009年度から開始しており(初年度は「発達障害者の就労プログラム研究会」という名称だった)、2011年度で3年目になる。幸い僕もこの世に無事生還できたことだし、今年度はフル参加しようと思っている。
この研究会は、大学でもなく行政でも学会でもない淡路プラッツという一NPOが主催し、会員は行政・NPO職員を中心とした多彩な顔ぶれなだけに、発足の中心である僕にとっても、その意味付けがなかなか難しかった。研究会の必要性はわかる。だがなぜNPOが主催するのか。そしてそれがなぜ淡路プラッツなのか。

そのへんのことを意識して、昨日、2010年度の報告書に掲載するための文章を書いてみた。報告書(といっても会員限定の少部数だが)の完成は7月2日(2011年度同研究会第1回開催予定日)なので少し先だが、そのエッセンスというか結論部をここで少し引用したい。出版ルール的には反則なのだけれども、昨日の今日で僕としては熱い話題だからブログ向きだし、もちろん全文引用ではないし、僕のツイッターのフォロワー数は少ないし遠隔地の人が多いので多少のルール違反もいいかなと思った次第。

発達障害の研究会をNPOが主催する理由として僕は以下の4点をあげた。

1.成人の発達障害の「発見」は、現在遅れがちである。告知・受容のプロセスは、NPOや保健所等のアウトリーチ機関を中心に、医療機関の診断を決定打としながらも、重層的かつ時間を要するものである。

2.つまり、発達障害として一次的に発見されることは、成人層では少ない。まずは、「ひきこもり・ニート」と彼らは名付けられる(あるいは「精神障害」として)。ということは、ひきこもり・ニートを支援している行政・民間機関の役割は大きい。民間機関の中心はNPOである。

3.発達障害は、他の3障害と比較しても、「社会との関連性」のなかで障害とされる、ある意味特殊な障害である。社会との関係性の中で、その「生きづらさ」が個人の許容範囲を超えて大きいとき、それは障害と「なる」。

4.そのため、障害受容の作業は一時的なものでは終わらない。当事者と当事者をとりまく社会の、そのつどの関係性の変化のたびにそれは問われ続けていく。つまり、発達障害の告知受容作業は継続することで本人・保護者は安定する。その継続する告知受容作業を成り立たせるためには、告知・受容が持続可能な支援システムに当事者・家族が配置される必要がある。

ちょっとマニアックな議論かもしれないが、現在本当に必要とされている議論だと僕は思っている。
NPOが発達障害研究会を主催する理由として、成人発達障害は現在別の名前で(ひきこもり等で)NPOにまず現れ、その障害受容にはNPOに代表される息の長い支援システムが必要となる、つまり結果として青少年支援NPOが成人発達障害支援の中心となっているため、青少年支援NPOは発達障害に主体的に取り組む権利を持つ。
とまあ、身体(と脳)が回復してきたらしてきたらで難しい言葉を使い始めた僕ではあるが、これも回復途上ということでお許しを。
今週か来週には、「発達障害と自立を考える研究会2011」のお知らせをプラッツホームページで始めます。第1回は、7月2日(土)10:00〜12:00淡路プラッツ1階で、テーマは「ひとり歩きする“発達障害”」、参加費は会員1000円(年会費5000円)、一般2500円です(参加は支援者限定)。田中ほかが発表します。★



2011年5月26日木曜日

AKBは2次元っぽい

この人は3次元っぽい。公式サイトより。

■カラオケ支援は「ステップ5」

脳出血からの復帰後、「NPO経営者」的仕事が中心になってきた僕なのではあるが、病気の前までは若者たちともしょっちゅうカラオケに行っていた。
スモールステップ理論的にいうと、「生活支援」段階のステップ5あたりになる。

ちなみに、スモールステップの進み方をざっと述べておくと、「アウトリーチ」段階内にステップ1〜3、「生活支援」段階にステップ4〜6、「就労支援」段階にステップ7〜10となる(詳しくは、スモールステップ支援スケールver.1をご参照ください)。

「スモールステップ・生活支援ステップ5」であるところのカラオケは、社会参加体験の初期段階としてはかなり有効だ。
座席の位置・曲入れの順・精算の仕方等の「暗黙の社会参加知」が、ほかの客を意識せず、自分の仲間たちのいわば暖かい視線の中でトレーニングできる。

■エヴァ→化物語→ハルヒ→けいおん!、→「空気」を読んでオザケン……

で、僕はそんな彼らのお手伝いをしながら、楽しい雰囲気を形成すべくというか僕自身大いに楽しみつつ何曲か歌うのであるが、だいたい歌う歌は決まっていた。
まずは「エヴァンゲリオン」関係。いっしょに行く若者たちが初めてであれば主題歌で無難におさめるものの、常連たちとの時は「タナトス」とか「魂のルフラン」とかでばしっと決める。

そしてこの頃は、「化物語」の主題歌。次に「涼宮ハルヒ」とか「けいおん!」とか京都アニメーション系が続く。
だいたいアニメを歌ってスカっとしたあと、もう無理して歌うこともないのだが、時間があれば昔懐かしのフリッパーズギターとかオザケンとかへ。

以前はこれら“渋谷系”はひきこもり男子の敵だったので遠慮していたが、この頃は懐メロになったため(誰も知らないため)遠慮しなくてよくなった。フリッパーズがめんどくさい時は、ああ涙涙のデビットボウイとイーグルスという、おじさん路線になっていく。Xジャパンやニルヴァーナもあるか。

僕は歌は下手だけど、好きだ。この、「へた好き」というのがわりと若者には受けるらしい。
ノリノリになってくると、モーニング娘にも突入する。ラブマシーンはシングルビデオ(懐かしい……)も買ったくらいのファンだった(というか研究対象だった)。黄金期のモーニング娘はほとんど歌える。

■AKBは、けいおん!3次元バージョン

という僕が病気をし、退院し、家でテレビを見ることが多くなった今日この頃、AKB48を見る機会がものすごく増えた。
これはモーニング娘とはあきらかに違う。どちらかというと、「けいおん!」のノリを実写化したようなアイドルたちだ。
モーニング娘は元ネタは80年代アイドルだったけど、AKBの元ネタは京アニキャラたちだ。

こんなことは深く分析せずともぱっと見ただけでわかることだ。市場ニーズに敏感なプロデューサーが、綿密なマーケティング数値も裏付けに、低予算で売り出し予想通り当たったのがAKBだろう。

だからその予想通り、秋葉原でおたくたちが何枚も同じCDを買い、枚数分の握手という商品を提供する。
彼らの中にはひきこもり(激しいひきこもりではなく、スモールステップ2〜3あたりの外出可能なひきこもり)もいるだろうし、正規雇用もいるだろう。彼らは、別名「草食系」ともいわれる。

■2次元っぽいAKB

AKB現象やおたく現象やひきこもり現象や草食系現象は決して個々の現象ではなく、現代日本の男性ジェンダーをそれぞれの角度から分析したときに出てくるキーワードだ。
ポイントは、1980年代に一度ピークを迎えた日本の若者文化・社会とそれを背景化したジェンダーのあり方が完全に消滅し、今は完全に「新保守主義」といってもいい男性/女性ジェンダーとなったということだ。

いや現代の特徴は、古典的なジェンダー配置をベースにしながら、AKBの総選挙や「けいおん!」の人物配置に見られるように、登場人物はそのすべてが女性(というか古典的「女の子」)だという、かなりひねくれた構図になっている。
古典的「男の子」は、登場人物である古典的女の子を支持(CDやDVD購入、あるいはライブチケットの購入というかたちで)するが、「劇」の中には男の子たちは決して登場しない。

劇の主役と脇役、その他すべての役は女の子たちで占められる。男の子は、それらを観察するためにチケットを購入するのみ。AKBの総選挙などでは数十万円も出費する男の子たち(実年齢40代だったりするが)もいるとか。

結局男は上から目線で女を観察していると怒るのは、それこそ旧来のジェンダー論者だろう。女の子は、観察対象であることを甘受しつつ、しっかりチケットを買ってもらい、自分の成功物語を夢描く。

男性ジェンダー優位という基本構図は変わらないものの、女の子は、いわばこの社会の中での「おいしいとこどり」を行なっているような。心やさしき「ひきこもり」くんたちは、それら女の子たちの夢物語に何十万円も払って協力しているような。
AKBの場合、彼らが苦手な「3次元」なのではあるが、彼女らの「汗」も、なぜか微妙に2次元っぽいんですよね。しばらく研究します。★


2011年5月23日月曜日

「海外旅行」支援は、ある意味“劇薬”である② 〈支援の最前線7〉

週2刊ブログ宣言をしたことだし、今週はさっそく、朝の“すっきり脳”の時間にさくさくっと更新しよう。
前々回、「海外旅行」は、スモールステップ理論確立のための過程だった①というのを綴り、つまりはたぶん海外旅行というのは子ども/若者にとって何らかの「効果」はあるはずなのだが、まわりからはその効果が見えにくいということを書いた。
まわり(当時の僕のような第三者や保護者)からはいかにも楽しんでいそうに見える。けれども、海外旅行を体験した子ども/若者は、変わる人は明らかに変わる。一言でいうと、たくましくなる。まわりから見ると、スタッフは遊んだり酔っ払ったりしている。そして子どもたちは、時にはスカイダイビングみたいな荒業を体験させられたりするが、基本的には、そんなスタッフのあとをついていっているだけ。それなのに、帰国後、変わる。


この「変わる」という事実が圧倒的なだけに、保護者も第三者も何も言うことができない。というか、子ども/若者たちが以前より元気になって、保護者はうれしいし、(当時の僕のような)第三者は「たいしたもんだなあ、蓮井マジックだなあ」と感心してしまう。まあ、結果オーライだからいいか、という空気が流れている。
これはでも、今から思えばまさに「結果オーライ」だった。


スモールステップ的に言えば、海外旅行は、スモールステップの先の先、もしかすると、長期アルバイト(就労支援ステップ段階のゴール近く)と同じくらいの段階の支援レベルかもしれない。それくらい、海外旅行というのは、なかなかのタフネスを若者たちに要求する。故・蓮井学初代プラッツ塾長(しかし何度も書くけど、この「初代」とか「塾長」というのは厳つすぎる〜)はたぶんそこまで考えずに、まさに“天才支援者”的に、つまりは支援者としての野生の勘で、同行する若者たちを選んだのだと思う(それに加えて、当時やり手非常勤スタッフがいたから、彼ら彼女らのアドバイスもあったのだろう)。
それがたまたま当たった。いや、必然的に選ばれたメンバーだったということにして、当時、海外旅行にともに出かけたメンバーのうち、多くは社会的自立を成し遂げている。
それまでに、90年代プラッツのさまざまな支援メニューをこれでもかと体験させられていたからこその有効な海外旅行体験だった。つまりは、海外旅行に出発するまでにすでに、当事者も支援者もきちんと意識しないうちに、いつのまにかスモールステップを踏みまくっていた、ということだ。


僕も、プラッツスタッフになって3回、若者たちを海外に引率している。そのうち1回は2代目塾長(また「〇〇代目」「塾長」と書いてしまったあ、でもこれ以外に表現方法がないし……)のI君(現「NPO育て上げネット」スタッフ)に僕自身も連れていってもらった韓国・釜山旅行だったので、僕自身が中心で引率したのは、韓国・ソウルとメキシコ旅行だ(正確には、メキシコはNPOはぐれ雲に僕らが連れていってもらったのだが)。
僕が引率した2回を思い出しても、まさに「結果オーライ」だったと思う。いっしょに行った若者たちは、いつのまにか「ある段階」にまで来ていた。プラッツのさまざまなメニューを体験して、いつのまにかいくつものスモールステップを踏んでいたのだ。だから、これらの海外旅行も、結果としてはものすごくよい体験と支援になったと思う。


プラッツではおもしろいことに、僕の海外引率をラストに、若者たちは海外に行っていない。それと並行するように、「若者たちの社会参加の段階に応じた」スモールステップ支援が明文化され始めた。
(ひきこもっている家の中での)親子の会話に始まり、外出のつきそい、支援施設への引率等、細かい段階(スモールステップ)を踏んだ支援が理論化(理論的なものは右欄の『ひきこもりから『家族』を考える』参照)・実践化されることと並行するように、「結果オーライ」としての海外旅行は徐々に背景化し始めた。
今から考えると、「海外旅行」支援は、効くときは効くが外してしまうときは思いっ切り外すかもしれない、いわば“劇薬”だったと思う。やはり、スモールステップをゆっくりと踏んでいき、アルバイトもできるようになった頃、いわば「力試しも兼ねて」行なってみるのがこの種のダイナミックな体験型支援ということになるだろう。
それが成功すると、人生の中でも格別の思い出と経験になるのは間違いない。支援者の僕にとっても、メキシコのアカプルコ近くの海岸を、引率した青年と陽気に散歩したことは、一生の思い出となっている。★



2011年5月21日土曜日

ブログを週2で書いてみます

だんだん元気になってきた今日この頃、なんとか10時から16時頃まで仕事が可能になってきた。勤務日も、週4も珍しくなくなった(事務や会議中心。面談等の支援はまだです)。脳卒中(僕は脳出血だが、脳梗塞やくも膜下出血を総してこう呼ばれる)になってから、性格のほうも以前よりさらにオープンでポジティブになってきたような気がしており、よい意味で「いい加減」にもなってきた。
以前の僕は、何事にも細かくて、若干というかモロ強迫的なところがあって、まあそれはそれは几帳面だった。ジェンダー別でいうと、だいたい男ジェンダーは細かいけれども、僕は輪をかけて細かい男ジェンダーだった。こんな性格の男が団体のリーダーになってしまうと、スタッフのとりこぼしが妙に気になってしまい、でも怒ったり叱ったりするといまどきのスタッフはついてこないといろんな本に書いてあるので、ぐっと我慢し、一人夜に事務所で仕事したり一人家で仕事したりと、一人忍耐を重ねていたのだった。その結果かどうか知らないがプラッツの経営は何とか安定してきたものの(いやいや経営安定はスタッフ全員のおかげです)、代わりに僕が倒れた。

これではいかん。いかんというか、もう倒れてしまったので後の祭りだが、ものすごーくラッキーなことに身体的後遺症はなかった(脳自体のスタミナは全然ないが)。身体的後遺症のなさに感謝しつつ、せっかくだからこの機会に「細かい僕」はやめることにした。
細かくフォローするのに慣れきっているので最初はついつい手を出してしまいそうになったのだけれども、よく考えれば僕不在の時でもきちんとプラッツは運営されていたのだし、ここは優秀なスタッフを全面信頼し、細かいことにまで目を配るのはやめた。スタッフからすると、細かい僕に慣れているところがあるので「やめた」と言われれば戸惑うかもしれないけれども、まあとにかくやめた。
当ブログでも実名で登場するさいろ社の松本君の口癖は、「ストレスをもたないことが最優先」だ。たしかに、細かいことを気にせず、多少の軋轢もすいすい流してどーんと構えている人は健康だ。聖路加の日野原先生なんか、もしかするとご注意ご欠陥症的匂いもプンプンするものの(それも才能です)、とにかくどーんと構えていつもニコッと笑って毎日1300キロカロリーのみを食べ続け、わりと仕事しながら99才にしてお元気だ。
とにかく細かいのはダメ。男ジェンダーはだいたいすべてに細かいと書いたけれども、だから男ジェンダーは寿命が短いのではと僕は疑っている。すべてに気がついてしまう→それらをこなせずストレスがたまる→酒や煙草で紛らわす→到底紛らわすことなどできずさらに細かいことに気づいてしまう→そして酒、という悪循環に陥ってしまうのだ、男ジェンダーというものは。倒れる前の僕はたぶん、そうだった。

だから僕は、これからはドーンと構えていきます。でも、ドーンと構えながら実はストレスがたまっていくことも考えられるので、このブログを週2にすることにした。ありがたいことに、文章は僕の血圧を上げない。さらに、文章を書くのは僕とっては楽しい。そして、今回はこんなエッセイ風だが、いつものような社会問題風臨床哲学的論文風エッセイは、僕にとって、よいリハビリになる。
というわけで、これまでのようなテーマ(現場、最前線、システム等)も掘り下げつつ、今回のようなエッセイ、さらに、今年度から僕は(リハビリを兼ねて)プラッツの広報担当になったので今時の広報話題(つまりはネットを通した広報テクですね!)もとりあげることにする。となると、週一ではとても書ききれなくなってくるから、週2で書いてみることにします。身体に無理ないようすすめますので、応援の程、よろしくお願いします。★

追.ブログに著者近影写真載せてみました。サイズ調整できなーい……

2011年5月19日木曜日

「海外旅行」は、スモールステップ理論確立のための過程だった① 〈支援の最前線〉6

以前も書いたかもしれないが、僕がプラッツのスタッフになったのは00年5月で、プラッツ初代名物塾長の蓮井学さんが亡くなってすぐあとだ。その蓮井さんが亡くなる前後のエピソードや亡くなる前の僕が知っているだけのエピソードを綴るだけで本が3冊くらい書けてしまうだろうが、今回は触れない。
これも以前に書いたように90年代の僕は基本的に「さいろ社」という個人出版社の社員だった(90年代中頃からフリー、後半は支援者として独立)。でもあれはなぜだったのか理由もすでに忘れてしまったものの、淡路プラッツが「淡路プラッツ」として名前を持ち、現在の建物に入居したことを記念する宴会に僕は出席している。93年か94年初頭だったと思う。あのとき、宴会の中心に蓮井さんがどんと座ってビールを飲み、そのまわりを今は沖縄に帰って仕事をしているプラッツ3代目塾長のK君(当時はボランティア。しかし初代とか3代目とかスゴイです。ちなみに2代目はNPO育て上げネットスタッフI君)ほかの若いスタッフたちがバタバタとお手伝いしていた。
そんな宴会の賑わいの中で「淡路プラッツ」という名前が決まったのだった。プレースとかプラースとか、英語やフランス語(これはどうだったかな)の候補が並ぶ中、ドイツ語のプラッツが正式名として決定したのであった。確か出席者がみんな酔っ払いながら、ふらふら手をあげつつ多数決で決まった名前だ。僕もふらふらとプラッツに手を挙げた。理由は、何となくプラッツは語感として歯切れがいい、ただ単にそれだけだった。

90年代は、そんな感じで僕は外からプラッツを見ていた。一か月に一度程度蓮井さんに呼び出されて徹夜の飲み会に参加したり、さいろ社の取材や僕の個人ミニコミの取材なんかでいろいろ話を聞かせてもらった。それらの会話のなかで、徐々に「子どもが動き始めるまで『待つ』ことは現実に可能なのか」といった議論が練り上げられていったことは今でもよく覚えている。
僕は僕でわりと忙しい日々を送っており、蓮井さんやプラッツのことはどちらかというと優先順位は低かった。でも時々そうした機会を通して会う中で、「プラッツというところは海外旅行が好きな団体なのだなあ」という印象を持つようになった。
蓮井さんはとにかく、会うたびにどこかに旅行していた。韓国、香港、台湾、ニュージーランド。そしてそのたびごとにおもしろい話題を提供してくれた。ニュージーランドでは若者にスカイダイビングをやらせたいと思ったのだが若者だけでは無理だろうから自分も仕方なく(たぶん酔っ払って)飛んだとか、韓国ではこんなことがあった、香港では……と、まあ挙げたらきりがないほどたくさんのエピソードがある。

僕ははじめ、蓮井さんがあまりに楽しそうに話すものだから、「このオヤジ、仕事にカッコつけて遊びやがって」と内心呆れるというか羨ましいというか、微妙な感情を抱いていた。それは実は、蓮井さんだけにではなく、他の不登校支援者にも抱いた感情だった。今は四国で臨床心理士をしているSさんという人もそうした「遊び」というか「レク支援」のプロだったが、彼が不登校の少年たちとキャンプに行った話などを聞くたびに、「こいつ、仕事にカッコつけて遊びやがって」と思っていた(ゴメン、Sさん)。
90年代は、そのような、「大人が思いっ切り遊べば、不登校の子の心も開かれる」というような牧歌的なムードは確かにあった。それで当時の不登校の子どもの何割かは確かに元気になっていった。

だから、そうした遊びの意味、また、その集大成としての「海外旅行」の意味付けは後回しにされていたと思う。また、蓮井さんにしろSさんにしろ、あまりに魅力的な人たちだった。あの蓮井さんが、あのニュージーランドまで、あのスカイダイビングをしに子どもを連れていくのだから、子どもはやっぱり元気になるだろうといったあたりで意味付けは終了していた。★(書きながら結構重要なテーマだと気づいたので、何回かに分けることにします)

2011年5月14日土曜日

今回は思いつくまま原発のこととメディアについて+おまけ(「サリンジャーと『おとなこども』」)

ここのところ福島原発一号機が実はメルトダウンしていたということがわかり、メディアはあっさり報道しているものの、ネット(ツイッター他)では深刻に議論されており、なんだか妙に心が落ち着かなかったのだが、昨日はこのグーグルの日記機能(blogger)が一日以上長期メンテナンスをしていて、その落ち着きのなさがさらにエスカレートしてしまった。
グーグルはメンテナンスについて何の説明もしないものだから、僕は衝動的にグーグルをやめようかと思ったりした。結局は今朝(5/14)起きてみると何もなかったかのようにこうしてbloggerは機能している。

一昔前までは、サービスを提供する側は(大げさに言うと「権力側」は)、なにかトラブルがあった際、たいした説明もせずに復旧だけしていればよかった。だが現在の世の中は、そして世界は、なにかトラブルがあった時は必ず説明を求められるし、説明したほうがさらなるトラブルを招かなくてすむ。池上彰さんじゃないけど、「わかりやすい説明力」は、サービスや仕事の補完的機能ではなく、サービスや仕事の中核となってしまった。
NPO経営・運営もたぶん同じで、この点を常に意識してサービスに組み込んでいるNPOと、説明力は単なる補完機能程度として軽視しているNPOとで、これからぐいっと差がついてくるだろう。
プラッツはではどうなんだと問われると、残念ながらまだ後者の位置にいる。現在、僕自身の仕事の中身を再構築中なので、この点も十分意識していこう。

さて、今週は「海外旅行」について書こうと思い、ネタも準備していたのだが、ここまでつらつらとエッセイ風に綴ってしまったので、今週はこのノリで続けよう。
今回の病気で連載が中断されたものの、僕は15年くらい『月刊少年育成』というマイナーな業界誌で連載を持っていた。風の噂ではこの春休刊としたと聞く同誌はなかなか良心的な雑誌だっただけに残念だ。そういえばあの15年に渡る連載も、なんらかのかたちでまとめなればいけない。でも、世の中にたくさんある「連載」たちもこんなふうにして右から左へと消えていくんですね。
それはさておき、同誌には2400字くらい毎回書いていたのだが、毎月この日の何時くらいに書こうと、まず日時を決める。僕の場合、文章は朝に書くと決めているから(頭が回転する)、だいたい午前中になる。で、その日の朝、布団の中でゴロゴロしつつああでもないこうでもないと妄想・空想を走らせ、徐々にかたちができあがる。そして、布団からガバっと飛び起き、一気呵成に40分くらいで書き上げる。頭の中で大雑把な構造はできているから、あとは文字にして形態にしていくだけ。プロの書き手の人達がどうしているかは知らないけど、僕の場合、別に資料や取材メモは必要なく現場の出来事を一般化すればいくらでも書くことはあるので、そうやってさらっと15年書いてきた。
つまりは書くことが最初からだいたい決まっているという書き方だ。

だから今回のような、人に読ませるものを思いつくまま書くというのは、90年代後半にまだネットの日記がブログと呼ばれていなかった頃にビールを飲みながらたらたら匿名で綴っていたもの以来か(でもあれは匿名だし)、ほとんど学生時代以来だ。でもこうした「ゆるさ」も今の僕にとっては必要だから(つまり精神的にはリハビリになるから)許してくださいね。グーグルが2日間もメンテしたのと、福島原発が悪いんです。
それにしても、25年前若干マスコミで働きたかったけれども大学的にと成績的に無理だった僕からすれば、あの時はマスコミに行けずに残念だったんだけど結果としてマスコミに就職しなくてよかったと思う。47年生きてきて社会の大雑把な仕組みはわかっているつもりでいても、東京電力の広告費がここまでテレビの報道を左右するのかということ、また本多勝一さんが25年前にあれだけギャーギャー書いていた「記者クラブ」の弊害が全然変わらず残っていること(上杉隆さんお疲れ様!)、これらにあらためて気づかせてくれた事故でもあった、今回のフクシマは。


★(以下、おまけ)


僕たちのドーナツトーク(月刊少年育成2010年5月号より)
サリンジャーと「おとなこども」
田中俊英(NPO法人淡路プラッツ代表)

 少し前、「ライ麦畑でつかまえて」の作者、J.D.サリンジャーが死んだ。たしか僕の記憶では、191911日生まれだったと思うから、90才を超えていたはずだ。
 なぜ誕生日まで記憶しているのか(外れていたらごめんなさい)。それは当然、僕が若い頃、サリンジャーの大ファンだったからだ。
 一般にサリンジャーの代表作は「ライ麦〜」と言われるが、僕は個人的には、「フラニーとゾーイー」のほうが好きだ。社会の「偽善」に疲れきって自宅でひきこもる妹フラニーを、兄ゾーイーが全力で励まし続けるというただそれだけのストーリーは、高校時代の僕をゆさぶった。今僕が青少年支援の仕事についている動機のひとつとして、この作品はたぶん決定的契機になっていると思う。
 サリンジャーのテーマをひとことで表すと、「無垢と汚辱」になるかもしれない。汚辱にまみれた現代社会のどこかに隠され、さまよっている無垢。あるいは、やがて汚辱にさらされることになるだろう無垢の魂」。印象的な主人公たちは、極端に肥大した自意識を持て余しながら、汚辱と無垢の真ん中あたりでさまよっている。そして、その主人公たちを救う無垢の象徴的存在として、幼い子どもたちが登場する。
 国・文化を超えて、このようなテーマにひっかかってしまう青年は世界中にいる。世界中で「ライ麦〜」がいまだに売れ続けていることがその証明だ。日本でも近年、村上春樹訳で話題になった。
 そのサリンジャーがついに死んでしまった。実は、僕はずっとこの日を恐れていた。ご存知のようにサリンジャーは40年以上隠遁生活をしていたものの、自分の青年期にもっとも影響を受けた作家が亡くなると、ジョン・レノンや忌野清志郎が死んだ日もそうだったように、そりなりのショックを受けるのではないだろうかと。
 しかし実際その日がやってきて自分でも驚いたのだが、まったくといっていいほどショックを受けなかった。30年も前に死んだジョン・レノンに対してはいまだに胸がうずく。昨年死んだ清志郎に対しては、恥ずかしながら自宅でひとり泣いてしまった。でもサリンジャーに対しては、失礼な言い方だが、何か「すっ」とした気持ち、もっと失礼な言い方をすると「清々した」気持ちを抱いたのだった。
 僕は今では、ひとの生き方について、「汚辱と無垢」といったサリンジャー的二項対立で語ることはあまりにも単純すぎると考えている。そもそも社会や大人の「汚れ」とは何なのか。そんな単純な捉え方で大人を退けてもいいのか。あるいは汚れそのものが人間であり、単純な二項対立で語れない存在がまさに人間であるからこそ、そこにさまざまな文学があるのではないか、といったような極々当たり前の考え方を僕はするようになっている。
 あるいは、「無垢」とは何なのか。生まれたての乳児でさえ、その表情は(いや、「表情」とはある程度自我に管理されているという意味合いがあるはずなので、自我のない乳児にとってそれは表情ではなく「顔を構成する筋肉の動き」といったほうが正確か)、母親の顔の部分(口や目のまわり等)の筋肉の動きを真似していると言われている。言い換えると、乳児は大人を真似して自我をつくる。乳児の自我形成のその前に、すでに他者である(汚れた?)大人が介入しているのだ。こうした点一つをとっても、純粋な無垢などありえない。
 無垢とはつまり、雑多でとらえどころのない現実社会に向きあうことのできない青年たちの揺らぐ心が一時的に避難してしまう非現実的な場所なのだ。それは、思春期青年期のある局面を文学的に表現した言葉だ。
 大雑把な言い方だが、ジョン・レノンや忌野清志郎は、人がいつの間にかこの社会の成員にさせられてしまうという暴力的な現実を引き受けながら反抗している。世界中に散らばるアーティストたちも、多かれ少なかれ、このようにして現実を「引き受け」、その結果何かを表現する。
 これに対してサリンジャーは、無垢という非現実的な場所に隠遁する。サリンジャーが好きだった若い頃、僕は同じタイプの作家を探し求めていろいろな文学を漁ったものだ。結論として、このタイプのアーティストはサリンジャーしかいなかった。仮にいたとしても、すべてがサリンジャーのあからさまな亜流だろう(ミスチルの歌詞等)。まさに唯一無比。いい意味でも悪い意味でも、それがサリンジャーだ。
 サリンジャーが死んだのに清々した気分になった、このこと自体が今の僕にとってはよろこばしい。一言でいうと、「無垢と汚辱」といった世界の単純な見方からいつのまにか僕は脱していた。もっと一言でいうと、つまり僕はきちんと「大人」になっていた。
 今回の表題の「おとなこども」とは、いつまでもサリンジャー的価値を引きずっている成人を指す(多くの場合彼らはサリンジャーを知らない)。念のために書いておくが、今回の議論はひきこもり問題とは関係ない。「汚辱と無垢」いう世界の区分、その結果としての「本当のじぶん」探しとにとらわれている大人が今の社会には少なからずいる。少子社会の徒花かもしれないが、ひきこもりを許す土壌でもあるような気がする。★

2011年5月7日土曜日

「魔女」ではなく「障害」


■会話が妨げられない

僕は発達障害の人と話すのがすごく好きだ。
これは単に趣味の話をするのが好きということだ。アスペルガー系の人は堂々と自分の趣味を教えてくれるし、軽度の知的の人やADHDの人はいくぶん恥じらいながらもふだんは隠している自分の趣味を教えてくれる。いずれも博識で、特にアスペルガー系の人の知識はいつも必ず感心させられるほどの量と深さだ。

僕も実は彼らに負けず劣らずの知識はあるつもりで、わりと細かいことに関して謎を抱えたりしている。
たとえば、エヴァンゲリオン世界にとっての「月」の意味について、あれはイコール「死」を象徴していると思うのだが、おもしろいことに僕のそうした疑問と発達障害の人が抱える関心は一度も重なったことがない。けれども我々の話は、たぶん盛り上がっている。

「エヴァQ」のプロモ


おそらくそこには、会話を妨げるもの——説教・諭し・話題転換——がないからだろう。
ある意味「おばちゃんの会話」と同じで、お互いがお互いのしゃべりたいことを話していて、噛み合うことをあまり求めていない。
まあまったく噛み合わなければやはり会話は成り立たないものの、極端な話、お互いが笑って頷きあうことができれば、満足できる会話コミュニケーションが成り立っている。

■友達を求めている

アスペルガーの人の会話は「データ」中心で、おたくの人の会話は「テーマ」中心だから、このふたつは似ているようで違うんですよーと、倒れる前に僕は講演でよく説明していたが、まあ、会話によって関係を深めることをそれほど求めていないという点ではあまり変りない。
ここでは、互いの「関係」は二次的なものとなっていて、データやテーマを伝達することが中心だ。

そういえば、僕は大学生の頃、文芸部という超マイナーで僕にとっては超楽しかったクラブに入っていたが、あそこでの会話もそのようなものだった。
延々志賀直哉について話す人がいたり延々筒井康隆について話す人がいたり。僕自身は、孤独だった高校時代を埋めるような勢いで、延々サリンジャーについて語っていた(恥ずかしい……)。

でも、発達障害の人は「友だち」を求めている。データの話の先にいつか出会うであろう友だちを夢見ていることは確かだ。その思いは端から見ていても切ないほど。

僕などは、データを伝えることができる人がいるだけで、まあそれを友だちとして割りきってしまえばいいと思うのだが、そうもいかないみたいだ。そのあたりは、世間で流通している漫画やドラマの影響を受けているのかどうか知らないが、「深い」人間関係を求め、孤立している。

■「障害」で摩擦を緩和させる時代

現在話題になっている発達障害は、現代日本社会にとっての発達障害という意味で、その時その時の社会のありようとは無関係に「障害」となる身体障害や知的障害(軽度除く)とは違う。

社会との関係性の上で障害になっているという意味では、やはり精神障害と似ている。
フーコーの著作をがんばって読まずとも、たとえば統合失調症(精神分裂病)は、時代や社会によって意味付けが異なる、なんてことは少し想像力を働かせればわかることだ。

現代は、個人の特徴が社会との間で摩擦を生むとき、「障害」という言葉でその摩擦を緩和させようとする手法を持った時代なのだ。「霊媒師」とか「魔女」では摩擦は緩和できない。

「障害」「障碍」「障がい」、微妙に表現をくふうしながらも、「ショウガイ」はとりあえずコンフリクトを緩和する。
僕は、そんな時代の支援者なのだから、その流れに乗って当事者が少しでも楽になることができるのであれば、「魔女」ではなく「障害」という言葉を受け入れる。何より、当事者たちがその言葉によって楽になっている。

■「変な大人」だらけだった70年代

これはいつもの定義論。
僕の不思議は、僕との二者コミュニケーションではあれだけ盛り上がるのに、なぜ3人以上になると彼/彼女は沈黙がちになるのか、ということだ。

最近の僕の結論は、現代の会話では、一定の話題の深まりと会話内容の統一感が求められ、みんなでそうした会話行為を共有するという規範が働いているということだ。
そして、アスペルガー的「オレオレ会話」は敬遠されることになるのであるが、敬遠された時点で敬遠されたアスペルガー君/さんが孤独になってしまうというのも現代の特徴だろう。
その敬遠された人に近寄って、「オレオレ会話」の続きを聞きたいという人も、実は敬遠される。話下手な人なんかは、「オレオレ会話」の人が横にいるだけで楽になるかもしれないのに。

こう考えると、発達障害というものは、実に現代日本的なものだと思えてくる。自己主張が規範にある欧米では、アスペルガーの人はどういう点で困っているのだろう。今は調べる気力がないが、ぼちぼち専門家に聞いていくことにしよう。

今のところは、「オレオレ会話」する人はそういう「キャラ」だということで、現代日本的「場」に受け入れてもらうしかない(そのためにも受け入れ可能なルールをつくる)。僕としての希望は、そうした「場」をつくりだしている成員一人ひとりが、そうした「場」をつくりだしているのは自分たちであり、そしてこの現代日本であり、そしてこの現代日本はやがて「次の現代日本」パラダイムへとシフトしていくということを自覚してくれたらなあ、ということだ。

今の日本は、有史以来最強の「和」を重んじる時代ではないかと僕は疑っている。僕が記憶する近いところでも、70年代はずっとずっといい加減だった(今でいう「変な大人」だらけだった)。
明治とか、近代以前の(「自我」が発明される以前の)江戸とか、もっと遡ってたとえば室町とか、実はこんな「和」社会では実はなかったのではないか。★