投稿

5月, 2011の投稿を表示しています

印刷前ですが……「発達障害と自立を考える研究会」2010年度版報告まとめの要旨

昨年度は入院したため僕自身は初回しか参加できなかったが、淡路プラッツ主催で「発達障害と自立を考える研究会」というのを全6回にわたって開催した。ご協力いただいたゲストと、運営してもらったスタッフには本当に感謝している。
同研究会は2009年度から開始しており(初年度は「発達障害者の就労プログラム研究会」という名称だった)、2011年度で3年目になる。幸い僕もこの世に無事生還できたことだし、今年度はフル参加しようと思っている。
この研究会は、大学でもなく行政でも学会でもない淡路プラッツという一NPOが主催し、会員は行政・NPO職員を中心とした多彩な顔ぶれなだけに、発足の中心である僕にとっても、その意味付けがなかなか難しかった。研究会の必要性はわかる。だがなぜNPOが主催するのか。そしてそれがなぜ淡路プラッツなのか。

そのへんのことを意識して、昨日、2010年度の報告書に掲載するための文章を書いてみた。報告書(といっても会員限定の少部数だが)の完成は7月2日(2011年度同研究会第1回開催予定日)なので少し先だが、そのエッセンスというか結論部をここで少し引用したい。出版ルール的には反則なのだけれども、昨日の今日で僕としては熱い話題だからブログ向きだし、もちろん全文引用ではないし、僕のツイッターのフォロワー数は少ないし遠隔地の人が多いので多少のルール違反もいいかなと思った次第。

発達障害の研究会をNPOが主催する理由として僕は以下の4点をあげた。

1.成人の発達障害の「発見」は、現在遅れがちである。告知・受容のプロセスは、NPOや保健所等のアウトリーチ機関を中心に、医療機関の診断を決定打としながらも、重層的かつ時間を要するものである。

2.つまり、発達障害として一次的に発見されることは、成人層では少ない。まずは、「ひきこもり・ニート」と彼らは名付けられる(あるいは「精神障害」として)。ということは、ひきこもり・ニートを支援している行政・民間機関の役割は大きい。民間機関の中心はNPOである。

3.発達障害は、他の3障害と比較しても、「社会との関連性」のなかで障害とされる、ある意味特殊な障害である。社会との関係性の中で、その「生きづらさ」が個人の許容範囲を超えて大きいとき、それは障害と「なる」。

4.そのため、障害受容の作業は一時的なものでは終わらない。当事者と当事者をとりまく社会の、そのつ…

AKBは2次元っぽい

イメージ
■カラオケ支援は「ステップ5」

脳出血からの復帰後、「NPO経営者」的仕事が中心になってきた僕なのではあるが、病気の前までは若者たちともしょっちゅうカラオケに行っていた。
スモールステップ理論的にいうと、「生活支援」段階のステップ5あたりになる。

ちなみに、スモールステップの進み方をざっと述べておくと、「アウトリーチ」段階内にステップ1〜3、「生活支援」段階にステップ4〜6、「就労支援」段階にステップ7〜10となる(詳しくは、スモールステップ支援スケールver.1をご参照ください)。

「スモールステップ・生活支援ステップ5」であるところのカラオケは、社会参加体験の初期段階としてはかなり有効だ。
座席の位置・曲入れの順・精算の仕方等の「暗黙の社会参加知」が、ほかの客を意識せず、自分の仲間たちのいわば暖かい視線の中でトレーニングできる。

■エヴァ→化物語→ハルヒ→けいおん!、→「空気」を読んでオザケン……

で、僕はそんな彼らのお手伝いをしながら、楽しい雰囲気を形成すべくというか僕自身大いに楽しみつつ何曲か歌うのであるが、だいたい歌う歌は決まっていた。
まずは「エヴァンゲリオン」関係。いっしょに行く若者たちが初めてであれば主題歌で無難におさめるものの、常連たちとの時は「タナトス」とか「魂のルフラン」とかでばしっと決める。

そしてこの頃は、「化物語」の主題歌。次に「涼宮ハルヒ」とか「けいおん!」とか京都アニメーション系が続く。
だいたいアニメを歌ってスカっとしたあと、もう無理して歌うこともないのだが、時間があれば昔懐かしのフリッパーズギターとかオザケンとかへ。

以前はこれら“渋谷系”はひきこもり男子の敵だったので遠慮していたが、この頃は懐メロになったため(誰も知らないため)遠慮しなくてよくなった。フリッパーズがめんどくさい時は、ああ涙涙のデビットボウイとイーグルスという、おじさん路線になっていく。Xジャパンやニルヴァーナもあるか。

僕は歌は下手だけど、好きだ。この、「へた好き」というのがわりと若者には受けるらしい。
ノリノリになってくると、モーニング娘にも突入する。ラブマシーンはシングルビデオ(懐かしい……)も買ったくらいのファンだった(というか研究対象だった)。黄金期のモーニング娘はほとんど歌える。

■AKBは、けいおん!3次元バージョン

という僕が病気をし、退院し、…

「海外旅行」支援は、ある意味“劇薬”である② 〈支援の最前線7〉

週2刊ブログ宣言をしたことだし、今週はさっそく、朝の“すっきり脳”の時間にさくさくっと更新しよう。
前々回、「海外旅行」は、スモールステップ理論確立のための過程だった①というのを綴り、つまりはたぶん海外旅行というのは子ども/若者にとって何らかの「効果」はあるはずなのだが、まわりからはその効果が見えにくいということを書いた。
まわり(当時の僕のような第三者や保護者)からはいかにも楽しんでいそうに見える。けれども、海外旅行を体験した子ども/若者は、変わる人は明らかに変わる。一言でいうと、たくましくなる。まわりから見ると、スタッフは遊んだり酔っ払ったりしている。そして子どもたちは、時にはスカイダイビングみたいな荒業を体験させられたりするが、基本的には、そんなスタッフのあとをついていっているだけ。それなのに、帰国後、変わる。


この「変わる」という事実が圧倒的なだけに、保護者も第三者も何も言うことができない。というか、子ども/若者たちが以前より元気になって、保護者はうれしいし、(当時の僕のような)第三者は「たいしたもんだなあ、蓮井マジックだなあ」と感心してしまう。まあ、結果オーライだからいいか、という空気が流れている。
これはでも、今から思えばまさに「結果オーライ」だった。


スモールステップ的に言えば、海外旅行は、スモールステップの先の先、もしかすると、長期アルバイト(就労支援ステップ段階のゴール近く)と同じくらいの段階の支援レベルかもしれない。それくらい、海外旅行というのは、なかなかのタフネスを若者たちに要求する。故・蓮井学初代プラッツ塾長(しかし何度も書くけど、この「初代」とか「塾長」というのは厳つすぎる〜)はたぶんそこまで考えずに、まさに“天才支援者”的に、つまりは支援者としての野生の勘で、同行する若者たちを選んだのだと思う(それに加えて、当時やり手非常勤スタッフがいたから、彼ら彼女らのアドバイスもあったのだろう)。
それがたまたま当たった。いや、必然的に選ばれたメンバーだったということにして、当時、海外旅行にともに出かけたメンバーのうち、多くは社会的自立を成し遂げている。
それまでに、90年代プラッツのさまざまな支援メニューをこれでもかと体験させられていたからこその有効な海外旅行体験だった。つまりは、海外旅行に出発するまでにすでに、当事者も支援者もきちんと意識しないうちに、いつの…

ブログを週2で書いてみます

だんだん元気になってきた今日この頃、なんとか10時から16時頃まで仕事が可能になってきた。勤務日も、週4も珍しくなくなった(事務や会議中心。面談等の支援はまだです)。脳卒中(僕は脳出血だが、脳梗塞やくも膜下出血を総してこう呼ばれる)になってから、性格のほうも以前よりさらにオープンでポジティブになってきたような気がしており、よい意味で「いい加減」にもなってきた。
以前の僕は、何事にも細かくて、若干というかモロ強迫的なところがあって、まあそれはそれは几帳面だった。ジェンダー別でいうと、だいたい男ジェンダーは細かいけれども、僕は輪をかけて細かい男ジェンダーだった。こんな性格の男が団体のリーダーになってしまうと、スタッフのとりこぼしが妙に気になってしまい、でも怒ったり叱ったりするといまどきのスタッフはついてこないといろんな本に書いてあるので、ぐっと我慢し、一人夜に事務所で仕事したり一人家で仕事したりと、一人忍耐を重ねていたのだった。その結果かどうか知らないがプラッツの経営は何とか安定してきたものの(いやいや経営安定はスタッフ全員のおかげです)、代わりに僕が倒れた。

これではいかん。いかんというか、もう倒れてしまったので後の祭りだが、ものすごーくラッキーなことに身体的後遺症はなかった(脳自体のスタミナは全然ないが)。身体的後遺症のなさに感謝しつつ、せっかくだからこの機会に「細かい僕」はやめることにした。
細かくフォローするのに慣れきっているので最初はついつい手を出してしまいそうになったのだけれども、よく考えれば僕不在の時でもきちんとプラッツは運営されていたのだし、ここは優秀なスタッフを全面信頼し、細かいことにまで目を配るのはやめた。スタッフからすると、細かい僕に慣れているところがあるので「やめた」と言われれば戸惑うかもしれないけれども、まあとにかくやめた。
当ブログでも実名で登場するさいろ社の松本君の口癖は、「ストレスをもたないことが最優先」だ。たしかに、細かいことを気にせず、多少の軋轢もすいすい流してどーんと構えている人は健康だ。聖路加の日野原先生なんか、もしかするとご注意ご欠陥症的匂いもプンプンするものの(それも才能です)、とにかくどーんと構えていつもニコッと笑って毎日1300キロカロリーのみを食べ続け、わりと仕事しながら99才にしてお元気だ。
とにかく細かいのはダメ。…

「海外旅行」は、スモールステップ理論確立のための過程だった① 〈支援の最前線〉6

以前も書いたかもしれないが、僕がプラッツのスタッフになったのは00年5月で、プラッツ初代名物塾長の蓮井学さんが亡くなってすぐあとだ。その蓮井さんが亡くなる前後のエピソードや亡くなる前の僕が知っているだけのエピソードを綴るだけで本が3冊くらい書けてしまうだろうが、今回は触れない。
これも以前に書いたように90年代の僕は基本的に「さいろ社」という個人出版社の社員だった(90年代中頃からフリー、後半は支援者として独立)。でもあれはなぜだったのか理由もすでに忘れてしまったものの、淡路プラッツが「淡路プラッツ」として名前を持ち、現在の建物に入居したことを記念する宴会に僕は出席している。93年か94年初頭だったと思う。あのとき、宴会の中心に蓮井さんがどんと座ってビールを飲み、そのまわりを今は沖縄に帰って仕事をしているプラッツ3代目塾長のK君(当時はボランティア。しかし初代とか3代目とかスゴイです。ちなみに2代目はNPO育て上げネットスタッフI君)ほかの若いスタッフたちがバタバタとお手伝いしていた。
そんな宴会の賑わいの中で「淡路プラッツ」という名前が決まったのだった。プレースとかプラースとか、英語やフランス語(これはどうだったかな)の候補が並ぶ中、ドイツ語のプラッツが正式名として決定したのであった。確か出席者がみんな酔っ払いながら、ふらふら手をあげつつ多数決で決まった名前だ。僕もふらふらとプラッツに手を挙げた。理由は、何となくプラッツは語感として歯切れがいい、ただ単にそれだけだった。

90年代は、そんな感じで僕は外からプラッツを見ていた。一か月に一度程度蓮井さんに呼び出されて徹夜の飲み会に参加したり、さいろ社の取材や僕の個人ミニコミの取材なんかでいろいろ話を聞かせてもらった。それらの会話のなかで、徐々に「子どもが動き始めるまで『待つ』ことは現実に可能なのか」といった議論が練り上げられていったことは今でもよく覚えている。
僕は僕でわりと忙しい日々を送っており、蓮井さんやプラッツのことはどちらかというと優先順位は低かった。でも時々そうした機会を通して会う中で、「プラッツというところは海外旅行が好きな団体なのだなあ」という印象を持つようになった。
蓮井さんはとにかく、会うたびにどこかに旅行していた。韓国、香港、台湾、ニュージーランド。そしてそのたびごとにおもしろい話題を提供してくれた。ニュー…

今回は思いつくまま原発のこととメディアについて+おまけ(「サリンジャーと『おとなこども』」)

ここのところ福島原発一号機が実はメルトダウンしていたということがわかり、メディアはあっさり報道しているものの、ネット(ツイッター他)では深刻に議論されており、なんだか妙に心が落ち着かなかったのだが、昨日はこのグーグルの日記機能(blogger)が一日以上長期メンテナンスをしていて、その落ち着きのなさがさらにエスカレートしてしまった。
グーグルはメンテナンスについて何の説明もしないものだから、僕は衝動的にグーグルをやめようかと思ったりした。結局は今朝(5/14)起きてみると何もなかったかのようにこうしてbloggerは機能している。

一昔前までは、サービスを提供する側は(大げさに言うと「権力側」は)、なにかトラブルがあった際、たいした説明もせずに復旧だけしていればよかった。だが現在の世の中は、そして世界は、なにかトラブルがあった時は必ず説明を求められるし、説明したほうがさらなるトラブルを招かなくてすむ。池上彰さんじゃないけど、「わかりやすい説明力」は、サービスや仕事の補完的機能ではなく、サービスや仕事の中核となってしまった。
NPO経営・運営もたぶん同じで、この点を常に意識してサービスに組み込んでいるNPOと、説明力は単なる補完機能程度として軽視しているNPOとで、これからぐいっと差がついてくるだろう。
プラッツはではどうなんだと問われると、残念ながらまだ後者の位置にいる。現在、僕自身の仕事の中身を再構築中なので、この点も十分意識していこう。

さて、今週は「海外旅行」について書こうと思い、ネタも準備していたのだが、ここまでつらつらとエッセイ風に綴ってしまったので、今週はこのノリで続けよう。
今回の病気で連載が中断されたものの、僕は15年くらい『月刊少年育成』というマイナーな業界誌で連載を持っていた。風の噂ではこの春休刊としたと聞く同誌はなかなか良心的な雑誌だっただけに残念だ。そういえばあの15年に渡る連載も、なんらかのかたちでまとめなればいけない。でも、世の中にたくさんある「連載」たちもこんなふうにして右から左へと消えていくんですね。
それはさておき、同誌には2400字くらい毎回書いていたのだが、毎月この日の何時くらいに書こうと、まず日時を決める。僕の場合、文章は朝に書くと決めているから(頭が回転する)、だいたい午前中になる。で、その日の朝、布団の中でゴロゴロしつつ…

「魔女」ではなく「障害」

イメージ
■会話が妨げられない

僕は発達障害の人と話すのがすごく好きだ。
これは単に趣味の話をするのが好きということだ。アスペルガー系の人は堂々と自分の趣味を教えてくれるし、軽度の知的の人やADHDの人はいくぶん恥じらいながらもふだんは隠している自分の趣味を教えてくれる。いずれも博識で、特にアスペルガー系の人の知識はいつも必ず感心させられるほどの量と深さだ。

僕も実は彼らに負けず劣らずの知識はあるつもりで、わりと細かいことに関して謎を抱えたりしている。
たとえば、エヴァンゲリオン世界にとっての「月」の意味について、あれはイコール「死」を象徴していると思うのだが、おもしろいことに僕のそうした疑問と発達障害の人が抱える関心は一度も重なったことがない。けれども我々の話は、たぶん盛り上がっている。

「エヴァQ」のプロモ

おそらくそこには、会話を妨げるもの——説教・諭し・話題転換——がないからだろう。
ある意味「おばちゃんの会話」と同じで、お互いがお互いのしゃべりたいことを話していて、噛み合うことをあまり求めていない。
まあまったく噛み合わなければやはり会話は成り立たないものの、極端な話、お互いが笑って頷きあうことができれば、満足できる会話コミュニケーションが成り立っている。

■友達を求めている

アスペルガーの人の会話は「データ」中心で、おたくの人の会話は「テーマ」中心だから、このふたつは似ているようで違うんですよーと、倒れる前に僕は講演でよく説明していたが、まあ、会話によって関係を深めることをそれほど求めていないという点ではあまり変りない。
ここでは、互いの「関係」は二次的なものとなっていて、データやテーマを伝達することが中心だ。

そういえば、僕は大学生の頃、文芸部という超マイナーで僕にとっては超楽しかったクラブに入っていたが、あそこでの会話もそのようなものだった。
延々志賀直哉について話す人がいたり延々筒井康隆について話す人がいたり。僕自身は、孤独だった高校時代を埋めるような勢いで、延々サリンジャーについて語っていた(恥ずかしい……)。

でも、発達障害の人は「友だち」を求めている。データの話の先にいつか出会うであろう友だちを夢見ていることは確かだ。その思いは端から見ていても切ないほど。

僕などは、データを伝えることができる人がいるだけで、まあそれを友だちとして割りきってしまえば…