2012年10月28日日曜日

たとえば、『羊をめぐる冒険』があった〜ハイティーンを支えるもの〜

『羊をめぐる冒険』の舞台といわれる、北海道・美深駅から奥に入ったところにある松山湿原の看板。
詳しくは、このブログを参照あれ。東京紅團http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-hitsuji2.htm僕も最近見つけたのだが、文学マニア垂涎のブログだと思います。


■11/3、よろしくお願いします

おっと、またもや前回ブログから1週間たってしまった。この間、さまざまな会議への出席を中心に(というか、僕の仕事の中心は「会議」になってしまった。それにまだ慣れていないのでいろいろご迷惑をおかけしています……)、1週間フル稼働だった。

でも、プラッツスタッフからすると、「あのタナカ代表、何してるんだろ」みたいな感じで映っているのかもしれない。いろんな社長エッセイを読んでいると、こういうのがいわゆる「トップの孤独」なんだそうだ。

でも僕は、まわりから一人になればなるほど幸福になってしまう。碓か、未来工業の社長さんが、「500人社員がいても、戦略と人事は社長一人が決めればいい」と書いていたけれども、僕は非常に共感する。というか、未来さんの社長を尊敬します、関心ある方は、『日本一社員がしあわせな会社のヘンな“きまり” 』の読んでみてください。

ところで、淡路プラッツ20周年シンポ第2弾が来週に迫ってきた!! 詳しくは、「設立20周年シンポジウム②潜在化する10代〜高校中退予防の現場からhttp://awajiplatz.web.fc2.com/seminar.sinpo.html」を参照いただきたいが、前回までとはいかないものの(まあ前回も結局はありがたいことに満員になったのではあるが)、集客状況はピンチらしい。
みなさま(特に教育関係者の皆様)、ご関心ある方はどうぞ覗いてみてください。場所は前回からは変わり、クレオ大阪北http://www.creo-osaka.or.jp/north/index.htmlですのでご注意を!!

■現実のイバショと、理念のイバショ

ところで、高校中退のことをこの頃僕はず〜っと考えていて、行き着くところはやはり「連続体(①中学と高校の進路連携、②高校内イバショの設置、③通信制高校のフォロー)としての高校中退」と、「イバショ」の中身ということになる。
「連続体」に関しては最近のブログに触れてきたので、今回は少しだけ「イバショ」を補足してみよう。

支援施設としてのイバショ(漢字で書くと意味が限定されるため、カタカナ表記で一般化している)は、たとえば、大学生のメンタルフレンドとおしゃべりしたりゲームしたりスポーツできたりする支援空間がある。
淡路プラッツでも、大阪市の委託事業「サテライト事業」のなかで、市内の2ヶ所でイバショスペースを展開している(http://awajiplatz.web.fc2.com/hutoukou.html)。

また、理念としてのイバショについては、この記事(「安心と責任のあいだ」http://toroo4ever.blogspot.jp/2012/10/youtube.html)に記したように(youtube動画でも語ったように)、「家族=安心(愛と言い換えてもいいか)」「仕事=責任」のあいたに、「イバショ=自由」があるとした。

このように「イバショ」には、今のところ僕は、「現実の支援施設としてのイバショ」と「理念としてのイバショ」という2つの位相があるとしている。
この議論はもう少し熟成させていきたいが、現実の支援的なイバショ的存在として、支援施設とは別に、「文化」の力が大きいのでは、とこの頃思ってきた。
少なくとも僕個人は、文化(サブカルチャー含む)の力によって、10代の頃はずいぶん力づけられたのであった。

■文化というイバショ

僕はいま48才だから、18才の頃は1982年ということになり、バブル前夜というよりは、70年代文化がまだぷんぷんと残っていた時代にハイティーンを過ごした。

そこには当然、ロックがあり、マンガがあり、アニメがあり、文学があった。それらをいちいち書くのは恥ずかしいので今回はスルーするが、毎日これらに囲まれた生活を送るのは、当時はすがるものが欲しかったので仕方なくそれらに囲まれていたとはいうものの、あれは僕にとっては明らかに「イバショ」だった。

具体的には、パブリック・イメージリミテッドやギャング・オブ・フォーをイキガって聞き、大島弓子を読みあさり、ガンダムをセリフの一つひとつを覚えるようにして見、そしてドストエフスキーをガシガシ読んだ。

高校生の頃、僕は友達が一人もおらず孤独だったが(現在の孤独は楽しいが当時の孤独は寂しかった)、何かに「囲まれて」はいた。そして、その何かを受け止めてばかりではなく、反発したり真似したりしていた。
それは今から思うと、のちに大学で文芸部に勇気をもって入部し、先輩たちにしごかれることになる、プチ練習になったのだと思う。先輩たちと会話するかわりに僕は、清志郎に語りかけ、エドガーとアラン(萩尾望都)に共感し、青ジャケ・ルパンを10回は見た。

当時は孤独で孤独で仕方がなかったけれども、今から思うと、あれは「文化というイバショ」という空間に包まれていたのであった。

■「鼠と僕」のイバショ

この前、北海道・札幌出張のついでに旭川に行き、初めてきた場所なのに、なんだかすごく懐かしく、落ち着いた気持ちになった。
帰ってきて気づいたのだが、そこから北に100キロ以上行ったところに、村上春樹『羊をめぐる冒険』のラストの舞台があった。あの、「鼠」と「僕」が最後の対話をする山小屋がある場所だ。

今から思うと、この第一長編(最初期2作をのぞく)から村上春樹は、「生と死のあいだ」に執拗にこだわり続けた作家だった。
『羊をめぐる冒険』のラストが僕に与えた衝撃は計り知れない。僕、というか、ハイティーンから20才にかけて「自分にとってのイバショ」を執拗に求め続けていた僕にとって、という意味だ。

当時の僕にとって(それはすべてのハイティーンとってと言い換えてもいいのかもしれないが)、生と死は非常に近く、それをつなぎ、そのふたつが会話し、結局は「生」に戻ってくるその物語は、僕を落ち着かせた。鼠には悪いけど、僕は結局「僕」の側についたのであった。

この手の小説は世界中にあふれており、『羊をめぐる冒険』もその一例にすぎない。が、それは僕にとっては明らかに抽象的なイバショではあった。

現代において、また現代のハイティーンにとって、僕にとっての『羊をめぐる冒険』のような存在は何なんだろう。最近僕の日常は「戦略」とかのしょーもない仕事ばかりなので、めっきり疎くなってしまった。まさか、西尾維新じゃないよなあ。★





2012年10月21日日曜日

高校中退予防(=若者の現役化増大)こそが、少子高齢社会の最大のテーマ


■2回目シンポジウムが迫ってきた

北海道から帰ってきてもう1週間すぎてしまった。
この間、旭山動物園での熱情はどこへやら、日々の仕事に追われて(といいながら体調が第一なので残業はゼロ)すっかりFacebookやブログはあとまわしにしてしまった。

が、気づけば、淡路プラッツ20周年シンポジウムの2回目「潜在化する10代〜高校中退の現場から〜」があと2週間に迫っている。広報も後手になっているし、やっぱり3ヶ月連続シンポはちょっと無謀だったかしら。
その次回のお知らせは↓をご参照いただければ幸いです。
http://awajiplatz.web.fc2.com/seminar.sinpo.html

■「見る」より「聞く」

今回のブログは、その話題に合わせたというわけでもないのだが、昨日(10/20)大坂・天王寺にあるYMCA高等学院で行なった僕の講演会の冒頭部分のビデオを貼り付けてみる。
講演会の冒頭部分の9分。
この9分間で「ひきこもり」を引き起こす最大の源泉についてやっと語れた。
このコンバクトな「語り」を獲得するために15年かかった。

プラッツスタッフが僕のiPhone5を使って撮った固定画像なので(全部で9分)、相変わらず全部通して見るのはしんどいのだが、まあ「見る」と捉えず、スマートフォンをキッチンテーブルかどこかに置いて「聞いて」みてください。
特に、最初の2分ほどで言いたいことをまとめているので、そこだけ「流し聞き」だけでも十分かもしれない。

■連続体=ネットワーク

前回のブログ(連続体としての予防システム〜札幌サポステ松田考さんインタビューhttp://toroo4ever.blogspot.jp/2012/10/blog-post_13.html )でも書いた通り、高校中退の問題は、①中学と高校の連携、②高校内での支援メニュー(イバショと面談)の設置、③通信制高校でのフォローの3つのステージからなる。

今回の講演では、この3つをいかにシステム化していくかということに力点を置いている。
サポートステーションが高校支援(主として就労の視点からだが)に乗り出してきたように、3つのステージそれぞれで模索は始まっている(たとえば②であれば、プラッツが展開している「となりカフェ」等)。

1つのステージ内での支援の充実も重要なのではあるが、何よりも重要なのは、この3つのステージをいかに「連続体」にしていくか、ということだ。言い換えると、真の意味での「高校中退予防ネットワーク」を構築できるか、ということだ。

■高校中退予防が「若者の現役数増大」につながる

少子高齢社会においては、足りない現役労働者数を補うために、「60代、女性、若者」の現役化が必須だといわれる。
現在、60代(つまり団塊世代)の現役延長と女性の総労働者化(そのために病児保育NPO等の存在意義がある)は着実に進む。

が、最も「現役労働者」に近いといえる「若者の現役化」はあまり進んでいない。若者がもっと働いて税金と年金を払わなければ、我が国のシステムはより危険水域に近づくだろう。

まあラディカルなポストモダニストとしての僕からすると、個人的には社会の崩壊も楽しんでしまったりするのだが、今のところ僕は青少年支援NPO代表でもあるので、その立場にいる限りは「若者よ、もう少し働かない?」と言わざるをえない。

高校中退予防に力を入れるのは、ここがひきこもりを引き起こす最大の源泉であり、ここを手当していくということは、若者の現役数拡大にダイレクトにつながるから、です。
教育行政の方たちも、タテマエ論にしばられず、柔軟にネットワークしていきましょう!!★




2012年10月13日土曜日

「連続体」としての予防システム〜札幌サポステ松田孝さん(youtubeインタビュー3)


■北海道にきた!!

10/13に北海道社会福祉士会主宰のパネラーとして招待され、そのついでといえば失礼だが、以前よりお名前を伺っていた札幌若者サポートステーションの松田考さんにインタビューすることができた。
いつものようにYouTubeにアップしつつ、以下簡単にまとめてみる(宿泊先からiPhone5のみで作業しているので、うまくいくかな)。

今回のタイトルに「連続隊としての予防システム」としたが、これは松田さんのご指摘ではなく、インタビュー前後の議論や、その後の飲み会での会話(病気以降の僕は飲んでもビール一杯程度のため、なごやかな雰囲気のままトークし続け、しかもすべて記憶している! 当たり前か……)を聞いて僕がまとめたものだ。

■1.中学との連携、2.イバショ運営、3.通信制との 連携

松田さんはビデオ1において、中学との連携の必要性とその効果を語っている。またビデオ2では、いったん高校をやめたあとに入ることが多い通信制高校でのフォローの重要性について語っている。
そして、そのふたつの連携(中学と通信制高校)の間にある、現在在籍する高校での「イバショ」的支援の難しさにも少し触れている。

Part1。中学との連携の重要性。「高校中退予防は難しい」と率直に。
なお、宿泊先ホテルにWi-Fiがないため、粗い画像になっています(iPhoneの都合)。




Part2。通信制高校との連携。通信制→ひきこもりという循環が問題の最大の源泉。



■「連続体」としての予防システム

振り返れば、この一連の流れ(中学との連携、イバショづくり、通信制高校でのフォロー)は、一つひとつの重要性は誰もが認めることだ。
が、これらを「連続体としての予防システム」として捉えることは、これまであるようでなかったのではないか。

その原因は、やはり支援する側(NPOやカウンセラー)が、「学校/教育側の閉鎖性」に最初から諦めてしまっていたということが大きい。

実は僕も長らくそう考えていた。だが、「となりカフェ」(大阪府委託事業)での取り組みを始めてみて、学校サイドは(少なくとも高校は)まったく閉鎖的ではないと考えを変更した。
工夫次第では、「連続体」としての予防システム構築はまったくの夢物語でもないと思うようになった。

高校中退を防ぐためには「イバショ」的な集いの場の設置の必要性と、そこへの誘導の難しさについても我々の意見を共有することができた。
イバショができたからどうぞ〜という単純な呼びかけだけでは中退寸前の生徒を居場所に導くことはできない。やはり、学校側スタッフ(教員やカウンセラー)の協力〜生徒の日常をよく理解した上での絶妙な声かけ等〜は欠かせない。

北海道と大阪で、初めて出会ったもの同士が同じテーマで熱く語り合う、このことにも僕はジーンときたのであった。★

※11月3日、淡路プラッツ20周年シンポジウム第二弾がクレオ大阪北(阪急淡路下車徒歩10分)で開催されます。テーマは「高校中退予防」。
西成高校や豊中での実践取り組みが紹介されます。みなさま、どうぞよろしくお願いします。
詳しくは、http://awajiplatz.web.fc2.com/seminar.sinpo.html





2012年10月8日月曜日

安心と責任の間〜イバショと自由(youtube全記録)

10/6にあったプラッツ20周年シンポジウムの、僕の基調講演すべて(25分)をyoutubeにアップした。
固定画面でなかなか見づらいのだが、part3まですべて見てみると、あの日自分が何を一番言いたかったのかをはっきりと思い出した。

2010年代の日本社会では、90年代前半頃まであった「イバショ=自由(自己と他者のあいだ)」がすっかりなくなり、家族=安心(「じぶん」的なもの)と、仕事=責任(「他者」的なもの)のみが残ってしまった。
だからみなさん、それぞれの「現場」で人為的に「イバショ」をつくっていきましょう、まあこんなことを、僕は言いたかったのであった。

先ほど25分通して見たが、part3の最後でそれを明確に提案している。
そんな言葉を聞いて(まあ自分の言葉なのでナルシシズムも甚だしいのだはあるが)、「ああ、20代後半で編集者から支援者に転身し、プラッツで長い間働いてきて(あるいは青少年支援の仕事をしてきて)よかったなあ」としみじみ思ったのであった。

お時間ある方は、通して見る(固定カメラなので音声だけでも十分です)ことをおすすめします。part2はグダクダですが、part3だけでもよろしければ。★テキストは、10/7ブログ記事「イバショ〜安心と責任と自由をご参照ください。

9分。本講演の大筋と、「文芸部」に救われたエピソード。

9分。家族=安心=「自分」、仕事=責任=「他者」、イバショ=自由。

6分。安心と責任の間を埋めるもの、イバショ。イバショをそれぞれの「現場」で。




2012年10月7日日曜日

イバショ〜安心と責任と自由(youtube動画①)〜淡路プラッツ20周年シンポジウム①基調講演


■無事開催できた!

昨日の連続シンポジウムの1回目は無事開催することができ、会場も無事満員となり、僕はものすご〜く安心した。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。

3回連続シンポジウムの1回目は、事実上のゲストは一人(松山廉さん/京都若者サポートステーション・統括コーディネーター)で、あとは僕・石田(プラッツ事業責任者)・井上(プラッツ新人スタッフ)という「年の差一回り違いプラッツトリオ(48才・30代半ば・20代前半)」が占拠してしまうという強気の布陣だったにもかかわらず、たぶん話は盛り上がった。

僕以外の三人からは、それぞれの現場から報告していただいた。主な対象は、松山さんはニート、石田はひきこもり、井上は不登校ということになる(松山さんはヤンキーにも強い)。

僕は、たぶん僕にしかできないであろう「臨床哲学」チックな話をした。それは下のyoutube動画にもあるとおり現代社会の中での「イバショ」の位置づけの話と、当ブログではおなじみ「変な大人」の話が中心だった(それにしても昨日も「変な大人」話は盛り上がった。マジで本にまとめてみようかな)。

■安心=家族、責任=仕事、自由=イバショ

iPhone5の固定画像ですみません。全部で25分あるため、この①は9分。②と③は近日アップ予定。
①の冒頭3分程度に全体の要約をしゃべりました(碓か……)。

基調講演は全部で25分もあり、youtubeへのアップロードに時間がかかることから、今回は最初の9分しか貼り付けていない(随時アップしていきます)。
ただ、動画は見るのが疲れるから、以下、文字でまとめておこう。

こんなシンプルなことを基調講演ではお伝えした。

多くの人間は3才頃まで世界は「家族」のみであり、フロイト的葛藤はあるにしろ、その空間は基本的に「安心」要素で満たされている。

だが、すぐに家族以外の他人に取り囲まれ始める。その他者の世界には、「責任」的要素が含まれている。
大人になるとその責任的要素は「仕事」と呼ばれ生活の大半を占めることになるが、子ども時代はそれは「学校」と呼ばれている。

けれども実はその責任=仕事/学校の裏側にくっつくようにして、息抜きの要素が存在している。
それが、「イバショ」である(このイバショは一般化されており、単なる「居場所」より
も理念的で幅広い意味を持つ)。それは「自由」の要素を含んでおり、90年代前半までは我が国の仕事/学校にもべったりとくっついていた。

が、世界的経済変動(グローバリゼーション化)を主とした原因として、仕事の裏側にあったイバショが壊滅してしまった。仕事/学校は責任のみで表象され、その裏側にあったイバショ=自由はなくなってしまったのだ。

具体的には、非正社員の増殖と研修対象・期間の狭小化(それまでは非正社員は少数派であり研修期間は長かった)、社内でのレクリェーション比率の低下、学校内ではサークル/クラブ活動への敷居の低さ(と同時に退部しやすさと容易な孤立化)などとなって表れている。

イバショがなくなった結果、我々には、家族=安心と仕事/学校=責任だけが残った。
家族が残ればいいじゃないかという指摘があるかもしれないが、家族だけでは人間は息抜きできない。家族は家族で濃密な空間なのだ(その証拠に、さまざまな事件は家族間で起こることが多い)。
家族と仕事のみの社会、これは非常に息苦しい社会でもある。

■それぞれがイバショをつくろう

これを箇条書きで書くとこうなる。
90年代前半までは、

1.家族……安心
2.仕事/学校……責任
3.イバショ……自由

の3要素がバランスよく我々を取り囲んでいた。
ところが90年代半ば以降、3のイバショが消失し、

1.家族……安心
2.仕事/学校……責任

だけになってしまった。我々から息抜き/自由が消えてしまったのだ(強いていうと、Google的大企業のオフィスや食堂には残っているかな)。
これは窮屈な社会だ。だから、淡路プラッツのような自由なNPOに対するニーズがある。
だから、自由なイバショに棲息する「変な大人」が子ども・若者たちから歓迎される。

以上に加えて、つ僕が昨強く日訴えたのは、このようなことに共感できる大人は、それぞれの地元で「イバショ」をつくってほしいということだった。
グローバリゼーションに破壊された我々の社会には、自然なかたちで「イバショ」は復活しない。
このようなことに自覚的な大人たちのみが、イバショを復活させることができる。

これは、NPOをみなさんつくりましょうという話ではなく、それぞれの職場的なところや学校的なところに「イバショ」的自由空間・時間を少し挟んでやるだけでいいのだ。

それは一見バカバカしくて大人気ないことかもしれないけれども、そのような「イバショ」がなければ我々人間は疲れきってしまうのだから仕方がない。

家族と仕事だけでは人間は疲れきってしまう、人為的にそれぞれのイバショをつくろう、というのが今のところの僕の結論だ。★






2012年10月1日月曜日

蓮井さんへの最後の「恩返し」〜イバショの可視化


■蓮井さんへの「恩返し」

僕が淡路プラッツで働いているのは、蓮井学さんという大恩人がプラッツに誘ってくれたからだ。あれは99年頃だったかな、プラッツも設立して9年くらいたっており(創設期から僕は外部の取材者として関わってきた)、いろいろな方針転換(「待つ」支援から「押し出す」支援へ、等)を経て、ずいぶん人が入れ替わっていた時期だった。

蓮井さんは2000年の5月に病没されるのだが、本人はおそらくまだまだ生きるつもりだったと思う。ただ、プラッツの塾長という立場からはそろそろ引退を考えているようだった。その時に備えてのスタッフ強化の一つとして僕に声がかかったのではないかと思う。

2000年前後は僕自身もたくさんのテーマを抱えていて(プライベートなことや、「臨床哲学」大学院に入ったこと等)、激動の数年間だった。そうした出来事の連なりのなかで決定的なことの一つとして起こったのが、蓮井さんの突然の死だった。

一度は終わりへの道筋に入ったプラッツが何とか続くことになり、僕を含めた数人がその重責を担うことになった。
そこから僕の、蓮井さんへの「恩返し」が始まったのであった。

■恩返しはほとんど終わった

そこから2010年に僕自身が脳出血で倒れるまで、ひたすら走ってきたと思う。おかげさまで(委託事業に頼りっぱなしなので超不安定なものの)売上は10倍になり、一応「来年潰れるかも」状態は何とか脱した(が、再来年やばいかも、という危機感はまだまだあり)。

去年あたり、病気療養中の四国で、「ああ、オレの蓮井さんへの恩返しも終わったんだなあ」とつぶやいた。そのあたりから僕は、本格的に身体が治ってきたと同時に、自分自身の次の目標を探そうと思い始めた。

だがしかし、唯一終わっていないことがあった。それは、蓮井さんが死を賭して臨んだ「居場所」支援というものの有効性について、いまだきちんと言語化=可視化していない、ということだった。

それがこのたび、下の「スモールステップスケールver.3.0」で何とか成し遂げたように思えてきた。前々回のブログでも紹介したが、もう一度下に貼り付けてみよう。


ひきこもり・ニート/スモールステップスケールver.3.0
©2012 NPO法人淡路プラッツ/田中俊英)
支援のステップ
本人のステップ
スモールステップの指標
状態
スモールステップのタイプ
家族
外出
支援施設/
キーパーソン
就労  
1.アウトリーチ支援
1.ひきこもり
①親子間断絶
②外出不可
③外出可
2.生活支援
2.ニート
aイバショと面談
     イバショ:コミュニケーション(トーク)
     面談:心理カウンセリング/プチミーティング
bイバショと面談
     イバショ:生活訓練(調理・清掃等)
     面談:心理カウンセリング/プチミーティング
cイバショと面談
     イバショ:レクリェーション(買物・カラオケ・旅行等)
     面談:心理カウンセリング/プチミーティング


★…規範・規律等からある程度自由な「変な大人」の支援が有効

3.就労支援
⑤就労面談
⑥短期就労実習
⑦長期就労実習
⑧短期アルバイト
⑨長期アルバイト
◎−
⑩契約社員/正社員














■居場所の可視化

居場所支援とは、表中「生活支援」支援のことだ。ここを少し補足しておこう。


1.     ブラックボックスではなくなった
 効果があるがブラックボックス化していた(その意味の言語化が困難だった)「居場所支援」が、やっと少しずつ可視化され始めた。
 1のアウトリーチ支援から3の就労支援に一足飛びに越えてもだいたいは失敗する。2の生活支援(つまりブラックボックス化していた居場所支援)の意味を言語化し可視化してこそスモールステップ支援の意義を人々は理解する。
 
2.     イバショと面談の並立
 居場所支援だけでは青少年は疲弊するだけで終わることがある。ここに、担当カウンセラーとの柔軟な面談体制(心理カウンセリングや短時間のソーシャルワーク等)を絡ませると、イバショ(一般化するためにカタカナ表記する)支援の効果がより上がる。

3.     イバショには3段階がある
 雑談(コミュニケーション)、調理や清掃(生活訓練)、レクリェーション(買物・旅行等)の3段階を踏んで、イバショ体験になる。この3段階は、「3歩進んで2歩下がる」の心構えで行くのがちょうどいい。
 またこのようにきめ細かく設定することで、たとえば発達障害等のハンディを可視化することができる。

4.     「変な大人」の存在が有効
 これは当ブログでもいつも言及している。詳しくは、変な大人は「複数」になる〜末尾に「変な大人論」のまとめリンク集をご参照を。

以上のような点を中心に10/6シンポジウムは、僕が冒頭に語ります(20周年記念シンポジウムのお知らせ参照)。前回書いた通り、まだまだ空席あり! しかも無料です。ご関心ある方はどうぞよろしくお願いします。★