「若者」という「まのまカフェ」〜若者論とドーナツトークの居場所〜

一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP
Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」


■「若者」とは誰だ?

今日、京都精華大学で週一の講義があり、例の『絶望の国の幸福な若者たち』を題材にまたしゃべってきた。
とは言いながら、Yahoo!ニュースブログ当ブログのこの記事に書いたとおり、この本に僕はだんだん懐疑的になっており、特に前回の授業で「古市氏の『幸福』とはルサンチマンそのものではないか」という疑念を表して以来、すっかり冷めてしまった。

そんなことを今日の授業でぼそぼそつぶやいていたら、授業後の感想カードに「なんと! いまさらそのコメント!!」みたいに学生から驚かれていて、どうやらフツーの大学の先生は、「テキストに飽きた」なんてことは言わないらしい。

授業後、学生のみなさんが出て行ったあとの教室と、感想カードの束。


でも僕は、幸福という究極の肯定性を扱っているものだとばかり思っていたのにそれが典型的ルサンチマンだとわかってしまい、すっかり同書への熱意が冷めてしまった。
そのことを学生に言ったのはまずかったかしらと思いながらも、まあこんな非常勤の先生がいてもいいだろうと、の〜んびり構えている。

で、授業のかたちもだんだん見えてきていて(なにせ初めての体験だから手探りなのです)、まずは毎回ごとにタイトルをつけていくことにした。
前回は「幸福」をとりあげたので、強いていうなら「幸福とルサンチマン」。
今回は「若者」をとりあげることにし、「『若者』とは誰?」とホワイトボードに大きく書いてみた。

■学生のみなさんにマイクを向けてみた

もうひとつ、授業中に、学生にマイクを向けてみることにした。
今日は3回目の授業でそろそろ飽きられる時期であり+冷たい雨が降っていたため参加も少ないだろうとよんでいたのだが、意外と150人くらい集まっていた。京都精華大学の学生さんはものすごく真面目なのだ。

1時間くらいしゃべったあと、マイクを持ったまま大教室の通路を僕は練り歩いた。無理やりあてると次回から出席数が減ってしまっては困るので、強制ゼロ、しゃべってもいい人は微妙にこちらを見るようにと注釈を加えて練り歩いた。

すると、意外とこちらをチラチラ見る学生諸君はいらっしゃるもので、無理せず自然なかたちで「あなたにとって『若者』とは何?」という問いを投げかけることができた。

回答はいたって予想されたものだったのだが、これまた感想カードを見てみると、かなり評判がよかった。マイクでしゃべっていないほとんどの学生にとって、僕以外の人(学生)が語る「若者」に関するトークは、ずいぶんそれぞれの想像力をかきたてたようだ。

僕としては、フランス滞在中の阪大・本間先生が連れて行ってくれた(03年に僕がフランスに旅行した時のことだからもう10年も前か)本場哲学カフェか、例のサンデル先生の授業(と言いながら同番組は見たことない〜)を意識して教室を練り歩いてマイクを差し向けたのだが、予想外に学生のみなさんは応えてくれた。来週もやってみよう。

■とりあえず若者を2つのレベルで

授業で僕は、若者のことを、たぶん古市さん(『絶望〜』の著者)はふたつの角度から見ている、と指摘した。
1つは、格差社会のなかでアンダークラス化したひとかたまりの「群」として。
もうひとつは、サバルタンというか、ある種「マイノリティ」と化したひとつの集団として。

後者は説明が必要だろうが、サポステに定着しない若者たち〜「潜在性」〜等の記事(2011年11月の記事だ〜このブログもだいぶ続いてる)を参照いただきたい。
つまりは、「本当のマイノリティ〜当事者」になればなるほど、自分をマイノリティとして認識することは困難であり、自分をマイノリティとして表明できる人は、マイノリティの枠組みから脱出できた人である、ということをややこしいが懸命に説明した。

元ネタはスピヴァクやデリダなのだが、これら哲学者の名前をできるだけ出さずに今日は説明したため、かなり失敗したなあと後悔したのだが、これまたあとで感想カードを見ると、学生のみなさんはこのややこしい当事者論を実に的確に把握しているではないか。
このことが今日は何よりもうれしかった。

が、このように若者を二分化すること(アンダークラスと真性マイノリティ)について、僕は実は不満だ。
こうした分け方は何かアカデミックで現実離れしているように感じる。
僕が以前毎日のように仕事で出会っていた(ひきこもりやニートの)若者たち、あるいはこの頃はいくつかの高校で出会う高校生は、このような二分化された存在ではない。

若者とはたぶん、もっと「あいだ」にいる存在だと思う。

何と何の「あいだ」なのか。それは今日のところは書かないでおこう。というか、分析は昼間の仕事で飽きてしまった。
今日は、これから当ドーナツトークで展開していくことになる「まのまカフェ」について予告しておくことで止めよう。

■まのまカフェ

officeドーナツトークは、若者問題が最も先鋭的に表出され、かつ潜在的に最大の問題として現れている、高校中退と中退以降(通信制)の問題に集中的に取り組むため、「居場所」的手法を活用していきます。

その際のモデルは、昨年、大阪府立西成高校で取り組んだ「となりカフェ」(高校中退予防の意味参照)になります。
同じように、府内の高校で展開する居場所について、「◯◯カフェ(この際の◯◯はひらがな表記)」の名称を用い、となりカフェと同じコンセプトで取り組んでいくことを表現します。

そして、当officeドーナツトーク本部で取り組む居場所事業は、「まのまカフェ」とネーミングすることにしました。
この「まのま」については、ドーナツトークミニHP(http://officedonutstalk.blogspot.jp/)で徐々に説明されるが、この「まのま」は、何よりも「あいだ」のこと。

そして、この「あいだ」にいるのが「若者」であり、決してあるひとつのものに分類されることのない、不思議な階層・群れのことだと思います。★