ソーシャル・イノベーションの「集積」

セピア調のiPad(Airが台、Xiも隣)

1.新型iPad

Facebookにもいくつか感想を書いたが、昨日やっと新型iPadを買った。梅田ヨドバシになかったので一瞬焦ったものの、心斎橋アップルストアには山積みしていた。

噂のretina(網膜の意味)ディスプレイは確かに美しいが5分で飽きる(1時間くらい経過すると目が痛くないことに気づき、改めてその素晴らしさを実感できるが)。
その後半日研究して出した結論、それが「アップルのイノベーションとは、新型iPadのような優秀な新製品だけを指すのではなく、それも含んだアップルサービス全体のことを指す」だった。

新型iPad(あるいはiPhone4S)は単なる「美しい窓」でしかない。その窓を抜けた先には、iOSやOSライオンが支えitunesやiCloudで構築された「アップルワールド」が待っている。
たとえばiPhone4Sで写真をとる。それは自動的にiCloudによって僕の持つすべてのアップルディバイスで共有され、それぞれのディバイスに自動的にとりこまれる(これがiCloud)。
ちなみに今回添付している写真も、さっき隣の部屋で充電中の新型iPadを撮ったのが、いつのまにか僕のMacBook Proのiphotoというソフトに取り込まれており、このブログに添付する際に自然とアルバムの一枚として現れる。僕はそれを選択するだけだ。

itunesにしても、過去に僕がitunesで買った大量の曲群がどのディバイスからもダウンロードできるようになった。新型iPadには、以前のようにパソコンから改めて移行させなくても、itunesの曲に関してはクラウド→iPadという流れでダウンロードできてしまう。

素晴らしすぎる。iPadは、これら一連の流れをノンストレスで行ってくれる出先窓口にすぎない。
ジョブズ復帰以前からアップル製品を使用してきたが、皮肉なことに彼が亡くなった今、おそらくジョブズがやりたかったことが完成したと思う。
製品を含んだサービス全体で世の中をゴロっと動かす、というか便利にしてしまう、これがつまりはアップルのイノベーションだろう。

2.イノベーションの「集積」とリジットなタコツボ社会

イノベーションが一新製品の制作だけにとどまらないことは、最近その手の論文には共通して書かれている。
アップルのような技術革新と価値創造にとどまらず、たとえばブルーオーシャン的新市場の創造や、新しい組織のあり方もイノベーションに含め、さらにはこれまで行政が行なってきた仕事を民間が効率的に行なうこともイノベーションにしてしまう議論もある。
それらのなかには「社会貢献」のような従来は福祉や行政が担っていたジャンルが含まれ、利他主義といった資本主義とは真逆の価値がそこには含まれている。

社会貢献〜ソーシャルイノベーション〜利他主義〜新しい資本主義といった価値と理論の提案には、その「ソーシャル」に含まれている二重の意味(利他主義と利己主義)をよく考える必要はあると僕は思う。
利己主義、つまり強欲資本主義といった面も「ソーシャル」はしっかり含んでいるということは押さえておく必要がある(まあ「ソーシャル」の脱構築ということでしょうか)が、今回はそこには触れない。

今回僕が思ったのは、「日本は、このような『ソーシャル・イノベーション』を各地で“集積”していくことで、現在の危機をチャンスに切り替えることができるのではないか」ということだ。

このブログを始める以前から僕は、「臭いものに蓋をし出る杭を叩き、かつ決定できず、過剰なコンセンサスに縛られる」日本社会を根底的に問わずして、今から70年以上は続く超少子高齢社会(その社会になってしまったので「高齢化」の「化」をとって表記することにした)は乗り切れないと思ってきた。
だが、現在溢れる諸論文には、イノベーティブな提言は腐るほどあるが、肝心の「で、その提言は日本で可能なの?」という僕の根底的問いには答えてくれなかった。あのラディカルな池田信夫さんでさえ、そうだ(「池田信夫さんだったらもっと別のやり方ができるだろうに」http://toroo4ever.blogspot.jp/2012/03/blog-post_06.html)。

どんなにすぐれた提案でも、「臭いものに蓋をし出る杭を叩き、かつ決定できず、過剰なコンセンサスに縛られる」日本社会は決して崩れない。これが僕の確信なのだ。
ここを問わずして、勇ましい提言を並べても、わがタコツボ社会(丸山真男)は容易にそれら提言を吸収してしまう。
自分だけはそうじゃないと思っていたとしても、実はあなたもその社会の一員であり、当然僕もその社会の一員だ。

だからこれは、他人事ではなく、「なぜここまで気づいている僕でも(これはこの社会に適応している人であれば誰でもそうだが)この社会に吸収されてしまうのか」という深刻な問いでもある。

3.青少年支援への応用〜ワールドモデルの構築へ

このように僕はかなりの悲観論者&現実論者なのだが、それを「ソーシャル・イノベーションの『集積』」という概念が打破してくれるのでは、と思い始めた。
つまりは、レッドオーシャン(超競争市場)だろうがブルーオーシャン(新市場)だろうが、それぞれの市場と分野において、民間はオリジナリティ溢れるイノベーションを切り開いていく。製品づくりは単なる「窓」の創作であって入り口にしか過ぎず、いくつかのサービスが有機的に連動する新サービスの構築が、イノベーションの核心である。

ソーシャル・イノベーションは、社会的ミッションを掲げるNPOや企業(「強欲さ」を脱構築した企業群)がその主役になる。いくつかのサービスは、まるでアップルのitunes〜iCloud等の流れ(ソフトの内容ではなくソフトの連関という意味)のようなサービスを描くだろう。

たとえば青少年支援では、支援サービスのスモールステップは大きく分けて「アウトリーチ」「生活支援」「就労支援」に分かれる。また、サービスを受ける対象も、保護者と若者当事者の2つの層がある。
青少年分野というさらに大きな枠組みから考えると、問題の「予防(ひきこもり予防等)」「支援」「社会参加(働き方や家族のあり方の提案等)」などがある。

現在、これらはすべてバラバラに展開されている。分野によってはほとんど手つかずのものもある。
イノベーションは、これら一つひとつををどう開発し、これら一つひとつをどうつなげて魅力的にサービスにしていくかということがテーマになる。
たとえば、アウトリーチの代表である「訪問」と、その先の「生活支援」「就労支援」をどう魅力的なサービスとしてつなげるか。
たとえば、大学中退「予防」と学校や社会のあり方とひきこもり支援をどう魅力的(という言い方がふさわしくなければ、どう「使いやすく便利なサービスとして」)なサービスとして構築できるか。

すべてはこれからにかかっている。僕がこの仕事を始めた15年以上前よりは、各々の「部分としての」サービスは整っている。
僕は病気もして少し弱ってしまった。まだまだ大阪でがんばる気ではいるが、中心は、40才前後より下の若い世代に任せたい。

また、行政や政治は、イノベーションの集積は民間に任せ、やはり大きなシステムの変革を目指してもらいたいと思う。

それら、イノベーティブな「ソーシャルシステム」の集積と変革が、10年後のアジア(おそらく中国の中流から上の3〜4億人社会では、日本と同じような問題が起きると思う)や世界に向けた大きな「ソフト」力として商品になっていくだろう。★
iPadホーム画面拡大(ちょいピンぼけ)