「心配事」が「新しい過去」に

僕はこの頃、「自分の気分がどれくらいの時間続くか」を図っている。

気分というか、「とらわれていること」なのだが、それはたとえば数時間前に起こったプチトラブル(人間関係のズレ)だとする。

僕は結構引きずるタイプだったのだが、人間というものは時間の動きや新しい事件の出現によってその少し前のプチトラブルはあっという間に背景化していくと、この計測行為によってあらためて確かめられた。

以前のプチトラブルやお困り事から時間がたち新しい出来事が出現すると、僕は(というか人間は)そちらの出来事にたちまち関心を移してしまう。

その新しい感心事が重ければ重いほど、以前のプチトラブルは背景化する。

が、時々以前のプチトラブルは顔を出して僕の頭にとどまるのではあるが、あらたな出来事に関する心配事があっというまに覆いはじめ、以前の心配事が遠ざかっていく。

これが数日続くと、やがて以前の心配事は「新しい過去」となる。

新しい過去は引き続き時々顔を出す。が、次々と押し寄せる「新しい出来事たち」と、次々に「新しい過去」になっていく以前のプチトラブル以降のお困り事たちが休みなく押し寄せ、新しい過去は徐々に普通の過去になる。

いつまでも気になる出来事は、カウンセラーによってはオブセッションとして位置づけられるのかもしれない。

オブセッション(強迫)の侵入と固定を許してしまうのは、独特の重めの気分状態にある時だということも事実だ。
この独特の重さはまた、独特の軽さと爽快さで振り払うこともできるとこの頃は気づき、オブセッションモードに囚われないために、軽さと爽快さモードに入るよう努力している。

この軽さと爽快さモードを、僕は今のところ「永遠回帰」モードあるいは未来モードと1人で名づけているが、哲学的には捉え方は誤っている気もする。でも、まあそれはどっちでもよくなってきた。★