「レイブル」はなぜ炎上するのか〜「咲く」ことは「よいこと」ではなく「気持いいこと」〜

どうも「レイブル」の評判がネット上で悪いらしい。だいぶ「炎上」しているとのこと。たぶん2ちゃんねるあたりだと思うのだが、僕はまだ確認していない。が、レイブルという言葉が出現した時から、この事態はある程度予測できた。

レイブルとはレイトブルーマーの略で、「遅咲き」という英語が元ネタだそうだ。ネーミングした側は社会参加できていない若者に対して非常に温かい視線を持っており、ニートという言葉が世間では否定的に語られていることから、ニート以外の言葉が模索されていた。
そこに、昨年11月の「ニート100人会議」で出たレイブルという言葉がちょうど重なり、この言葉は生まれた。

名づけの経緯はそうしたもので、元々はニートに関連するネガティブな印象を減らしたいという意図から来ている。

では、レイブルの何が反感を呼ぶのか。
それは、遅いにしろ早いにしろ、「咲く」ことそのものは「よいこと」であるという価値が、その言葉にはあらかじめ含まれているからだろう。どちらにしろ咲かなければならない世の中なのであれば、咲くことにともなう苦労は変わらない。
いずれにしろ咲くこと自体(つまり仕事をするということ自体)は求められており、「咲くこと」=「よいこと」だという価値は不動のものとしてその背景にはある。

レイブルという言い換えは、「咲くこと」そのものまで深く問い直さず、咲くことはよいことであるという事前の了承はそのままにしている。そのことを「遅咲き」といった言葉のマジックでごまかしてほしくないというのが、ネット上での炎上という匿名の抗議であると僕は推察している。

この匿名の抗議についてはもっともであると僕は思う。これについては、2つの視点からより深く考察することができる。

1つは、咲くことそのものを問い直さないことに抗議している人の内面において、さて、咲くことそのものに実は憧れている部分はないか、という点だ。実は咲くことに憧れながらそのこと自体を隠し、「咲くことそのものはそれほどよいことではない」という価値の転倒の操作をしていないか。

これはいわゆる、例の「ルサンチマン」という操作でもある。このような内面の価値操作(憧れている、その憧れの対象の美点を内的に変更する)は人間であれば誰でも行なうもので、それほど珍しいものではない。
ポイントは、そうしたルサンチマン操作を自分は行なっているかもしれないと知っていれば、「炎上」までには至らないということだ。

2つめは、「咲くこと」=「よいこと」という結びつきがある。「よいこと」という視点は厄介な視点で、つまりこれは倫理的視点でもある。ちょっと真面目で説教臭い視点でもあるのだ。

だから、「よいこと」を、「楽しいこと/気持いいこと/幸福なこと」というふうに言い換えるともうちょっと気持ちも楽になる、と提案されることも多い(たとえば哲学者の永井均さんとか)。
僕もまったく同感で、「自立する」はよいことかどうかは知らないが、それは「気持ちいいこと」かもしれないと考えるとだいぶ楽になるでは、と思う。

言葉の中に「よいこと」が出てきたら、まずはその「よいこと」を「気持ちいいこと」に言い換えることをお勧めします。ぐっと気が楽になるから。

だから、レイブルもそれは「よいこと」を目指して付けられた名前ではなくて、みんなが「気持ちよく」「楽になる」ために付けられた名前だと思えば、まあなんとかやり過ごせるのでは、僕はそんなふうに思う。★