「出会い」が遠くなった

昨日から僕はNPO法人TEDICの記念イベントで宮城県・石巻市にいるのだが、この2日間の滞在でたくさんの人達と語ってきて思ったのは、

人の「優先順位」というものは本当に変わる

ということだった。

僕は知り合いからも煙たがれるほど、長らく「出会い病」みたいなものにとらわれており、それは哲学(というかデリダの)の「まったくの他者tout autre」という思想を尊敬していたからであった。

自分ではコントロールできない部分で我々は」「他者」と出会う。その出会いは無意識的であったり否応なきものかもしれないが、そこで沸き起こる「出来事」を何よりも尊重しなければいけない。

ポストモダン哲学では唯一の規範かもしれない、この「他者との出会い」をざっくばらんに自分なりに訳して受け入れ僕はこれまで生きてきた。

日々出会う人、そこで自分とは違う考え方を持っている人を何よりも尊重しなければいけないと。
それが「応答責任」であると。

が、この頃はその規範意識がすっかり薄くなり、「出会い」よりも「1人」、「出会い」よりも「休息」が大事になっている。

僕の仕事は子ども若者分野であり、そこで仕事する人たちは30才以下の若い人たちが多いことから、この感覚はあまりシェアできない。

この頃は共有できない孤独感よりも、1人でこうしたテーマを考えテキスト化するほうに意義を感じたりする。プルーストが「失われた時を求めて」を書いた気持ちが僕もようやくわかるようになりました。

今から、TEDICの若者たちが集まる打ち上げに僕も参加する予定だ。
参加してすぐホテルに戻るだろうが、これがいま僕にできる最大のレスポンシビリテだなあ。★