2012年11月18日日曜日

僕の残り人生の主題は「自由」のようだ〜あなたのテーマは?


■管理社会とは別の平面にある、「自由」

48才にして僕は、というか48才になったおかげで、といいったほうが正しいのだろうが、自分の残りの人生のテーマがはっきりした。それをこの頃明確に意識できるようになったので、ここに時々確認のために戻ってこれるように、ブログにも記しておこう。

それは、超ベタ〜だが、「自由」なのであった。

再確認したのは、前回の菊地・大北インタビューの中での大北さんのこの発言部分だった。重要な部分のみを1分30秒にカットしたので、以下に貼り付けてみる。


前回ブログ動画part2のうち、後半1分30秒部分を抽出。
僕の問いのあと、大北「自由」発言。1分半なので気軽です。

大北さんの「自由」は見てもらえればわかるが、「私が私で答えることが、自由であることのきっかけとなる」と説明している。この発言の前段として、現代社会での統計数字等を用いた「管理化」の強化に言及されており、これは大北さんの研究背景からも当然フーコーの議論が結びついてくる。

ただここでは哲学的背景はおいといて、管理社会とは別の(あるいは同時ではあるが別次元の)生き方として、「私が私で(実名で)語る」があり、そこにこそ「自由」が深く絡む、といった大北さんなりの生き方のマニフェストのようなものが提示されている。
自由の平面が、管理社会の平面とは別の場所に横たわっている、ということだ。そのために、大北さんの場合は「私で語ること」がある。

■ポジティブな「自由」

もうひとつ、9月13日の当ブログ記事「自由になるために」を引用しよう。
ここでは、僕の恩師である、大阪大学大学院「臨床哲学」准教授・本間直樹先生がインタビューに答えてくださっているのだが、このビデオ2の5分20秒すぎに、「自由」という言葉が出現する。


「自由」に関して長めの説明なので、あえて編集せず再録。
5:20すぎまで早送りすると、「自由」が出現します。

本間先生が提供する「ワークショップ(先生はこの表現は嫌うだろうが)」の2時間という枠組みの中で、参加者がその2時間の間「自由に生きる」ことは、「あらゆる意味で重要だ」とする。

その先はまだ先生は煮詰め切っていないものの、参加者の「顔」が明らかに違うと、そうしたワークショップの主催者は先生に指摘するのだそうだ。
そして、実はそれらワークショップの形式や道具(コミュニティボール)は二次的なものであり、最も重要な要素はワークショップをファシリテートする先生自身の存在なのだと最後の最後で先生は語る(そこまでの流れが重要なため、このビデオはカットできなかった)。

この発言の背景にも、先生なりの思想はあるのだろうが、ここではその思想の研究はたいした問題ではない。
ポイントは、先生が何気なく使った「自由」という言葉の、肯定性にある。上の大北さんと同じく、ここでも「自由」は限りなくポジティブな意味合いを持って使用されている。

■「自由」をテーマにしたyoutubeインタビュー集を

実は僕は、若い頃は経済学を少し学んだのだが、当時はマネタリズムやサプライサイドの経済学が流行っていたということもあり、そこでは「自由」は微妙にやっかいなものとして語られていた。
その一方で僕は、中学生の頃、アメリカンニューシネマの遅れてきた熱烈なファンだったということもあり(「イージーライダー」「マッシュ」「明日に向かって撃て」等)、「自由」を今この世界にはない理想的な価値として捉える癖を持っている。

大北さんも本間先生も、どちらかといえば自由をポジティブに捉えているけれども、お二人ともその使い方は微妙に異なる。
僕自身、「自由」を非常にポジティブなものとして捉えている。

が、10代の頃に抱いていた甘い理想のようなものではなく、50才を目前にし、死が近づいてきた一人の人間として「自由」をそれなりに位置づけたくなった。
同時にそれは、僕の仕事、つまり「フリースクール」や「イバショ」や「変な大人=自由な大人」などの一連の議論につながることにもなる。

とりあえずは、「自由」をキーワードにyoutubeインタビューシリーズを続けていき、ある程度集めて一つの作品にしたいと思います。

ところで、あなたのテーマは?★