2014年3月14日金曜日

「リアル・サードプレイス」では「沈黙」できる


■リアルとネット

3月も半分が過ぎ、どのソーシャルセクターも来年度事業に向けて走り始めていることだろう。ドーナツトークも同様で、今月末にはその全容をご報告できると思う。

本文とはまったく関係ないが、ピンクフロイドの名盤。
あなたがここにいてほしい


そんなこともあってこの頃はどうもブログの更新も遅れがちなのだが、そういえばこの前、Twitterで「Facebookは公共空間のサードプレイス」、「LINEは親密空間のサードプレイス」と書き込んだことを思い出したので、それをさらっと解説しておこう。

その前に、「サードプレイス」には、どうやら「リアル・サードプレイス」と「ネット・サードプレイス」があることを再確認しておこう(ネットには「サードプレイスとしての癒し」はあるかhttp://toroo4ever.blogspot.jp/2014/02/facebook.html)。

特別な「個対個」のコミュニケーションではなく、そうしたコミュニケーションが成り立つための「前提条件としての空間・時間」がまずは保証されている。
そうした「前提条件としての時空」のことをサードプレイスと僕は呼ぼうと思っている(上ブログに「時間」をくっつけてより明確化してみた)。

そうした「コミュニケーション前提条件としての時空」は、リアル空間だけにとどまる必要はなく、ネット内においてもそれはある。言い換えると、コミュニケーションがあるところには、こうしたサードプレイス存在可能性が保証されている。

■ネットは「コミュニケーション前提条件」を理解しやすい

実は、ネット・サードプレイスのほうが、このような「コミュニケーション前提条件とした時空」という意味をつかみやすいと僕は思う。

リアル空間においては、「コミュニケーション前提条件」と「実際のコミュニケーション」が同時進行するため、圧倒的な後者の影響によってどうしても前者の影が薄くなる。
リアル・コミュニケーションの迫力が、その前提条件を覆い隠してしまうのだ。

それに対してネット・コミュニケーションでは、パソコンやスマートフォンといった機器を用いて行なうため、そうした機器の性能や好不調を意識せざるをえない。
機器が正常に動いて(コミュニケーション前提条件が正確に発動して)初めて、またFacebookといったソフトの機能を把握して初めて、その後のコミュニケーションが成立するという二段階を、ネット・コミュニケーションでは意識せざるをえない。

だから、「サードプレイスはコミュニケーション前提条件としての時空」と言われた時、ネット・サードプレイスのほうがその意味を正確に把握しやすい。

ネット・ファーストプレイス(家族)やネット・セカンドプレイス(職場)にもこの二段階(前提条件と実際のコミュニケーション)はあるものの、両者を区別する必要性は薄い。
サードプレイスのみ、実際のコミュニケーションよりその「前提条件」が強調されているため、このような区別を感覚として受け入れやすいネットのほうが便利となる。

■安心できるから自由がある

おもしろいのは、Facebookは同じサードプレイスでもどちらかというと「公共性」が強調され、たとえばLINEのようなグループ参加メンバーが少数のツールはその「親密性」が強調されることだ(僕はLINEをやっていないので的外れならばすみません。たとえLINEが親密性が低くても、そのような親密性が強調されるネット・サードプレイスが増えていくと思う)。

現在ネットニュースなどでFacebookの衰退が報道されることが多くなったが、僕はFacebookの利用者数は減ることはあるにせよ激減せず、一定利用者数はこれからも維持されていくと思う。
それだけ、「公共的な自分」が保証されるネット内のサードプレイスはニーズがあるということだ。

同時に、「親密空間としてのネット・サードプレイス」もこれからは益々拡大していくだろう。
実際に少数の顔が見えるメンバーが集うこうしたネット・サードプレイスにおいて、個々の関係のあり方よりもそうした「親密空間が前提条件として保証されている時空」はニーズがあると思うからだ。

誰もが、安心できる人たちが集う時空において、個々の約束に拘束されることのない自由な集まりを求めていると思う。
安心できる人たちがいるところで、その日の気分や体調によって出入りや行動や発言の自由が許される。
特定の人達と特定の深いコミュニケーションにまで突入することなく、「それなりの深さ」を感じることができる、これは貴重なサードプレイスだと思う。

■あなたがそこにいてほしい

このようにいろいろメリットのあるネット・サードプレイスなのだが、我々はなぜか、リアル・サードプレイスを求める傾向がある。

それはなぜなんだろう。
ヒントとして、この前「シェアコロ」石井さんがツィートした内容が何かを示唆したと思ったので引用しておこう。

SNSはサードプレイスになり得るのか?といえばなり得ると思う。しかしSNS上の沈黙はスルーだけど、リアルなサードプレイス、或いは成熟した居場所は沈黙を共有することができる。僕が図書館を気に入っているのは沈黙を共有するのに最適な場だからだ。この話題は柏通り魔事件にも行き着くと思う。https://twitter.com/masahiroishii


確かに、SNSの沈黙はコミュニケーションをスルーする(返信するのをためらう・めんどくさい等々)だが、現実の沈黙は何かを「共有している」意味合いももつ。
そこに実際のヒトがおり、急いで返事を言うことなくともに座り続ける、このことだけで何かを共有しているという実感をもつことがある。

つまり、あなたがそこにいてよかった、あるいはあなたがそこにいてほしいということを、沈黙するということだけでパフォーマティブに示すことができる。★