高校こそが最大のセーフティネット〜11.3シンポジウム「潜在化する10代」より (youtube動画)


■深まった議論

昨日11月3日、クレオ大阪北にて、淡路プラッツ主催20周年記念連続シンポジウム②「潜在化する10代〜高校中退予防の現場から」が開催され、無事満員御礼となった。お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
また、ゲストの肥下彰男さん(府立西成高校)、白水崇真子さん(豊中パーソナルサポートセンター TPS)ありがとうございました。

ゲストお二人と「となりカフェ」事業責任者の辻田梨紗(淡路プラッツ)を加えた三人が、前半の1時間を使って発表した。肥下さんは、主として「貧困」「障害」という視点から困難を抱えた高校生の問題に言及し、白水さんは、TPSの実践に加え、豊中市内にある定時制高校での中退予防の取り組みについて発表された。

これに加え、今年度限りの事業(そのため予算的にも少額)というハンディは抱えながらも、多方面から注目されている「となりカフェ」の取り組みを辻田が報告した。
辻田の報告は、昨年彼女が行った内閣府主催の海外研修事業での見聞(ドイツ)も交えながら、現在の我が国にとって、いかに「高校中退予防」への取り組みが重要かということを強調したものになった。

part1 8分。大坂の高校中退の現状が簡潔にまとめられている。ちょっと手ブレ気味の撮影です……(撮影・田中+iPhone5)。

part2 9分。前半はドイツの報告、後半に「となりカフェ」の報告。

■ドイツと日本

後半は、前半の三氏の発表をもとに、論点を整理した上で、簡単なディスカッションを行なった。
今回の議論の最大のポイントは、「我が国では、高校がセーフティネットになった」ということだ。

今から30年前、つまり80年前後に高校生だった僕のような年齢層(社会の中角層)からすると、高校は「大学の前段階」あるいは「最後の学生生活」などのイメージがある。
いずれにしろ高校生活は苦くかつ甘酸っぱいものではあるが、そこには「生活を守る」といった悲壮な覚悟を持ち込む余地はまったくなかった。

ところが現在は違う。たとえばドイツのように社会参加する際の幾層ものクッションが用意されている社会では、それぞれのクッション(職業準備のための学校や青少年を支える青少年施設、さらにはそれらの背景にあるキリスト教文化等が幾重にも重なっている)が安全装置(つまりはセーフティネット)になり、結果として社会参加がしやすくなっている(当然諸問題はあるのだが)。

それに対して現代の日本では、10代後半に人生の大きな選択肢が待ち受けている。それは、「高校を卒業して次の進路に乗ることができる」か「高校を中退し『潜在化』してしまうか」の2つの選択肢だ。

■セーフティーネットとひきこもり

「潜在的存在」になる前後には、さまざまな問題が絡み合っていることが議論の中で判明した。それらは、(家庭の)貧困、ひきこもり・ニート、障がい、国籍等多様に渡る。
だが、風呂敷を広げたままでは議論が収束せず、会場を混乱させてしまうことにもなるので、司会役の僕を中心に、発表者たちが以下のように整理した。

★1.現代日本では、「高校」の存在自体が社会のセーフティネットになった。

★2.そのため「高校」は現代社会のキーポイントであり、これは大きく分けて2つの問題を含む。
 a.セーフティーネットの構築……「貧困(生活保護)」「障がい」等への対応
 b.ひきこもり・ニートの予防……少子高齢社会の重要な労働力である「60代・女性・若者」のうち、「若者」の層を分厚くしていく。

★3.高校中退には、①中学と高校の連携(ほとんどの中退は高1時のため)、②高校内での支援体制(居場所・面談等)、③通信制・単位制以降の「潜在化」防止の経時的な3つの段階がある(これを当ブログでは「流動体としての中退予防」としている)。

★4.以上について、残念ながら教育現場では議論が起きていない。

まだまだ諸問題を検討し、論点を整理していく必要はあるだろうが、「高校こそがセーフティーネット」ということを言語化・可視化できたことが昨日の最大の収穫だった。
この点に共感される方々は、それぞれの現場で議論を深め、具体的なシステム構築に邁進していただければうれしいです。★