2013年7月29日月曜日

「支援おたく」から「支援部門担当者」への、名誉ある降格 

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■僕も「支援おたく」だった

最近、「育てあげ」ネットの工藤啓さんのブログ(「歴史的積み上げのない若者支援の現在地は、職人と専門家が混在、混乱の状態」http://blogos.com/article/66883/?axis=b:17593)を読んでいて、僕は、いまこそ諦めず「子ども若者支援に(工藤さんを応援しつつ)マネジメントを本格導入しなければいけない」と考え込んだのであった。

今回のタイトルにもあるように、不登校やひきこもり、そしてニート支援は、長年、ある意味「マニアック」な領域であり、それは「職人」やあるいは「おたく」の世界と言ってもいいほど、細かい支援論が延々と議論されてきた。

何を隠そう、僕もその「おたく」の一員であり、いや、おたくどころか「超おたく」の領域に踏み込んでいたといっても過言ではないほど、ひきこもりやニート支援についての詳細な議論を展開してきた。

飼い猫マーちゃんと「エヴァ」のマリ。
マーちゃんはおたくではないけれども、飼い主は超おたくで、写真は本文とは関係なし。


あれはあれでよかったし、議論の中身自体は今もそれでもいいと思っている。
が、現在必要なのは、そうした「支援おたく」的な議論が行なわれている「場所」をきちんと特定すべきなのでは、ということだ。
言い換えると、支援団体(多くはNPO)の「組織」の中で、そうした支援議論が行なわれている「場所」を特定することで、そのNPOの経営がより安定するのでは、と思うのだ。

さらに言い換えると、「支援おたく」的な議論が子ども若者議論の中心にあったままでは、これから本格的にNPO経営が難しくなっていくと予想される現在、経営の生き残りに乗り遅れるNPOがどんどん現れてくる、と僕は思う。

つまりは、支援論を熱く議論してきた「支援おたく」は、団体の中で「支援部門担当者」へと位置づけ(あるいは「降格」し)、その上に事業マネージャーやあるいは(機能別マネージャーのひとつである)企画マネージャーの傘下に収まるべきだということだ。

■3つのマネジメント

哲学は少し知っているものの経営の素人である僕がいうのも恥ずかしいが、誰もやさしく解説してくれないので、僕なりにNPOの組織形態について簡単に解説してみよう。

まず、NPO等のソーシャルセクターのマネジメントは以下の3オーダー(階層)に分かれる。
①団体マネジメント
②機能別マネジメント
③事業マネジメント

それぞれは以下のような性質がある。
①団体マネジメント……団体の代表理事が行なう。代わりがいない部門であり、団体マネージャーの独断で行なっても許される領域であり(外部理事の権限が強いNPOにはなかなか許されないが)、また独断だからこそ独創的な経営戦略等を提案することができる。

②機能別マネジメント……人事、財務、広報、企画などに分かれる。団体マネージャーとのタッグで、少人数で行なわれる。この多くは下の「事業」運営とも絡むため、機能別マネジメントの位置づけは組織によって異なるだろう。

③事業マネジメント……自主事業・委託事業関係なく各NPOが展開する諸事業の、それぞれのマネジメント。この3層目に位置する中堅どころのスタッフ(事業マネージャー)が力をつければ、そのNPOは強い。
各事業の事業計画・運営の多くをこの事業マネージャーに任せることができれば、①②の各マネージャーは楽になり、それぞれの分野に注力することができる。

■名誉ある降格

支援部門は、③事業マネジメントの中に位置づけられる。
あるいは、団体にもよるが、②の機能別マネジメントのなかの企画マネジメントの中に位置づけられる。この場合、団体の支援サービス(NPOといってもサービス業だからこれがつまりは団体の「商品」)の開発部門ということになる。

事業マネージャーは、支援部門への目配せと同時に、利用者(顧客)管理、人事(スタッフ)管理、会計事務(財務戦略の下に位置づけられる)、アドボカシー(行政交渉や同業業種との交流)、(広報マネージャーへの)広報依頼等、あげはじめたらきりがないほど仕事がある。

事業マネージャーは、マネジメントという本業と同時に、いまのNPOでは実際に支援の現場にも立っているから、超過酷な労働実態となる(僕はこのせいで3年前に脳出血になった……無事「生還」できたのは、ほんとラッキーだった!!)。

だからついつい、現場の「支援の内容吟味(つまりは団体独自の支援サービス商品の開発)」に意識がふりまわされてしまい、他の重要業務がないがしろにされる。
あるいは、支援を「商品」とはなかなかとらえることができない多くのスタッフの意識に振り回され、マネージャーとして一つ高い階層から判断・指示するこをためらってしまう。

その結果、商品開発と同じように重要なその他の業務が後回しにされる。
また、現場との兼務で疲弊化がよりすすむ。

いまこそ各団体の団体マネージャー(つまりは代表理事)は、「支援部門担当」の位置づけをきちんと行ない、事業マネージャーと支援部門担当者の位置づけも行ない(当たり前だが事業マネージャーが上)、事業全体が円滑に回るよう指示すべきだ。

ようやく、「支援おたく」が「支援部門担当」へと、「名誉ある降格」ができる時代がやってきたということだ。★





2013年7月23日火曜日

日本の社会構造は変わった? 

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■広島事件と生活保護、自殺数

この頃僕はTwitterに目覚め、気が向いたときは連続ツィートをわりと熱く書くようにしている。
書く前はネタはまったくないのだが、他の人のツィートを見ているうちにむくむくと書く気が起こる。

この頃は特に、ネットのニュースに反応してしまう。
それはたとえばこんな記事。

広島・呉の少女遺棄 逮捕の少女、虐待受け生活保護、1Kで共同生活

また、たとえばこんな記事。

就活自殺は5年で3倍増http://togetter.com/li/536069

これらは一見つながっていないように見えるが、最近の僕には、日本の社会構造の激変とダイレクトにつながっているように感じられる。
広島の事件は、犯罪の内容の前に少女の「虐待」の背景を想像し、就活自殺は、自殺の前に自殺に導いてしまったこの国の経済状況を想像する。

また、そのような犯罪や自殺と結びついてしまった、ある種の余裕の無さ(これを湯浅誠さんであれば「ため」のなさと表現するか)、あるいは価値観の堅さにいきついてしまう。

そもそも、貧困や就活の失敗と、殺人や自殺といった命のやりとりは、時代が変わればそんなにダイレクトに結びつかない。
なぜなら、貧困や就活が原因でお金がなくなったとしても、死を想像する前に、そこにはまず「他者」がいたから。

他者をどう頼り、他者にどう迷惑をかけながらもその迷惑をいつかは返すことを約束し、なんとかかんとか日々を凌ぐ、そうした生き方こそが、ながらく人間の「人生」そのものだったと思う。

が、なぜか、我々は他者を頼らなく、あるいは、なぜか頼れなくなってしまった。

■アンテナ

こうした、他者性のない、生死とお金がダイレクトにつながってしまう諸事件こそ、日本の社会構造が根本から変わってしまったことの象徴のような気がしている。

社会は、これこれの理由で変わったと、社会そのものから説明してくれることはほとんどない。
それは、家族の問題がひきこもりという事象を通して現れるように、なんらかの現象を通して現れる。

その事象とは、殺人や自殺などの生死にまつわる諸事件だ。
僕は元来、このような事件を扱うことは苦手だった。が、諸事件と社会構造の変化、そして、背景にあるグローバリゼーションの問題を想像した時、これら諸事件に触れざるをえない。

我々の社会は「他者」を頼らず、お金の無さと死がダイレクトにつながりやすい社会になってしまった。
僕は長らく、グローバリゼーションに伴う社会の変化を見逃すまいとアンテナを張ってきたが、いよいよ社会が変わったと感じた時、それはすごく寂しいものだった。★


2013年7月12日金曜日

50才のコミュニケーション〜「スピーチ」でもなく「脱自我」でもなく、「パレーシア」でもなく 

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■気楽でありながら正直に

このところ「代表病」というタイトルで2回ばかり書いてきた(「いつのまにか『権力』になってる「ついスピーチしてしまう」)。
最近はofficeドーナツトークの仕事も忙しくなってきて、たとえば今この瞬間などは、住吉区の子ども若者支援システムづくり事業の会議を終えたばかりであり、当ブログでもいろいろ報告しなければいけないことはあるのに、どうも当ブログはこの頃内省的になっている。

住吉区や高校中退・不登校フォローアップ事業(府立西成高校と桃谷高校での「高校生カフェ=居場所」づくり)についての報告は来週からまた始めるとして、今週はもうちょっとだけ内省的に。

それは、50才を前にして、この頃の僕は、なんとなく「新しいコミュニケーション」を掴み始めたという話題だ。

それは何のことはない、「語りすぎず黙りすぎず、気楽でありながら正直にその場にあり続ける」という程度のことだ。
まあこの程度のことなのだが、なんと、この程度のことを獲得するまでに、僕は40年近くかかってしまった。

40年とは、思春期開始以降ということで、ずいぶんこの40年は苦労した。
はじめは、親や教師、おおざっぱに言って「大人」に反抗するため、自分の自我をひたすら肥大化させていった。
つぎに、その自我のもと、さまざまな自我ネタ(小説やマンガや映画や音楽や思想)の作品を漁った。そのことでさらに僕の自我は大きくなっていった。

これじゃあダメだと思い、またその頃「他者」との出会いも重なり、体験は格段に広がった。
でも実は、自我の肥大化は止まらず、なんか変な方向に進み始めた。

その途中、哲学と出会い、「他者」や「脱自我」の理論を知った。同時に、仕事の幅も深さも広がって、僕の世界はどんどん広がっていった。
哲学的言葉や方法を知ったことも大きい。そのことはずいぶん僕を楽にさせた。

が、それでも結局は、僕の巨大で歪んだ自我はそれほど変化しなかったのかもしれないなあ、とこの頃考えていた。

■「思いやり」「まごころ「きづかい」

そんなとき、前職場を退職して独立したのであるが、この3ヶ月はとにかく怒涛の3ヶ月だった。
その怒涛ぶりは今も続いており、幸いにもNPOみらいずをはじめとして協働していただいている団体のみなさんとおもしろい仕事をし始め、独立前から思い描いていた「ミッションと行動指針に従ったソーシャルセクターの運営」は、ほぼ理想に使いかたちで進行している。

まあこれからどうなるかわからないものの、今の段階では本当にうまくいっている。
これからが第2段階であり、いまの計画を現実化し、来年に向けてあらたなアドボカシーを展開していく必要もある。

そんななか、不思議なことに、僕自身のあり方・考え方が微妙に変化してきた。

それは、なんというか、素直に、「思いやり」「まごころ」「きづかい」というものの大切さに気づいたということだ。
ちょっと恥ずかしいけれども、それは本当のことで、これはかなり確信に近いことだから、こうして記念碑的に書いておこうと思った次第。

これは、後期フーコーの「パレーシア」(ちょっと自信はないけど一言でいってしまうと、「勇気をもって危険をくぐりなけながら真理を語ること」)とも違う。パレーシアだけでは、やはり哲学すぎる。そこではやはり「語り」が優先されている。

河合隼雄の「ジェニュイン」というのでもない。それほど神秘主義的な要素はここにはない。

僕が脳出血から無事生還し、この8月で3年になることも大きいだろう。
そして、来年3月に50才になることも。

つまりは「死」がよりリアルになってきたということなのだが、そのことだけが原因でもない。
これから僕は、50才を越えた人達に、50才の心境とコミュニケーションの変化について、いろいろ聞いてまわろうと思っている。

多くの50才は、たぶん死のことも考えず、それこそ働き盛りなのだろうが、時々、僕みたいな「変な50才」もいるはずだ。
「変な大人」と同じで、「変な50才」は、若い人たちに向けて、その心境をその都度報告していく義務があると、倫理好きの僕は少し思っている。★



2013年7月4日木曜日

代表病②〜いつのまにか「権力」になっている 

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◼わからないからこそ、思いやる

昨日、京都精華大学の授業があり(あと3回だ!!)、ついに鷲田清一先生の『聴くことの力』(TBSブリタリカ)をとりあげた。
最終章のおもしろそうなところを学生さんにコピーして配り、同書を久しぶりに読み返したのだが、いくつかの発見というか再発見があった。
コピーして配ったのは以下のようなところだ。この部分を選んだのはそれほど意図はない。

『聴くことの力』p250。Can I help you?


「あくまでもみずからの存在の低さにあきれるそういう苦笑のなかで、ホスピタブルでありたいと思う。苦悩により『ゆたかな』意味を求めるような『苦しみ』の概念には、やはり抵抗がある」

「荷物が重くて喘いでいるひとの荷物を半分持ってあげるように、他者の苦しみをいわば半分分かち持つこと、ホスピタリティのこのような概念には、『なにかお手伝いできることがありますか?』can I help you?といった軽い言葉をむしろ対応させてみたい」

「他者の現在を思いやること、それはわからないから思いやるんであって、理解できるから思いやるのではない」

苦悩しつつ「ゆたかな意味」を求めることには抵抗がある。
「軽い言葉(Can I help you?)をあえてホスピタリティに対応させたい。
他者がわからないからこそ、他者を思いやることができる。

これらはまさに「鷲田節」であって、僕は10年前の社会人院生時代にはイマイチぴんとこなかったが、今は(特にNPO代表を辞めた今は)、これらの「あえて重くならない」「軽い言葉の中に歓待がある」「わからないあなただからこそ、私はあなたを思いやることができる」という言葉たちがぐっとくる。

これらの言葉の中にこそ、NPO代表(あるいはNPOの中心カウンセラーでもいいが)という、「システムの中心」にとどまっていてはわからないニュアンスが含まれていると思う。

■やっと「聴くこと」ができる

また、僕は、カウンセリング(あるいは「面談」全般)のなかに含まれる「権力性」にもそろそろ嫌気が差してきた。
フーコーのいう「告白」に含まれる権力関係(聞いている側〈神父やカウンセラー〉こそが権力側)を持ち出すまでもなく、その、微妙にエラソーな立ち位置が、どうにもむずがゆくなってきている。

だからといって相談を受けることをやめることはしないが、面談の時間内に生じる「権力関係」に関して、これまで以上に意識的になろうと思っている。

つまりは、「苦悩」に含まれるある種の近代的(主体を中心とした)物語性の破棄。
軽い言葉の中に他者を「迎えること」が含まれていること。
主体の力で他者は把握できないからこそ、把握できないことをまずは受け入れ、そこから「聴くこと」が始まること。
そして、「権力関係」をできるだけ意識し、それは原理的に不可能かもしれないが、そこからできるだけ遠ざかっていくこと。

ほかにも並べるといくつも出てくるだろう。
僕は、こうした考え方を、10年前の社会人院生時代に徹底的に学んだはずだった。
けれどもそれは残念ながら文字を追うだけのものだったらしい。そのあと始まった、怒涛のNPO代表生活が、鷲田先生(あるいは臨床哲学全体)が提示してくれる重要な要素(一言で言えば、主体と権力の解体)を背景化してしまったのだった。

そのおかけで、近代組織としてのNPOは無事経営基盤を整えることができた。
が、その反動として、僕は自分でも意識しないまま、おそろしく「権力的」(あるいは主体的あるいは近代的)になっていたようだ。

その権力性を脱ぐ時が10年ぶりに訪れた。
10年前、僕に届かなかった鷲田先生の言葉に、再びチャレンジしてみよう。そのとき、やっと、僕は人の言葉を本当に「聴くこと」ができるような気がする。★