ひきこもり問題とは日本のグローバル化のウラ問題だろう?


■若者問題は経済問題

最近経済問題を読むのがめんどくさかったが、池田信夫さんのこのブログ(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51843303.html)などを読んでいると、日本の雇用状況は激しく世界と連動していることが理解できる。
同ブログでは、日本の場合は雇用維持のため賃下げに走り、デフレが続いて世代間格差が継続しているとし、アメリカの場合は逆に、賃上げ→失業→インフレ→垂直格差の拡大になるとのこと。

僕は告白すると最初の大学(龍谷大学)は経済学部で、まったくのダメ学生ながらマネタリズムを卒論にしたのだが、昔も今も経済はほとんどわからない。
でも、経済と社会と人々の生活がきちんと連動していることは、難しい経済理論が理解できなくても想像はできる。

だから日本に起こっている若者問題は、これはきっと経済問題のせいだろうとずっと思っている。
単純に、グローバル化→第2次産業の越境現象/第3次産業しか国内に残らない→同時に正規雇用の減少と非正規雇用の増加→けれども中高年世代の固定化→すると若者世代の一層の流動化→よほど「スキル」のない若者は現代日本では生き残れない、みたいな図式で単純に捉えているのだが、それほど間違ってはいないと今も思っている。

■世界の一地域の一現象

ややこしいのは、「ひきこもり」の問題が同時に出てきたことだった。
ひきこもり問題は、社会学や哲学までをも巻き込んでしまう結構奥深い問題で、現代的「家族」のあり方、「他者/自己」の問題等、考え出したらキリがないほどおもしろい(不謹慎ですみません)問題を内包している。

また、経済学にしても、たとえば生活保護のシステム問題やベーシック・インカムの問題等、わりとラディカルな問題をも内包してしまう。
それを論じる論者も、斎藤環さんのような精神科医や芹沢俊介さんのような教育評論家、ほかにもたくさんたくさん、「ひきこもり」はいろんな論者を巻き込んできた。

また、僕のような支援業界の端っこにいるような者までが好き勝手なことを書いたり発言してきた。
そして、僕のようなテキトーな人以外にも、各地の「現場」で一生懸命に支援している人たちも、それぞれの自分の言葉でひきこもりを語ってきた。

「ひきこもり」とは、それほど射程の広い問題だった。
だからこそ、逆説的ではあるが、「(ひきこもりも含む)若者の問題は、そのベースにグローバル経済の問題がある」というアタリマエのことを見逃してきたと思う。

ここ20年、日本を含む世界の経済構造が根本的に変化したからこそ、それぞれの国で若者たちの「社会化」のかたちがドラスティックに変化してきた。
その一バリエーションとして、東アジアの一地域と、おそらく地中海エリアでは「社会参加できない若者たちが家庭に踏みとどまる」という現象が起こった。

■暴力的カテゴライズ

おそらく、中国と東南アジアの一部エリアでも、これから10年以内には「社会参加できない若者たちが家庭に踏みとどまる」という現象が起こるだろう。
その一部は精神的に不安定さを抱え、「ひきこもり」や「人格障害」と呼ばれるかもしれない。

また、統計的に捉えきれない若者層に対して、経済学的には「NEET」といったカテゴリーがなされるかもしれない。
また、第3次産業中心の経済の中でなかなか社会化できない一部の若者層には、「発達障害」などという、割と強引な(暴力的な)カテゴライズがなされるかもしれない。

我々は、そのような、グローバリゼーションと一言で表現しても間違いはないだろう世界の流れの中の、最初の20年ほどを過ごしている。
そういえば、超高速高齢化現象も同時に起きていた!!
その大変動のなかで、最も被害を被っている層、それが若者層であり、僕としては、ひきこもりやニートや発達障害の問題とは、グローバリゼーションのウラ問題であるという基本的で単純な視点を、繰り返し訴えていってももういいんじゃないかと思う。

上のようなこと、すでに当たり前すぎて、細かい例証なんていらないんじゃないか。★

原稿とは関係ないが、広島市郊外の団地群。
哲学者になる@広島で。