2012年5月27日日曜日

「変な大人」が子どもを癒す〜「変な大人」論①


■一般化される居場所/生活支援

昨夜の夜から、また実家の香川県に帰省している。夕方新大阪から新幹線に飛び乗り、21時頃地元の駅に到着したのだが、当然タクシーなどいるはずもなく、まっくらな田舎の道をとぼとぼとウォーキングした。
大病のあと、僕にとってくらやみはそれほど不気味ではなく、むしろなんとなく「帰ってきた」感が高揚して気持ちいい。
こわいのは、後ろから走ってくる、クルマ。夜中、くらやみの中をそうしたクルマは猛スピードで僕を追い抜いていく。人が一番怖い。

こんな海のそばで僕は育ちました
昨日一昨日の週末は、経営コンサルタントと語り合ったり、発達障害に関する熱い研究会を開催したり、スタッフ研修を開いたりと、実に濃密な時間を過ごした。
なかでも、昨日午後行なったスタッフ研修は、「居場所〜生活支援」をテーマとしたものだった。本ブログのネタにもふさわしいと思うので、少し報告しておこう。

簡単な講義の後、僕が質問したのは2点だった。一つは「居場所に配置するスタッフ数」、もう一つは「専門資格による違いとは」だった。
居場所=生活支援の有効性がまだ定着していないから、これらは当然マニアックな議論になるが、本当にこのまま若者問題が拡大・定着すれば(僕はそうなると思う)、これらはいずれは一般化されていく問題だ。

■生活支援がプラッツは得意

これまで当ブログで時々書いてきたものをおさらいすると、子ども・若者支援には、①アウトリーチ、②生活支援、③就労(学)支援の三段階がある。
詳しくは「スモールステップ支援スケール Ver.1.0」http://toroo4ever.blogspot.jp/2011/12/ver10.htmlを参考にしていただきたいが、現在③は充実し始め、①の重要性に社会は気づき始めている段階だ。
だが、①と③をつなぐ役割をする②が、まだまったく理論化されておらず、その重要性が明確になっていない。①が成功してもいきなり③に放りこめば挫折する確率が高くなる。

そして、淡路プラッツの最も得意とする支援は②だ。②の有効性を知っているプラッツには、それを広く発信していく役割が求められていると僕は思い、講演活動などではスタッフが積極的にこれらを伝えるようにしている。

で、昨日の僕の質問に戻ると、一つ目の居場所のスタッフ数=若者一人あたりのスタッフ数は、生活支援がなんらかの公的支援になった場合、避けて通れない問題だと思う。多ければ多いほどいいものの(最低「若者2人にスタッフ1人」?)、子ども・若者の「自立度」によってそれほどべったりと寄り添わなくてもいい場合がある。
また、生活支援に恒久的財源が保障されていないいま、人件費的にも「2:1」は普通は苦しい。だが、このような議論がやっと大っぴらに行なえるようになってきた。

■臨床心理士とその他専門職の違い

もうひとつの質問、専門資格による違いを具体的に言うと、現在プラッツには、臨床心理士・精神保健福祉士・キャリアカウンセラーの三つの専門家がスタッフとして若者支援を行なっている。
だがこれら専門家の多くは、はじめから若者支援をしようと思ってそれら資格を取得したわけではなく、はじめに資格を取得し、現実の仕事の一つとしてあとから若者支援とめぐりあっている。特に、現実の仕事数・種類に限りがある臨床心理士はその傾向が見受けられ、これは何もプラッツに限ったことではないだろう。

つまりは若者支援の場合、病院等の専門機関とは違って、資格の枠内のみで仕事を行なわない。その資格をベースにした「個人の傾向/あり方」を武器に、利用者/クライアント/子ども・若者に出会い、かかわり、支援をする。プラッツの某スタッフの言葉を借りれば、「全人格的に」若者とかかわっていくということだ。

とはいっても 、資格ごとに関わり方の違いはある。たとえば、昨日の研修では「介入」という言葉で表現された、支援者の意思表示の程度の問題がある。
臨床心理士には「介入」はややソフトに抑える傾向があり、その他専門職はそこにはそれほど慎重にはならない。資格以外にも、スタッフ自身の性格の傾向や対人関係のパターンがそこには大きく影響しているだろうが、資格ごとのかかわりの違いは確かにあるようだ。
「全人格的」といっても、その全人格の一部にその人が持っている専門資格は当然影響を与えているから、当然といえば当然だ。

■「変」とは「自由」

これらの議論を聞いていて僕が思い出したのは、元プラッツスタッフ(現臨床心理士/大学教員)が書いた、修士論文のことだ。
その論文を一言でまとめると、傷ついた子ども・若者が癒され再チャレンジしていけるようになるとき、ある段階で「変わった大人」との出会いがポジティブに作用している、という。「変な大人」との出会いが、子どもや若者たちを癒し、再チャレンジさせる力を与えるのだ。

また古い話だが、さいろ社時代に僕が編集した『子どもが決める時代』(絶版)という本も思い出した。
その本の著者・佐藤幸男さん(臨床心理士)は、最初「相談家庭教師」という名前で不登校の子どもたちへの訪問活動を行なっていた。そこで佐藤さんは徹底的に変な大人であり続け、そこに子どもたちは何らかの癒しを受けていた。

こうした「変な大人」が子ども・若者たちを癒す、という議論はまったく珍しいものではない。たとえば、淡路プラッツの初代塾長の蓮井学さんなどはその典型だろう。もしかすると僕も、そうした変な大人の一人なのかもしれない。

この「変な大人」の「変」は、おそらく「自由」と関係があると僕は思っている。
「自由」を徹底すると、それは現代社会では「変」になるのだろうか。「自由」が、子ども・若者を癒し、再チャレンジさせているのだろうか。(不定期につづく)★

2012年5月20日日曜日

40代〜そこからどう結実するか

たぶん52〜3才頃。「結実」のあと。写真はWikipediaより

この前買った『インサイドアップル』(早川書房)の書評をしようと思ってだいたい読んだのだが、同書のポイントである「アップルの組織形態」よりも、そうした独特の組織をつくらざるをえなかった(というより、今の組織形態にするためにいろいろな人を追放した)スティーブ・ジョブズの生き方にどうしても興味が移ってしまう。

まだ半分支援者の僕としては、ジョブズのような激しい性格の人に対して少し専門的見方もしてしまいそうになるが、そこはぐっと我慢してジョブズの人生を振り返ってみると、彼がiMacとOS-Xでアップルに華々しく復帰したのは、42才の頃だった。
そこから56才で亡くなるまで、わずか14年間。
でもよく考えてみると、29才から41才まではNeXTを設立したり家族を形成したりしてはいるが、基本的に地味〜な12年間を過ごしている(地味といっても、現在のOSの雛形の開発とかCGアニメのPIXARも設立したりしているので異形ではあるのだが)。

ジョブズの第一の成功は早く、25才にしてすでに億万長者になっている。そこから4年後にアップルを追い出され、地味〜な30代を過ごし、42才以降はスパークし続け、50才前より癌との闘病が始まる。

そういえば、『失われた時を求めて』の岩波新訳版も最近僕は読み始めたのだが(同作はいまだ完読できない)、作者マルセル・プルーストも、第一巻『スワン家の方へ』を出版したのが41才の時。51才の若さで病没するまで同作を書き続けた。
資産家に生まれたプルーストは生涯働いたことがない。まるで、『失われた時を求めて』の題材を得るための40年間を過ごし、その題材を元に40代をスパークさせ、50才になってすぐに病没した。

ジョブズやプルーストのような社会的成功者の人生をそのまま我々庶民の人生と類比させるつもりはないのだが、 かれら有名人だけではなく、人生とは、意外と40代以降にスパークするものなのだ、ということを最近僕はしみじみ考える。

たとえば僕自身、淡路プラッツの代表になったのが38才の時だった。その2年前の36才の時に、恩人の蓮井学塾長が病没し、僕はプラッツの非常勤スタッフになっていた。

その頃僕は、自分の人生を模索しており、大阪大学で臨床哲学を学び始めていた。心理学でもなく、社会福祉でもない、それら学問群を「基礎づける」最も根源的ジャンルである「哲学」しかない、とたどり着いたのが35才頃、そこから5年の間に蓮井さんが亡くなり、プラッツはNPO化し、僕がその代表になった。プライベートでは、父親が亡くなるなど、その他たくさんの激動な出来事があった。

僕が40才時、日本に「ニート」という言葉が広がり始めた。いまは法政大学の准教授になったH先生とともに、東大・玄田有史先生のミニセミナーに参加したのもその頃。
そこからあれよあれよという間に若者関連の予算が拡大し始め、僕もわけがわからないうちにその激動にのみ込まれていた。そして、2年前の46才時、脳出血で倒れてしまった。

まあ、僕のように倒れてしまっては元も子もないが、たとえば僕にしても、自分なりに最も充実したのが40才以降である、と認めざるを得ない。20代、社長の松本君とともに「さいろ社」という出版社を立ち上げある程度「食べていく」ことはできたが、あれは、松本君の努力と野望に僕は寄り添っていたにすぎない。

僕の人生が結実しているのは、40才以降である。その結実の仕方は、まあそこそこで、それほどたいしたことはないけれども、まあ自分なりにはよくやっていると思っている。
その「よくやっている」納得の仕方は、自分の能力(才能も含めて)と努力とやはり比例する。40才を過ぎると、自分の限界は自分がいちばんよくわかるものだ。

ところで、これから「ひきこもり」や「ニート」の問題は、40才代の問題になる。そりゃ今から誰もジョブズになんてなれるわけがない。僕は理想主義的支援者でもないから、元祖ひきこもりであるプルーストにも誰もなれないだろう、と言ってしまおう。
だが、たとえ30才代で働くことができなくても、30代で行なった努力は、それなりのかたちで40代になって現れると思う。
30代の努力は、魅力的な40代を必ずつくる。

僕はこれまで、「ひきこもりの高齢化」として、悲観的なことばかり書いたりしゃべったりしてきた。だが自分が大きな病気を乗り越えもう少しで50才になろうとし、それなりの40代を過ごしてきた結果、人々それなりの「40代」があると確信するようになった。
その「40代」は、 それほどほめられたものではないかもしれない。お金にも苦労するかもしれない。けれども、30代までの人生が、それなりのかたちで必ず意味を持って結実してくるはずだ。

そして、心理的にも40代は安定してきます。★


2012年5月14日月曜日

僕にとっては、「文芸部」が大学中退予防の砦になった

こんなクラブが当時あったら……

■3畳部屋とドストエフスキー

昨日の日曜日、大学時代のクラブの後輩2人と、琵琶湖の畔にあるプリンスホテルにて、プチ同窓会ランチみたいなのを楽しんできた。
僕は、講演活動やFacebookの最終学歴では大阪大学大学院臨床哲学という厳ついものになっているが、最初の大学は龍谷大学という京都にあるフツーの私立大学の、しかも心理学や哲学ではない、フツーの経済学部出身だ。

龍谷大学はもちろん第一志望でなく(立命館は見事撃沈)、かといって浪人させてもらえるほど実家は豊かではなかったから(&18才の僕は一刻も早く実家を出たかったから)、少しためらいながらも高校を出てストレートで入ったのが、京都の伏見区にある第二志望の龍谷大学なのであった。
そこで4年過ごし、バブル期どまんなかの時期に、京都の地味〜な出版社に就職し、そこを1年でやめて、その地味〜な出版社で出会った友人(当ブログにも度々登場する松本君)とともにつくった個人出版社が「さいろ社」というわけなのであった。

龍谷大学は、4回生卒業時においては僕にとって最高の大学になっていたが、1回生時は、それはそれはブラックで希望のない、超ダサ〜い大学だった。いや、龍大がブラックというのではなく、思春期を延々引っ張っていた当時の僕がブラックだったという意味で。

1回生時は友だちもほとんどおらず、1日1時限だけ必修科目に出席してぎりぎりの単位をキープしながら、なんとか日々を過ごしていた。
バイトもする気にならず(本音をいうとバイトするのが怖かった)、親からの仕送りをギリギリに絞って生活していた。月末などは近所の定食屋で1日1食というのはザラ。

3畳部屋で共同風呂・トイレという、当時としても珍しい超学生寮みたいなところで暮らしており、その寮自体は学生たちで賑やかだったけれども、僕はいつも一人で部屋にこもり、ヘッドフォンをして音楽を聞いていた。
当時はまだ「ロックミュージック」の思想性が信じられていた時代で、つまりロック=反体制=ここではない自分探しみたいなのが素朴に信じられていたし(『ロッキング・オン』が急拡大していた時代)、僕も信じていた。だからヘッドフォンの中では、ジョンレノン、パブリック・イメージ・リミテッド、ポップグループ、そして初期のRCサクセションなどが鳴り響いていた。ああ恥ずかしい……。

そんな時代にドストエフスキーや埴谷唯高を読破し、孤高で文学でロックな19才を僕は過ごしていたわけだが、実は寂しかった。というか、すごーく、すごーく寂しかったのであった。
まあ、今風の言葉で当時の僕を言い換えると、半分ひきこもりの、大学中退寸前の、抑うつ状態学生だったわけです。

■生涯最大の緊張

そんな調子で2回生になり、なぜか僕は「このままじゃマズイんじゃないか」と自力で考えた。で、ない知恵を必死になって絞り出した結論が、「クラブに入ろう!!」だった。

入るクラブは文芸部以外になかった。ロック好きでもギターは弾けなかったし(高校時挫折し、ギターは弟に譲った)、映画もそれほど自信はなかった。が、文学であれば、ドストエフスキーとサリンジャーと夏目漱石と埴谷雄高と大江健三郎というふうに、結構自信があった。
自信があるということは、部室で論破されないだろうということだった。

だが、2回生の春に(しかも6月に)入部するのは勇気が必要だった。その理由は、①1回生ではない、②新入生歓迎時期を過ぎている、③文芸部で人間関係を築く自信がない、④文芸部で何をしゃべったらいいかわからない、⑤文芸部のドアをノックする勇気がない、⑥そもそも文芸部に入りたいということを表明するのが超恥ずかしい……と、きりがなかった。

そういえば『涼宮ハルヒ』シリーズは文芸部の部室を乗っ取って活動する話だが、当時はあんなコジャレたというか、ヒッキーの気持ちに寄り添ってくれる作品群は皆無だった。文芸部=ちょっとクラいみたいなイメージがあり、まあそんなクラいど真ん中の自分ではあったがそれを認められないのがひきこもり/自意識過剰であり、まあそのど真ん中にいたのが当時の僕なのであった。

が、これは過去にも書いてきたが、本当に勇気を振り絞って(僕は48才になるまでたくさん緊張してきたが、たぶんあれが生涯最大の緊張経験だった)文芸部のドアをノックし開けてみると、そこには、僕の10倍は変な人達がうようよしていたのであった。

それから、文芸部で読書会に参加し、文芸部で定期刊行物を作成し、文芸部でたくさんお酒を飲んで激論し、そして文芸部代表として学園祭実行委員会でパンフレットを編集し、そのパンフレットが新聞で取り上げられ、文芸部代表として全クラブが寄稿する学術誌を編集し、そして、当然「愛と友情」が炸裂しと、怒涛の大学時代が本格的にスタートしたのであった。
そうやって、4回生が終わる頃、僕とって龍谷大学は最高の大学になっていた。

■「居場所」としての有効性

で、今から振り返ると、龍谷大学、いや、文芸部は僕にとって最高の「居場所」だった。
「居場所」機能には、①コミュニケーション、②生活(清掃等)訓練、③レクリェーションの3つがあると、現在の僕はいろいろ書いたりしゃべったりしているが、まさに文芸部はその3機能が凝縮していた。編集作業などは就労実習のひとつなので、就労訓練までもそこには加わっていた(実際その編集実務を元にさいろ社の作業を行なった)。

昨日久しぶりにクラブ関係の後輩2人とランチし、帰りの電車でそんなことを思い出していた。
やはり文芸部が惜しかったのは、2回生の6月、その部室のドアを開けることが異常に緊張したことだ。

あそこで、途中入社ならぬ「途中入部」が大学の中で常識であればもっと楽にひきこもりの僕はドアをノックできただろう。
またそれ以前に、文芸部ってどんなところかを説明してくれる「案内所」みたいなものも別の部屋にあれば、もっと気軽に訪れることができたかもしれない。
その案内所に、やはり専門カウンセラーがいてくれれば、もっともっと安心できたかもしれない(いや、それはかえって抵抗あるかな)。

現在さまざまな「大学中退」予防策が考案されていると思う。もしかしてクラブやサークルがその最大の社会資源かもしれないのだが、そのわりには各大学ともその資源の再構築に取り組めていないのでは、と昨日あらためて思った。

まあこの頃の僕は、社会の最新情報に疎くなってしまっているので、すでに、こうした「クラブの“居場所”としての有効性」は積極活用されているのかもしれませんね。★

2012年5月6日日曜日

オルタナティブNPOとシェアNPO〜2世代のNPOは「つながる」か〜


■オルタナティブとシェア

昨日は休みのわりにはアクティブで、午前中は自宅にて、井村良英さん(NPO育て上げネット/元プラッツ2代目塾長)と金城隆一さん(NPOちゅらゆい/元プラッツ3代目塾長)と僕の三人で、2000年に49才で病没した淡路プラッツ初代塾長の蓮井学さんを偲んで「スカイプミーティング」を行なった。

そのあと神戸元町へと向かい、Facebookでお誘いいただいた加藤徹生さんの「社会起業」をテーマにしたミニ講演会というかワークショップに参加した(加藤さんとは初めて会った。氏の著書には『辺境から世界を変える』他がある)。

このふたつを通して、ここのところ考えていた、現在日本に存在するNPOの、ふたつの傾向について整理できたので簡単に書いておこう。

日本には4万ほどのNPOがあるらしいが、これらは大きく分けて2つのタイプがあると思う(いつも僕が書いている経営・財政的な側面からではなく、いわば「思想的」側面から見て)。
ひとつは、「オルタナティブ」なNPOで、もうひとつは「シェア」なNPOだ。
前者は主として団塊の世代が担い、後者は団塊ジュニアの世代が担っている。

■オルタナNPOとシェアNPOの差異

オルタナティブNPOは、行政システムや企業文化とは違う、文字通り「別の」システムや文化を提案していく。これはカウンターカルチャーや反体制文化とも結びつき、環境・教育・農業・平和などの分野で現代的展開を行なっていると思う。
元々は団塊・全共闘世代による市民運動から発展してきたものだ。

シェアNPOは、最近現れた「シェア」という新しい価値を伴う動きではあるが、最も現代的ムーブメントでもある。「シェア」とは分け合う・共有するという意味で、SNSの大手Facebookがもつ代表的な機能だ。
これは利用者がお薦めする情報を、それぞれ勝手気ままに自分の「友だち」に提供していくものだが、この機能により、チュニジアやエジプトの「アラブの春」が導かれるなど、Facebookはこの機能が持つパワーにより注目され、そのことでさらに利用者を急拡大させていった。

35才前後の団塊ジュニアが担うシェアNPOは、この「情報・価値を共有する」ということで一致しており、行政や企業とはアンチやカウンターではなく、ともに利益をシェアする方向で動く。
同業のNPO同士や、他ジャンルのNPO同士であっても、「ウィンウィン」できるものであれば垣根を飛び越えてつながり、Facebookのようなゆるやかなつながり(ウィークタイ)を積極利用してそれぞれのミッションを現実化・拡大させていく。

■オルタナNPOとシェアNPOの長短所

二種類のNPOとも、それぞれ長所と短所がある。
オルタナティブNPOの長所は、行政・企業が少しためらう領域に軽々と踏み込む。それは、環境(反原発含む)・教育・安全食品・反戦等、多ジャンルに及ぶ。
短所は、長所の裏返しであるが、行政・企業と対立する項目が多いため、なかなか「ウィンウィン」しにくい。

シェアNPOの長所は、メリットのあるもの(それぞれの団体のミッションに沿うもの)であれば価値やイデオロギーを越えて「つながる」ことができる。
短所は、これまた長所の裏返しであるが、行政や企業が不可避に抱える難点(権力性にともなう堅固さ)と対峙しにくいことだ。

権力性とは、時には真正面から向き合うシーンを不可避に表出する存在でもある。それが、後期フーコー的な「見えにくい権力」性であっても、NPOの価値の基盤にある「自由」と時には真正面からぶつかり合ってしまうやっかいな存在なのだ(ここではそれぞれの集団にいる人間の個人的あり方は二次的なものになる)。
そうしたとき、シェアNPOはどうするか。いまのところそれを問われるようなシビアな局面は訪れていない。

■ふたつのNPOはどうつながるか

僕は、団塊の世代が徐々に亡くなられていったとしても、オルタナティブNPOはなくならないと思う。シェア文化だけでは足りないものが社会には必ずあり、それはオルタナティブ的価値を持つ集団が切り開くのが得意なジャンルでもある。
オルタナティブNPOとシェアNPOがいかにネットワークしていくか。ここがこれからの日本社会のポイントとなるだろう。

ところで、故・蓮井さんは、基本的にオルタナティブな人だったけれども(酔うと岡林信康を絶叫していたけれども)、「不登校やひきこもりの子どもにメリットのあることであれば」安々と自分の価値を越えて情報をシェアしウィンウィンしていける人だった。
蓮井さんとは、オルタナティブとシェアが共存した、稀有な人だったのだ。
それが、蓮井さんの魅力だったと、昨日きちんと気づいたのであった。★


2012年5月2日水曜日

「友だち」が多すぎて〜『GANTZ』『ワンピース』、Facebook


■決断主義と『GANTZ』

この前また衝動的に『GANTZ』の最新刊(33巻)を買い、そのあまりの駄作ぶりにFacebookでも嘆息しまくったのであるが、その勢いでこのブログでも『GANTZ』について書こうと思っていた。

『GANTZ』32巻と33巻。1850万部!
Facebookではこんなことを書いた。
単にエログロ好きで絵が結構上手な作者が、「ジャンプパターン」(友情・努力・勝利)+エログロで売れたものの、これまたいつものジャンプパターンで、終わりどころ・引き際を決めることができなくて迷走している。

いつものジャンプパターンでは唐突あるいは何となく終わっていくのであるが、『GANTZ』はなぜかひたすら物語規模が拡大して(どちらかというとエロよりはグロテスクの拡大で)続いている。
この「中身はないのに続くこと」自体がかなり現代的なのではと、32・33巻を読み終わって感じたのであった。

「決断主義」の代表作といわれる『GANTZ』が終わらず延々と続くこと自体、「物語」よりも「状況ごとの人物の判断・行動」を読者は楽しんでいるのでは、と僕は思っている。
つまり、ストーリーよりもキャラのその場その場の行動(決断)を、今の読者=若者は支持しているということだ。

■登場人物の限界数

だがもうひとつ気になる点が『GANTZ』にはある。いや、最近の『ワンピース』にもこれは当てはまる。
それは、「物語を推し進める『友だち』=集団の数は何人までが限界なのか」ということだ。

最近の『GANTZ』は物語が巨大化し、ということは登場人物の数も異常に増殖してしまい、誰がタエちゃんで誰が玄野かあまりわからなくなってしまった。
どれだけ作者が絵が上手でも、これだけ物語が複雑化し場面設定がコロコロ変化すると、絵だけで人物を見分けることは難しい(『GANTZ』の映画版は少人数設定に徹しているので漫画よりもおもしろかったりする。まあ漫画も初期の少人数バージョンはおもしろかったか)。

これは『ワンピース』にもいえ、初期の主要人物があまり出てこなくなったこの前までの山場(ルフィの兄のエースが死ぬシーンを頂点とする)では、キャラクターの区別がほとんどつかなくなった。

めちゃくちゃだった話が最近は小さく
『ワンピース』は『GANTZ』と違って、超個性的なキャラの描き分けをしている、にもかかわらずだ。
これは、『GANTZ』以上にシーンの切り替えが頻繁なのと、ジャンプコミックスの版型の小ささが原因していると思われるが、根本的に、そもそも登場人物が多すぎるのだ。

■多すぎて感情移入できない

おそらく作者たちの誠実さあるいはキャラクターへの造詣の深さから、脇役も含めてきちんと描いていこうとする。
昔の漫画家、たとえば江口寿史であればすぐに投げ出すところが、最近の漫画家はわりと真面目なので、きちんと描き続ける。

そこに、読者の「決断主義」好き(「ストーリーよりもキャラ」)が重なり、異常に拡大した状況設定のもと、異常な数の人物数がそれぞれの場面でそれぞれのドラマを演じる。

一つひとつのシーンは丁寧にこまかく描き分けられている。ところが、登場人物の数が多すぎることにより、我々は、いくら物語に工夫がこなされていようが、その物語自体に感情移入できにくくなる。
作者としてはいちいち「これが玄野でこれがタエちゃんで」「これがクロコダイルでこれがエースで」とか注釈できない(作品が死んでしまう)ため、絵やセリフだけで人物を描き分けようとする。

だが、我々読者には不可能なのだ。登場人物の把握数に関して、我々にはおそらく限界がある。いくらストーリーに工夫をこらしても、ストーリーの中で捉える(認知する)ことのできる人物数には、ヒトには限界があるのではないか。

だから、最近の『ワンピース』や『GANTZ』が異常につまらないのは、作者の才能が尽きたわけではなくて、漫画=物語の限界を超えた登場人物数を提出しているためだと僕は思う。

■Facebookの「友だち」数

Facebookを研究していると、同サービスを利用する人が把握できる「友だち」の数の限界に時々言及する人がいる。それは、150人だったり30人だったりとさまざまではあるが、予想よりも少ない数しか「友だち」の日常を我々は追えないらしい。

こうした数はFacebookだけに限らず、普通の経営本なんかにも出てくる。友だちが30人あるいは150人を越えると、我々にはどうやら「それ以上」の人たちとしか認知できなくなるようなのだ。

つまりは、友だちは数じゃなくて中身ね、というベタ〜なことを僕はひきこもりやニートの若者には伝えたい。
また、これからFacebookを始める人には、友だち150人以上キープしている人は営業/仕事優先でFacebookをやってるから割りきってね〜とお伝えしたい。
もちろん僕もそうです〜。★