ロックが癒しになった〜60代になったオルタナティブ世代〜


■宇宙人が人間になった、ボウイ

ここ最近またもやバタバタしていて、日々が恐ろしいスピードで流れている。
そうした流れを受けて、僕の社会的立ち位置もこの春から変わるのであるが、具体的な報告は来週以降にするとして、今日はまたもやyoutubeを交えたのんびりブログを綴ってみよう。

きっかけは、youtubeにあったデビッド・ボウイのこの「ヒーローズ」映像だった。
バンドの演奏も独特のグルーブ感

あのボウイが、ものすごくリラックスしている。「ジギー・スターダスト」や「ロウ」はもちろん、映画「地球に堕ちてきた男」なんかも含めて、デビッド・ボウイという存在は、とりあえず「人間ではない」生命体なのだ。
80年代の「レッツ・ダンス」で一度日和ったものの、ファンが抱くイメージはやはり、70年代までの、スパイダースをバックにスペースオディティしながらベルリンの壁で横を向きつつヤング・アメリカンで地球に堕ちてくる異常な生命体だろう。

その、孤高な生命体デビッド・ボウイが、2002年のライブでは笑っている。1947年生まれというから、この年で55才。Wikipediaによると2003年に心臓の動脈瘤で病気療養に入ったというから、このビデオは療養の前年だ。

ご存知のように、今年ボウイは10年ぶりに活動を再開し、3月にアルバムが出る。僕は先行シングルをダウンロードして聞いたが、ほとんど70年代後半のボウイであって、ファンとしては嬉しい限り。
どんな心境の変化があったのかはわからないものの、同じ大病をした者同士(僕とボウイを同列に扱ってます〜)、新作で聞かせてくれる声からは以前のような緊張感とともに、一種のリラックス感も伝わってくる。

そのリラックス感の極地が、上のビデオだと思う。病気の前年ではあるが、55才のボウイが以前の地球に堕ちてきた男ボウイとは別人のように、笑っている。ファンとハイタッチしている。そして、屈託なく名曲を演奏する。

■パンダみたいなスプリングスティーン

次にこのブルース・スプリングスティーンの「サンダーロード」はどうだろう。
おーおーおー、おーサンダーロード〜

太っている。シャツがピチピチだ。これは2012年のライブで、スプリングスティーンは49年生まれだそうだから、この時63才。お腹も出て恰幅がいいはずだ。Wikipediaでは大病報告はなく(80年代に鬱だったそうだが)、2012年も新作を発表している。

スプリングスティーンはボウイとは違ってずっと地球に住んでおり、時々笑顔も見せる普通の人間だったが、このパンダのような恰幅のよさと、何よりも「サンダーロード」を70年代と変わらないテンションで歌ってくれることに癒されてしまう。

人間・ボウイとパンダ・スプリングスティーン。いずれも60代になり、若いころと違ってなぜか癒しの存在となっていることに僕は不思議な感覚にとらわれている。

ロックとは(ここでは「態度としてのロック」精神の意)、若さと反逆の象徴であり、老いと癒しとは正反対のはずだ。ボウイもスプリングスティーンもそうした従来のロックイメージを忠実に踏襲してきた。だから、ファンに支持されてきた。

■「オルタナティブ世代」の引退時期とは

が、ビデオでのボウイとスプリングスティーンは、笑い、太り、語りかけ、ハイタッチする。名曲をためらいもなく演奏し続ける。

ここに、いわゆる「エンタメ」とはちょっと違う爽快感を僕は抱いてしまう。何かを確実に意識し、それをリアルに見つめているからこそ滲み出てくる癒し感。諦めと重なるようでずれている微妙なポジティビティ。

つまりは、ボウイもスプリングスティーンも、「死」を意識し始めているのだ。老いとその先にある死を現実感をもって受け入れ始めた時、彼らが演じてきた「ロック」は別の「ロック」に変わりつつある、と僕は思う。

社会への反抗といったような「ちっちゃい」ロック・スピリットは過去のものとなり、現実の死を見つめながらもそこに向かって日々を楽しんで生きる、なんともいえない「肯定性」に、そのロックが変わりつつある。

その肯定性とは、僕がひきこもりや不登校の子ども・若者たちにもってもらいたい肯定性でもある。
いや、何も「人間いつか死ぬから」みたいに脅しているのではなく、社会に対する態度(たとえば一時的に自立できていない等)などは根本的には「ちっちゃい」ことであって、まず生きること、そしてその生が前提となっているからこそ、うれしさや悲しみがあること、それらすべてを指して「肯定性」というのであり、つまりは生きていることそのものが肯定などだという当たり前の事実に気づいてほしい。

これらのビデオのボウイやスプリングスティーンの笑顔は、彼らが意図せず我々にそのことを伝えてくれる。
これがたぶん、「オルタナティブ世代」の正しい年のとり方であり、僕としては、60代になっても社会派なのはいいけれどもそれはできるだけ後進に譲りつつ、60代だからこそできる「人生の見本」を示してほしい。
以上は、前回当ブログでの、NPOしゃらく理事・小嶋さん原稿の最後のほうに出てきた、「オルタナティブ世代の引退時期」とも密接に絡む議論だろう。★

ブログ文脈とは関係ないが、ジョー・ストラマー「ワイルドサイドを歩け」。
ジョーも生きていれば60代だが、この頃から老けていて、すでに癒される。