2013年4月10日水曜日

「幸福」ではなく「イージー」なのか?〜書評連載②『絶望の中の幸福な若者たち』古市憲寿著


Yahoo!ニュース個人『子ども若者論のドーナツトーク』③統一概念をつくってほしい〜スネップ他
一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP



■人生初の、大学非常勤講師!!

実は、今日(4/10)の午後から、京都精華大学という、京都市の北のはずれにある(らしい)私立大学で、非常勤講師として一コマだけ授業を担当させてもらっている。

授業名は「こころと思想」。阪大の臨床哲学出身といっても社会人コース修士止まりの僕をよくぞ雇用してくれたと大学のみなさんには感謝しているのだが、与えられた科目も、子ども・若者への支援論やNPO経営を述べるものではなく、「こころと思想」というモロ哲学系の授業なのであった。

僕としては、せっかくの機会なので、ここ20年ばかりの子ども若者をめぐる諸言説(斎藤環さん玄田有史さんはもちろん、芹沢俊介さん本田由紀さん湯浅誠さんなどの有名な方々に加え、我らが工藤啓さん、そして若手社会学者の古市憲寿さん、また変化球として赤木智弘さんなどもとりあげる)を次から次へと振り返ってみようと思っている。

たぶん、日本のパラダイムチェンジを代表する本になる


そして、この20年は単なる経済用語としての「失われた20年」なのか、実はもっともっと深い意味があるのではないか、ということを、大学授業という縛りを利用させていただいて考察してみたいと思っている。
それは結果としてドグマになってしまうのかもしれないが、それはそれで楽しみたい。ドグマというか「とんでも言説」みたいなのがないと、今の世の中ひとつも前に進まないと思うから。

■賛否両論の本

で、今回の当ブログ(Yahoo!ニュース個人は直球子ども若者論、当ブログはマニアック路線で行きます)は、今日の授業でさっそくとりあげる予定の『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿/講談社)だ。今年の2/27の当ブログでもとりあげたこの本(書評「ルサンチマンのない格差社会」)、読めば読むほど、現代日本を象徴する1冊のように思えてきた。

今日の授業だけではなく、あと2〜3週間連続でとりあげる予定なので、ここ数日気づいたことをここでは述べておこう。

この本を真面目に考えだしたあと、ネットを見ていて気づいたのだが、著者の古市さんについてはかなり賛否両論あるようだ。
否定派の代表的物言いは、「いまの若者は苦しさのなかにいるのだから、それを『幸福』といっていいのか」というシンプルなもの。

一方の肯定派は、たとえば僕などは、「絶望/希望」といった「ルサンチマン」っほい否定的価値の地平を飛び出て、「幸福」という「否定の入りようのない価値」を基準にする古市氏は素晴らしいとしている(哲学的な言い方なので、意味不明の方は2/27ブログ参照です。でも僕も書き散らしている感があるから、きちんと知りたい方は、『これがニーチェだ!』〈講談社新書〉等の永井均さんの本が参考になります)。

■ルサンチマンの変形としての、「イージー」

だが、僕の哲学的幸福の意味はわかるのだが、はてさて古市氏のいう「幸福」は、そのような肯定的な幸福を指すのだろうか、という疑問を最近になって複数の方からいただいた。

つまり、古市「幸福」はそんなたいそうなものではなくて、単に、「ルサンチマンの変形」としての心持ちだということだ。
それは哲学的あるいは肯定的「幸福」のような価値ではなく、「希望を抱けないから、今のこのときの時間を何となくぼんやりと適当に過ごそう」的な、「本当は『希望』に憧れてるんだけどそれは無理なので、とりあえず閉ざされた今の時間を、閉ざされた仲間たちと、閉ざされた空間のなかで過ごしてみよう」といった気分に過ぎないのではないか、というご指摘だった。

そう言われてみればなるほど、若者たちの「希望ではない、タコツボ的安定気分・時間・空間」を「幸福」と名付けた古市さんの議論を、ドゥルーズやニーチェ好きの僕は、拙速気味に肯定的「幸福」と結びつけてしまったのかもしれない。

古市さんの言う「幸福」は、ルサンチマン的希望を越えたものどころか、ルサンチマン的希望に到達できない人たちが同じ地平のなかで脱線して抱く、別の否定的概念なのかもしれない。

だからそれは、「幸福」のようなポジティブな言葉ではなく、とりあえず希望ではないけどそれほど満足もしていない、でも希望は抱きたいけどそれは無理だし……とりあえず今のこの時間を何となく安易に安直にお気楽にやり過ごそうか的な、そう、とても「イージー」な感覚なのではないかと、僕は思い始めたのだった。

幸福ではなく、イージー。
今のところ結論的な概念ではないが、古市「幸福」はどうやらニーチェの絶対的にポジティブな幸福ではなく、ルサンチマンの変形としての「イージー」なのでは? と考えている。

おおっと、授業に行こう。京都の、宝ヶ池からさらにスクールバスで15分らしい~★