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ルサンチマンのない格差社会、日本〜書評『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿・講談社

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★3/16イベント「NPOユースカフェ」@クレオ大阪中央(詳しい情報はここ)、参加者募集中、目指せ二桁!!

■iPadの読書……

春からの仕事で必要があり、少し前に話題になった古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を遅まきながら読んでいる。
読んでいる、というのはまだ完読していないからで、告白すると1章の途中と結論部分の6章を読んだだけだ。



というのも、iPadでの完読体験に挑戦すべく本書をネット経由でゲットしたものの、他のネット経由本(ジョブズものとか)と同じく、どうも集中して読書できない。

文字を大きくしたり縦にしたり横にしたりアンダーラインを引いたり四角枠で囲んだりと、すべて自由なのだが、目次に戻るのがめんどくさかったりアンダーラインを引いた箇所を探すのに手間取ったりと、なんとな〜く「ややこしいなあ」と思っているうちに徐々に開かなくなった。

まあそんな言い訳はさておき、今読んでいる箇所だけで簡単に同書を語っておくと、やっと出てきてくれたよ、「希望」を語らず「幸福」を語る本が!! というのが僕の一言感想です。

■ルサンチマン臭いぞ〜

現代の若者論にはたくさん「希望」という言葉があふれているが(すみません〜、玄田先生!!)、希望という言葉はシンプルで美しいものの、実はめんどくさ〜いメカニズムもここには隠されている。
つまりは、例の「ルサンチマン」臭がプンプンただよう言葉なのだ、「希望」は。

希望を熱く語った瞬間、それは同時に「今現在に満足していない」ということを告白していることになる。今に満足していないからこそ、未来に希望というご馳走を用意し、言葉は悪いがそのご馳走で人々を「釣る」。
よく比喩で出されるイソップ童話「狐とぶどう」で言うと、頭上にあるおいしそうなぶどうをどうやってもゲットできない狐は、そのぶどうをあえて「あれは酸っぱい」と思うことによってその欲望を抑える。

ぶどうをどうジャンプしてもゲットできないことを悟った狐は、あえてそのおいしそうなぶどうを酸っぱいと思い込むことでぶどうへの欲望を抑える。この、「おいしい→酸っぱい」という価値転換がニーチェのいう「ルサンチマン」だ。

現代の若者論に含まれる「希望」は、この酸っぱさに価値転換する寸前のぶどうによく似ており、社会体験の挫折を繰り返すことで、この希望は容易に絶望や憎悪へと転換する。
希望が絶望に変化すると…

ひきこもり問題とは日本のグローバル化のウラ問題だろう?

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■若者問題は経済問題

最近経済問題を読むのがめんどくさかったが、池田信夫さんのこのブログ(http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51843303.html)などを読んでいると、日本の雇用状況は激しく世界と連動していることが理解できる。
同ブログでは、日本の場合は雇用維持のため賃下げに走り、デフレが続いて世代間格差が継続しているとし、アメリカの場合は逆に、賃上げ→失業→インフレ→垂直格差の拡大になるとのこと。

僕は告白すると最初の大学(龍谷大学)は経済学部で、まったくのダメ学生ながらマネタリズムを卒論にしたのだが、昔も今も経済はほとんどわからない。
でも、経済と社会と人々の生活がきちんと連動していることは、難しい経済理論が理解できなくても想像はできる。

だから日本に起こっている若者問題は、これはきっと経済問題のせいだろうとずっと思っている。
単純に、グローバル化→第2次産業の越境現象/第3次産業しか国内に残らない→同時に正規雇用の減少と非正規雇用の増加→けれども中高年世代の固定化→すると若者世代の一層の流動化→よほど「スキル」のない若者は現代日本では生き残れない、みたいな図式で単純に捉えているのだが、それほど間違ってはいないと今も思っている。

■世界の一地域の一現象

ややこしいのは、「ひきこもり」の問題が同時に出てきたことだった。
ひきこもり問題は、社会学や哲学までをも巻き込んでしまう結構奥深い問題で、現代的「家族」のあり方、「他者/自己」の問題等、考え出したらキリがないほどおもしろい(不謹慎ですみません)問題を内包している。

また、経済学にしても、たとえば生活保護のシステム問題やベーシック・インカムの問題等、わりとラディカルな問題をも内包してしまう。
それを論じる論者も、斎藤環さんのような精神科医や芹沢俊介さんのような教育評論家、ほかにもたくさんたくさん、「ひきこもり」はいろんな論者を巻き込んできた。

また、僕のような支援業界の端っこにいるような者までが好き勝手なことを書いたり発言してきた。
そして、僕のようなテキトーな人以外にも、各地の「現場」で一生懸命に支援している人たちも、それぞれの自分の言葉でひきこもりを語ってきた。

「ひきこもり」とは、それほど射程の広い問題だった。
だからこそ、逆説的ではあるが、「(ひきこもり…

行政でもマーケットでもない3rd/0セクター〜哲学者になる@広島

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◯ブレ「ドーナツトーク」イベント、「NPOユースカフェ」(3/16、クレオ大阪中央)(http://toroo4ever.blogspot.jp/2013/02/316office.html)、同種のイベントだった「シェアNPO」と同じく、今回も集客に苦戦しております〜。
同時期の「となりカフェ」ミニシンポジウム(http://awajiplatz.web.fc2.com/tonaricafe.mini.sinpo.html)は絶好調なのですが、やはりメタ要素が強くテーマ性が希薄な「NPOユースカフェ」的集まりは、実際身体を動かしてまで集まるというモチベーションにはなかなかつながりませんねぇ。
◯ブログではなかなか伝えきれない僕の4月からの動きというか「野望」をお伝えする会でもあるので、ご関心ある方は(いないか……)どうぞよろしくお願いします〜。年齢制限も「タテマエ」ということで、老若男女よろしくお願いします〜
◯ご参加は、Facebookでメールいただくか、tanakatosihide@gmqil.comへ。



■やっとまとめてご紹介

みなさま、お待たせしました!!(って、待ってましたよね?)
2月3日、広島の原爆ドーム前で行なわれた、「哲学者になる@広島」を、やっと当ブログでまとめてご報告する余裕が僕の日常に生まれ始めたので、ここに3本分、一挙25分の映像をお届けする。

読者のみなさんもそうだとは思うが、ネットで動画を見るのは、僕はだいたい2分で限界だ。
この頃は気の向くままに(まあ「空白の70年代研究〈アンチ権力=60年代と消費社会の萌芽=80年代の狭間という意味で〉」という意図はあるものの)youtubeで欧米のロック動画をアップしているが、ボウイにしろルー・リードにしろリンダ・ロンシュタットにしろマービン・ゲイにしろ、実は2分くらい見てこりゃいいなあと思いとりあえずアップして、全部見るのはアップしたあとだったりする。

だから……、おっと、能書きを垂れている間にもうブログスペースを埋めてしまっている。
とりあえずまずは、動画をyoutubeから引っ張ってこよう。
うまくリンクできない場合、youtubeを開いて「哲学者になる@広島」を検索してもらうと、同じものを(ついでに当ブログで僕が撮ったものすべても〈「哲学者になる」以外も〉)見ることができる。

まずは1本目。 僕…

空っぽの真ん中を埋めるもの

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■「おかえり!」

2000年5月に淡路プラッツの初代塾長・蓮井学さんが病気のため49才で亡くなり、当時のスタッフは大学を出たばかりの井村良英君(現・たちかわ若者サポートステーション所長/NPO法人「育て上げ」ネット地域担当部長)だけとなったので、僕がヘルプで淡路プラッツに入ることになった。

フリッパーズギター「ラブ&ドリームふたたび」
そのとき僕は「ドーナツトーク社」という個人事務所を開業していて、主として不登校(あるいはハイティーンのひきこもり)対象の訪問支援活動を行なっていた。
月〜土まで、多い時で週10人は訪問しており、大阪府池田市に古い事務所を構えていた。

ドーナツトーク社は、不登校関係の支援者育成セミナーを開いたり、「学校に行かなければいけないのか」といった哲学的倫理的テーマの勉強会なども主催していた(この勉強会が朝日新聞にとりあげられたことが、僕が大阪大学の「臨床哲学」で本格的に哲学を学ぼうと思ったきっかけにもなった)。

今回淡路プラッツから独立する趣旨を知った人たちがいろいろなルートで僕に連絡をくれているのだが、2000年前後のそうしたいきさつを知っている人は全員、僕の独立を讃えてくれた。
いろいろな表現ではあるが、全体的には「おかえり!」的なニュアンスが大きく、そうした人たちにとっては、どうやら淡路プラッツでの僕は、僕が持っている可能性のひとつであったらしい。
昔の知り合いにとって、プラッツにいる間の僕とは、他の可能性を一時的に控えている僕のように映っているらしかった。

それが事実かどうかはもはや僕にはわからない。それだけ、この10年、僕は「淡路プラッツ」という居場所にべったり浸かってきたのであり、プラッツ=居場所=自分だったから。

■いろいろな「トーク」

けれども、先週からプラッツが自分の中で徐々に相対化・背景化し始め、13年前にプラッツに入り同時に大阪大学の臨床哲学に入り鬼のように勉強したことなどが一気に思い出されてきた今、その前の「ドーナツトーク社」において、何をやろうとしていて何が中途半端に終わっていたのかもゆっくりと思い出しつつある。

今回僕は、4月から「officeドーナツトーク」という名前で仕事を始めるつもりだが、このドーナツトークという言葉は、フリッパーズギターの「ラブ&ドリームふたたび」という曲の中にさりげなく出てくる言葉だ。それ…

3/16はofficeドーナツトークのプレイベント&カフェフィロとの共催で

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■近々離れます〜
前回の僕のフリー宣言ブログの反響は大きく、ここ数日はその対応に追われていた。 当ブログも、4月からスタートする「officeドーナツトーク」の準備を受け、近々淡路プラッツHPとのリンクから離れることになる。
それに伴い、長らく愛用してきたGoogleブログの動的ビューレイアウトを変えて、シンプルなものに戻してみた。現在ブランディング中で、今は、この背景色でいこうかな〜と思っている。
また、以前お知らせしたイベント「NPOユースカフェ」は、officeドーナツトークのプレイベント+カフェフィロイベントになることになったので、今回は前のお知らせ文章を少し訂正し、それを下に貼り付けてみよう。
■3/16イベントはカフェフィロとの共催プレイベント

(っていう感じのロゴで)
2010年代になり、会社でもなく行政でもない、社会貢献活動を行なう「サードセクター」(NPO・NG0・一般社団・株式会社等々)の位置づけは益々重要なものになってきています。
この「NPOユースカフェ」は、それらサードセクターの若手スタッフを対象に、「カフェ」やワークショップの形式を使って持続的に育成・研修していくものです。「ユース」は、若手スタッフと、青少年ジャンルのふたつの意味を持ちます。

またこの「NPOユースカフェ」は、2013年4月よりスタートの「officeドーナツトーク」のプレイベントも兼ねています。さらに、大阪大学「臨床哲学」から発足したカフェフィロとの共同主催でもあります。

今回は、シンプルだけども大人も子どももなぜか話しやすくなる「魔法のボール」コミュニティボールを用いてのワークです。みなさんもこの魔法のボールを使って、NPOにとっての「公共性」や、日々の活動を違う角度から見つめなおしてみませんか。ここで気づいたことがみなさんの日々の職場に反映されることを願いつつ。(田中俊英)

■日時……3/16(土)14:00〜17:00
■場所……クレオ大阪中央http://www.creo-osaka.or.jp/chuou/index.html

4月からフリーになります!!

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■広島の前に……

2/3〜4と広島を訪ねた。「哲学者になる」の2回目のiPhone収録を行なうためだ(1回目「哲学者になる」はここ参照→http://toroo4ever.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html)。

今回残念ながら、メンバーの1人・大北さん(大阪大学「臨床哲学」教員)はインフルエンザで欠席したものの、菊地さん(大学スーパー非常勤講師)と僕とで出かけ、広島の個性的な方々(大学教員・フリーダンサー・ドキュメント映像作家・ノンフィクションライター等々)とともに、主として「NPO等のサードセクターの限界と、『フォースセクター』の可能性」について語った。

で、前回記事や、今回の記事一番下の予告youtube動画でもなんとなくほのめかされているように、4月から僕の立場が変わることになった。今回はその報告を簡単にし、「哲学者になる@広島」に関しては、次回以降、小出しに紹介していくことにしよう(原爆ドーム前で8人が語ったため盛り上がり、収録時間が長くなったため、編集に時間がかかるということもある)。

■フリー宣言

タイトルにあるように、4月から僕はフリーになります。理由は単純です。
つまりは「過酷な代表業に脳出血後の身体がそろそろついていけなくなった+50代を自分のテーマにより近いかたちで過ごしたい」ということです。

僕は2010年8月の脳出血までは「プレイングマネージャー」(現場も経営も)であり、病後はほぼ代表業だけを行なってきた。
現場の面談や居場所仕事がなくなったからこりゃ楽になるわと思っていたのだが、まったくそうではなく、ミッションと行動指針の再確認、各戦略(全体+コーポレート機能別〈人事・財務・広報等〉+各事業)策定+次年度に向けてのアドボカシー+外部機関(行政・民間・大学)との人脈づくり等々、面談(支援)仕事はないはずなのに、きちんとNPO経営に向きあうと(病気までは流されるままでした)、これでもかというほどやることが出てくる。

加えて、昨年は3回連続20周年記念シンポジウムやそれをきっかけとした組織・経営改革にもとりかかり(残念ながら道半ばですが)、気づけば最近は、また以前のように頭がフラフラすることが多くなっていた。

決定打は、関係ないかもしれないけれども長年のファンであった大島渚が亡くなった際、彼は1度目の脳卒中の…

ロックが癒しになった〜60代になったオルタナティブ世代〜

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■宇宙人が人間になった、ボウイ

ここ最近またもやバタバタしていて、日々が恐ろしいスピードで流れている。
そうした流れを受けて、僕の社会的立ち位置もこの春から変わるのであるが、具体的な報告は来週以降にするとして、今日はまたもやyoutubeを交えたのんびりブログを綴ってみよう。

きっかけは、youtubeにあったデビッド・ボウイのこの「ヒーローズ」映像だった。
バンドの演奏も独特のグルーブ感
あのボウイが、ものすごくリラックスしている。「ジギー・スターダスト」や「ロウ」はもちろん、映画「地球に堕ちてきた男」なんかも含めて、デビッド・ボウイという存在は、とりあえず「人間ではない」生命体なのだ。
80年代の「レッツ・ダンス」で一度日和ったものの、ファンが抱くイメージはやはり、70年代までの、スパイダースをバックにスペースオディティしながらベルリンの壁で横を向きつつヤング・アメリカンで地球に堕ちてくる異常な生命体だろう。

その、孤高な生命体デビッド・ボウイが、2002年のライブでは笑っている。1947年生まれというから、この年で55才。Wikipediaによると2003年に心臓の動脈瘤で病気療養に入ったというから、このビデオは療養の前年だ。

ご存知のように、今年ボウイは10年ぶりに活動を再開し、3月にアルバムが出る。僕は先行シングルをダウンロードして聞いたが、ほとんど70年代後半のボウイであって、ファンとしては嬉しい限り。
どんな心境の変化があったのかはわからないものの、同じ大病をした者同士(僕とボウイを同列に扱ってます〜)、新作で聞かせてくれる声からは以前のような緊張感とともに、一種のリラックス感も伝わってくる。

そのリラックス感の極地が、上のビデオだと思う。病気の前年ではあるが、55才のボウイが以前の地球に堕ちてきた男ボウイとは別人のように、笑っている。ファンとハイタッチしている。そして、屈託なく名曲を演奏する。

■パンダみたいなスプリングスティーン

次にこのブルース・スプリングスティーンの「サンダーロード」はどうだろう。
おーおーおー、おーサンダーロード〜
太っている。シャツがピチピチだ。これは2012年のライブで、スプリングスティーンは49年生まれだそうだから、この時63才。お腹も出て恰幅がいいはずだ。Wikipediaでは大病報告はなく(80年代に鬱だったそうだが…