ゴーストのささやき

暗黒だった高校時代、僕にはアベくんという友人がいて、彼の家は高校から歩いてすぐだつたので、よく授業をエスケープして彼の部屋に入り浸っていた。

エスケープと言ってもアベくんの部屋でタバコ等の「わるいこと」をしていたわけでもなく、彼のベッドにもたれかかったりしていつの間にか1時間たつなど、いまでいう「居場所」として彼の部屋に僕はいた。

彼も僕もロックファンで、僕は「サウンドストリート」の渋谷陽一ファン、アベくんは誰だったかなあ、ピーター・バラカンかもしれないし中村とうようだったかもしれないが、渋谷陽一ではなかった。

だから同じロックファンでも聞く対象がずいぶん違い、彼はツェッペリンもプリンスも聞かなかった。僕は、ボブ・ディランもローリング・ストーンズも(当時は)聞かなかった。

が、居場所としてのアベくんの部屋に入り浸るにつれ、アベくんの好きな音楽を結構聞くようになった。

その一つに、ボブ・ディランの「欲望」があり、その1曲目の「ハリケーン」がある。

その詞の内容もほとんど覚えていないが、最近Apple Musicを利用するようになり、久しぶりに「ハリケーン」を聞いてみると、あのボブ・ディランの声、あのバイオリンの響き、そしてそれとともによみがえる高校時代、そしてアベくんの細々とした言葉、またあの雰囲気あの空気、あの時代のあり方等、どばどばっとたくさんの記憶が蘇っている。

それにともなう、痛みと喜びも。

そうした「沈殿した記憶」、言い換えると「他者の記憶」は、ながらく忘れ去っていたもので、僕にとってはまさに驚きだ。

フロイトは「ヒステリー研究」のなかで、こんな図を示している。

下は、京都精華大学の授業(こころと思想)で僕が殴り書きしたものだから曖昧この上ないのだが、記憶が沈殿し、それが「他者の声」となり(傷ついた場合はそれはトラウマとなる)、我々のうちに知らず知らず染み透り、そのメカニズム自体が我々を我々とする事態をよく示していると思う(図中一番下が「他者の声」あるいはトラウマあるいは「ゴーストのささやき」)。


アニメ「攻殻機動隊」で、主人公が最後に発する決め台詞「ゴーストのささやき」は、作者としては「魂の声」のような曖昧なものとして提示しているだろうが。僕は、我々一人ひとりが捉えているようで捉えきれず我々に沈殿する「他者の声」として理解している。

アベくんとの33年前のさまざまなコミュニケーションは、すべてがゴーストのささやきとなって、33年後の僕をポジティブに支える。★