2013年4月28日日曜日

「イオンモール」とは何だ? 〜「哲学者になる@岡山」

一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP
Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」

◼ニートの原因はグローバリゼーション

昨日、岡山にて「哲学者になる@岡山」を開催した。
哲学者になるは、「哲学者になる@広島」を2月に開催し、その様子はここ(行政でもまマーケットでもなく〜http://toroo4ever.blogspot.jp/2013/02/3rd0.html?m=1)に報告したが、今回はその第二弾というわけだ。

いつも通り、菊地さんと大北さんと僕の、オリジナル「哲学者になる」メンバーが、岡山に出かけ、岡山の方々と「グローバリゼーションとローカリティ」についてのんびり語り合った。

1.趣旨説明と、岡山について

2.個性的な方々

3.世代も豪快に横断しつつ

4.一般論にとどまらず「私」を語ることも忘れずに

5.イオンモールとはなんだ?

◼「社会的症状」としてのニート

今回もわりと盛り上がり、そこで出てきたのは「イオンモール」に象徴されるグローバリゼーションの具体的表象と、それとは別の流れとして底流に横たわるもう一つの流れだ(それが「持続可能性」を指すのかアベノ商店街をさすのか、僕にはわからない)。

当ブログで時々書くように、ひきこもりやニートの問題の根本原因は、僕はグローバリゼーションの問題だと思っている。だから、今回のような企画を当ブログでもしつこく続けているわけだが、わりと今回は探求が一歩進んだように感じた。

繰り返すが、子どもや若者の問題は、決して「こころ」の問題だけではないと僕は思う。今回のようなグローバリゼーションに加えて、少子化・世代間格差・経済格差等が、そうした抽象的レベルを侵食してついに我々の日常生活に食い込んできている。

その象徴がイオンモールであり、その「社会的症状」がひきこもりやニートの問題だと僕は思う。
今回の動画は、わりと核心ついてると思うので、お時間ある方は全部とおして見ることをお勧めします〜✨







2013年4月26日金曜日

「変な大人」はなぜ子ども・若者に慕われるのか?~江藤杏瑳(あずさ)さん動画インタビュー




■久しぶりの動画インタビュー

最近、「ヤフー!!ニュース個人」も始めて、妙にアクセス数が上がりだしたためか、ブログの内容がどうも堅っ苦しくなってきていた。これではいかん、ヤフーのほうはお仕事なので今のパターンから外すことはできないとして、こちらの元々のブログのほうは、もっと自由に、もっと楽しく表現する必要がある.

そんなわけで、一昨日更新したばかりではあるが、今日、久しぶりに動画撮影したこともあって、連続更新してみよう。

動画は、「変な大人」インタビュー。
「変な大人」シリーズは昨年後半、さかんに言及していた話題だが(たとえば「グールドもニールヤングも変な大人」参照)、このところの多忙さのせいですっかり忘れてしまっていた。
今回は久しぶりにこのテーマで、しかも初めての本物の「変な大人」に登場してもらう動画付きでお届けしよう。

1.まずは紹介

2.いきなり話を締める田中

3.なぜか続く(ここから確信へ……不思議です。3分ほど)

4.「どこにも“帰属”していないから、子どもを癒す」(1分30秒)



■ポジティブな「帰属」感のなさ

江藤さんは、プラッツに僕が入る前に運営していた「ドーナツトーク社」のスタッフ。いまは奈良の「郡山悠学舎」という塾で講師をしている。

今回の撮影で江藤さんもがんばってしゃべってはいるが、僕と違ってやはり本物の変な大人だけに、いまいち何を言ってるのかわからない。
以前のさいろ社松本君もそうだったか、自分が「自由」や「変」だと聞かれてまったくピンとこない、それこそが「自由」や「変」の証明だ。

また、ビデオ3~4で検討されているように、江藤さんも僕も(さいろ社の松本君も)「どこにも帰属しておらず、かつポジティブに帰属していないことが、ネガティブに帰属していない子ども・若者を癒すのでは?」という問いは重要だ。

僕としては、我々の“癒し”の意味が少し解けたように思う。ビデオ3~4だけでも流し見するのをおすすめします。ほとんど僕がしゃべってますが。★




2013年4月24日水曜日

「若者」という「まのまカフェ」〜若者論とドーナツトークの居場所〜

一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP
Yahoo!ニュース個人「子ども若者論のドーナツトーク」


■「若者」とは誰だ?

今日、京都精華大学で週一の講義があり、例の『絶望の国の幸福な若者たち』を題材にまたしゃべってきた。
とは言いながら、Yahoo!ニュースブログ当ブログのこの記事に書いたとおり、この本に僕はだんだん懐疑的になっており、特に前回の授業で「古市氏の『幸福』とはルサンチマンそのものではないか」という疑念を表して以来、すっかり冷めてしまった。

そんなことを今日の授業でぼそぼそつぶやいていたら、授業後の感想カードに「なんと! いまさらそのコメント!!」みたいに学生から驚かれていて、どうやらフツーの大学の先生は、「テキストに飽きた」なんてことは言わないらしい。

授業後、学生のみなさんが出て行ったあとの教室と、感想カードの束。


でも僕は、幸福という究極の肯定性を扱っているものだとばかり思っていたのにそれが典型的ルサンチマンだとわかってしまい、すっかり同書への熱意が冷めてしまった。
そのことを学生に言ったのはまずかったかしらと思いながらも、まあこんな非常勤の先生がいてもいいだろうと、の〜んびり構えている。

で、授業のかたちもだんだん見えてきていて(なにせ初めての体験だから手探りなのです)、まずは毎回ごとにタイトルをつけていくことにした。
前回は「幸福」をとりあげたので、強いていうなら「幸福とルサンチマン」。
今回は「若者」をとりあげることにし、「『若者』とは誰?」とホワイトボードに大きく書いてみた。

■学生のみなさんにマイクを向けてみた

もうひとつ、授業中に、学生にマイクを向けてみることにした。
今日は3回目の授業でそろそろ飽きられる時期であり+冷たい雨が降っていたため参加も少ないだろうとよんでいたのだが、意外と150人くらい集まっていた。京都精華大学の学生さんはものすごく真面目なのだ。

1時間くらいしゃべったあと、マイクを持ったまま大教室の通路を僕は練り歩いた。無理やりあてると次回から出席数が減ってしまっては困るので、強制ゼロ、しゃべってもいい人は微妙にこちらを見るようにと注釈を加えて練り歩いた。

すると、意外とこちらをチラチラ見る学生諸君はいらっしゃるもので、無理せず自然なかたちで「あなたにとって『若者』とは何?」という問いを投げかけることができた。

回答はいたって予想されたものだったのだが、これまた感想カードを見てみると、かなり評判がよかった。マイクでしゃべっていないほとんどの学生にとって、僕以外の人(学生)が語る「若者」に関するトークは、ずいぶんそれぞれの想像力をかきたてたようだ。

僕としては、フランス滞在中の阪大・本間先生が連れて行ってくれた(03年に僕がフランスに旅行した時のことだからもう10年も前か)本場哲学カフェか、例のサンデル先生の授業(と言いながら同番組は見たことない〜)を意識して教室を練り歩いてマイクを差し向けたのだが、予想外に学生のみなさんは応えてくれた。来週もやってみよう。

■とりあえず若者を2つのレベルで

授業で僕は、若者のことを、たぶん古市さん(『絶望〜』の著者)はふたつの角度から見ている、と指摘した。
1つは、格差社会のなかでアンダークラス化したひとかたまりの「群」として。
もうひとつは、サバルタンというか、ある種「マイノリティ」と化したひとつの集団として。

後者は説明が必要だろうが、サポステに定着しない若者たち〜「潜在性」〜等の記事(2011年11月の記事だ〜このブログもだいぶ続いてる)を参照いただきたい。
つまりは、「本当のマイノリティ〜当事者」になればなるほど、自分をマイノリティとして認識することは困難であり、自分をマイノリティとして表明できる人は、マイノリティの枠組みから脱出できた人である、ということをややこしいが懸命に説明した。

元ネタはスピヴァクやデリダなのだが、これら哲学者の名前をできるだけ出さずに今日は説明したため、かなり失敗したなあと後悔したのだが、これまたあとで感想カードを見ると、学生のみなさんはこのややこしい当事者論を実に的確に把握しているではないか。
このことが今日は何よりもうれしかった。

が、このように若者を二分化すること(アンダークラスと真性マイノリティ)について、僕は実は不満だ。
こうした分け方は何かアカデミックで現実離れしているように感じる。
僕が以前毎日のように仕事で出会っていた(ひきこもりやニートの)若者たち、あるいはこの頃はいくつかの高校で出会う高校生は、このような二分化された存在ではない。

若者とはたぶん、もっと「あいだ」にいる存在だと思う。

何と何の「あいだ」なのか。それは今日のところは書かないでおこう。というか、分析は昼間の仕事で飽きてしまった。
今日は、これから当ドーナツトークで展開していくことになる「まのまカフェ」について予告しておくことで止めよう。

■まのまカフェ

officeドーナツトークは、若者問題が最も先鋭的に表出され、かつ潜在的に最大の問題として現れている、高校中退と中退以降(通信制)の問題に集中的に取り組むため、「居場所」的手法を活用していきます。

その際のモデルは、昨年、大阪府立西成高校で取り組んだ「となりカフェ」(高校中退予防の意味参照)になります。
同じように、府内の高校で展開する居場所について、「◯◯カフェ(この際の◯◯はひらがな表記)」の名称を用い、となりカフェと同じコンセプトで取り組んでいくことを表現します。

そして、当officeドーナツトーク本部で取り組む居場所事業は、「まのまカフェ」とネーミングすることにしました。
この「まのま」については、ドーナツトークミニHP(http://officedonutstalk.blogspot.jp/)で徐々に説明されるが、この「まのま」は、何よりも「あいだ」のこと。

そして、この「あいだ」にいるのが「若者」であり、決してあるひとつのものに分類されることのない、不思議な階層・群れのことだと思います。★


2013年4月18日木曜日

大学非常勤講師という「となりカフェ」



一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP
Yahoo!ニュース個人『子ども若者論のドーナツトーク』



■意外と忙しい〜

この4月にプラッツから無事独立し、一般社団法人officeドーナツトークとして活動し始めた。officeドーナツトークは僕を含めて2人の小さな団体で、「困難を抱える子ども若者に関して、支援システム・人材育成等のイノベーションを提案する 」をミッションとして、子ども若者や保護者への直接支援、NPO等のソーシャルセクターに対する戦略相談等の間接支援を二本柱として活動する。

連絡は、上の「一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP」からでもチェックできるが、ここにも一応書いておこう。
メールは、office.donutstalk@gmail.com
電話は、070-5663-8606(火〜土、10:00〜17:00)

170人の学生に講義した2回目授業終了後の大教室風景
時間をかけて「感想カード」に記入する方も


とかなんとか言いながらも、独立したばかりの4〜5月は暇だろう、お金は心配だけれどもぼちぼちやればいいや、くらいにのんびり構えていたのだが、意外とこれが忙しい〜!!
すでにいくつかのNPOに定期的に関わるようになっているし、縁あって、京都精華大学というところで、人生初めての「大学非常勤講師」を務めることになったのだ!!

■「こころと思想」

今回のブログを書いている今日は4月18日で、今まで2回授業した。授業名は、「こころと思想」といって、僕がこれまで講演のネタにしてきたひきこもりやニート支援でもなく、また最近得意にしつつあったNPO等のソーシャルセクターを考えるものでもなく、もちろんアニメネタでもなく(当たり前か)、もろ哲学系の授業なのであった。

いつかはこんなご依頼がくるのだろうなあと漠然と思っていたのだが、3月にご依頼があってから今月になって実際授業が始まってみると、たいへん喜ばしいものがある。
大阪大学大学院「臨床哲学」で鷲田先生・中岡先生・本間先生に学び、尊敬できる諸先輩方にアドバイスいただきいつのまにか10年たったが、こうして僕が実際に大学生相手に「講義」できるとは。

と、しみじみしていたのも最初の10分だけ、実際授業が始まると、予想通りエキサイティングな時間を過ごしている。
当ブログや上Yahoo!ニュースでも最近批評している『絶望の国の幸福な若者たち』をまずは題材にしながら、1990年以降の日本の青少年論壇をジャンルをすべてまたいでとりあげるつもりだ。

で、2回授業してみての感想なのだが、とにかく学生のみなさんが真面目に聞いてくれるのだなあ、これが。

■170名!!

1回目は履修登録前だったので100名が聴講、 2回目から授業本番が始まったが、これがなんと170名にまで膨らんでいた。

僕もひきこもりやニートネタでよく講演はするものの、170人も集まることは年に1回程度なので最初は超気合ものだったが、始まってみると、学生のみなさんの真摯さに、こちらの緊張など吹き飛んでしまい、古市氏の言う「希望」と「幸福」の区別、そしてそこに潜む「ルサンチマン」について、僕なりに一生懸命に語った。

知識をそのまま伝えるスタイルはできるだけ避け、昔、ウィトゲンシュタインの伝記で読んだ、「講師自身が必死で考えながら進める」スタイルを意識しつつ、板書するのも忘れて語っている(僕は通常の講演では鬼のように板書する)。
思い起こせば、そういえば鷲田先生もこんなスタイルだった。

授業が終わったあとの感想カードも多くがびっしりと書かれていて、その真摯さに胸を打たれたものもあった。何かを求めて、学生のみなさんはここに来ているんだなあとわかる言葉が並んでいる。

まだ2回しか授業しておらず、中身はこれから進化させていくのだけれども、感想カードから読み取れる「求めている何か」に応えることができるような工夫をしてみたいと思っている。
工夫といってもたいしたことではないが、たとえば授業の枠内で即席「哲学カフェ」あるいは「となりカフェ」ができないかと目論んでいるのだ。

■「イバショ」的授業

10年前、パリの本間先生を訪ねた時、先生は本場の哲学カフェに連れて行ってくれた。日本での哲学カフェと違い、僕が体験したパリ版(というか本場ですね)は、参加者とファシリテーターがマイクをやりとりして交互に発言していた。
単なる質疑応答といえばそれまでなのだが、マイクを利用した哲学カフェがあってもいいということを僕は知った。

また、昨年府立西成高校で展開した「となりカフェ」では、本当に拠点を設置してそこでカフェ的居場所を運営した。当然大学の授業でそこまでは無理だけれども、そのような「居場所」テーストを授業に持ち込む工夫も考えてみたい。やはりヒントは哲学カフェになるだろう。

僕が思うに、日本に増殖している非常勤講師たちが、このような「哲学カフェ」的授業、あるいは「となりカフェ」的授業、言い換えると、「イバショ」的授業をそれぞれ創意工夫していけば、大学はもっとおもしろくなるのではないだろうか。
それが結局は、大学非常勤講師の待遇アップと、大学生の中退予防にもつながる気もする。そして、それぞれの工夫した授業の発表の場を設けるのもおもしろいような……。

いろいろ発見と気付きのある体験なので、随時報告していきます〜★




2013年4月10日水曜日

「幸福」ではなく「イージー」なのか?〜書評連載②『絶望の中の幸福な若者たち』古市憲寿著


Yahoo!ニュース個人『子ども若者論のドーナツトーク』③統一概念をつくってほしい〜スネップ他
一般社団法人officeドーナツトーク公式ミニHP



■人生初の、大学非常勤講師!!

実は、今日(4/10)の午後から、京都精華大学という、京都市の北のはずれにある(らしい)私立大学で、非常勤講師として一コマだけ授業を担当させてもらっている。

授業名は「こころと思想」。阪大の臨床哲学出身といっても社会人コース修士止まりの僕をよくぞ雇用してくれたと大学のみなさんには感謝しているのだが、与えられた科目も、子ども・若者への支援論やNPO経営を述べるものではなく、「こころと思想」というモロ哲学系の授業なのであった。

僕としては、せっかくの機会なので、ここ20年ばかりの子ども若者をめぐる諸言説(斎藤環さん玄田有史さんはもちろん、芹沢俊介さん本田由紀さん湯浅誠さんなどの有名な方々に加え、我らが工藤啓さん、そして若手社会学者の古市憲寿さん、また変化球として赤木智弘さんなどもとりあげる)を次から次へと振り返ってみようと思っている。

たぶん、日本のパラダイムチェンジを代表する本になる


そして、この20年は単なる経済用語としての「失われた20年」なのか、実はもっともっと深い意味があるのではないか、ということを、大学授業という縛りを利用させていただいて考察してみたいと思っている。
それは結果としてドグマになってしまうのかもしれないが、それはそれで楽しみたい。ドグマというか「とんでも言説」みたいなのがないと、今の世の中ひとつも前に進まないと思うから。

■賛否両論の本

で、今回の当ブログ(Yahoo!ニュース個人は直球子ども若者論、当ブログはマニアック路線で行きます)は、今日の授業でさっそくとりあげる予定の『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿/講談社)だ。今年の2/27の当ブログでもとりあげたこの本(書評「ルサンチマンのない格差社会」)、読めば読むほど、現代日本を象徴する1冊のように思えてきた。

今日の授業だけではなく、あと2〜3週間連続でとりあげる予定なので、ここ数日気づいたことをここでは述べておこう。

この本を真面目に考えだしたあと、ネットを見ていて気づいたのだが、著者の古市さんについてはかなり賛否両論あるようだ。
否定派の代表的物言いは、「いまの若者は苦しさのなかにいるのだから、それを『幸福』といっていいのか」というシンプルなもの。

一方の肯定派は、たとえば僕などは、「絶望/希望」といった「ルサンチマン」っほい否定的価値の地平を飛び出て、「幸福」という「否定の入りようのない価値」を基準にする古市氏は素晴らしいとしている(哲学的な言い方なので、意味不明の方は2/27ブログ参照です。でも僕も書き散らしている感があるから、きちんと知りたい方は、『これがニーチェだ!』〈講談社新書〉等の永井均さんの本が参考になります)。

■ルサンチマンの変形としての、「イージー」

だが、僕の哲学的幸福の意味はわかるのだが、はてさて古市氏のいう「幸福」は、そのような肯定的な幸福を指すのだろうか、という疑問を最近になって複数の方からいただいた。

つまり、古市「幸福」はそんなたいそうなものではなくて、単に、「ルサンチマンの変形」としての心持ちだということだ。
それは哲学的あるいは肯定的「幸福」のような価値ではなく、「希望を抱けないから、今のこのときの時間を何となくぼんやりと適当に過ごそう」的な、「本当は『希望』に憧れてるんだけどそれは無理なので、とりあえず閉ざされた今の時間を、閉ざされた仲間たちと、閉ざされた空間のなかで過ごしてみよう」といった気分に過ぎないのではないか、というご指摘だった。

そう言われてみればなるほど、若者たちの「希望ではない、タコツボ的安定気分・時間・空間」を「幸福」と名付けた古市さんの議論を、ドゥルーズやニーチェ好きの僕は、拙速気味に肯定的「幸福」と結びつけてしまったのかもしれない。

古市さんの言う「幸福」は、ルサンチマン的希望を越えたものどころか、ルサンチマン的希望に到達できない人たちが同じ地平のなかで脱線して抱く、別の否定的概念なのかもしれない。

だからそれは、「幸福」のようなポジティブな言葉ではなく、とりあえず希望ではないけどそれほど満足もしていない、でも希望は抱きたいけどそれは無理だし……とりあえず今のこの時間を何となく安易に安直にお気楽にやり過ごそうか的な、そう、とても「イージー」な感覚なのではないかと、僕は思い始めたのだった。

幸福ではなく、イージー。
今のところ結論的な概念ではないが、古市「幸福」はどうやらニーチェの絶対的にポジティブな幸福ではなく、ルサンチマンの変形としての「イージー」なのでは? と考えている。

おおっと、授業に行こう。京都の、宝ヶ池からさらにスクールバスで15分らしい~★






2013年4月5日金曜日

ドーナツトーク・ミニHP創設!!&Yahooニュース個人も!!


■ふたつのブログ更新

事務所は阪急・十三、キックオフイベントは5/11(土)!!


「統一概念」をつくってほしい~「スネップ」、ニート、ひきこもり、発達障がい、精神障がい、フリーター…
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakatoshihide/20130405-00024264/


上(「事務所は〜」)は、記念すべきドーナツトークのミニホームページの第1回記事、下(『統一概念」〜)はヤフー・ニュース個人の第3回記事だ。昨日と今日書いたのだが、当「田中俊英ブログ」といかに連動させていくか、模索が始まった。

貧乏事務所のため高額のホームページ作成ソフトが購入できないので、無料サービスであるGoogleとYahoo!を上手に使いこなそうと思っている。
ゆくゆくは①ドーナツトークのミニホームページを「ハブHP/ブログ」とし、当田中俊英ブログとYahoo!ニュースをそこにひも付けするかたちにしたいのだが、しばらくはこの田中ブログが中心となりそうだ。
ガラスケースの中のタマ。
この写真、Yahoo!ニュースにも使いましたが、タマちゃんしんどそうですニャ〜

■どうコラボしていくか

が、マニアックな話で申し訳ないが、この田中ブログはGoogleの「動的ビュー」というテンプレートを使っている(もわもわっと記事が浮き上がってくる)。
不思議なことに、古典的なテンプレートよりも、この動的ビュー・テンプレートでレイアウトすると、閲覧数が格段にアップする。

これはおそらく、動的ビュー(現在のレイアウトです)が過去ブログを遡りやすいためだと思われる。
が、動的ビューはこの通り一つひとつのブログ記事のレイアウトは美しいものの、ブログによくあるいろいろな「おまけ」が隠れてしまう。

その点、同じGoogleブログを使っていても、古典的レイアウトである①のドーナツトークミニHPは、記事の右側にセミナーの案内等をくっつけられる。
が、過去記事が気軽に探索しづらいため、すぐに飽きられるだろう(ドーナツトークミニHPは今回が初回なので過去記事はない)。

閲覧数をとるか(当ブログのような動的ビュー)、おまけ記事の多さ(ドーナツトークミニHP)をとるか。
うーん、だから世間の方々はお金を払ってきちんとHPを構築するんだなあと納得している次第です。

と言いつつ、たくさんの「ヒモ記事」がついた普通のHPは、どんなに立派なものでも僕はあまり見ない。情報がありすぎて、単にめんどくさいのだ。
ブログやホームページも、シンプルな複数の案件をいかに有効にコラボレーションしていくか。ソーシャルセクターの事業の考え方とよく似ていますね〜★