理念には理念で〜橋下市長Twitter→内田樹氏を見て〜

1/13、橋下徹・大阪市市長が、哲学者(でいいんですよね)の内田樹さんをTwitterでさんざ批判していたので何となく読んでみた。中身は1/13付けこちら(https://twitter.com/#!/t_ishin)を参照してほしいが、橋下氏の意見は徹底していて、それをひとことで言うと、「何もやらない学者はごちゃごちゃ言う前になにか一つでもやりなさい!」ということになる。

僕は新聞等での内田氏の文章を読んでいないので何とも言えないが、とにかく橋下市長はこうしたアカデミズム的抽象論には徹底的に抗議するようだ。その、「言う前にやれ」という批判はとてもわかりやすくて、この人が一般受けする理由もよくわかる。

僕は、内田氏のような哲学畑の理念トークと、橋下市長のような現実的政策トークと噛みあわせることは、ある意味「技術」の問題だと思っている。
橋下さんもおっしゃるとおり、学者は(特に文系の学者は)行動が伴わないことが多い。だが、「なるほど〜」と思わせる理念を時々学者たちは語ることがある。逆に橋下さんのような日々現実のぐちゃぐちゃに揉まれている人は、刺激的な政策論は全面に出すものの、それを支える理念を隠すか後回しにすることが多い。

本来は、理念の提示と政策の実行は同じコインの表裏だから、理念系と政策系は組み合わせ方によっては非常におもしろいコンビとなる。
規模はものすご〜く小さくなるけど、たとえば淡路プラッツでいうと、僕は典型的理念の人で、支援の実践もできるものの、病気以降はあえて自分の仕事は「理念の提示」だと絞り込んで日々動いている。

けれども理念だけでは人もモノもお金も動かない。この理念に基づいて動かしくてくれる人が必要になる。プラッツで言うと、I統括リーダーをはじめとしたスタッフたちがこれにあたる。
理念・戦略は代表の仕事、それを現実化するための様々な仕事は統括リーダーやスタッフの仕事と役割分担してここ半年は動いてきた。プラッツのような未熟な組織でさえこんなふうに動いているのだから、普通の会社や組織はもっとシステマチックに合理的に動いているのだろう。

だから、理念に反論するときは、やはり理念でぶつかる必要がある。逆に、政策実行に反論する際は、政策実行のフェイズで語らなければいけない。理念と実行は互いを補うが、それぞれの立場はまったく別の面に立っているので、議論は決して噛み合わない。

頭の良い市長は、それをわかってあえて批判しているのだろう。なぜなら、批判することで、持論の大阪都構想をさらに展開できるから。僕からのリクエストとしては、市長の政策を支える大きな理念も常に同時にお聞きしたいということだ。
それが前回のブログで取り上げた、堺屋太一氏との本http://toroo4ever.blogspot.com/2012/01/blog-post_09.htmlを支えているであろう、「グローバリゼーションへの対抗軸としての大阪都」という思想だと思うが、こうした思想が常に提示されれば僕などはすんなり理解できる。理念には別の理念で、そして、政策の実行は別の政策の実行で、常に同じフェイズで噛み合うトークを期待しています。★