発信力とは、応答と名乗り〜グループ「哲学者になる」(菊地建至さん+大北全俊さん+田中)インタビュー

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■あやしい「〜力」

NPOや社会貢献、それに類する「業界」では(経営学的なものにも多く見受けられるが)、この頃よく「発信力」という言葉が登場する。いわく、発信力を磨く必要がある、アドボカシーのためにも発信力は必要だ、等々。

基本的に僕は、こうした「発信力」的ネーミングはあやしいと思っている、というか、あまりに言葉が軽いと思っている。
発信力だけではなく「〜力」というのは数年前から大流行で、元々この〜力の「力」は、「聴くことの力」(鷲田清一先生)の「力」あたりから来たようにも感じているが、鷲田先生の言葉の意味から遠く離れ、巷の「力」はものすご〜く軽くなった。

が、こうした流行言葉にあえて乗っていくことも僕は楽しんだりする。今回は、哲学の友人である、菊地健至さんと大北全俊さんにインタビューするというかたちで、この「発信力」というのを少しだけ深く考えてみた。

ビデオ1(9分) 各々の自己紹介。左手前が大北さん、右奥が菊地さん。
最後に、「応答」と「名乗り」が出てくる。

ビデオ2(9分) 「応答」と「名乗り」がいかに発信力につながるかを説明。
最後のほうに「自由」という言葉がさらりと出てくるが、僕はこれにひそかに感動した。

ビデオ3(6分) ビデオ2の補足と、最後に「哲学者になる」の説明を田中から。
この3から見てもいいかもしれない。

■純粋な「発信力」など、ない

ビデオ1にもある通り、菊地さんは関西の10以上の大学で教える筋金入りの非常勤講師、大北さんは大阪大学「臨床哲学」の教員だ。お二人とも僕は尊敬していて、菊地さんには淡路プラッツが行なったこの夏のスタッフ研修で、2日間みっちり講師役をお願いしたし、大北さんには僕が臨床哲学の「モグリ院生」だった頃からお世話になっている。

ビデオは3本合わせると25分近くになるから、全部見るのはしんどいだろう。幸いにyoutube動画は軽くなっているようだから、早コマ送りでざっと流し見することもできる。

おふたりに興味がある方はビデオ1の自己紹介からじっくりどうぞ。「発信力」がテーマなのになぜ「応答」と「名乗り」なんだろうという、テーマ性に興味がある方は、ビデオ2から早コマ送りするのもよし。

ポイントは、哲学を実生活でも徹底して実践しているおふたりらしく、「主体的に行なう純粋な発信力などそもそもない」という点を自明の理として出発しているところだろう(自明すぎてお二人はこの点は言及していません)。
ベタ〜ではあるが、主体が発信する際には、そこには常に「他者」が前提とされている。
そのことを、大北さんは「応答」、菊地さんは「名乗り」という一言で表したのだと思う(まあそれだけでもないでしょうが)。

■グループ「哲学者になる」

最後に僕から、このyoutube鼎談はシリーズ化し、だいたい3ヶ月に1度開いてみなさんにお届けすると宣言している。
そしてこのグループ名は「哲学者になる」ということも。僕も入れての3人組です。

毎日それに「なりつづける」という行為をもって、その人はそのものになる。
だから哲学研究者と哲学者は違い、哲学研究者ではあるが哲学者ではない人も世の中にはたくさんいる。もちろんその逆もたくさんおり(たとえば僕)、その両方であることも少ないがいる(たとえば菊地さんと大北さん、また当ブログに以前登場してもらった本間直樹先生などhttp://toroo4ever.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html)。

「応答」や「名乗り」等、当ブログの読者の方々には馴染みがなくまどろっこしい議論かもしれないが、こうした次元の議論がないとそれは「軽い」と我々は感じてしまう。
だから時々、こうした根源的なレベルを論じるインタビューも掲載していきますね。
次回(2月)は3人が広島に飛んで語ります〜。「ローカル性」あたりがテーマになるかなあ。★