グローバリゼーションに呑み込まれる「ニート」


ここ一週間は入院・手術前に匹敵するほど忙しかった。まあ体調の都合で夜の飲み会はすべてパスだから、1年半前と比べると、忙しいのは忙しかったが、身体にはだいぶ余裕がある。相変わらず11時前には寝て「成長ホルモン」を分泌させ身体ケアは怠りない。
そんな忙しさも、明後日21日火曜日のこのイベント(http://osaka1gan.jp/news/20120116_01.html←貼付け画像ではなくここからチェックを)で一段落。いつもののんびりモードに戻る予定。

この一週間何をしていたかというと、東京日帰り出張で友だちの大学教授と出版社の人と打合せたり、大阪・北摂ネットワークで行政関連の方々(茨木・吹田・豊中・池田・箕面・摂津・島本町等々、ほとんどすべての関係者にお集まりいただいた)と青少年支援について語り合ったり、コネクションズ大阪のセミナーで久しぶりに親御さん相手にしゃべったり(40名もの参加!)、まあ病み上がりの身にしてはわりとハードだったのだ。

それらすべての方々から出た話ではないが、この一週間の忙しさのなかで、重要なことがぽつぽつ話し合われた。何を話したかというと、タイトルにあるように、「ひきこもりやニートといった各論は、『若者問題』という大きな枠組みに呑み込まれつつある」ということだった。

ひきこもりやニートといった一つひとつの問題に拘泥できないほど、猛スピードで事態は展開しており、それは今のところは「若者問題」というしかないのではないか。
現在展開している「事態」の内容そのものも、若者問題として大雑把に語らざるをえない現状そのものも、いまのところは踏み込んで語る余裕は誰にもない。とにかく、「もう『ひきこもり』や『ニート』といった言葉が、今進んでいる事態に追い越されているよね」といった感覚論でしか語れない。
この話題が、ここ一週間でお会いしたりFacebookで語られたりしている中に頻繁に登場した。これは僕は一過性のことではないと思う。
このような感覚の背景にあるものは何か。とりあえずは以下の二点が考えられる。

1.超少子高齢化社会が始まってしまった

 20年前から危惧され続けていた超少子高齢化社会がどうやら始まってしまった。団塊の世代が引退し始め、今まで以上の年金財源が必要になる。だが、当ブログでも度々言及するように、年金制度のドラスティックな改革は「過剰なコンセンサス社会」である我が国では無理だ。
 そうなると、60代はとりあえず働くことが常識となり(あるいは人は一生何らかのかたちで働き事実上の「同世代負担」年金となるか)、専業主婦はいなくなってすべての現役世代女性が働き、そして若者は今以上の就労支援を受けつつ働いて年金と税を払う。

 だが、ニートではなくフリーターになった若者でも、その何割かは団塊世代以上の親が年金を肩代わりしている。僕はいろんな専門家に聞いているが、現在、日本中のどれくらいの親がどれくらいの子どもに総額いくらの年金を肩代わりしているか、どうやら統計はとられていないらしい。
 親は世間に内緒で子どもの年金を肩代わりしている(僕が親でもそうするからこの行為は当たり前だが)。ニートとひきこもりはもちろん、子どもが非常勤雇用であっても、事実上の社会参加をしていない若者が大量に隠れて存在している。
 これにより我々は、「若者問題」全般が、ニート/ひきこもりといった各論を呑み込んでいる感覚を持つ。

2.グローバリゼーションが若者を呑み込んでいる

 僕は経済学者ではなく一介のカウンセラー兼哲学オタク兼弱小NPO経営者だからよくわからないけれども、どうやら10年以上前から危惧されていた「グローバリゼーション」の大嵐がついに我が国を呑み込みつつあるのではないか。
 ユニクロの工場は中国からバングラデシュに移動し、タイの洪水により家電メーカーが軒並み赤字に陥ったことと、日本国内で非正規雇用労働者が30%を上回ったことは、どこかで直結していると僕は思う。製造業が世界展開していることと国内労働者の構成が急激に変化していることはリンクしていると言い換えてもよい。
 そして国内労働の70%はサービス業であり、それは単純なマニュアル業務か複雑な専門業務かに分かれる。前者は当然非正規雇用であるが、そのマニュアル業務にもわりと高度なスキル(仕事の基本〜ホウレンソウや器械の扱い等〜は当然のこと、コミュニケーション技術や専門技術も現代のバイトは覚えなければいけない)が求められる。
 その現代のバイトレベルに達するだけでも、スモールステップを踏んだ職業訓練が必要だ。ニート/ひきこもりはもちろん、それ以外の非正規雇用(何しろ大卒の30%はバイトだ)も必死になっている、非正規雇用の平均水準技量を獲得するために。
 こうしたことにより我々は、グローバリゼーションに必死に対応している若者すべての問題が、ニート/ひきこもりといった各論を呑み込んでいる感覚を持つ。

 どうも僕には、この過剰なコンセンサス社会が、もうひとつの特徴である「臭いものに蓋をし出る杭を叩く」傾向を加速させているように思えるのだが……。
 だから自然とプラッツは、この傾向に対して向かっていくことになります。★