2012年7月30日月曜日

「告知」ではなく「提示 suggestion」〜発達障害支援〜


■「告知」と「実践」の二段階受容

この前香川県から戻ってきたと思っていたら、もう一週間たってしまった。この間さまざまなことがあったが、今回のブログは、土曜日にあった「発達障害と自立を考える研究会2012」で出た提案について報告しておこう。

この研究会も、僕の病気を挟みつつ、もう4年目となった。
今年は淡路プラッツ20周年で秋から冬にかけて3連続シンポジウムを企画しており、当研究会をベースにした発達障害をテーマとするシンポジウムも12/1(土)に予定している。
同種の勉強会もそれほど珍しくなくなったのではと思うこの頃、今年はひとつの節目となるだろう。

研究会自体は毎回10名前後の参加で小規模なものなのだが、行政機関や医療機関からも参加していただき、わりと多彩な顔ぶれが揃っている。
内容は、青少年支援NPOが主催ということもあり、発達障害的当事者と最初に接触する機会(アウトリーチ)も多いことから、毎年、「本人や家族に、障害をどう受け入れてもらうか」ということがテーマとなる。

たとえば、障害者就業・生活支援センター等の専門機関では、本人や家族の障害受容という最初の山場(障害の「告知」や「受容」)は多くの場合乗り越えていることが多い。
そこでは、苦労して取得した「手帳」をいかに使い、就労先にいかに定着していくかという、自立に関する本丸の段階の中で苦闘していくことになる。

だが、NPO等のアウトリーチ機関では、そうした自立段階の入口の部分で時間を要することになる。つまり、果たして自分の「生きづらさ」は「障害」なのかという、ある種哲学的実存的問題に直面する。

発達障害は、発達凸凹といった境界概念をつくらざるをえないほど幅広い障害定義のため、その障害受容に関しても大きく2段階に分かれてくる。
それは、①(プラッツのような)NPO機関で行なわれる「障害の『告知/受容』」段階と、②就業・生活支援センターのような専門機関で行なわれる「障害者としての実践を通した『告知/受容』」の二段階だ。

■告知ではなく「提示」

いずれも「告知」という医学用語を用いているが、これに関して、研究会では意見が分かれた。
その理由を整理すると、以下に絞り込まれる。

1.告知は医師にだけ許される単語、といった資格特権に関する議論。
2.簡単にラベリングしてしまうことで当事者の可能性を狭くしてしまう、といった支援の思想的議論。
3.本人にその必要性がない(困っていない)ことから、そもそもその必要性がない、といった入口論。
4.告知作業が逆に「支援の責任」を放棄することにつながる(自分の施設より他の施設のほうがふさわしいという安直な「つなぎ」支援)、といった現実論。
5.医師の診断との齟齬。つまりは「医師の誤診可能性」という厄介な問題に直面してしまうという、これまたすこぶる現実論。

このように、「告知」的作業にはさまざま問題がつきまとうが、NPOのようなアウトリーチ機関にとっては、「告知」的作業が欠かせないのも事実だ。
当事者によっては、障害的「特性」(見通しが必要・独特のこだわりがある・言語の多義性を使用できない等々)を理解しているだけでは、自立に向かって「ブレークスルー」できない。
ある意味、告知的「重い」作業により、自立に向けての次のステップを切り開くことができる。

だが、上記のような理由で「告知」にはさまざまな誤解がつきまとう。
そのため、「研究会」らしく、この際新しく言葉を作ってしまおうということになった。
で、研究員一同アイデアを振り絞ったのだが、ある参加者が言ったこの言葉がなぜか全員の腑に落ちた。
それは、

提示

という言葉だった。英語では、presentation,exhibit,suggest等々があるようだが、研究会では、suggest/suggestionが意味が近いのでは、という意見が出た。

以降、アウトリーチ段階における、障害受容に必要な告知的作業を淡路プラッツや当研究会員のなかでは、「提示」という言葉に言い換えていきたい。「広義の告知」といった二次的命名よりははるかにわかりやすいと思う。
前回のスモールステップスケールver.2.0と同様、この言葉もコピーフリーです(で、いいですよね? 研究会員のみなさん〜)。
読者のみなさんもどうぞご自由にお使いくださいね。これは使えると思いますよ。★