2013年12月27日金曜日

「自分新聞」ドーナツトーク版2013


■自分新聞

Facebookの年末恒例のアプリに「自分新聞」というのがあって、クリックして2分ほど待っていると、その年の自分の記事からFacebookさんが適当に編集して「その人の1年」みたいな新聞が作成される。
たとえば僕であれば、今年はこんな「自分新聞」になった。


荒いファイルらしく拡大すると文字が読めない。雰囲気だけでも。
興味ある方はFacebookを利用してここ田中俊英の自分新聞をクリックしましょう〜


でも、あくまでFacebookが勝手に見繕ったものであって、おもしろいっちゃおもしろいが、「なんとなくビミョー」な感じでもある。
そこで、今年はドーナツトーク独立年でもあるし、自分で「ドーナツトーク自分新聞」を2つのブログ記事をリンクするかたちでつくってみた。

■4月 ドーナツトーク事務所開設+Yahoo!+もろもろお仕事+キックオフイベント!!

1〜3月は前職NPOの代表だったから割愛するとして、独立年最初の4月は、やはりこれだろう。
もろもろスタート!!(ちょっとタイトル変えました)

事務所開設やらそこを使っての「土曜日居場所(まのまカフェ)」やらYahoo!ブログやらたくさんあったが、実は、代表の僕と副代表(事務局長あらため)の辻田は、事務所をとにかく維持していかなければいけないので、それぞれができること(辻田であればPSW資格をいかした某自治体のスクールソーシャルワーカーのお仕事等)を「食べていくために」始めたのだった。

ここでは、これまでお付き合いのあったいくつかの法人の方々には本当にお世話になった。
あらためてあがとうございました。

■5月 大学非常勤講師を始める

人生で初めて、大学非常勤講師を始めたのが4月だったが(京都精華大学)、「こころと思想」という、社会人大学院生で臨床哲学を学んだものの専門性のあまりない僕にとっては毎週が綱渡りだったけれども、とにかく楽しかった。

100名前後常時学生さんが出席されていたことも刺激となり、古市憲寿氏を3週連続で取り上げたのをはじめ、フーコーの権力論やスピヴァクのサバルタン論、最後は鷲田清一先生の本まで好き勝手に取り上げ、好き勝手に論じてみた。

5月はYahoo!ブログのほうが、発達障がいと「ニュータイプ」という記事で、なんと90万アクセスまでいってしまった。以降、個人やその特徴の分析というよりは社会の分析に関心が移り、真面目に「階級社会」を論じていく契機ともなった。


厳密には5月末からの事業だが、実質的には6月からこの事業が始まった。
以前から付き合いのあったNPO法人みらいずとの協働というかたちで始めた事業だったが、区の単独事業としては比較的規模が大きく、また初年度は区長の要望から啓発やネットワークに集中した珍しい事業になった。

が、11月のシンポジウムは定員を大きく上回る180名に参加していただき(その様子はここで新しい孤独〜2013年の子ども・若者)、大成功の事業になっているといってもいいと思う。


そして、となりカフェ!! 府立西成高校のとなりカフェとともに、府立桃谷高校では「かめカフェ」というかわいらしい名前の居場所カフェも始まった。
これも、みらいずさんとの協働事業であり、大国町に借りた「aimaカフェ〜あいまカフェ」にも、みらいずやドーナツトークの緊急雇用枠(大阪府事業)で入ったスタッフが元気に働き始めた。

秋になると、Facebookページではあるものの、高校生居場所カフェプロジェクトというページもスタートし、日々の居場所の様子が報告されている。
高校生居場所カフェプロジェクトを整理するというこの記事も参考になる。

■8月 NPOユースカフェ2、wazaカフェ「居場所のイマージュ」が居場所を出たあとも人を支える 

8月は比較的地味ではあったが、「NPOユースカフェ」の2回目と、「wazaカフェ」という新しい試みを行なった。
ユースカフェのほうは京都精華大学の授業内容を凝縮して「権力論」にまとめて語り、wazaカフェのほうは支援技術論を濃密に語ってみた(変な大人は変な待ち方をする)。
NPOユースカフェは最近3回目を行なったが(ソーシャルセクター論)、wazaカフェは早く2回目を開催したいと思っている。

■9月 内閣府と、となりカフェ注目度アップ

9月より、内閣府の仕事が始まった(「困難を有する子ども・若者及び家族への支援に対する支援のあり方に対する調査研究企画分析会議」委員)。
また、国会議員や府会議員が数名ずつ視察に訪れるなど、「となりカフェ」の取り組みが本格的に注目され始めたのもこの月からだった。

また、「階級社会」と自分の仕事を結びつけて考えるようにもなった(「ひきこもりは中・上流階級の問題となるだろう」)。

■10月 「サードプレイス」登場!!(スターバックスと「となりカフェ」

この月から、ブログ上で「サードプレイス」という用語が頻出し始める。
2013年は、僕が15年以上向き合ってきた「居場所」という言葉が「サードプレイス」に置き換わった記念すべき年でもあるのだが、具体的にはこの月より始まった。
サードプレイスは来年もドーナツトーク、いや、日本の子ども・若者問題を考える上で重要概念になると思う。

■11月 住吉区フォーラム、となりカフェ・キャラバン

この月はもうたくさんありすぎて書ききれない。
上にも書いた住吉区フォーラムはこの月だったし、「となりカフェ・キャラバン」(高校生居場所カフェのお試し開催)の打ち合わせもこの月から始まった(開始は1月から)。

詳しくはYahoo!ブログやGoogleブログを参照いただきたいが、個人的に印象に残っているのがこのブログだ(変な大人とは「クィアな人」のこと)。ジェンダー・セクシュアリティと「変な大人」を結びつけて書いたものだが、地味なGoogleブログには珍しく多くの反響があった。
やはり、ジェンダー・セクシュアリティの問題は、多くの人が関心を持っている。

■12月 大阪府の校長部会でも「となりカフェ」を語る

以上、駆け足で今年の「自分新聞」をつくってみたが、ざっと振り返っただけでもどっと疲れた、というくらいに濃密な1年だった。

12月、印象的だったのは、辻田とともに呼んでいただいた「大阪府立人権校長部会全体研修会」での講師の仕事。たくさんの校長先生の前で、「となりカフェ」とサードプレイスについて語ることができたのは、ある種の達成感をいだくことができたのであった。

ブログ的には、この2本。人口構造と階級社会を僕なりに論じることができた。

■ミッション〜戦略への落とし込みを来年も

というわけで、長々「自分新聞」してしまいました、スミマセン。
来年も基本的には今年の戦略(「潜在性へのアプローチ」の2本柱〜①ハイティーン支援としての高校生支援、②潜在エリア支援としての大阪市住吉区支援)を踏襲すると思うが、年末に予定している「ドーナツトーク戦略会議」でより明確になると思う。

このように、ビジョン→ミッション→行動指針→戦略(①法人戦略、②各事業戦略、③人事・財務・広報などの機能別戦略)というソーシャルセクター(厳密には、ソーシャルセクター「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ」)らしい動きを、来年もドーナツトークは追求していきます(ソーシャルセクター分類はこの記事参照ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとはなにか)。

みなさま、今年はたいへんお世話になりました、ありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いします!!★









2013年12月20日金曜日

「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ」とは何か〜「ビジョン→ミッション→戦略」という流れに忠実に


■「行政補完タイプ」に修正

前回、早稲田大学で行なった講義の簡単な報告ブログを書いたが(早稲田大学にサードプレイスを)、そのなかで、あらためて「ソーシャルセクター」について言及してみた。
その作業を通じて、以前から課題だったソーシャルセクター分類(ソーシャルセクターの2分類4タイプ)のうち、「ソーシャル・アントレプレナー型・社会変革タイプ」について、その特徴が明確化できたので、ここに簡単にメモしておく。

その前に、上ソーシャルセクターの分類について少し修正したので訂正・記述しておく。
前回の分類中、「目の前の課題解決型・委託事業タイプ」を「行政補完タイプ」に訂正する。

委託事業は、目の前の課題解決型だろうがソーシャル・アントレプレナー型だろうが利用している。
委託事業を行なう際、以下に記すビジョンほかに則っているかどうかが両者を区別する基準になり、委託事業はそのための手段となる。

言い換えると、ソーシャル・アントレプレナー型のうち社会変革タイプは、委託事業はミッション貫徹のための「手段」にすぎないが、その他のタイプ(目の前の課題解決型2タイプとソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプ)は「目的」となってしまうということだ。

分類に「委託事業」をもってくるとややこしくなるため、団体存続のために行政事業に依存せざるをえないという意味を込めて「行政補完タイプ」に言い換える。
早稲田での板書を貼り付けてみる。


ソーシャルセクターをビジネス(事業)型とボランタリー型に大別するところから始まる。
また板書中「社会企業家」は「社会起業家」の間違い



■「理念」が苦手で、「戦略」が不要だった国、日本

これまでの課題は、以上のような分類はだいたい終わっていたものの、表中の「ソーシャル・アントレプレナー型・社会変革タイプ」をきちんと定義していなかったことだ。
今回、これをようやく説明できるようになった。ただ、まだ確定ではない。

理想のソーシャルセクターは当然この「ソーシャルアントレプレナー型・社会変革タイプ」だ。
このタイプの特徴は、「ビジョン→ミッション→行動指針→戦略」という教科書的企業づくりに則っているかどうか、という単純な指標に行き着く。

ビジョン(どういう社会にしたいか)、ミッション(そのための理念)、行動指針(ミッションの補足・下位概念)、戦略(法人戦略→各事業戦略→機能別〈人事・広報・企画等〉戦略)という流れは、どの企業・団体・ソーシャルセクターもできているかといえばそうではなさそうだ。

理念が苦手で、歴史的に「戦略」が不要だった(ヨーロッパ・中国のように恒常的に戦争がない〜内戦では100年程度の戦国時代、対外戦争では明治後半以降の50年ほど)日本においては、そのような慣習が各組織にないとよくいわれる。

グローバリゼーションの時代になり、大企業やグローバル企業中心に、「ミッションと戦略」をコンサル会社の手を借りて強引に導入しているようだが、それは企業内の英語使用といった相変わらずの「小手先」というか小器用な手法のみ注目され、「ブレない理念と、数年単位の戦略」という発想は根付くのにはまだ時間を要するだろう(対外的に隠蔽する悪習もある)。

各「現場」の各々の「技法」がものすごく好きな国民性を日々観察していると、ミッションと戦略には程遠いと僕は毎日実感するのだが、いかがだろうか。

■「おいしく」ても行なわない

が、そんな我が国ではあるものの、ソーシャルセクターの仕事をきちんと貫徹しようとすると、おのずと「ビジョン→ミッション→行動指針(この前後に「アイデンティティ」を入れる場合もあるという)→戦略」という流れに忠実であることが求められる。

自分の団体にとって、どのような社会が理想か(ビジョン)、その社会を実現するためにどのような理念が必要か(ミッション)、そのミッションを補足するためにどのような概念が必要か(行動指針)、そのためにどのような戦略が組織内の各レベル(法人・事業・機能別)で必要かを、組織の中心メンバーが常に創設・確認していく。

そしてこれに則った行動を現実化する。
ここからはみ出るような事業は、多少それが「おいしく」ても(予算が膨大であっても)、行なわない。

この「行なわない」という決断は、案外難しい。特に、社会問題の解決にお金(予算)が動くようになり、そのために官僚の方が必死に企画するようになると、どうしてもその予算規模や官僚の熱情に動かされてしまう。

ビジョン・ミッション・行動指針・戦略からブレない、ということだけを守ることが、同語反復ではあるが、そのビジョンにより近づくことになる。
こうした団体が、規模の大小にかかわらず、つまりは「ソーシャル・アントレプレナー型・社会変革タイプ」だ。
ドーナツトークも当然ここを目指したい。

下に早稲田の板書を貼りつけておく。★














2013年12月17日火曜日

早稲田大学にサードプレイスを!!


■ミッションや戦略話で熱い授業

縁あって、早稲田大学教育学部の小林敦子教授からご依頼を受け、12/16夜と12/17朝、2つの授業の特別講師みたいなかたちで早稲田の院生・学生相手に講師をしてきた。


小林敦子先生(右)と僕 12/16授業で


12/16は院生と一般学生対象の講演(のようなもの)、12/17は学部2回生対象の授業だった。
12/16は、ひきこもり・ニート支援や高校生居場所カフェ(となりカフェ)プロジェクトの解説と「サードプレイス」の説明を中心に、12/17は、ソーシャルセクター分類とミッション・戦略などの解説を中心に行なった。


12/17の朝の授業では、朝イチということもあって最初は僕も学生のみなさんもテンション低めだったものの、ソーシャルセクターの解説あたりから学生のみなさんが聞き始め、ビジョン・ミッション・行動指針・戦略あたりになると、40人くらいの学生さんが文字通り目を開いて聞いていた。

後から聞くと、講義対象の2回生はサークル運営の主体であり、授業後のアンケートにも、ミッション等の考え方は「組織運営」に使えるということで関心をもったと書かれていた。

確かにミッションや戦略の話は何もソーシャルセクター限定ではなく、当然企業やその他団体運営にも活かせるだろう。
経営とは「戦略と組織」でもあるから、その上部概念であるビジョンからの落とし込みも含めて体系的に組織運営を行なっていくと(ビジョン→ミッション→行動指針→戦略〈①法人戦略、②事業戦略、③機能別戦略〉)、ブレがなくなる。

日本の場合、歴史的に戦争がなかったことから、戦略思考が苦手だとよく言われ、確かにソーシャルセクターの経営においても、各事業内の「財務(というか会計事務)と人事」を行なうことが経営であると勘違いしている方も多いと思う。

僕がこの3年間独学で学んできた範囲では、経営とはまずは「ビジョンとミッション」であり、それに基づいた「戦略」のことを指すと思う。各事業の人の配置や会計手法等は、重要ではあるものの経営の落とし込みの最終段階で訪れるものだ。


久しぶりにチョークで板書
「ビジョン、ミッション、行動指針、戦略」という流れ 12/17授業


そうしないと、「目の前の課題」の解決にしゃかりきになるか、「ベンチャー」的に流行りに乗っていくかになってしまうだろう(だからこの記事ソーシャルセクターの2分類4タイプで書いたように、「目の前の課題解決型NPO」や「ソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプNPO」が出現する)。

このようなことを2回生相手についつい熱く語ったのだが、僕よりも熱い感じで学生さんたちは聞いてくれ、授業後も何人かの方が声をかけてくれた。
アンケートでは、サークル運営に加えて、そもそもソーシャルセクターや起業に関心ある学生さんたちもおり、さすが早稲田、というか、テーマを厳選すると今の学生さんたちは僕が学生だった頃よりも遥かに熱心に聞いてくれるのだと思った(それは今年前半、京都精華大学で非常勤講師を務めた時も痛感した)。

■「雀荘」もサードプレイス

その前夜、12/16の院生相手の授業では、「サードプレイス」について語ってみた。
これも院生のみなさんの反応はよく(アジアからの留学生が半数を占めていたということも影響しただろう)、それぞれの「サードプレイス」観についておもろしい議論ができたと思う。

ある院生の方は、「早稲田周辺には雀荘が著しく減った」と嘆いていた。
そう、よく考えると、麻雀というゲームを共通項に人々が集っていた「雀荘」も立派なサードプレイスなのだ。
オルデンバーグの『サードプレイス』(みすず書房)では、会話に加えて「カードゲーム」もサードプレイスで行なう重用な要素と明記されている。

人との交流のないテレビゲームはサードプレイスでは不要だ。対して、トランプに代表されるカードゲームはサードプレイスの重要要素だ(僕は特に「大富豪」がお薦め)。
同じように、麻雀も重用だろう。ただし麻雀もトランプも、ギャンブル要素が過度に加わると、それはサードプレイスというよりは「裏セカンドプレイス」(仕事のようなもの)になるかもしれないが。

すべての授業が終了した後、小林先生には「早稲田大学にサードプレイスをつくってください」とお願いした。
大学中退問題への対応は、私大の雄である早稲田に「サードプレイス」的居場所を設置し、中退予備軍学生に対してサービス提供することが大事なのではないかと僕は考える。

学生相談室でのカウンセリングや経営サイドからの授業メニュー改革と同時に、「サードプレイス」創設がかなりの効果が見込まれるように思える。
それをまずは早稲田からつくってみてはと思うのだが、どうだろう。

早稲田はあまり中退しないのかな。いやいや、あれだけのマンモス校になると中退数も多いはずだ。
大学中退は、困難校中心に「となりカフェ」等のサードプレイスを配置する高校中退と違い、早稲田等の「コア大学」から見本を提示することが大事なのではないか。

一泊二日の早稲田講師で以上のようなことを考えた。小林先生、がんばってください、まずは早稲田の教育学部からサードプレイスを!!★



2013年12月13日金曜日

ソーシャルセクターの2分類4タイプ〜目の前の課題解決型とソーシャル・アントレプレナー型


 ①目の前の課題解決型と②ソーシャル・アントレプレナー型

これまで僕は、NPOをはじめとした「ソーシャルセクター」(「社会貢献」を前提としている法人……NPO以外に一般社団法人・株式会社・社会福祉法人等)をいくつかの種類に分類してきた。
それは、このブログ(ソーシャルセクターの分類)や下記のYouTube動画で提示してきた(内容的には再掲だが、とりあえずPart1を添付する。このブログ後半にはPart2もあるhttp://toroo4ever.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html)。



その後いろいろ考えてきた結果、結局、ソーシャルセクターを下記の2分類4タイプに分けるのがいちばんわかりやすいと思い始めたので、これを決定版としてみる。

まず、ソーシャルセクターを以下の2分類に分ける。それは、

①目の前の課題解決型
②ソーシャル・アントレプレナー型

となる。
ソーシャル・アントレプレナーとは「社会起業家」のこと。ここではあえてカタカナにしている。
このようにおおまかに2つに分け、これらをさらに2つずつに分けていく。それは、


①目の前の課題解決型
 (1)委託事業タイプ行政補完タイプ
 (2)自主事業タイプ

②ソーシャル・アントレプレナー型
 (1)ベンチャータイプ
 (2)社会変革タイプ

となる。大きく、目の前の課題解決型とソーシャル・アントレプレナーの2つの分類ができ、目の前の課題解決型に委託事業タイプと自主事業タイプ、ソーシャル・アントレプレナー型にベンチャータイプと社会変革タイプがぶらさがる。

■「マネジメントより現場」


①はそれほど説明不要だろう。社会問題に向き合う任意団体は、目の前に大きな課題を抱え、向き合う理由を持っている(ひきこもり問題の解決等)。
そのためにまずは自主事業を立ち上げるが、この10年ばかりは行政の委託事業も広がり、周囲のすすめに応じてそうした委託事業も始める。

そうすると事業規模が拡大し、自主事業だけではフォローしきれなかった多くの課題と向き合うことができる。
が、同時に、対象や課題が拡大してしまい、またスタッフも多く抱えることから、当初の目的が分散し始める。

それは、a.対象の拡大化(当初の目の前の課題が拡大分散化)、b.それらをこなすために急場しのぎのスタッフ雇用という、2つのパターンで説明できる。
急拡大したソーシャルセクターは、マネジメント(主として戦略と組織)が超後手になっていき、組織内で不平不満が生じる。

一方、委託事業に頼らない法人は、a.事業規模の未発展と、b.対象者が「アッパークラス」の社会階層(自主事業の料金が支払える顧客層)に限られるという事態に悩まされる。
要するに、(1)委託事業と(2)自主事業を戦略的に混合させることが求められるのだが、いずれも日々の業務に追われてマネジメントを整えることのできないまま時間ばかりが過ぎていく。

マネジメント機能がこの①目の前の課題解決型は弱い、ということも特徴だろう。
目の前の課題解決に奔走しているうち、マネジメントが後回しになるというのもあるが、組織運営のなかで「マネジメント」が軽視されている日本の風土も関係すると思う。
また、ソーシャルセクターに入ってくる人材は、「マネジメントより現場」という人が多い、というのもその原因だろう。

■ほとんどがベンチャータイプ?

②ソーシャル・アントレプレナー型のほとんどは、(1)のベンチャータイプではないか、というのが今のところの僕の感想だ。

ちなみに、日本のNPOの8割は、ソーシャルセクターではない、ボランタリーセクターだといわれる。
残った2割がソーシャルセクター(社会貢献がビジネス化できているということ)だが、どうだろう、この2割のなかの6〜7割は①目の前の課題解決型で、残った3〜4割がこのソーシャル・アントレプレナー型ではないか。

つまり、ソーシャル・アントレプレナー型は、全NPOの1割も満たないと思う(8割がボランタリーセクターで、残った 2割中の半分以上が目の前の課題解決型)。
その10%に満たないソーシャル・アントレプレナー型のうち、ほとんどがこの「ベンチャータイプ」だと僕は見ている。

ソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプは、15年前のITブーム時に起業していれば、「ソーシャル」はつかずに、ただの「アントレプレナー」だったということだ。
第二第三の楽天(ほどとは言わないがそれなりの規模の企業)になれた団体も、今のソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプにはたくさんいると思われる。

それだけ優秀な人材がここには含まれると僕は思っている。これは、団塊ジュニア以降の世代に多く見られる。

■システムそのものの返還を迫る〜社会変革タイプ

では、②(2)ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプと、②(1)のベンチャータイプはどう違うのだろうか。

それは一言、「法人の中核スタッフが、『社会問題を構造的に変革することで、今よりよい社会システムとなる』ということを語れるかどうか」につきると僕は考える。

この時の「社会問題の変革」とは、福祉的に「社会問題をフォローする」という意味ではなく(具体例はあまり書けないが、たとえば雇用システムそのものを変革するのではなくて、現行の雇用システムを変革することなく新アイデアで補っていくといったこと)、人口構成や社会階層構造等を射程に入れてシステムそのものの変換を迫る事業提案を行なうことだ。

こうしたシステムの根本変換から社会変革を目指し、そうしたことをシンプルに中核スタッフが語れるかどうか、このことが(1)のベンチャータイプと(2)の社会変革タイプを分ける基準だと考える。
(1)ベンチャータイプは、こうしたことを語るのが(書くのが)苦手だったりする(が、マネジメントは非常に上手)。

そういうと大げさだが、たとえば、「サードプレイス」の現実提案などはこの社会変革に当たると僕は思っている。
だから「となりカフェ」は新しい。★










2013年12月4日水曜日

サポステ、「サバイバー」を支援する矛盾


■「山場」

タイトルの「サバイバー」とは、虐待やPTSDからの生還者・回復者のことではなく、単に高校中退という一つの関門をくぐり抜けた高校生たちのことを指す。

困難校を中心に、現在、高校生には高校中退という壁が待っている。それは通常の高校では1年生の1学期後半から2学期後半にかけて訪れるという。
高校によっては(2部制等)2年生後半に「山場」があるそうだが、通常の全日制では1年生の早いうちに中退の壁が立ちふさがる。

中退の原因は挙げだしたらきりがなく、また、このブログ記事(新しい孤独〜2013年の子ども若者)で書いたように、階級社会化の中での子ども若者問題の「単独化(これまでのように共通した問題として10代の悩みを語れない)」現象から、なかなか中退の原因を一言で表現することが難しい。

階級社会化が原因の根底にあるのは確かなものの、その原因をたとえば生徒や保護者に集約することなどはとてもできない。
保護者も子どもも、みな懸命に生きている。生きている中で種々の問題が生じてくるが、それを責めることは僕にはとてもできない。

ただ事実として、高校1年の夏前から冬前にかけて、高校中退という壁が多くの生徒達に立ちふさがっている(それをくぐり抜けたものをここでは「サバイバー」と呼ぼう)。

■元気な層を焦点化

それを食い止める、あるいは食い止めることができない場合は「よりよい中退」の道を探るのが、「地域若者サポートステーション」の大きな仕事のはずだ。
が、現在、サポステのこれからのかたちは、いろいろな話を総合して考えると、逆の方向に向かっているように思える。

それは、ひきこもり・ニート層の中でも比較的元気な層に焦点を当て、その層を手厚くフォローして一人でも多く就労させるという道だ。

その比較的元気な層を、「準フリーター」と呼んでもいいし「レイブル(レイトブルーマー)」と呼んでもいい。キャリアカウンセリングや就労実習を経て、短期間で就労(多くはアルバイトだろう)の道を歩める層が実際に存在する。

そのこと自体は喜ばしく、その層が着実に社会参加していくことを願う。
ただ、そうした準フリーター層を焦点化することで、社会参加に時間がかかる層、つまりはニート・ひきこもりの大多数が「潜在化」してしまうという問題がある。

若者の労働資源化を急ぐ政策立案者サイドからすると、このように準フリーター層に絞り込んで支援し、その層に税金と社会保険を支払ってもらうという方針は、まったく正しい。
僕が国の政策立案サイドにいるとすれば、おそらくこの立場を選ぶだろう。

しかし僕は、潜在層を支援する立場のため、準フリーターに絞り込んだ就労支援のみが拡大されることは困る。

■中退の「サバイバー」を支援する矛盾


これからの地域若者サポートステーションは、この準フリーターをメインターゲットとしてサービス提供する方針に変わるかもしれない、とチラホラ聞いたりする。

せっかく今年度、予算を1000万円増加し、その増加した分を学校連携(主として高校連携)に回すことができるようになったというのに、その増加分を、これからは「就労」に絞り込んで支援サービス(セミナー等)を提供していくそうだ(僕はサポステ外部の者なので間違ってたらスミマセン)。

就労に絞り込んだサービスということは、つまりは、高校中退という壁を乗り越えた生徒が主たる対象(3年生、あるいは中退可能性のない生徒を幅広く)ということだ。
高校中退という壁を乗り越えたんだからさらにフリーター化は防ごう、できれば就職・進学しようという支援がこれからのサポステの中心になるとすると、また「潜在化」の問題がひとつ増えることになる。

上述のように、困難な高校生の最大の問題は、1年生時の高校中退の問題だ。が、これからのサポステは、高校中退の問題ではなく、高校中退という山場を乗り切った(つまりは、中退の「サバイバー」になった)生徒の、就労の問題を中心に扱うかもしれない。

サバイバーになるよう(あるいは行き当たりばったりではない中退を選ぶよう)生徒を支援するのではなく、そうした困難な支援のあとの、サバイバーになった、いちばん厳しい局面を切り抜けた生徒を支援する学校連携支援。
現実のサポステが、僕の懸念が懸念で終わり、予想する矛盾に陥らないよう願います。★








2013年11月27日水曜日

若手の臨床心理士さんが苦手です


■ずっと尊敬してきた

11月は結局ずっと忙しく、せっかくBLOGOS(BLOGOS田中俊英)とリンクできたというのに(実は当ブログ開始時からの目標だった)、新しい記事を書く時間がなく、焦っていた。
このままではどんどん更新日時が空いてしまう。ショートブログでもいいので書いてみることにする。

臨床心理士といえば僕は、精神分析とリンクして考えてしまい、フロイトやユングやメラニー・クラインや河合隼雄等、その評価はさておき、若い頃にずいぶん読んだ記憶もありそれなりに影響も受けたことから、若干の憧れをもってこれまで接してきた。

フロイトだったらなんでもいいが、この新訳全集には「症例ドラ」や「性理論3編」が収録されている。
いずれも、今もいろいろな意味で考察できる画期的な論考だ。


たとえば僕がいちばん読んだフロイトでいうと、その臨床家的保守性(なんでも精神的な病気にしてしまう)を打ち消してしまうほどの、無意識の構造や「欲動」や「欲望」等、挙げだしたらきりがないたくさんの根源的考察を行なっている。
その考察を、現代思想のドゥルーズやデリダも自分の理論に取り入れているほとで、規範的には保守的なものの、人間存在のあり方の考察に関しては、過激な現代思想に影響を与えるほど根源的だ。

だから僕は、フロイト等を底流にした臨床心理学と、それが元になっている臨床心理士を尊敬してきた。

が、最近仕事で若い臨床心理士たち(その卵を含む)と接するたびに、「あれ?」と思うことが多くなった。
彼ら彼女ら若手の臨床心理士たちは、フロイトが持っていた人間存在に対するラディカルな考察はまったくなく、フロイトたちがもつある種の(19世紀的といってもいい古くて既存の)価値だけはフロイト以上に強力に持つ。

■教師よりも保守的

強いていうと、生徒に規範を伝えるのが仕事であるであろう教師たちよりも強固な社会的規範に包まれているように感じるのだ。

教師は、規範やルールを伝えることが自分の仕事に含まれていることをアイロニカルに表現される方も多く、そうした苦笑いの中に僕はプロとしての共感を抱く。
先生である以上、仕方ないけれどもこの社会の取り組みを伝える義務が我々にはある、というある種の清さだ。

これに対して臨床心理士は自らの保守性に無自覚な方が多い。無自覚的に、社会の中心的な規範に乗っている。その無自覚な価値を抱いたまま、規範から一時的にずれる生徒たち若者たちと接していく。
その無自覚な保守性が、傷つきの最底辺にいる子ども若者をさらに追い込むような気が僕などはするのだが、臨床心理士のみなさんはたくさん勉強されているので、あからさまなミスをすることはないだろう。

が、わかりやすいミスというのではなく、なんとなくの「壁」を子どもや若者は臨床心理士に感じるのではないだろうか。

■若い心理士が苦手

当然、激しいトラウマを軽減する心理療法や、施設から求められる心理検査等、臨床心理士は支援現場で大いに役に立っている。
皮肉めいた言い方をすると、「専門家1名」として、支援機関にとっては「支援者数」の一人にカウントすることもできる。

それらトータルすると、臨床心理士は現在の支援現場には欠かせない専門家の一人だ。
が、なんとなく、僕は苦手。

特に、若手の20代の臨床心理士が苦手だったりする。
理由はわからないが、若手の臨床心理士のほとんどが説教っぽく、「自由」があまりないように感じられるからだ。
あくまで僕の感覚論です、今回は。的外れだったら多忙さに免じてご勘弁を。★


2013年11月22日金曜日

「セット」と「光」


■住吉区フォーラムの成功と「新しい孤独」

11/15に開いた、住吉区子ども若者サポートシステムづくりのフォーラム「子ども若者の『ホーム』レスとは?」は、なんと180名弱の方にお越しいただき、キックオフイベントらしい議論の拡散はさておき、その規模において予想以上の成功となった。
その報告はこのYahoo!ブログ「新しい孤独」にも書いた。

Yahoo!ブログのタイトルにもあるように、「新しい孤独」という新概念に辿り着いたことも、僕にとってはある種の達成感があり、高校生支援を中心とした毎日のありようとは別レベルで、なんとなく今週の僕はぼんやりしている。

まあ、こんなぼんやり回があってもいいか。前のNPOをやめて半年、僕なりにがんばってきたし、今回くらいは大目に見てくださいね。

■『サードプレイス』はおもしろい

そんなわけで、思いつくまま。
いずれきちんと書評を書くつもりだが、訳されたばかりのオルデンバーグ『サードプレイス』(みすず書房)は、かなりおもしろい。みすずの本なので4200円と高価だが、「居場所」や「若者カフェ」等に関心ある方はたくさんのヒントをもらえると思う。

おそらく、これまで感覚的に語られてきた「居場所」について理論化した初めての本なのではないだろうか(あとがきにあるように、老男性学者にありがちなジェンダーバイアス等は我慢して読まなければいけないが)。
高いみすず本だからこそ、逆に「居場所/サードプレイス」が権威づけできるのかも。
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1〜4章の理論編は、理論のようでエッセイ調の構成だから読みやすく、この部分が本書の白眉だろう。
「居場所」的支援メニューを検討されている施設は、公民関係なく参考になる。

哲学好きの僕は、サードプレイスでの人間関係が、「個人」対象ではなく(これはファーストプレイス=家庭やセカンドプレイス=職場・学校での人間関係)、「セット」として、つまり複数の「人間たち」と自分、というコミュニケーションが基板になっているという説明がおもしろかった。

かたまり、つまり「群れ」のような人間の集まり全体に出会うために、サードプレイスを人は訪れる。
そこでは、家庭や職場のような「個人」中心に出会っていくのではなく、サードプレイスにいる人々全員との交流がまずは先にある。
だから、具体的な個人が1時間の中で次々に入れ替わったとしても、それは自分を避けたのではなく、1時間の中で「セット」の構成要素が次々と変化している、と捉えることができる。

家庭や職場ではあえていうと「近代的個人」と我々は出会い、サードプレイスではそうした個人ではなく「セット」としての人間たちと出会う。
この2つのコミュニケーション(個とセット)を並立してもつと、我々にはなぜか余裕が生じてくるようだ。

■光

最後に。
僕は3年前の脳出血以来、あれほど好きだった音楽がなぜかどうでもよくなり、BGMでスティーリー・ダン等は流すものの(BGMとしては最高)、ロックはもちろん、ジャズやクラシックも積極的に聞く気がなくなった。
時々YouTubeは見たりするものの、日常的存在として音楽は消えていた。

それが、この頃なぜかこの曲が頭をぐるぐるまわる。
それは佐野元春の「光」で、佐野の音楽らしく妙にしっとりしているのではあるが、これが911後に作られたという制作話はさておき、この曲がきっかけで音楽に再び向かえそうだ。


佐野らしい二重録音による甘い囁きもご愛嬌。よく考えると、人間は50才を過ぎた頃から「死」を意識し始め、それと比例するように「制作物」も充実していく。文学然り哲学然り。プルーストもデリダも、代表作は50才前後から作り始めている。

あの佐野元春もたぶん50才後半頃なのかな。この曲は40代後半に作ったものだろう。
いずれにしろ、再び音楽に臨むことができて嬉しい。★




2013年11月14日木曜日

「日本のソーシャルセクター」動画と、住吉区フォーラム


■明日、子ども若者「ホーム」レス・フォーラム

ドーナツトークの今年の目玉事業の一つ、住吉区子ども若者サポートシステムづくりの、秋の大型フォーラムの季節がやってきた(下チラシ)。
例年この時期はシンポジウムやフォーラムを手がけてきたが、今年は独立初年度ということもあり、なかなか感慨深い。




ただ、大阪市南部での大きなフォーラムは今回が初めてであり、今までのように大阪市北部でとってきた方法論がそのまま適応できず不安なのも事実だ。
区単独の事業なことから予約受付も行なっていない。定員100名ではあるが、まったく集客数はよめていないので、ご関心ある方はどうぞお越しください。

ひきこもりや発達障がい等の従来の青少年問題と、貧困や虐待等の最新の青少年問題について、5人の論者が直球で語ります。




■動画解説「日本のソーシャルセクター」

それとは別に、先週の土曜日9日は、第3回NPOユースカフェ「ソーシャルアントレプレナー型社会変革タイプNPOとは何か」を開催した。
小規模な集まりではあったものの、議論の内容は非常に濃厚なものとなった。

冒頭、僕が「日本のソーシャルセクター」分類を行ない、その動画をやっとyoutubeにアップロードできたので、ここにリンクしてみよう。

日本のソーシャルセクター1
①目の前の課題解決型、②-1ソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプ、
②-2ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ、③行政補完型


日本のソーシャルセクター2
口頭で簡潔に説明たしのはこれが初めて


こうした分類は、論者によってさまざまなパターンを考案できるが、僕の3類型4タイプがその走りになればいいと思う。
このような分析を耐え抜き、やっと日本のソーシャルセクターは欧米のそれの影が見えてくるのだと考える。

このような議論がなければ、「NPOが不正◯百万円」等の大雑把な報道に反論することもできない。NPOは日本中に47,000もあり、もはやNPOという単称で呼べるものではないからだ。
NPO等のソーシャルセクター自身が、自己を説明できる言葉を獲得する必要がある。単なるボランタリーセクターで甘えられる時代は過ぎ去った。★







2013年11月6日水曜日

イベント①ソーシャル・アントレプレナー社会変革タイプ、②tameruカフェ、そして「オープンとなりカフェ」と住吉区フォーラム


■秋はイベント

秋はイベントのシーズンだが、どうしても僕はそんなイベントの宣伝より前に、自分の書きたいことを気ままに優先してきた。
が、あまりにイベントが重なってきたため、そうも言ってられなくなった。

今回は、11月の半ば頃までに開く予定の、ドーナツトークが直接関係するものを以下に並べてみよう。

■「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?」11/9am、NPOユースカフェ

以下、Facebookの宣伝文より。僕が書いた。

⇒NPOユースカフェ③ 「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?〜NPO事業マネジメントを通して」

3回目の「NPOユースカフェ」(初回「公共性」、2回目「権力と支援者」)は、「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?〜NPO事業マネジメントを通して」をとりあげます。

僕は、現在あるNPOを、①目の前の課題解決型、②-1ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)型ベンチャータイプ、②-2ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ、③行政補完型の、3種類4タイプに類別しました。

国内NPOは47,000を超え、「解散(倒産)」NPOもここ半年で1,000件に迫るなか、「自己実現』や「団体存続」のために法人化する「最初の15年」はついに終わりがきたように思えます。

これからは、「マネジメント」をどう捉えるかが、ポイントになっています。
マネジメントという視点からNPO運営を見ていくことが必須の時代になってきたということです。

その際、上の類別は、ある程度役に立つでしょう。

ここでは、「事業マネジメント」を通して、NPO運営の現実を検討していきます。

いつものように田中から問題提起した後、参加者が「カフェ」形式で対話していきます。

※場所は、テーマに連接するようNPO系の施設を探しましたが無理だったため、次善の策として大阪ボランティア協会にしました。みなさまのご参加をお待ちしています。
(一般社団法人officeドーナツトーク 代表・田中俊英)

■参加費 500円
■定員 10名

■日時 11/9(土) 10:00〜12:00
■場所 大阪ボランティア協会・キャンバス谷町(京阪天満橋駅14番出口から徒歩8分、地下鉄天満橋駅3番出口、谷町四丁目駅1番出口から徒歩4分)http://osakavol.org/10/access/
■講師 田中俊英(officeドーナツトーク代表)



■tameru カフェ 11/9pm

これも、Facebookの宣伝文より。これも僕が書いたが、まったりぎみ。

⇒大阪市住吉区で、月2回の「居場所」活動を試験的に始めました(同区ふれあい事業)。
今回は3回目。まったり〜と、時間が流れていきます。

公的施設でのひとつの「サードプレイス」の試み、見学も含めて、どうぞいらっしゃい!!

対象◆15才〜20代半ば頃、高校中退した方、保護者、教員や支援者のみなさん。

日時◆11/9(土)13:00〜17:00
場所◆市民交流センターすみよし南http://www.sumiyoshi-minami.or.jp/center/contact/


■オープンとなりカフェ

これもFacebookの宣伝文より。西成高校となりカフェに、金曜日限定の「オープンとなりカフェ」ができたという、意外にトピックな報告。ニーズが有る。
ドーナツトークのスタッフが書いたが、これまたまったり気味。
⇒今日はハロウィンイベント&となりカフェ2F、オープンカフェの初日でした!

最近の金曜日はまったりDAYが続いていたのに、今日はイベントと2Fオープンで大盛況!(1Fのとなりカフェも少しまったり目でオープンしていました)

となりカフェの新しい展開に生徒さんもテンション上がってました(•̀ᴗ•́)و ̑̑
初めての生徒さんもコーヒーやカフェオレを片手におしゃべり。

毎週金曜日は2Fのオープンカフェも開けますので、今後は、より一層、生徒がゆっくりできる場所と相談できる場所になるようにレイアウトや、スタッフの動き方などより良いものにしていきます!
 

















■子ども・若者の「ホーム」レスとは?〜11/15

これはドーナツトーク・ホームページではおなじみ、11/15住吉区フォーラムのポスター。あっというまに来週だ。みなさま、どうぞよろしくお願いします。

Yahoo!ブログにも宣伝してみた。公的イベントだから、ある意味「ニュース」になると思い、掲載してみたが、さてYahoo!さんは許してくれるかな〜。
子ども・若者の「ホーム」レスとは?

たぶん画期的

なぜか、前職時代よりも忙しくなっているこの秋、みなさま、ドーナツトーク関連のイベントを、どうぞよろしくお願いします。★


2013年11月1日金曜日

「変な大人」とは「クィアな人」のこと〜「変な大人」論13


■ジェンダー・トラブル

最近「クィア理論」との絡みから、また「変な大人」論で新展開をひらめいたので(まあそんなたいしたことでもないが)、忘れないうちにブログっておこう。
その前に、これまでの「変な大人」話のいくつかを下に貼り付けておく。

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』
デリダ理論を背景とする文章は難解だが、基本的に実践書なのでおもしろい。
「クィア」は確か最終章に登場するので、そこだけ立ち読みもオッケー。
本の写真ではなくここをクリックするとアマゾンに飛べる(はず……)


「クィア」とは通常ジェンダー・セクシュアリティ問題のなかで語られる用語で、通常の性規範から意識的に逸脱することで、性的マジョリティ(ヘテロセクシュアル)が無意識的に抱き振舞っている意識や行動を、クィアのパフォーマンスそのもので問いかけていくものだ。

具体的には、マツコやミッツ等の「おねぇ」の芸能人の方々を思い浮かべていただきたい。彼女らは最初は仕方なくだったのだろうが、ある時点からあえて「変」を戦略的に使うようになったと推察する。

その戦略的「変さ」は確信的なゆえに、ヘテロの人々の何かを根底から揺さぶる。
ヘテロを自認する僕も揺さぶれ、時々自分自身を問うこともあるが、僕はジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』がフェイバリット本(同書がクィア理論のバイブルだと思う)だったりするから、そんなに揺さぶられることはない。

が、マツコもミッツも、性規範に関してはラディカルではあるが、その他社会規範に関してはいたって普通、いや普通どころか極めて保守的だったりする。
単に「性逸脱者」という視点から思い切ったことをずばっと言うから聞いてるこちらはスッとするものの、言ってる中身は単なるオヤジの説教と変わりないという話題も結構ある(たとえば「そりゃ人間は働いてナンボよ!!」とか言ってると思う)。

性に関しては「クィア」であっても、「働く」や「学校に行く」に関してはそれほどクィアではない(ただそれら概念と隣接する「結婚する」「家族を持つ」等に関してはいたってラディカルだから、僕は彼女らを信頼している)。

■「プレイ」ギャルソン

「変な大人」は、一般の規範から若干ずれており、それを不登校・ひきこもり・ニートの子ども若者たちに言葉や行動で提示することで、子ども若者を一時的に「癒やす」ことができるというのは、これまでの変な大人論の中でしつこいほど述べてきた。

そして、子ども若者が徐々に「社会参加」できるようになると、変な大人の効力は逆に効力ではなく邪魔になり(変な大人は社会に戻る人々を混乱させてしまう)、子どもは変な大人からゆっくりと離れていく。その、離れていくことが「支援の成功」になるということも、これまで繰り返し述べてきた。

そして「変な大人」とは、上の言葉を使うと、社会規範的に「クィアな人」だといってもいいかもしれない、と最近僕は思いつき、そう考えると、自分自身のふるまいが一つひとつ意味付けされ、おもしろくなってきた。

たとえば「服装」ひとつとっても、僕は意識的にコム・デ・ギャルソンの「プレイ」ロゴが入ったTシャツを着るようにしている。
まあお金がないからギャルソンのちゃんとしたTシャツは買えないので(2万円くらいはする)「プレイ」ギャルソンは仕方なく(それでも1万円する……)という側面もあるのだが、「プレイ」でも一定の「撹乱」効果はあげることができる。

たとえばこの写真を見ていただきたい。


かなりピントがボケているのが残念なのだが、これは財務省地下にあるレストランでの一枚だ。内閣府「困難を有する子ども・若者及び家族に対する支援の在り方に関する調査研究 企画分析会議」に出席したあと、簡単な交流会で撮影したもの。
ちなみに両側には「内閣府参事官」のKさんと某サポートステーション事業マネージャーのMさんがいらっしゃる(お二人を紹介するのが目的ではないので、写真はカットしています)。

僕が着ているドットTシャツが「プレイ」ギャルソンで、これはドットで目立つもののロゴ自体は小さいため僕としては不満の一着だ。
もっと、大きくて赤いハートマークと、大きな「コム・デ・ギャルソン」というロゴがあったほうがかっこ悪くておもしろいと僕は思っている(夏場はそんなTシャツばかり着ている)。

最近は官庁でもカジュアルな格好が目立たないものの、さすがに霞ヶ関はあまりというかギャルソンはゼロだったので僕としては痛快だった。

ギャルソンスタイルは元々、阪大・臨床哲学の鷲田先生や本間先生の格好をパクったもので、臨床哲学の人はギャルソン好きが結構多かった。
ここに、ニーチェの「遊び」の思想とかぶっているように見える「プレイ」ロゴが重なり、こりゃ「変な大人」を実践するにはちょうどいいやと思って僕は実践している(といっても、本間先生に比べると、まだまだ「変」度は足りないが〈すみません!!〉)。

■クィアなユーモア

服装はパフォーマティブに「変な大人」が実践できて便利だが、「言葉」や「思想」だといくらでもそれを演出することができる。
その裏付けとして、当ブログで述べているような「グローバリゼーション」や「階級社会」等の僕としては真面目な議論があるのだが、変な大人/クィアな人としては真正面から真面目にそれらの議論を語ってしまってはそれは「クィア」ではないため、若干のユーモアを交えて語ることになる。

それが、ある種の真面目な人たちの琴線に触れることがあり、時々(というかしょっちゅう)トラブルになって怒らせてしまうのだが、そうしたトラブルも込みでの規範の「撹乱」だからしょうがない(そうした意味で「ジェンダー・トラブル」というタイトルはおもしろい)。
すみませんとしか言いようがないものの、クィアな人は規範逸脱者であり、マジョリティに巣食うマイノリティだから、どうしても局面によってはすれ違ってしまう。

だからこそ、本人の意志とは別に行動として規範から逸脱してしまったひきこもりや不登校の子ども若者たちから直感的に好感を抱かれるというメリットもある。★

2013年10月26日土曜日

「脱タコツボ」が、やっとできそう


■丸山真男とマトゥラーナ/ヴァレラ

この2週間は3年前の脳出血で倒れる前くらいまでとはいかないが、夜の宴会系は一切ないものの、昼間だけ見るとむしろ3年前よりも忙しくなってきて微妙にヤバい。
だから休める仕事から休んでいくとなると、当ブログはその第一候補になるため、2週間更新を自粛してきた。

が、元々こうした気軽なエッセイは趣味だから、実は書きたくてうずうずしていたのだ。で今日は、久しぶりの「自団体(ドーナツトーク)だけで過ごせる」1日だから、書いてみることにする。

今回のテーマは、「脱タコツボ」と、それを可能にするための「組織の3オーダーの分析」だ。


いまだその思想は衰えず。この本をバイブルにしている人も多いだろう。


53年前に丸山真男が『日本の思想』(岩波新書)で日本のタコツボ社会(組織の大小に関わらず日本では「内/外」の区別を明確に行ない、これが社会の硬直化を生む)に苦言を呈し、僕はそれを20代で読んで以来ずっと「脱タコツボ」を目指してきたが、ここのところやっと可能性が見えてきた。


阪大「臨床哲学」では主としてドゥルーズ等のフランス哲学を学んだが、ついでに読んだこの本は今も大いに役立っている。


組織の3オーダーについては、こんなこと。
マトゥラーナとヴァレラが『知恵の樹』(ちくま学芸文庫)で提示した、生物界の階層の3オーダー(細胞レベル・個体レベル・社会組織レベル)は、いろいろ応用が効き、システム論の専門家には怒られるかもしれないが、僕は、ソーシャルセクター(あるいは組織全般)が行なう仕事の3オーダー(現場・事業マネジメント・法人マネジメント)にも適用可能ではないかと思っている。

そして、そのように組織で行なう仕事を分析することが、上の「脱タコツボ」を現実化するためにはわりと役立つと考えている。

■組織の3階層

子ども若者支援ソーシャルセクターの業務においては、以下の3オーダー(階層)が同時進行している。

それは、①現場支援、②事業マネジメント、③法人マネジメントの3オーダーだ。
支援者は若手も含めて①が業務のほとんどだと思い込んでいるかもしれないが、事業を運営する②のレベルがおろそかになると、一気に事業全体がバラバラになる。

たとえば僕がいろいろなかたちで関与する「高校中退・不登校フォローアップ事業」においては、高校生が放課後や昼休みに訪れる◯◯カフェ(となりカフェ・かめカフェ・めいぷるカフェ等)で、高校生はどのような状態なのかを把握しどのような支援を行なうかを検討することが①のレベルになる。
これを吟味して昇華していくことが、支援レベルの向上につながる。

しかし、こうした①レベルが機能するためには、「組織」をつくらなければいけない。
生徒たちと関わるスタッフが2〜3名、それを統括するコーディネーターが1名、これで1支援ユニットとなる。
◯◯カフェを仮に2つ運営するのであれば、2ユニットが必要になり、この2ユニットをさらに統括する「事業責任者」が必要になる。

僕は、この事業責任者を事業マネージャーと呼んだほうがわかりやすいと思っている。
事業マネージャーはこうした組織運営の他に、事業戦略と単年度内アクションプランの設計と執行を行なう。
この「アクション」には、行事、それを裏付ける会計事務とのすり合わせ、広報、スタッフ管理等々が含まれ、これに加えて次年度の事業計画も加わる。

それらすべてで事業マネジメントだ(このあたり、11/9土曜日に、大阪ボランティア協会において「事業マネジメントのベースメント」という勉強会を行なう予定です。興味ある方はこのFacebookイベントページ参照事業マネジメントのベースメント〜ビジョン・ミッション・戦略〜

■タコツボは常に待ち受けている

法人マネジメントは、以上のような事業を集積したうえで、法人全体のビジョンや戦略を検討し、財務・マーケティング(広義の広報)・アドボカシー(利用者の代弁と事業獲得)等を行なう。

まあ書き始めたらきりがないのでやめておくが、僕が興味があるのは、こうして現場支援から法人マネジメントにいたるあちこちに、いかに配慮しようが「タコツボ」化の罠がぽっかり口を開けており、日々の仕事に懸命になればなるほど、そうした組織体(現場から個別事業、そしてそれらを束ねる法人組織)すべてにわたって「タコツボ」が待ち受けているということだ。
だから普通は、自分のタコツボを愛し、美しいタコツボを形成しようと努力する。

それに反対するわけではないものの、その発想でいる限りは、美しいタコツボはつくられるかもしれないものの、残念ながら脱タコツボは不可能になる。
つまり、事業と法人は美しくなるものの、同時にタコツボ化することで、組織や事業の硬直化が進むということだ。

■組織の硬直化(タコツボ化)を防ぐために

その脱タコツボ化・硬直化阻止に向けての突破口は、あるキーパーソンによる「ウチ/ソト」の境界線を常に引き直す動き方だと思うようになってきた。

先日、某巨大NPOの某スタッフに、「田中さんはまるでうちのスタッフですね!!」と笑われてしまった。
また同時に他のスタッフには、「うちのスタッフとは全然違うし、田中さんのあり方がよくわらない」とも言われた。
それもまさに僕の狙い通りだった。

まあこれはコンサルティングとしてのひとつの動き方の事例だが、これは、一組織体の中にも応用可能のように思えている。
ポイントは、組織化は必要だし組織化がないとよい事業は生まれないものの、同時に生じている硬直化を防ぐために、ウチ/ソト関係なく動き続ける人間を一人置くことのように思えてきた。

今回はここまで。今回は、マネジメントと社会の3オーダーの考察は、「タコツボ」社会の考察ともつながっていることをお伝えしたかった。★