投稿

11月, 2013の投稿を表示しています

若手の臨床心理士さんが苦手です

イメージ
■ずっと尊敬してきた

11月は結局ずっと忙しく、せっかくBLOGOS(BLOGOS田中俊英)とリンクできたというのに(実は当ブログ開始時からの目標だった)、新しい記事を書く時間がなく、焦っていた。
このままではどんどん更新日時が空いてしまう。ショートブログでもいいので書いてみることにする。

臨床心理士といえば僕は、精神分析とリンクして考えてしまい、フロイトやユングやメラニー・クラインや河合隼雄等、その評価はさておき、若い頃にずいぶん読んだ記憶もありそれなりに影響も受けたことから、若干の憧れをもってこれまで接してきた。



たとえば僕がいちばん読んだフロイトでいうと、その臨床家的保守性(なんでも精神的な病気にしてしまう)を打ち消してしまうほどの、無意識の構造や「欲動」や「欲望」等、挙げだしたらきりがないたくさんの根源的考察を行なっている。
その考察を、現代思想のドゥルーズやデリダも自分の理論に取り入れているほとで、規範的には保守的なものの、人間存在のあり方の考察に関しては、過激な現代思想に影響を与えるほど根源的だ。

だから僕は、フロイト等を底流にした臨床心理学と、それが元になっている臨床心理士を尊敬してきた。

が、最近仕事で若い臨床心理士たち(その卵を含む)と接するたびに、「あれ?」と思うことが多くなった。
彼ら彼女ら若手の臨床心理士たちは、フロイトが持っていた人間存在に対するラディカルな考察はまったくなく、フロイトたちがもつある種の(19世紀的といってもいい古くて既存の)価値だけはフロイト以上に強力に持つ。

■教師よりも保守的

強いていうと、生徒に規範を伝えるのが仕事であるであろう教師たちよりも強固な社会的規範に包まれているように感じるのだ。

教師は、規範やルールを伝えることが自分の仕事に含まれていることをアイロニカルに表現される方も多く、そうした苦笑いの中に僕はプロとしての共感を抱く。
先生である以上、仕方ないけれどもこの社会の取り組みを伝える義務が我々にはある、というある種の清さだ。

これに対して臨床心理士は自らの保守性に無自覚な方が多い。無自覚的に、社会の中心的な規範に乗っている。その無自覚な価値を抱いたまま、規範から一時的にずれる生徒たち若者たちと接していく。
その無自覚な保守性が、傷つきの最底辺にいる子ども若者をさらに追い込むような気が僕などはするのだが、…

「セット」と「光」

イメージ
■住吉区フォーラムの成功と「新しい孤独」

11/15に開いた、住吉区子ども若者サポートシステムづくりのフォーラム「子ども若者の『ホーム』レスとは?」は、なんと180名弱の方にお越しいただき、キックオフイベントらしい議論の拡散はさておき、その規模において予想以上の成功となった。
その報告はこのYahoo!ブログ「新しい孤独」にも書いた。

Yahoo!ブログのタイトルにもあるように、「新しい孤独」という新概念に辿り着いたことも、僕にとってはある種の達成感があり、高校生支援を中心とした毎日のありようとは別レベルで、なんとなく今週の僕はぼんやりしている。

まあ、こんなぼんやり回があってもいいか。前のNPOをやめて半年、僕なりにがんばってきたし、今回くらいは大目に見てくださいね。

■『サードプレイス』はおもしろい

そんなわけで、思いつくまま。
いずれきちんと書評を書くつもりだが、訳されたばかりのオルデンバーグ『サードプレイス』(みすず書房)は、かなりおもしろい。みすずの本なので4200円と高価だが、「居場所」や「若者カフェ」等に関心ある方はたくさんのヒントをもらえると思う。

おそらく、これまで感覚的に語られてきた「居場所」について理論化した初めての本なのではないだろうか(あとがきにあるように、老男性学者にありがちなジェンダーバイアス等は我慢して読まなければいけないが)。

1〜4章の理論編は、理論のようでエッセイ調の構成だから読みやすく、この部分が本書の白眉だろう。
「居場所」的支援メニューを検討されている施設は、公民関係なく参考になる。

哲学好きの僕は、サードプレイスでの人間関係が、「個人」対象ではなく(これはファーストプレイス=家庭やセカンドプレイス=職場・学校での人間関係)、「セット」として、つまり複数の「人間たち」と自分、というコミュニケーションが基板になっているという説明がおもしろかった。

かたまり、つまり「群れ」のような人間の集まり全体に出会うために、サードプレイスを人は訪れる。
そこでは、家庭や職場のような「個人」中心に出会っていくのではなく、サードプレイスにいる人々全員との交流がまずは先にある。
だから、具体的な個人が1時間の中で次々に入れ替わったとしても、それは自分を避けたのではなく、1時間の中で「セット」の構成要素が次々と変化している、と捉えることができ…

「日本のソーシャルセクター」動画と、住吉区フォーラム

イメージ
■明日、子ども若者「ホーム」レス・フォーラム

ドーナツトークの今年の目玉事業の一つ、住吉区子ども若者サポートシステムづくりの、秋の大型フォーラムの季節がやってきた(下チラシ)。
例年この時期はシンポジウムやフォーラムを手がけてきたが、今年は独立初年度ということもあり、なかなか感慨深い。




ただ、大阪市南部での大きなフォーラムは今回が初めてであり、今までのように大阪市北部でとってきた方法論がそのまま適応できず不安なのも事実だ。
区単独の事業なことから予約受付も行なっていない。定員100名ではあるが、まったく集客数はよめていないので、ご関心ある方はどうぞお越しください。

ひきこもりや発達障がい等の従来の青少年問題と、貧困や虐待等の最新の青少年問題について、5人の論者が直球で語ります。




■動画解説「日本のソーシャルセクター」
それとは別に、先週の土曜日9日は、第3回NPOユースカフェ「ソーシャルアントレプレナー型社会変革タイプNPOとは何か」を開催した。 小規模な集まりではあったものの、議論の内容は非常に濃厚なものとなった。
冒頭、僕が「日本のソーシャルセクター」分類を行ない、その動画をやっとyoutubeにアップロードできたので、ここにリンクしてみよう。
日本のソーシャルセクター1 ①目の前の課題解決型、②-1ソーシャル・アントレプレナー型ベンチャータイプ、 ②-2ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ、③行政補完型

日本のソーシャルセクター2 口頭で簡潔に説明たしのはこれが初めて

こうした分類は、論者によってさまざまなパターンを考案できるが、僕の3類型4タイプがその走りになればいいと思う。 このような分析を耐え抜き、やっと日本のソーシャルセクターは欧米のそれの影が見えてくるのだと考える。
このような議論がなければ、「NPOが不正◯百万円」等の大雑把な報道に反論することもできない。NPOは日本中に47,000もあり、もはやNPOという単称で呼べるものではないからだ。 NPO等のソーシャルセクター自身が、自己を説明できる言葉を獲得する必要がある。単なるボランタリーセクターで甘えられる時代は過ぎ去った。★






イベント①ソーシャル・アントレプレナー社会変革タイプ、②tameruカフェ、そして「オープンとなりカフェ」と住吉区フォーラム

イメージ
■秋はイベント

秋はイベントのシーズンだが、どうしても僕はそんなイベントの宣伝より前に、自分の書きたいことを気ままに優先してきた。
が、あまりにイベントが重なってきたため、そうも言ってられなくなった。

今回は、11月の半ば頃までに開く予定の、ドーナツトークが直接関係するものを以下に並べてみよう。

■「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?」11/9am、NPOユースカフェ

以下、Facebookの宣伝文より。僕が書いた。

⇒NPOユースカフェ③ 「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?〜NPO事業マネジメントを通して」

3回目の「NPOユースカフェ」(初回「公共性」、2回目「権力と支援者」)は、「ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプとは?〜NPO事業マネジメントを通して」をとりあげます。

僕は、現在あるNPOを、①目の前の課題解決型、②-1ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)型ベンチャータイプ、②-2ソーシャル・アントレプレナー型社会変革タイプ、③行政補完型の、3種類4タイプに類別しました。

国内NPOは47,000を超え、「解散(倒産)」NPOもここ半年で1,000件に迫るなか、「自己実現』や「団体存続」のために法人化する「最初の15年」はついに終わりがきたように思えます。

これからは、「マネジメント」をどう捉えるかが、ポイントになっています。
マネジメントという視点からNPO運営を見ていくことが必須の時代になってきたということです。

その際、上の類別は、ある程度役に立つでしょう。

ここでは、「事業マネジメント」を通して、NPO運営の現実を検討していきます。

いつものように田中から問題提起した後、参加者が「カフェ」形式で対話していきます。

※場所は、テーマに連接するようNPO系の施設を探しましたが無理だったため、次善の策として大阪ボランティア協会にしました。みなさまのご参加をお待ちしています。
(一般社団法人officeドーナツトーク 代表・田中俊英)

■参加費 500円
■定員 10名
■日時 11/9(土) 10:00〜12:00
■場所 大阪ボランティア協会・キャンバス谷町(京阪天満橋駅14番出口から徒歩8分、地下鉄天満橋駅3番出口、谷町四丁目駅1番出口から徒歩4分)http://osakavol.org/10/access/
■講師 田中俊英(o…

「変な大人」とは「クィアな人」のこと〜「変な大人」論13

イメージ
■ジェンダー・トラブル
最近「クィア理論」との絡みから、また「変な大人」論で新展開をひらめいたので(まあそんなたいしたことでもないが)、忘れないうちにブログっておこう。 その前に、これまでの「変な大人」話のいくつかを下に貼り付けておく。 癒やしのパンダ〜究極の「変な大人」グールドもニール・ヤングも変な大人変な大人はなぜ子どもに慕われるのか⑪ 変な大人は「変な待ち方」をする〜変な大人論12


「クィア」とは通常ジェンダー・セクシュアリティ問題のなかで語られる用語で、通常の性規範から意識的に逸脱することで、性的マジョリティ(ヘテロセクシュアル)が無意識的に抱き振舞っている意識や行動を、クィアのパフォーマンスそのもので問いかけていくものだ。
具体的には、マツコやミッツ等の「おねぇ」の芸能人の方々を思い浮かべていただきたい。彼女らは最初は仕方なくだったのだろうが、ある時点からあえて「変」を戦略的に使うようになったと推察する。
その戦略的「変さ」は確信的なゆえに、ヘテロの人々の何かを根底から揺さぶる。 ヘテロを自認する僕も揺さぶれ、時々自分自身を問うこともあるが、僕はジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』がフェイバリット本(同書がクィア理論のバイブルだと思う)だったりするから、そんなに揺さぶられることはない。
が、マツコもミッツも、性規範に関してはラディカルではあるが、その他社会規範に関してはいたって普通、いや普通どころか極めて保守的だったりする。 単に「性逸脱者」という視点から思い切ったことをずばっと言うから聞いてるこちらはスッとするものの、言ってる中身は単なるオヤジの説教と変わりないという話題も結構ある(たとえば「そりゃ人間は働いてナンボよ!!」とか言ってると思う)。
性に関しては「クィア」であっても、「働く」や「学校に行く」に関してはそれほどクィアではない(ただそれら概念と隣接する「結婚する」「家族を持つ」等に関してはいたってラディカルだから、僕は彼女らを信頼している)。
■「プレイ」ギャルソン
「変な大人」は、一般の規範から若干ずれており、それを不登校・ひきこもり・ニートの子ども若者たちに言葉や行動で提示することで、子ども若者を一時的に「癒やす」ことができるというのは、これまでの変な大人論の中でしつこいほど述べてきた。
そして、子ども若者が徐々に「社会参加」で…