オルタナティブNPOとシェアNPO〜2世代のNPOは「つながる」か〜


■オルタナティブとシェア

昨日は休みのわりにはアクティブで、午前中は自宅にて、井村良英さん(NPO育て上げネット/元プラッツ2代目塾長)と金城隆一さん(NPOちゅらゆい/元プラッツ3代目塾長)と僕の三人で、2000年に49才で病没した淡路プラッツ初代塾長の蓮井学さんを偲んで「スカイプミーティング」を行なった。

そのあと神戸元町へと向かい、Facebookでお誘いいただいた加藤徹生さんの「社会起業」をテーマにしたミニ講演会というかワークショップに参加した(加藤さんとは初めて会った。氏の著書には『辺境から世界を変える』他がある)。

このふたつを通して、ここのところ考えていた、現在日本に存在するNPOの、ふたつの傾向について整理できたので簡単に書いておこう。

日本には4万ほどのNPOがあるらしいが、これらは大きく分けて2つのタイプがあると思う(いつも僕が書いている経営・財政的な側面からではなく、いわば「思想的」側面から見て)。
ひとつは、「オルタナティブ」なNPOで、もうひとつは「シェア」なNPOだ。
前者は主として団塊の世代が担い、後者は団塊ジュニアの世代が担っている。

■オルタナNPOとシェアNPOの差異

オルタナティブNPOは、行政システムや企業文化とは違う、文字通り「別の」システムや文化を提案していく。これはカウンターカルチャーや反体制文化とも結びつき、環境・教育・農業・平和などの分野で現代的展開を行なっていると思う。
元々は団塊・全共闘世代による市民運動から発展してきたものだ。

シェアNPOは、最近現れた「シェア」という新しい価値を伴う動きではあるが、最も現代的ムーブメントでもある。「シェア」とは分け合う・共有するという意味で、SNSの大手Facebookがもつ代表的な機能だ。
これは利用者がお薦めする情報を、それぞれ勝手気ままに自分の「友だち」に提供していくものだが、この機能により、チュニジアやエジプトの「アラブの春」が導かれるなど、Facebookはこの機能が持つパワーにより注目され、そのことでさらに利用者を急拡大させていった。

35才前後の団塊ジュニアが担うシェアNPOは、この「情報・価値を共有する」ということで一致しており、行政や企業とはアンチやカウンターではなく、ともに利益をシェアする方向で動く。
同業のNPO同士や、他ジャンルのNPO同士であっても、「ウィンウィン」できるものであれば垣根を飛び越えてつながり、Facebookのようなゆるやかなつながり(ウィークタイ)を積極利用してそれぞれのミッションを現実化・拡大させていく。

■オルタナNPOとシェアNPOの長短所

二種類のNPOとも、それぞれ長所と短所がある。
オルタナティブNPOの長所は、行政・企業が少しためらう領域に軽々と踏み込む。それは、環境(反原発含む)・教育・安全食品・反戦等、多ジャンルに及ぶ。
短所は、長所の裏返しであるが、行政・企業と対立する項目が多いため、なかなか「ウィンウィン」しにくい。

シェアNPOの長所は、メリットのあるもの(それぞれの団体のミッションに沿うもの)であれば価値やイデオロギーを越えて「つながる」ことができる。
短所は、これまた長所の裏返しであるが、行政や企業が不可避に抱える難点(権力性にともなう堅固さ)と対峙しにくいことだ。

権力性とは、時には真正面から向き合うシーンを不可避に表出する存在でもある。それが、後期フーコー的な「見えにくい権力」性であっても、NPOの価値の基盤にある「自由」と時には真正面からぶつかり合ってしまうやっかいな存在なのだ(ここではそれぞれの集団にいる人間の個人的あり方は二次的なものになる)。
そうしたとき、シェアNPOはどうするか。いまのところそれを問われるようなシビアな局面は訪れていない。

■ふたつのNPOはどうつながるか

僕は、団塊の世代が徐々に亡くなられていったとしても、オルタナティブNPOはなくならないと思う。シェア文化だけでは足りないものが社会には必ずあり、それはオルタナティブ的価値を持つ集団が切り開くのが得意なジャンルでもある。
オルタナティブNPOとシェアNPOがいかにネットワークしていくか。ここがこれからの日本社会のポイントとなるだろう。

ところで、故・蓮井さんは、基本的にオルタナティブな人だったけれども(酔うと岡林信康を絶叫していたけれども)、「不登校やひきこもりの子どもにメリットのあることであれば」安々と自分の価値を越えて情報をシェアしウィンウィンしていける人だった。
蓮井さんとは、オルタナティブとシェアが共存した、稀有な人だったのだ。
それが、蓮井さんの魅力だったと、昨日きちんと気づいたのであった。★