2011年10月30日日曜日

「スモールステップ・ワークショップ」を試してみた

今はまだ日曜朝7時前なのだが、相変わらず僕は11時前就寝で5時半には目覚めるため、脳はすっかり普通の活動状態になっている。その早朝時間を利用してウォーキングをしたらと知人たちにすすめられるものの、朝外出は何となく気が進まない。
というわけで、試しに早朝ブログにトライしてみることにした。といっても、今までも朝の8時頃書いていたので、それが1時間半早くなっただけなのだが。どうせとっくに目覚めてるんだし、布団の中でゴロゴロするよりはましか。

先日、某所で4時間にわたってワークショップを(A主任補佐とともに)担当させてもらった。その内容が、思いつきのわりには結構汎用性があったので、忘れないうちに書いておこうと思う。
僕にとっては何よりも4時間も人前で話せたということが、病気からの回復という意味で自信になったのだが、今回は病気話はスルーして内容を紹介しておこう。

ブログのタイトルにあるように、淡路プラッツがこの頃あちこちで提唱している「スモールステップ支援」の各スモールステップを参加者が支援者の立場にたって検討していくという、実にシンプルな内容だった。スモールステップは以下の10段階に分かれる。

●アウトリーチ支援段階
1.親子断絶型ひきこもり
2.外出不可型ひきこもり
3.外出可能型ひきこもり

●「生活支援」段階
4.心理面談型ニート(a..コミュニケーション〈会話等〉  b.生活体験〈料理・清掃・買い物等〉  c.レクリェーション〈スポーツ・旅行等〉)

●「就労支援」段階
5.就労面談型ニート
6.短期就労実習型ニート
7.長期就労実習型ニート
8.短期非常勤雇用(アルバイト)型ニート……語義矛盾だが、現実にはバイト/ニートはクリアにステップアップしない。
9.長期非常勤雇用(アルバイト)型ニート
10.正規雇用

これは、「スモールステップ自立支援のフレームワーク」というタイトルで6月18日の当ブログにも書いているので参照されたい。3年前に岩波ブックレット『ひきこもりから家族を考える』を書いた時は、スモールステップはもっと大雑把なものだったが、最近このように細分化され、より可視化されて支援に使いやすくなっている。

参加者は35名程だったので、これを4班に分け、各段階ごとに①各班で話し合い②各班で発表③評価というシンプルな構成で進めた。はじめに発達障がい等の「ひきこもりの3つの背景」を説明したあと(上岩波ブックレット参照)、この構成で、1の「親子断絶型ひきこもり」から順番に進めた。
4の心理面談型ニートの段階は、a.コミュニケーション〜b.生活体験〜c.レクリェーションの三段階に分け、一段階ごとに①〜③を行なってもらった。
①〜③ははやめにすすめても20分はかかるので、1〜3だけで余裕で1時間は超える。さすがに僕の脳は、1時間ごとに休憩しないと疲弊しきってしまうから、15分ごとの休憩を入れていくと、あらまあ、あっというまに4時間たった。それも、5の段階までで4時間が過ぎてしまったのだった。

現実には、7以降は支援の必要性が薄くなってくるため、ワークは6段階まですすむことができれば十分だ。その意味では、5まで進めたことはまあまあうまくいったと言える。
ワークの中身は、上に書いたとおり、話しあって発表して講師が評価してと、いたってシンプル極まるもので、な〜んにも刺激的なことはないし目新しいことはない。
しかし、全体を体験していくと、これがおもしろいことに、架空の「ひきこもり」青年が(しかもあえて細かな設定をしていない)、1、2、3、4……と、あたかもスモールステップを昇って徐々に社会参加していっているような錯覚に陥ってしまうのだから不思議だ。

だんだんワークも進んでいくと、たとえば「b生活体験」の段階での「カレーを青年と作ってみましょう」という提案が、班の中で、あたかもスタッフミーティングがそこで行なわれているかのように盛り上がってさまざまな提案が交わされている。
「c旅行」で、僕が「では青年を沖縄旅行に引率してみましょう」と提案すると、各班の中で自発的に「沖縄は遠くてお金もかかるし」と勝手に行き先を白浜に換えたりする。このあたり、講師は何も指示しないのに、有機的に班の中で変更が行なわれた。
参加者の意識が高かったということが第一の原因だろうが、「スモールステップ」ごとに青年の成長を考えるというこのプロセスそのものが、擬似支援になっており擬似スタッフミーティングになっているのだと、僕は帰りの電車で気づいた。

このコンテンツはわりとスタッフ研修で使えます。北海道から沖縄まで、交通費とちょっとの謝礼をいただければ、僕は出張講師に伺いますよ〜。★

2011年10月27日木曜日

「ポストトウキョウ」NPO戦略と、大阪ダブル選挙

結局、橋下徹・大阪府知事は大阪市長選にトライすることになり、11/27は市長・知事のダブル選挙になった。僕は早起きだが朝から読書する気にもなれずぼんやり早朝テレビを見続けるのが日課となっているが、早朝の関西ローカル番組では、トップにこの話題が続いている。
結局読売テレビの辛抱さんは知事選には出馬せず池田市・市長が出ることになったとか、その池田市・市長は平松さんとタッグを組むことは微妙に拒否しており、平松さんかわいそうとか、まあワイドショー感覚で毎日盛り上がっています。

思い起こせば25年前、友人の松本君とさいろ社という出版社を創設したとき、彼との合言葉は「東京に勝つ!」あるいは「東京には行かない!」だった。いつもながらの関西人の「勝手に東京ライバル視」現象のひとつなのだが、そうしたスピリットは今の僕にも恥ずかしながら残っている。

47才の今にいたるまで、「東京」は僕を誘惑し続けている。何しろそこには、すべてがある。政治・経済・文化だけにとどまらず、公園や緑の豊富さにおいても、意外と東京は充実している。関西にあるのはヨシモトと臨床哲学だけだ、といっても過言ではない(鷲田先生にヨイショ!)。
結局僕は、関西に踏みとどまったまま地味〜に活動するというショボい人生になっているわけだが、人との出会いと一連の流れの中で淡路プラッツの代表を引き受け、いつのまにか10年が過ぎ、僕も脳出血という大病を潜りぬけ、そしてプラッツはいつのまにかは関西でも老舗の青少年支援NPOになってしまっている。

こういう状況の今、25年前に標榜した「脱東京」を再び意識するようになった。
東京一極集中は25年経っても一向に変化していない。それは、「天皇」とともに、「黒船」と「敗戦」の洗礼を浴びたのに変化していない日本の二大特徴と言ってもいいかもしれない。
変化しないどころか、それは洗練されてますます際立っている。その洗練さの具体例を一つひとつ挙げはしないけれども、日本では唯一、東京だけがスマートであり続けている、と言っても誰も反論しないような気がする。

そんななか、大阪では知事と市長のダブル選挙が行なわれる。大阪の地盤沈下は激しく、今回の選挙を「ポスト東京」とは誰も位置づけはしない。東京vs大阪という文脈が語られたのはおそらくバブル経済まで、それ以降は、さいろ社が東京の出版社を意識したように、まるでドン・キホーテ(大阪)と風車(東京)のような関係に二つの都市はある。

だがこういう時だからこそ、新たな「ポストトウキョウ」戦略は有効なのではないかと僕は思い始めた。特に、地域に根ざした活動を基本的には求められるNPOには有効な「ポストトウキョウ」戦略を持つべきだと考える。現在、各地方に見受けられる「ミニトウキョウ」戦略ではなく、やはり「ポストトウキョウ」戦略。
橋下さんの発想は、おそらくブレーンからのアドバイスに基づいていると思うが、何となくポストトウキョウっぽい匂いがする。従来の「反東京」ではない、ポストトウキョウ。

つまりは、ポストトウキョウには、「新世紀における新たなローカルシティ」の構築といった意味が含まれる。反東京は近代の価値観の中での反中央という意味合いだが、ポストトウキョウはベースに脱近代を置き、そのうえで展開される人の集まり方の新展開のことを指す。

これはでも、今のところ誰もとりかかってはいない。僕は、直感的ではあるが、今の大阪にはその萌芽があるような気もしている。その一端としての橋下現象であり、いまだ人気が続いていることも考えると、地下水脈レベルではポストトウキョウは始まっているのかもしれない。

そんな手始めとして、ポストトウキョウ時代における、「プレスリリース」の手法を明文化したいと思う。メディアが集中する東京ではプレスリリースは当たり前でありその定式があるが、東京以外の地域にはそもそも「プレスリリース」という発想そのものがない。
今までは僕も、大阪でプレスリリースなんかしても意味がないと思っていたものの、よく考えてみれば、先の辛抱さんに代表されるように、大阪には他の地方にはないメディアの「強さ」のようなものはある。メディアだけではなく一般大企業でも、大阪は東京本社へ出世するための保守本流的通過点だ。つまり大阪には人材が揃っている。

知人の何人かの青少年支援者にこっそり聞いても、大阪ならではのプレスリリースの定式はいまだないようだ。
地道にチラシを印刷するのも当然必要だし、ホームページの広報もなくてはならないものだし、シンポジウムの開催もこれまでどおり行なっていきたいが、それなりの器をもつメディアに乗るいうプレスリリースの方法を開発する下地は大阪には十分あると僕は思う。
そのことが、脱近代のひとつのあり方である「ポストトウキョウ」時代へとつながっていくのではないか。超少子高齢化社会問題の中核に位置するニート/ひきこもり問題を扱う青少年支援団体こそ、その手法を開発すべきだと僕は思うのだ。★

2011年10月23日日曜日

これこそが日本の「現場力」〜68才年金支給〜

ああ、やっと一週間が終わった。

10月から「週5勤務」で完全復帰したとはいうものの、先週までは、実は祝日ほかで週4日勤務が継続していた。
17日から始まったこの一週間が、一年以上ぶりの「完全復帰」の一週間だった。やっぱり、週4と週5では何となく長さが違いますね。間に1日休みがあるかないかで、疲労感がまるで違うもの。こりゃ、今年からプラッツにやっとのことで導入した有給休暇なんかも上手に使いながら、しばらく乗り切るしかないなあと思った一週間なのでした。

そんなわけで、夕方帰って晩御飯を食べて10時半には就寝という日々が続いていたので、まったく本も読んでいない。スタッフの誰よりも労働時間は短い(そのかわりに朝だけは早い!)のだけれども、スタッフの誰よりも疲れているという僕。
これからの数年は無理するのが一番ダメとまわりから言われているし自分でもわかっているけれども、なぜか、職場でもスタッフやプラッツ利用者さんにたくさん声かけしてしまう僕。
こんな性格だから疲労してしまうのだけれども、やはりやりがいを感じるのだから仕方がない。つまりは、早く起きて仕事して、早く帰って早くご飯を食べて、早く風呂に入って早く寝る、そして時々プールに行って運動するのと、月に一回四国に帰ってリフレッシュする、まあ今の僕は、元気でありたければこれを地道に続けるしかない。

これを続けることが、僕の現在の唯一無二の目標である、「世界でも初めての超少子高齢化社会において、若者や子どもの新たな自立支援支援システムづくりをすることで、社会のプチ繁栄(プチで十分ですよね)につなげていくことの、ささやかな一助になる」ことができると信じている(ちょっと長いか)。

んなわけで、この一週間も読んだものは相変わらずの週刊誌くらい。
おもしろかったのは、「文春」も「新潮」も、ヒステリックなくらい「年金支給年齢が70才になるかもしれない!」と書きたてていたことだった。
御存知のとおり、少し前、厚労省の年金部会が、年金の支払年齢に関する改革案を提示した。それは3パターンに分かれるのだが、年金改革話は相変わらずややこしいのでざっくり一言でまとめてしまうと、「年金の支給年齢を一番早いパターンで15年後に68才にまで引き上げますよ」という提案だ。
これで、文春や新潮は怒りまくっているわけだが、読者のほうはたぶん、「やっぱりなあ」程度にしか思っていないのではないか。僕も当然、「こんな感じで変えていくんだなあ」とフツーに受け止めた。

これは事実上、「現役世代が引退世代を負担するシステム」を残したまま、「同同世代負担」を変則的に導入することで補完するシステムだと僕は思っている。年金素人の僕が直感的に思う程度だから、かなり間違っているかもしれないが、僕の直感は結構当たることが多いので、それほど的外れでもないと思う。
引退世代はいったん引退するか継続雇用されるかはわからないものの、現役世代として年金支払は終えたあともまだ8年は働くことになる。支給年齢はおそらく70才まで延長されるだろうから、60才から70才までは働いて当たり前、という時代が15年先(あっという間だ)にはやってくる(ちなみに、そのころ僕は生きていれば62才になる)。

僕は20代は基本的にフリーだったから「死ぬまで労働」は当たり前の価値として染み込んでいるが、バブル景気→就職→いまサラリーマンのまま50才なんて人は、60才で引退したあと10年は働ける職場を探さなければいけない。
でも、死ぬ気で60才まで働いた人(少し前の僕もそんな感じだったが)は、ストレスと酒と煙草で身体はガタガタだろうから、再就職できても70才まで生きることができるかどうかもわからない。つまりは年金の支払損だ。
そんな人達をメイン読者に持つ「文春」や「新潮」はだから大騒ぎしているのだろうが、そんな二誌には一言、「我が国はそんな国なのだから仕方がない」と言ってあげるしかない。

そんな国とはつまり、「根本改革ができずに役人の『現場力』で難関を突破していく(近代)国家」という意味だ。政治家はみなさん御存知の通りあんな風なので変わりようがないし、もしかして力のある政治家が出てきたとしても国民風土がそれを押しつぶす。
僕の記憶の範囲では、高度成長以降、根本改革を行なったのは「消費税」導入程度だと思うのだが、あれも改革というよりは、「まあまあまあまあ、そこのところよろしく」みたいな感じで、思わず自分のグラスにビールを注がれた的にぐいっと押し切られたという印象だった。あと、「小選挙区」もあったかな。あれも「まあまあまあまあ」の雰囲気だったなあ。

だから、年金制度の破綻を目の前にして根本改革を先送りにする国民風土と政治は、役人の「現場力」に頼るしかなく、それが現実化する一例が今回の「68才(すぐ70才になるだろう)支給」だ。おそらく国民も、こうした「現場力」を期待している。「顔の見えない」役人のせいにすればいいし。
現場力はいつもプロジェクトXのような美しいものではなく、日本の場合、システム変更が必要な改革はいつもこのような役人のノリで推し進める。皮肉にも、これこそが日本の典型的「現場力」なのだ。

どうせ死ぬまで働いて税金払うんだったら、いっそのこと、「同・同世代負担」にズバッと変えればいいのに(すみません、年金制度のこと、きちんとわかっていません……)。そうすると、現役世代のプレッシャーも減り、若者支援のありようも変わるたろう。
でもなあ、日本だしなあ、無理だな。★

2011年10月20日木曜日

ニートインターンシップ理念から「ニートによる老人介護事業」へという落し込み

昨日、大阪市のサポートステーション/コネクションズ大阪(NPO育て上げネット)のスタッフ研修講師に呼ばれ、昨年の7月以来1年以上ぶりにひとりで2時間ほど講師してきた。
久しぶりの一人講師は、1時間ほど経過すると頭がぼんやりしたりして、やはりまだ回復途中なのだなあと思うと同時に、少人数相手とはいえ2時間近く話せたことは若干の自信にもなった。

久しぶりだったのであえてレジュメを用意せず、話も行ったり来たりしたが、何となく途中で終わってしまった話題として、ニートインターンシップと老人介護について、プラッツがどう取り組んでいくかという点がある。

少し前に当ブログでも何回か言及したが(9/12 この“ウィンn乗”によって、「ニートが日本を救う」ことになるのか)、00年代中頃まではまったく現実的でなかった「ニートが老人介護を行なう」ということが、当事者の中心層が30代に移行しつつある現在、徐々に現実味を帯びてきたと僕はみる。
以前であれば「きつい・きたない」で若者には相手にされなかった老人介護の分野が、それほど想定外ではなくなってきたということだ。
何よりもこれは、当事者の加齢からくる抵抗感の軽減が大きい。

また、介護者を雇用する側からすれば、介護できるマンパワーを常時募集している。しかし外国人労働者による労働力補充は、おそらくこの国では現実的ではない。
日本語習得という難関を突破しても、長らく同質社会の中にいた我が国においては、最もプライベートな空間・単位である介護の現場を外国人に委ねることは相当の時間がかかるだろう。
重大な問題を自己変革できず、他国文化には寛容ではあるのだが他国を決してそのままのかたちで「内」に入り込ませないという日本人論に言及しないままの外国人労働者受け入れは、非現実的であると言わざるをえない。
だから僕は、外国人による老人介護はなかなか主流にはならないと思う。

かといって、サービス業の現場はなかなか賃金の上昇が見込めないジャンルだ。最新の経済学理論を僕はよく理解していないが、そうした議論は最近の経済学では当たり前だという。
賃金の上昇が将来的にあまり期待できないジャンルでは、日本人の労働者も容易には集まらないし、確かにいまの介護現場の労働力はかなり流動的だと聞く。

つまりは介護労働者は「外」にも「内」にも安定的には存在しない。外は文化的に排除され、「内」は賃金的に入らない。この状況は当分変化しないと思う。

介護といえば専門的知識・技量が必要だと思われがちだが、実際の現場ではあながちそうとも言えない。食事介助・排泄介助等の専門的介護は当然有資格者が行なうものの、介護の現場はそうした専門的介護ばかりを行なっているわけでもない。
実際は、認知症老人といっしょにテレビを見ながら、「話題は噛み合わないが何となくあたたかい」会話を交わしたりすることも非常に重要な仕事なのだ。介護福祉士のような専門家になる人は、実はこのようなほのぼのとした会話や現場に憧れて資格を得ることも多い。
だが現実は、必要不可欠な食事や排泄の介護はするものの、例によってさまざまな「書類」に追われることが多いという。
本当は、おじいちゃんおばあちゃんとテレビを見ながらいっしょに笑いたい。NHKの歌番組を見ながらいっしょに歌ってあげたい。しかし、目の前の書類を書かなければいけない。
結局書類を優先し、老人は放ったらかしにされるかボランティアに任されることになる。

当然のことながら、老人も現実の人間とコミュニケーションするほうが認知症の進行もストップされる。
資格はなくていいから、気が優しくゆったりとしたペースで老人とつきあってくれる労働者を、現場は求めている。ただし、あまりお金は払えないけれども……。

ヘルパー2級の資格はこの先変化していくだろうが(すみません、このあたりをまだ調べていない)、資格を提供する業者/学校にしても、学生募集は常時課題であり続ける。

このように、①若者、②介護が必要な老人、③老人介護業者(株式会社も含む)、④専門学校のいずれもが、互いを補うことができるし、現在各々にニーズが生じて生きている。何回も繰り返して悪いが、これぞ「ウィン、ウィン、ウィン……」の関係(ウィンのn乗の関係)というやつで、NPOによる研修(対若者・対業者・対学校などいくつもの層がある)や心理援助(これは対若者)も噛みあわせて大きなシステムをつくれる土壌がついに現れたと思う。

そしてこれは、実は「理念の現実への落し込み」というやつで、その背景には「ニートインターンシップ」という大きな理念がある。
ニートインターンシップとは、従来の学生対象のインターンシップではなく、現在潜在的には数百万単位で存在すると思われるニート(これを僕は〜「動的ニート」と名付けた)対象のインターンシップのことだ。
さまざまな若者支援の試みが行なわれている現在、このような取り組みはおそらくあちこちで行なわれている。ただ、的確な名付けと概念/理念づくりをされないまま、それらは執り行なわれている。
概念・理念・名付けが確定されないまま行なわれる動きは、一発花火で終わってしまう(だから行政予算がストップすると支援も終わる)。システムは、理念と名付けがセットにされて完成して初めて、それはシステムとなる。今のままでは、「おもしろそうな若者支援の取り組み」で終わるものが、あちこちの現場で展開されている。

これらをプラッツは、「ニートインターンシップ」という理念と名付けのもとにとりまとめ、その現実的落し込みとして、「ニートが担う老人介護事業」として具体化させていきたい。
9/29の日記にも書いたが、それは以下のような図になる。

理念/戦略 ニートインターンシップ
     ↓現実的落し込み
事業 ニートがになう老人介護

これまで、「富山式」の取材を始めとして、徐々に材料が揃ってきた。これからは、これらを組み合わせたシステムづくりにとりかかっていこうと思う。来週以降、単なる取材を超えた「仕組み」構築の報告を随時していきます。★


2011年10月16日日曜日

イノベーションは「個人伝説」〜アップルとパナソニック


■発明家ではなく経営革新者

昨日からまた実家の四国に帰ってきてプチ療養しているのだが、昨夜NHKの松下幸之助ドラマを少しだけ見ながら、ちょっと考えてしまった。

それは、スティーブ・ジョブズのことだった。

パナソニックは今もこうして「松下幸之助」を最大の広報ツールとして使用している。パナソニック経営者&広報の意図の有無にかかわらず、松下幸之助は結果としてパナソニックの最大の広報ツールとして機能する。

筒井道隆と常盤貴子(そういえばこの人は岡本敏子〈太郎の恋人〉も演じていた)演じる松下夫妻のエピソード自体は僕にとってはどうでもよく、松下幸之助の会社立ち上げエピソードが、80年経ってもこのように人々の心に熱く伝わるメッセージとして伝わる、このこと自体が、最大のパナソニック広報になっていることに感心した。

スティーブ・ジョブズのイノベーションの功績は実は新製品発明ではなく「経営革新」だった(決定権を自らに集中し、自社工場をなくし、水平分業を最大限に利用し、既存産業の商売の仕組みを入れ替え〈音楽・映画等〉、広報効果を研究し尽くす)としても、世間は彼の功績をiphoneやipadの発明だと思ってしまう。

学者がどれだけ真実を突く論文や本(ジョブズは発明家ではなく組織改革家等の内容)を書いても、ジョブズの個人崇拝は消えることはなく、ジョブズは稀代の発明家だとされる。
ジョブズ伝説のスピーチ「stay foolish 」


■松下幸之助とスティーブ・ジョブズ

イノベーターとは発明家ではなく経営組織刷新家であるというこの提言(池田信夫氏)は、おそらく松下幸之助にも通じると思われる。

だが、松下幸之助がすごいのは、いまだそのイノベーション伝説が継続しおり、それが会社の発展どころか、国家や国民のモチベーションの向上にまで影響しているということだ。
松下幸之助の成功エピソードをNHKがこのタイミングで製作するということは、東日本大震災や原発事故で意気消沈する日本国民に対してどんなエピソードが元気を与えるか、NHK制作陣が議論した末の決定だったと僕はもちろん推察する。的外れではないだろう。

ジョブズの死去1日前に発表された製品が「4s」というのも象徴的だった。思い起こせば「3gs」発表時、ジョブズは確か入院しており経営から短期間離れていた。ジョブズがプレゼンで高らかに誇ったのは「3g」やその前の初代iphoneであって、3gsはジョブズ不在時にアップル経営陣が苦し紛れに発売したものだった。

巷の噂では、ジョブズは2年後の製品まで仕込んでいるといわれるが、アップルはアーティスト集団ではなく世界的大企業なのだから、事実上1年前のiphone4がジョブズ時代最後の製品になると僕は思う。
つまり、すでにアップルはジョブズ時代を終えた新しい時代に入っている。

■イノベーションの現実は「組織改革」

少し前まで僕は、イノベーションの現実(発明ではなく組織改革)に関心があったが、現実の分析だけでは残念ながらイノベーションは生まれない。
たとえばアップルでいうと、以下のような「イノベーション伝説」が現実として何となく流通していることが強みなのだ。

1.スティーブ・ジョブズが世界で初めてパソコンを自宅のガレージでつくった。
2.スティーブ・ジョブズが世界で初めてマウスをつくった。
3.スティーブ・ジョブズがimacをつくった(ローリング・ストーンズのCM!)。
4.スティーブ・ジョブズがipodをつくった。
5.スティーブ・ジョブズがiphoneをつくった。
6.スティーブ・ジョブズがmac book airをつくった(個人的にはこのプレゼンが一番衝撃的だった&「封筒」のCM)。
7.スティーブ・ジョブズがipadをつくった。
8.スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学で、「ハングリーであれ、愚か者であれ」という名演説を行なった。
9.iphone4sが発表された翌日、スティーブ・ジョブズは死去した。

実は各製品群には他社先行製品群があった、「ハングリー」スピーチの重要点は実は「出会いが何かに結びつく、失敗経験を活かせ、死を見つめることで何かが生まれる」等、重要だがありふれたことを強調しているにすぎない。

■イノベーションとは「個人伝説」

こうした「事実」はイノベーションにとってあまり重要ではない。重要なのは、現実を歪曲させたイメージだ。そして人々は、そのイメージのほうを支持する。
いや、イメージを産んで初めて、そこに伝説が生まれ、その伝説に憧れるようにして、人はその会社の製品(あるいはサービス)を買う。

つまり、「イノベーションとはイメージの産出とその消費的連鎖であり、そのイメージとは創業者伝説のことだ」と、イノベーション研究の一結論として僕は位置づけたい(まあ研究といってもエッセイの積み重ね程度だが)。
真のイノベーションは経営刷新のことなのだが、残念ながら、成功するイノベーションとは「個人伝説」で表象されるということだ。

ところで、アップルはスティーブ・ジョブズを松下幸之助に仕立て上げるのか、僕がまだ生きているであろう10〜30年、このテーマがどうなっていくのかに関心が移ってきた。

まるで4sがジョブズ最後の「作品」みたいな感じで追悼・購買されているけど、僕は記念に、真の最後の製品〜iphone4〜を、中古で買おうかな。
このように、イノベーションは次々とイマージュで補強されていく。★


2011年10月13日木曜日

ネットワークと競争 大阪府民間支援機関会議に参加して

今月から傷病手当が終わって通常の週5勤務になっているから、先月までは今日の木曜なんかは憩いのウィークデーで、3階自宅マンションから箕面・五月山を眺めながらのんびりブログを書いていた。
だが、今月から木曜もおしごと。というわけで、今朝はプラッツにひとり早く来てブログを書いている。早く出勤して残業せず夕方までには帰るということで(僕は早起きなのでこのほうがありがたい)、通常勤務のお許しをスタッフからいただいた。

今週は先週と違ってややのんびりモード。そのなかでも、大阪府の某課において、大阪の民間支援機関(主としてNPO)が約20団体集まり、某会議があった。その成果は来年以降徐々に出てくるような気がするので、ここではそれだけの数のNPOが一同に介した光景を目にしての感想を書いておこう。

長いことこうした仕事をしていると、日常生活ではなかなかお会いできないが、そうした会議でのみお会いし、挨拶を交わし、そこそこ無難なトークを行なうという関係がいくつも生じる。今回も久しぶりにあった人、一年ぶりくらいに顔を合わせた人、そして先週も別の会議で挨拶した人など、さまざまな方がいらっしゃった。
ブログやツイッターやFacebookが当たり前となった現在、日常的にそれらの方の活動を追えている場合もあるし、本当に何年ぶりに顔を見た方もいる。

東京と違って関西の青少年NPOの活動は少し弱いかなあと最近は思っているのだが、それだけの数が一堂に会すると、それぞれの熱気を肌で感じ、僕の「関西の弱さ」への印象は誤りであったことを認識する。
だが、団体の活動規模でいうと、関西はそれぞれが若干小さいことは事実だろう。また、大阪・京都・兵庫の諸団体がわりとネットワークできていないことも事実だ。
問題(ひきこもり・ニート)そのものがマイノリティ支援の枠組みを超えて社会問題の中核となりつつあるわりには、関西は少し前の「ひきこもり支援」というマイナーなジャンルの香りを少し残している。
東京はやはり中央と直結しているため、そのあたり(ひきこもり/ニート問題が、マイノリティ支援から社会全体を支えるための中核問題へと移行した)のことを、民間行政ともよくわかっているのだろう。

いや、関西がわかっていないというのではなく、なんとなくのんびりしているなあという印象をもったということだ。少し前、そう、90年代は、ひきこもり問題をリードしていたのは明らかに関西であるという印象があった。
当時僕は一介の編集者だったが、まだ存命だった故・蓮井学プラッツ塾長を中心とした淡路プラッツでの議論は、明らかに日本のひきこもり支援をリードしていたと思う(あの斎藤環さんだって関西発行の雑誌『少年育成』でコツコツ原稿を書いておられた)。
その議論の一つを、『待つをやめるとき』という小冊子にまとめたのであるが、これは当時、いろいろなところで話題になったものだ。
それがいつのまにか(おそらくニート問題として多額の予算が下りるようになった頃から)、議論の中心は東京へと移動していった。東京(関東)の動きは僕が研究する範囲では、その思想は基本的には変わらない。つまり、ネットワークはバラバラで、それぞれが各々の活動をしているように見える。
それは変わらないのだが、なぜかパワーがある。それぞれがバラバラなんだけれども、いつのまにかそこに、熱さとパワーが出てきたような気がする。

その熱さとパワーの源はたぶん、繰り返しになるが、「問題」の的確な把握と、行政予算の額だろう。ひきこもり/ニート問題を解決することが超少子高齢化社会の問題解決へと直結している。だから行政予算がつく。その動きが結局、我が国を「問題を解決する先進国」第一号へと導いていく。
こうしたことを、おそらく直感的に関係者は感じとっている、東京(関東)は。

その点、関西はなぜかのんびりしている。90年代は明らかに尖っていた。だが10年代はのんびりしている。
これはたぶん、「情報(ネットワーク)と金(予算)」が大々的に下りる前は、関西は強いということなのだろうと思う。つまり、金はないけど、問題を嗅ぎとる直感が関西にはあるけれども、問題が表に出てしまうと、なぜか落ち着いてのんびりしてしまう。
いずれも、関西の良い点であり、悪い点だ。

ここは、規模が小さい分得意なネットワーク力を活かしつつ、のんびりしてしまったムードを跳ね飛ばす競争力がほしいところだ。いずれにしろ、我々は超少子高齢化社会という同じ船に乗ってしまっている者同士。同時代の中での、ネットワークと競争が、問題そのものを前に動かすと僕は思う。
関西のみなさん、互いにがんばりましょう!★

2011年10月10日月曜日

ドイツ研修壮行会で1年ぶりの東京〜マネージメントと「現場」について

とタイトルに書いたが、東京に行ったのは一昨日の土曜で、宿泊出張すると身体がしんどいため、夕方には大阪に戻ってきていたのだった。
で、そのまま疲れて10時には寝てしまい、やはりというか予想通り、僕の出演したFM番組(「FM大阪で収録してきた」)は聞かずじまい。何人かの知り合いから「聞きました」メールをいただいた。ありがとうございます。

東京はほぼ1年振り。1年前は、退院してまだ3ヶ月くらいだったのに、無理して出かけたのだった。それは、厚労省の表彰(若者自立支援功労団体・厚生労働大臣表彰)で、プラッツとしては初めての表彰だったから、国の表彰式ってどんなものだろうと興味がわき、I統括リーダーに付き添ってもらってへろへろになって東京までたどり着いたのであった。
表彰式そのものは、実にフツーの、しかもみんないっしょでの受賞の、まったくあっさりしたもので、その意味ではいい体験になった。国の表彰式って、あんなものなんですねぇ。
でも、その効果(つまりはブランドイメージの上昇)は、じわじわと今も効いているように感じる。その意味でも、表彰というものの活用の仕方をもうちょっと有効に構築しなければいけないんだろうなあ。

今回の東京は、スタッフT主任が内閣府の「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」というものに見事合格し、晴れて10日間のドイツ研修に派遣される、その壮行会があったため。内閣府からのメールに、「上司として」参加されたし云々と書かれていたので、深く考えることなく出かけていったのであった。
場所は代々木オリンピックセンター。2年前、僕はここで青少年支援者30人ほどを相手に講師をした。そして1年前、病気で倒れることがなければ、より大きな規模で講師をする予定だった因縁の会場だ(ちょい大げさか)。
この1年は僕としては、何となく記憶が断片的で時間感覚も変だったので、一昨日代々木オリンピックセンターに入った時、2年前の講師体験が、まるで1年前のように感じられた。

会場は思ったより狭く、来ていた「上司」の方たちも予想以上に少なかった。表彰式も壮行会も、国系の行事ってこんなもんなんだろうなあ、とあらためての学び。
当日は、ドイツ派遣の「青年」組とは別に、デンマーク派遣の「高齢者」組、ニュージーランド派遣の「障害者」組と、三組合同の壮行会だった。将来の指導者/経営者育成のため20〜30代の人達が選ばれており(そこに「青年組」が入っているのがうれしい)、非営利セクターのマネージメントも学んできてほしい云々と主催者挨拶があった。
プラッツではこれから、高齢者介護(あるいは障害者介護も)とニートをどうにかして結びつけていきたいと思っているので(「老人介護に動的ニートが取り組む時代がやってきた」)、このように、高齢者・障害者と青年が同じ括りにされていることに、少し安堵する。

塩分いっぱいの食事を何とかして食べながら、「青年組」で派遣される人たちと会話した。なかには、若くして指導者の方も複数含まれ、南は沖縄の方も来られるなど、頼もしく感じた。そこに我らがT主任も堂々と加わっている図もなんだか頼もしく、思わず塩分いっぱいのピザを2枚も食べてしまった。

若きリーダーの女性との会話のなかで、このような話が出た。
NPOで働く人たちは元々「現場」がやりたくて志を抱いて入社している。逆に言うと、そうした「現場への志向」がなければ彼女ら彼らは安月給のNPOにはやってこない。
ところが、ここ10年の「行政とNPOの連携」の急速な高まりとうねりのなかで、非営利セクター/NPOは組織拡大し、どうしても「マネージメント」を導入する必要性に迫られている。
けれども、NPOで働く人は元々「現場への志向」をもった人たちだ。その人達の一部が、必要に迫られて「マネージメント」を行なっているというのが実情。そのマネージメントもほとんど手探り状態で行なっているのが実情で、また、マネージメントだけ専従で行なうこともなかなか難しい。

聞きながら、倒れる前の自分を思い出した。今プラッツは、「代表(人事・管理会計・事業構想・広報)-統括リーダー(人事・管理/財務会計・事業統括/運営)-主任(事業運営)/主任補佐(財務会計実務・主任補佐)」というシンプルな組織体系だが、よく考えると、倒れる前の僕はこのすべてをほとんど一人でこなしていた。
10年前にNPOになったときは、完全なボランティア型NPOであり、事業規模も現在の10分の1だった。その規模であれば、ひとりでも回そうと思えば回せる。
しかし、そのまま組織改革を行なうことなく、10倍の規模になったというのに、一人の人物がすべてを取り仕切っていた。
これでは、その一人は確実に倒れるし、組織そのものも発展しない。経営には、規模の発展に合わせた組織変革が常に求められる。こんな基礎中の基礎を、僕は倒れて初めて学んだというわけです。とほほ。

二枚目の塩分いっぱいのピザを頬張りながら、目の前の若き女性リーダーの話を聞いているうち、倒れる前の僕より遥かに計画的でクレバーなようだから、なんとか乗り切れるだろう、今回のドイツ研修がこの人にとってよいものになればいい、と祈らざるをえなかった。
そして、どのNPOも陥ってしまう、こうした「組織拡大に応じたマネージメントの変遷」について、何らかの勉強会を行なわなければいけないと固く胸に誓った僕なのであった。

こうして、どんどん「働きモード」になってきていますが、仕事は、①食事②睡眠③ぼぉーっとすることの次、四番目であることを絶対守るとこれまた固く胸に誓っていますのでご安心を〜。★

2011年10月7日金曜日

FM大阪で収録してきた 10/8(土)24:30放送予定「コミスマ」

昨日は久しぶりにハードな1日だった。
午前中は豊中市の就労支援機関で、若者10名ほどとワーク。午後からブログを書いたあと休憩して、夜はナンバにあるFM大阪に行き、「コミスマ〜osaka communication smile」という番組の収録があった。

5年くらい前に僕は、伝説のネットラジオ「オールニートニッポン」(タイトルは〈笑〉だが、中身は超真面目)という番組に出たことがあるものの、あれはマンションの一室でこじんまりと収録されたものだった。
今回は、僕も中学生の頃から聞いているFM大阪という、まあ老舗FMでの収録であり、スタジオ風景も、当たり前だがザッツスタジオな感じで、なんかミョーにいい雰囲気なのであった。

司会というかパーソナリティーは松田陽子さんという方で、僕は今まで知らなかったが、病気等いろいろ経験されてきた関西では話題の人らしい。
その人の進行で、大阪府雇用推進室の山本恭一さんと僕が、ニートやひきこもりの問題を熱く語り関西の人たちに問題の大きさを伝えるという趣旨の番組だった。

はじめにミーティングがあると聞いていたから、よくあるシンポジウムの打ち合わせのように30分ほどみんなでトークのポイントを確認しあうのかなと思っていたら、いきなり松田さんはガラスの向こう側のスタジオに入って一人で収録し始め、僕ら(他に関係者が何人か来られた)はぼんやりそれを見つめつつ、やんわり中身を再確認するという状況になった(この日までに細かい進行の打ち合わせは終えている)。
そして、ではどうぞとスタジオに僕と山本さんが誘われ、大雑把なシナリオを最終確認したあと、もういきなり録音が始まった。

僕はここでもまったく緊張しなかった。故スティーブ・ジョブズが、(癌で)自分の死を常に意識するようになってから製品が次々と生まれてきた、というようなことを以前言っていたが、僕も大病を経て常時自分の生命の限界を意識するようになり、同時に緊張癖も神経症もどこかに消えていった。
次々と製品を生み出したジョブズと比べるだけでもおこがましいが、今の僕は、「若者を支援して日本の大問題を軽減し、日本を『問題解決国の先進国』とする、そこに少しでも貢献できればいい」という一念だけで生きている。こんなこと、自分で言うのも恥ずかしいのだけれども、本当にその一念だけで生きているので、その目標に関係あることをするのであればいつでも平常心でいることができる。

そんなわけで昨日もまったく緊張せず、松田さんのクレバーで暖かい進行のもと、僕は僕の言うべきことを言った。僕と同い年である大阪府の山本さんも、府のニート問題担当者として熱く語ってくれた。
府のサポステの報告書を元にした数字を列挙する山本さんと、僕の支援の現場からのトークは、言っていることは微妙にずれていたりするのではあるが、そのずれが、現状のリアルさを表現しており、結果としてよい番組になったと思う。

放送は、10/8(土)の深夜00:30。夜10:30には就寝してたっぷり「成長ホルモン」(その日消耗した身体をケアするホルモン)を自分の身体から分泌させなければいけない僕は、あっさりその時間までには寝るだろうが、余裕のある方は聞いてみてください。
それと、ラジカセがなくなった今、ラジオの録音ってどうするんだろうと、昨日関係者一同話し合っていたのだが、妙案は聞けなかった。ラジオハードディスク録音って、どうするんだろ。

著作権の事情で、ラジオ番組をそのままホームページに貼りつけてしまうのはマズイらしい。ラジオが生き残るにはこのあたりをむしろ柔軟にすべきだと僕は思うのだが。
各自がホームページに貼りつけることで、何回も番組が再生され、それが番組で使われた曲や放送局の宣伝になり、結局全体の売り上げにつながる。こうした「フリー」の経営戦略が、社会変革の苦手な我が国にはなかなか根づかない。

アメリカはジョブズのような変人(=イノベーター)が出現して社会を変革していくが、日本では、イノベーターは出る杭として叩かれ追い落とされ社会の慣習の継続が重視される(そして黒船か敗戦でイノベートされる)。
池田信夫さんによるとイノベーションとは新製品・新商品ではなく「システム変革」なので(『イノベーションとは何か』)、システムを作り変えるイノベーターの出現を許さない日本は、やはり長期的には世界の中の地味な一国になるだろう。
地味でも僕はいいが(まあその頃には僕は生きていれば70代だ)、社会の(中程度)福祉システムは維持していってほしい。そのためにはやはり社会を根底からいじる必要があり、そのためにはイノベーターの出現を社会は許さなければいけない。

まあイノベーターとかは昨日は一切話していません。愚直に、若者支援の必要性を僕は語りました。「成長ホルモン」分泌を気にしない方で余裕のある方は聞いてみてくださいね。★


2011年10月6日木曜日

FM大阪に出演します!

土曜日の深夜(12:30)にFM大阪では「コミスマ(大阪コミュニケーション・スマイル)」という番組があるそうで、その10/8(土)分の番組に僕が出演することになった。

僕、というか、青少年自立支援を長年行なってきた淡路プラッツの代表の僕が、と言い換えたほうが正確だろう。その、プラッツ代表の僕と、大阪府の雇用推進室のYさん(どうせ実名で出演するのではあるが、ブログに実名を出すのはYさんにかかわらずなんだかためらってしまう)とで、大阪のニート問題について熱くトークすることになっている。

いつもこのブログにも書いているように、若者(ニート・ひきこもり)支援は単なるマイノリティ支援を越えて、日本社会の「一丁目一番地」の問題であると僕は確信している。このブログでは「動的ニート」(「動的ニートと静的ニート」11.09.01当ブログ)
と名づけた多くの若者たちが、社会保険の支払いを含めた「社会参加」をしない限り、20年後(僕は67才になる。今の健康生活を続けるとたぶんまだ生きている!)には本当に困ったことになると僕は危惧している。
これが単なる心配で終わればラッキーなのだけれども、誰に聞いても「それは田中さんの単なる心配性ですよ」と笑って返してくれない。

誰も、どのくらいの若者たちがどれくらいの額の国民年金を親御さんに肩代わりしてもらっているのか、おそらくこの国では把握できていない。現在の、「静的ニート」(ある時点におけるニート数)の把握だけでは、本当に社会参加していない若者の数を把握できないと僕は心配している。
若者たちの裕福な(戦後日本で普通に生きていると、今で言うところの「裕福」に自然となってしまう)多くの親たちが、統計に出ていないところで、子どもの年金を肩代わりしている。

10年ほど前、「実は私の子どもはまだ働いておらず、恥ずかしながら私達が年金を代わりに払っていまして……」とおっしゃる親御さんたちがぽつぽつと現れていた。それが今、どのくらいの数に膨らんでいるのか、おそらく誰も把握していない(誰かが把握しているのであれば、それは誰なのか教えてください)。
この層は、時々アルバイトをしたりするので、統計上はニートではなく「非正規雇用」と扱われるため、この層が年金を支払っているかどうかはおそらく役所も把握していない。
僕は、この層の多くが、親に年金を支払ってもらっていると想像している。繰り返すが、この想像が外れることを祈る。

そうした一人ひとりの若者を僕は決して責めてはいない。逆に、前にもまして、そうした一人ひとりの若者を支援・応援したい。彼ら彼女らは必死に生きている。親御さんも含めて。
けれども、残念ながら、社会の総体として、社会保険制度が成り立たなくなるかもしれない。

これもまた当ブログで度々触れているように、我が国は年金の抜本改革のような大きな政治決断の必要な改革が自分ではできない国だ。抜本改革は、黒船か敗戦でしかできないことは歴史が証明済みだろう。
また不思議なことに、10年ほど前はあれほどメディアで取り上げられていた未来の社会保険制度の危うさについて、この頃はあまり聞かない。まさに今、あれほどビビっていた「超少子高齢化社会」になったというのに。

近代が始まって初めて、今回は、黒船も敗戦もなく、自分たちで危機を察して自分たちの力で冷静にみんなで協力して改革していかなければいけない。
それが、我々にできるだろうか。変な言い方だが、黒船にも敗戦も頼らず、冷静に議論した末に民主的に改革していくことが。

まあ、語り始めるとこのように大きくなってしまうし、やっぱり僕の心配性で終わる可能性もまだまだある。
それに、ラジオを聞いている人がドンビキしてしまっても意味がないので、まずはニート問題の解決の必要性を熱く語ってきます。僕の愛称は、病気からの復活とかけて「不屈のNPO代表」になるそうだ。
でもまあ、ニート問題の解決は日本の行き詰まりの解決に直結するから、やっぱり熱く語ってしまうんだよなあ。★

2011年10月2日日曜日

ということは、NPOこそがイノベーションを生む? 『イノベーションとは何か』池田信夫/東洋経済新報社

最近の当ブログは、支援事業の提案ばかりで、夏頃までさかんに書いていた書評をずっと休んでいた。この間、当たり前だが本は読んでいる。けれども、書評にとりあげるまで至らない支援や経営の実践本ばかりなので、ブログでは扱わなかった。
それにしてもこの頃は、哲学や文学関係の本を読まなくなった。唯一、津村節子さんの『紅梅』という私小説(亡き夫・吉村昭の最後の日々を描いたもの)をゆっくりと読んではいるが、読了までもうちょっとかかりそう。

そんななか日々を過ごしていると、当ブログでもよく言及する池田信夫さんの新刊が出たことを発見したので、さっそく買って少しだけ読んでみた。まだ半分程度だが、たぶんこの本で一番主張したいことは、本のはじめのほうに書かれていると思うので、もう書評してしまおう。

この本のポイントは、以下の一行に尽きると思われる。それは、

イノベーションとは、第一義的には経営革新である。(p18)

という一節だ。イノベーションというと、最近ではiphoneやipadのアップル、アンドロイドOSのグーグル等が思い起こされる。僕は技術のことはよくわからないけれども、著者によるとアップルやグーグルの技術はそれほど革新的なものではないらしい。
確かに、アップルマニアの僕がみても、デザインはそこそこ格好いいものの、アップルの製品は基本的に「水平分業」の寄せ集めではある。

やはり、アップルやグーグルのすごさは、いろんな本でも解説されているとおり、そのビジネスモデルの斬新さなのだそうだ。itunesやグーグルアドセンスなんかがその具体例なんだろうなあ。

池田さんは「経営革新」「ビジネスモデル」等の経営用語で書いているが、哲学好きの僕は、これらビジネス用語を哲学用語というか文化系用語に置き直し(かなり強引だが)、

イノベーションとはコミュニケーションの変革のかたちである

あるいは、

イノベーションとは新しいコミュニケーション・システムである

みたいな感じに格好良く表現したいが、哲学好きでなければ何のことかわからないので、それほど深入りはしないでおこう。
つまり、イノベーションとは新しい製品を開発することではなく、新しい「仕組み」をつくりあげることなのだ。仕組みとは言い換えると、「人と人とのつながり」のことであり、イノベーションを言い換えると、「新しい人と人とのつながり」を指す。

池田さんみたいな博識で説得力のある(多少強引だが)人に、イノベーションとは技術革新ではない、つまり「新しい製品をつくることではない」と断言されると、僕のようなNPOの人間は嬉しくなってしまう。
なぜかというと、大部分のNPOは第三次産業であり、しかも、モノも大量に売らないし食べ物もチェーン化して提供しないし金融商品も扱わない、そして医薬品も扱わず介護商品も直接提供しない。
現在日本にあるNPOの大部分は、“人の力によって人を支える”ある意味「純粋なサービス業」だと思うからだ。

イノベーションというと、どうしてもipodやiphone、古くはウォークマンなどを僕は思い出し、NPOの「泥臭い」仕事とは対極にあるものだとずっと思ってきた。
けれども、日本社会、いや世界のこの変革の時期には、NPOのような柔軟な存在がかなりの鍵を握ると思っていて、そうした意味ではそこにイノベーション的なものも感じてしまう。

イノベーションにはおそらく技術的なものが絶対条件なんだろうが、世界はNPO的新しさを求めている。このNPO的新しさはいわゆる技術ではないが、ある意味イノベーションではないのだろうか。
そんなことをここ数年、大病を間に挟みながらも、僕はずっと考えてきた。それは解決することなく、ずっともやもやと僕を覆ってきたものだった。

それが、この本を読んで何かすっきりした。あ、そうか。イノベーションは技術ではないんだ。それはまずは経営革新であり、新しいビジネスモデルなのだ。僕的に言い換えると、それはつまり、新しいコミュニケーション・システムなのだ。
となると、それは、第一義的にNPOの出番である。ということは、わりとそうしたことに不器用ながらも取り組んできた淡路プラッツが食い込む余地がある。

だが実はプラッツは、今のところ、「新しい(支援)技術はあるが新しいビジネスモデルを提示できていない」典型的な(まるでソニーのような……おっと、プラッツとソニーを比べてはいけないな、ごめんなさい、ソニーさん)日本企業・団体で留まっているということも事実だ、残念だけれども。

そんなことを考えていたら、昨年僕の病気で頓挫した「日本青少年自立支援学会」こともむくむくと沸き上がってきた。まあこの学会なんかも、今回の文脈でいうとある意味「新技術」に含まれるんだろうな。いや、新しい支援技術の発表の場でもあるから、これはある意味「支援itunes」みたいなものか。
まあ、そんな学会のことも含めて、すべてを(病気再発に超気をつけて)推し進めていきます。★